9、足は手の四倍の力がある
「……もうっ。リンもマリアも勝手なんだからっ。もうもうっ」
ジーナは言いながら座られていない椅子を見ては足をばたつかせる。
「もうもうもうもう。それはもういいでしょ?」
サラスは呆れるようにいいながらもテーブルに置かれた料理には目を落とすだけで手をつけようとはしない。
「もうきっとリンなんかすごく大変な目にあっちゃったりして、マリアはそれを見向きもしないで、でもリンは気にしてなくて、何かそう、恋に落ちちゃったりして……あーもうっ! リンの浮気者っ!」
「ないわよ」
「きーっ! サラスはエルフだからわかんないんだよーっ!」
「む、いったわねー。って、そんなので怒るわけないでしょ。ねっ、アイギスー」
サラスは椅子に座って料理をちまちまと口に運んでいるアイギスに対して、髪を優しく梳くように撫でていく。
「むーっ、アイギスは僕の味方だよねー?」
ジーナが自身の皿からアイギスの皿へと艶やかな野菜を移す。
「ちょ、アンタそれ買収っていうより単に嫌いなだけでしょ」
「まだ食べてないのにー?」
「そ、それは、そうね。でもそっちがそのつもりなら私はこうよっ!」
サラスの皿からアイギスの皿へと果肉がみずみずしい果物が移される。
「ちょ! それはずるいんじゃないかなー!?」
「ふーんだ、これが私のアイギスに対する愛情ってやつよ。悔しかったらそのメインディッシュでも差し出してみなさい?」
「きーっ!」
「大丈夫」
「え?」
「へっ?」
「い、いまアイギスが喋って……? え?」
二人の視線が艶やかな野菜とみずみずしい果物を口に入れるアイギスに集まる。
「え? いやいやそんなわけないってえぇーーー!?」
「え? ははっ、あっははっははっは! いいわよアイギスっ。みんなたべちゃいなさいっ」
アイギスがその食指をジーナのメインディッシュに突き立て、ジーナの悲鳴とサラスの笑い声が室内に響いたころ――
ゴブリンの広場、その奥の巣窟にて――
「ぜ、全然大丈夫じゃないなこれは……」
自身の腕にしっかりとついた歯形を見て思わず眉間にしわが寄る。
「あはっ、あはははははははっ! 神よ! 私ももうすぐあなたのもとへと参ります!」
「参ってもらっちゃ困るんだけどな……」
自身につけた歯形になど興味なさげにマリアが解き放った檻の前で狂喜乱舞している。
「う、うわああああああ」
その間にもまた一人どでかいゴブリンに文字通り潰される。
同時に血が撒き散らされ、零れ落ちた肉や臓物と共に嗅ぎなれた匂いをまた重ねる様にして充満させていく。
「どうしたもんか……」
ざっとここまでを振り返ってどこで間違ったのかを確認する。
まず、マリアをゴブリンの広場から救出、巣窟へと移動。
暴れるマリアを解き放ち、障害を無力化しながら進攻。
マリアの驚異的なある種の嗅覚で檻に囚われた人間たちを発見。
素手であけようとするマリアをよそに蹴破り破壊。
増援が来る前に全て解放したはいいが、その場から動かぬ者、動けぬもの、動こうとしない者、そして戦う者、狂喜するもの、何も持たずただ逃げ出すものともう場は滅茶苦茶。
マリアもその人の流れに踏みつぶされそうになるなど収拾のつかない状況。
そしてマリアはマリアでいつも以上に元気がいいもんで、手に負えない。
腕の歯形は救出したとき移動したときゴブリンにスコップを振り下ろそうとしたときついたもので――
「っと」
どでかいゴブリンから掴まった人間が投げつけられる。
それを避ける事はせず上手い事受け止める。
しかしどでかいのに掴まれた衝撃からか、口には吐血の跡があり意識も確認できない。
「あはっ、治癒」
マリアから回復が飛んでくる。
依然として意識は戻らないが、いくらか顔色がましになったといえる。
「マリア、一つ聞いても良いかい?」
腕の中で眠る負傷者をそっと地面に横たえて、視線は勇敢にも手に武器を取って戦う男たちや女たちを見据える。
「もしかして、っていう仮の話なんだけど」
「あははっ、あははははははっ! 治癒! 治癒! 治癒! 治癒! 治癒!」
「自分に殺しをしてほしくないのかなー、なんて」
「あはっ?」
「……いや、それ以外に止める理由が正直分からなくてね」
「あははははっ? 貴方が私を? 何故? どうして?」
「逆、だけど、ね。うん」
「あはっ…………?」
ここまで何があっても元気だったマリアが激しい喧噪の中、時が止まったかのように動かなくなり沈黙する。
「い、いや、いやいやいやいやいやいやー!」
その間にもどでかいのに掴まったものが四肢を引きちぎられ、その数を増やしては無残に転がり、マリアの足下でピタリと止まる。
「……治癒? 治癒? 治癒? 治癒治癒治癒治癒治癒治癒治癒治癒治癒治――」
「マリア。それはもう無理だ」
マリアの肩を掴み制止する。
だが、それと自身がそう呼んだものに対して、マリアは回復を施すことを止めない。
「マリア。君は何がしたい」
「治癒治癒治癒治癒治癒治癒治癒治癒治癒治癒治癒治癒治癒――」
「神でもいい。君が何を成そうとしているのか教えてくれないか」
「であるならばっ! 祈りなさい! そしてすべてを差し出して尚受け入れなさい! その運命を! その導きを! そのご意志を!」
「マリアは?」
「まっ……? 私? 私? 私は私?」
「そうだね」
「私は私で私はそう! 助けを求めるものがいたなら手を伸ばし! 迷いをもつものがいたならその道を指し示す! それが、私。マリアです」
「マリア。それで気は済んだかい?」
「気は……済ん、だ……?」
「君は見事に助けを求めるものたちをその手で開放し、迷いを持つ者たちに選択肢を与え、道を指し示した」
「はい」
「それでどうする?」
「どうする? どうするとはどうする?」
「帰ろう」
「帰る?」
「ジーナもサラスもアイギスも待ってる」
「ジーナ? サラス? アイギス?」
「君の仲間だ」
「なか――ま――?」
「そうだ……って、マリア!?」
今まで何も気にしてこなかったが、やはり、回復には何かしらの代償があったようだ。
マリアの顔色は尋常ではないレベルで血の気が引いており、前のめりに倒れた体は冷たく、とても生きている人間のものとは思えない。
「あ…………わ、たし……」
「大丈夫」
「あ……な……」
「大丈夫」
言った傍から後頭部に正気とは思えない衝撃が走る。
だが、言葉に出した通り何も問題はない。
マリアに傷一つとてつかせはしない。
「あ……治――」
「マリア。この程度じゃ人は死んだりしない」
「あ……」
力無く垂れる両手足。
それを包み込む様に出来るだけ負荷のかからぬ様、前面に優しく抱え込む。
先程まであれほど嫌がっていたのにも関わらず、当たり前だが今度はすんなりといった。
「さて、両手が使えないぐらいで止められると思うなよ?」
振り向いてどでかいゴブリンに伝わる訳ないのに一方的に告げる。
「グベッ?」
「知ってるか? 足は手の二倍力があるんだ――」
そうして適当な事をいいつつゴブリンへと背を向けた。
今はこんなやつの相手をしている場合ではない。
が――力無いマリアの歯が腕へとかかり、踏み止まる。
「た……たす、けを……も……め……」
「……大丈夫」
「あ……は……はっ……」
「大丈夫――っと」
相手にこちらの事情など関係ない。
向けた背に問答無用で丸太のような棍棒を打ち下ろしてきた。
「さて、言い忘れていたが、足は手の三倍の力があるんだ」
そうして再びどでかいゴブリンへと向き直った――