四曲目
「これは分かるかな?」
「ボールペンです」
「じゃあここに今から言う言葉を書いてみて」
「はい」
先生は看護師さんと共に病室を出て行った。
静かな空間に扉が閉まる音だけが響き渡る。
扉の隙間からチラリと見えたのは、不安そうな顔の女性だった。
「あの!先生!どうでしたか!?」
「一時的な記憶の混乱でしょう。日常生活はできると思います。ですが、人間関係に関する記憶がすっぽり抜け落ちています。脳波に異常は見られませんでしたので、ずっとこのままということは無いと思うのですが...」
「みさとっ......」
「いつどの様なきっかけで記憶が戻るかは分かりません。ですがこちらが悲痛な顔をしていてはみさとさんも気に病みます。前向きにいきましょう」
「先生、みさとに会えますか」
「まだ傷も治りきってませんので興奮だけさせないように気をつけてください。10分程度でしたら大丈夫です」
「ありがとうございます。ほら、母さん、泣いてたって始まらないよ」
「そう、ね...」
先生が病室を出たあと、私はまたベットで横になっていた。
これがベットだという事も、ここが病院だという事も分かるのに、私が誰なのかが分からない。
この先、本当に記憶は戻るのだろうか。
コンコン、と、ドアをノックする音が聞こえた。
「みさとさん、入りますよ」
入ってきたのは先生と....
「みさと...」
「みさと、大丈夫か?」
目覚めた時にいた両親と名乗る2人だった。
「あ、の....?」
「父さんと母さんだよ。今日はな、昔のアルバムを持ってきたんだ」
そう言って何冊もの大きなアルバムを出す。
丁寧にページをめくりながら、説明を始めた。
(ほら、これは初めて立った時だぞ)
(見て、こっちは自分でご飯食べた時よ)
(この辺りだともう小学生だからだいぶ顔立ちも今と似てるだろ)
(あら、これ、運動会で転んじゃった時ね)
交わされる2人の会話は、私をまるでテレビでも見ているような気分にさせた。
それはきっと、私自身にその記憶がなく、気持ちの共有が出来ないからだらと思った。
「じゃあ、今日はそろそろ帰るね」
一通りのアルバムを見せた後、彼らはやっとその一言を発してくれた。
「また来るから、ゆっくり休んで」
「ありがとう、ございます...」
優しい言葉にも、たった一言、声を絞り出して返事をするなが、今の私の精一杯だった。