かがやき
くるりと上がった睫毛に縁取られた大きな目が、僕を刺すように睨みつける。
「黒鉄君は愛されてるから分かんないんだよ」
もういいよ、涙を零してつぶやいた彼女は踵を返して走り去ってしまった。
立ち尽くす僕は、初めて彼女の髪を触った時の事を思い出していた。
片手に櫛を持って、そっとおでこに触れると、分けた前髪がぱらりと落ちる。頭の形は綺麗で櫛は簡単に通った。前髪をひとまとめに持ってくる。黒く光る長い髪の房が僕の指からつるりと過ぎ去る。ちゃき、ちゃきりとハサミの音がみやびさんの部屋に響く。僕は慎重に切り進めた。
「出来た」
顔についた髪の毛をタオルで拭いてもらう。
「鏡見たい」
そっと手鏡を渡すと、うわぁっと小さな声が聞こえた。違う人みたいって笑う彼女は初めて見た時より美しくて、僕はまた惚れ惚れとしてしまった。
「ねぇ、間抜けな顔してる」
「うるさいな」
すごく、すごく似合ってる。そう伝えるとみやびさんは照れて目を閉じて笑った。再び瞳を開いたみやびさんの虹彩が夕焼けのオレンジをきらきらと反射して、輝きって言葉は彼女のためにあるんだなんて思った。
それからみやびさんは美容室に行って、後ろ髪も少し短くしたらしい。家に帰るといつも電話かメールとかメッセージが来る。しつこいとかそんなんじゃないけど、みやびさんとは約束をしているから忘れないようにしないと。
1つ目は僕から。付き合い出したのは普通の理由って設定を守る事。2つ目は彼女から。別れる時やチャットの終わりに絶対大好きだよって言う事。
だいすきだよ。今日もフリック入力の指は左右に動く。明日の学校は楽しみだな。僕もランニングとかの成果か友達に筋肉ついたよなって言われてきたし、次はみやびさんの番だ。なんだかホクホクした気持ちで眠りについた。
本当に翌日は大騒ぎだった。女子も男子もみんながみやびさんを褒めた。あとから秘密にしちゃったって笑って教えてくれたけど、彼女は眼鏡もコンタクトに変えていたんだ。まるで別人の彼女は、いつも通り周囲に笑顔を振りまく。今までの微笑みの威力がたんぽぽの綿毛なら、強風注意報の日の満開の桜だった。僕だったら臆してしまうような人だかりの中、彼女は本当に花のような笑顔でにこにこしていた。
男子にはちやほやされ、女子には、友達はもちろん今までつるんでいなかったような子とも話せるようになったみたい。慣れない手つきで化粧品を塗ったりしているのを放課後見つけた。
それから彼女の周りはいつも人がいて、真夜中の寂しいよってメッセージも前より来なくなった。それでも僕達の習慣、デートみたいなランニングはちゃんと続いた。
ランニング!それはまあ僕達付き合ってるし、という惰性から始まった物だけど最強に楽しい時間だった。何キロかの道のりをみやびさんは自転車で、僕は走って過ごす。彼女の部活がオフの月曜木曜、日曜日。夜の7時。自転車にカバンを放りこんだみやびさんはその中のスマホから爆音で音楽を流す。
「ほら走れ走れ!!」
「これ、大丈夫なのか??!」
「通報されたくなきゃ走って!!」
あはははって笑うみやびさんに何故か僕はドキってした。いや違う。走っているからだ、これは。
コースの折り返し地点の川沿いの道。その道を通る5分が始まると、みやびさんは自転車をガーッと進める。そしてカバンの中をごそごそいじると新しい歌を流して、それはもう大声で歌い出す。走る日によって違う曲だった。流行りの歌も知らない歌も、英語も韓国語も分からない所はめちゃくちゃに誤魔化したり、すっ飛ばして叫んでいる。普通に歌ったら上手いんだろうな、なんて思いながら僕は走り続ける。とにかく楽しくてしょうがなかった。みやびさんの家の前がランニングコースのおしまいだった。水筒からスポーツドリンクを飲む。肺がちぎれそうな痛みも、ガクガク震える脚も彼女にケラケラ笑われると疲労も楽しさに変わった。呼吸が整うまで彼女は待っている。はあ、と息を継いで、
「大好きだよ、また明日ね」
小さな子供みたいにうん!って言う時のみやびさんの笑顔を僕は誰にも見せたくなかった。
ああ、あんなに楽しかったのにな。僕は言ってはいけない言葉を彼女にぶつけてしまったんだ。