94、そよかぜ
「あっ、おかえりっ、リンっ」
開け放されたままの扉を潜り抜けた先で待ち受けるのは感動の再開――とまでは行かなかったものの。
周囲に漂う妙な匂いをそのままに、こちらへと駆け寄るジーナの表情にはいつも通りの笑顔が輝いている。
「うん、ただいま」
「え、……っと、どっちから触れた方がいいのかなっ?」
ジーナはそれぞれに視線を送りつつも、その場で困ったようにこちらの様子を窺っている。
「傷は大丈夫。とりあえずこの子を落ち着かせるのが先かな」
どっちかという二択であるならば傷は見た目ほど急を要してはいない。
それで自身の手から逃れようと暴れる、その少女へと顔を向ける。
元気なのはいいことだが、心配なのはその内面だ。
今後の対応次第では悪化する可能性も十分に秘めている。
しかし、ジーナがいる以上、その処置は早いに越したことはない。
きっとジーナならこれから彼女が辿るであろう過程を短縮する意味でも、いち早い日常生活への復帰を後押ししてくれるはずだ。
「リンがそういうならいいけど……本当に大丈夫?」
ジーナはこちらの言葉を疑うというよりも心配が勝っているのか。
再度確認するようにこちらの顔、もとい傷口を覗き込む。
「大丈夫大丈夫」
深くこちらの状態を知らせることは、あまり現状からして勧められたことでもない。
気持ちは有難いが、未だ敵地であることも考慮して、無用な不安も過ぎた気遣いも極力避けるようにしては若干の笑みすら浮かべて見せる。
「まぁ……リンがそういうならいいけど。本当はぼくが治せればよかったんだけどね」
ジーナは出来ないことをないものねだりするのではなく。
ただ整然と、目の前にある現実を並べ立てては受け入れる。
「ジーナ」
「うんっ、その子はぼくが預かるよっ」
全て理解していると言わんばかりに詳細を省いては結論を出す。
マリアとの約束がある今、その配慮は正にジーナだからこそ出来る芸当だ。
「ありがとう。すぐ戻るよ」
「うんっ」
ジーナは問題ないと笑う。
少女のことはこれでようやく一段落、と呼べるほど事態はそう簡単ではない。
ジーナと無数に転がるその者たちを尻目に、元気すぎるが故にどこでもいいというわけではない少女が落ち着けるだけの時間と空間を求めては木陰へと移動する。
そうして寝かせた後に背中を向けては自身の衣服へと手をかける。
「あっ、リンっ」
乱雑にも裾を引きちぎったところでジーナから声がかかる。
「ん――?」
呼び止める声に振り向いては、手を止める事なく聞き返す。
「一応聞くけど。その、どの程度まで……かな」
質問の意図を考えながら。
手は今しがた用意した布でもって、その目と周囲を覆うように動かしていく。
「どうだろう。肉体的な損傷はないと思うよ」
「そっ、か……」
ジーナは歯切れ悪くも目線を落とす。
「用が済んだらすぐ出発しよう」
「うん……っ」
ジーナは力無い笑みをこちらへと見せては、幼気な少女の隣へと最大限の配慮をもって腰を下ろす。
こちらもゆっくりしている場合ではない。
二人に背中を向けては前方の扉へと足を急がせる。
それから再度の建物内部へ。
人など見当たらない通路を迷い無く進んでいく。
追っているのは非常に希薄な気配そのものだが、確かなものとして視界に収めれば何の事はない。
檻と言うにはいささか無理のある、部屋と言うには管理の行き届いていない乱雑さが見て取れる、そんな入れ物とも表現すべき空間に数人。
そこから少し離れた場所にも数人。
一応のまとまりがある以上、手間が省けて良いと言えばいいのだが――思った以上にその人数は多く、何よりも足の腱が断ち切られているとなれば何かしらの手段を講じざるを得ない。
一人通路を引き返す。
そうして目に付いたものから順番に、いくつかの扉を開け放しては目的の荷車を発見する。
「これは……どうなんだ」
見るからに手入れがなされておらず。
引けば引いたで奇怪な音が出る始末。
だが、この際動けばいいのだ。
荷車を手に、その者たちの前へ。
ある程度の重さと配分を気にしながらも奥から奥から順番に詰め込んでいく。
しかし――。
「持てばいいが……」
などと。
そんな願いもむなしく。
言った傍から荷重に耐えきれなくなった車輪が破砕する。
当たり前と言えば当たり前だが、現状なってしまったものは仕方が無い。
片方の車輪を失い、傾く荷車から残った車輪を取り除く。
それから下へと潜り込むようにしては持ち上げる。
天井を引っかきながらもやってしまえば意外と何とかなるもので。
中腰のまま扉を抜けてはジーナとの再会。
どうやら苦笑いというのはこういう時に浮かぶものらしい。
「急いだほうが良さそうだねっ?」
「行こうか」
お互いに顔を見合わせてはそれ以上は必要ないとして行動に移す。
それからチラリと大地へと転がる者たちに対して目を向けては見るが、それはそれだけで更に処理を施そうなどと考えるだけ無駄なこと。
組合は遠く、連れて行くには多く、危険もそれに応じて高まっていく。
野盗の確保が目的ではない今、傷ついた者たちを優先する意味でもこの場に置いていくというのは止むを得ない選択だろう。
「ん……大丈夫?」
「う、うんっ。ちょっと、うん、ははっ……だめかもっ……」
ジーナに抱え上げられては暴れに暴れるその少女を前に。
こちらが出来る事と言えばただ一つ。
「あ、だっ、だめだめっ。怖がらせちゃだめだよリンっ」
ジーナは近づくこちらを手で制する。
それから荷物に手を入れては何かを少女の鼻筋に。
数秒としないうちにその手足を垂らしては大人しくなる。
「……引いた?」
ジーナはそれとなく目を伏せながらもこちらを上目遣いにて窺う。
「ん?」
「ううん、何でもないっ」
こちらの反応から何かを感じ取ったのか。
問いに対する答えもろくに出さぬまま。
自ら取り下げては微笑みの下へとその先を隠してしまう。
「行こっかっ」
ジーナは笑う。
いつも通りに。
「ジーナ」
「い、いいからっ」
こちらに背を向けては踵を返そうとするジーナ。
その背中に。
「知ってたよ」
「へ――?」
それとなく言葉を投げかける。
「行こうか」
固まるジーナを今度はこちらが先導するように、マリアたちの下へと歩を進める。
ただし、それもほんの少しの間だけ。
颯爽と追い抜かしたのは他でもないジーナ。
そうしてくるりと反転する。
「リンのバカっ」
「え――」
何でそうなったのかはまるで分からない。




