8、アビスパ
時刻は十九時を少し回ったところ。
日は暮れ、既に辺りを照らすのは月明かりと、人工的に作られた街頭だけだ。
記憶を頼りに街の出入口を目指す。
朝には戻ると言ったが、正直間に合うかは分からない。
ここから先程の森までの道のりは覚えている。
しかしそれよりもその先、あの空間にいかに早くたどり着けるかが今回は重要になってくるだろう。
「おい、止まれ」
当然の如く出入口には兵士と思われる武装した者が詰めており、この時間帯から外へと出るとなれば怪しまれる。
入るときのようにはいかないが、どうにかしなければならない。
無理矢理でることも不可能ではないがサラスやジーナに迷惑をかけることは出来るだけ避けたい。
「ん……? お前はさっきの冒険者だな?」
印象付ける程に話したとは言えないが、これは仕事柄からなのかずいっと体を近づけて来ては答え合わせを求められる。
「はい。少し野暮用がありまして」
「……野暮用とは?」
眉間にしわを寄せては訝し気な表情。
「ゴブリンです」
「依頼か?」
「いえ、個人的なものです」
「ふむ……一人でか? 馬車も使わずに?」
「仲間には内密に、お金が要りようなのです」
「ふっ、金貸しなら紹介するぞ?」
「それが……」
ここまで合わせていた目線を斜め下にすっと外す。
「がははははっ! 若さゆえか、行け。だが命の保証はないぞ」
「ありがとうございます」
軽く頭を下げてその横を通り過ぎる。
「おい! 餞別だ!」
それから暫くして背中越しに声が掛かる。
振り向くと何やら小包がこちらへと綺麗な放物線を描いて飛んで来た。
「ありがとう」
言葉少なに手を挙げては礼を言う。
それに相手は不敵に笑い、おう、と短く声を返した。
道中、水辺を発見し、空になった水筒へと水分を補給しながらそう言えばと小包に手を伸ばす。
中身は受け取った際の重量と質感、その匂いからある程度の推察は出来ているが、それはそれ。
開けてみるまで分からないのが物事の常というもの。
丁度いい岩へと腰を下ろし、きつく結ばれた紐をほどく。
「おぉ……」
中から現れたのは予想通りと言っては何だが、肉だった。
これまで食事を取っていない体には何よりもありがたい。
しかし、事ここに至って何の肉かは分からない。
だが、食べられる。
それだけは確かだと直感が告げている。
月明かりの下、荷物からマッチを取り出しては簡単に火を起こす。
途端に辺りは明るさを取り戻し、暖かさも同時に振りまいて行く。
と――
その火に導かれるようにして――ただし遮る様に――人影が目の前へと音も無く現れた。
「…………」
その者は何も言わずにただこちらへと狂気的な眼差しを向けている。
「マリア……」
そうして彼女の名を呼ぶ。
「うふふっ、抜け駆けですか? それとも夜のお散歩ですか? どちらでもないというのであればそれは正しく神のお導きですね。ふふっ」
森から出て馬車の上で目を覚ましたかと思えばそれからやけに静かだったマリア。
どうやらこちらの考えなど全てお見通しだったようだ。
「少し……お話でもしませんか?」
マリアは炎を挟んで対面へと座り、提案する。
ここまで来ては致し方ない。
志半ばに終わろうとも、後日に回ろうともその両方になろうとも受け入れることにする。
「うん、いいよ」
首を縦に振り、岩から腰を上げては包みの中の肉を簡易的に木の枝に突き刺しては焼いて行く。
「私は、ル・リヴィラ・ラル・レランド・シュヴァリエ・マリアンヌと言います」
「うん」
「マリアンヌ以外には全て意味があり、その全てに役割と意義、そしてこの身に使命と決して折れる事の無い信念を与え、同時に表すものになっています」
「うん」
「そして私はここで貴方を止めねばなりません」
「うん」
「引き返してはくれませんか?」
マリアはそういうと胸元へ手を伸ばし――首から下げられた十字架を引き抜いては――刃を露出させる。
「マリアも一緒なら喜んで戻るよ」
目線は炎と肉、そのままで答える。
「お話に……なりませんでしたね。残念です」
マリアが立ち上がる。
「はは」
しょうがないとこちらも合わせて立ち上がる。
こればかりは譲ってはならない。
「では、こういうのはどうですか?」
マリアが手を衣服にかけようとしたところでそれを制止する。
「あはっ、あはははははははっ! お優しいのですね。ですが、これも神のお導き。貴方は天に昇るのです!」
胸元からぬらりとした感触が、同時にひんやりとした冷たさが感じられる。
「マリア。その程度じゃ人は死なないよ」
「不死の人間などいません。人はいずれ、死にます」
「それが今だって?」
「はい。ですが、貴方には悲しむ猶予も過去を振り返る時間すらも残されている。未来に思いを馳せる時間も同様に。良かったですね」
「うん」
「手を離していただけますか?」
「死ぬまで一緒にいてほしいな」
「雰囲気が雰囲気なら多少は心動いたかもしれませんね」
「本気だよ」
「……では、こちらとしても先を急いでいますのでここらで失礼いたします」
引き抜かれた刃がこちらの腕へと向かう。
だが、それを甘んじて受け入れたりはしない。
掴む。
これで、両手を塞いだ形。
「……? 死ぬ前に私を組み敷くつもりですか?」
「よすんだ。マリア」
「何故? 私は私の信念に従って行動しているだけです。貴方にはその生き方にまで口を出す権限はないと思いますが?」
「権限じゃない。仲間……だからでもない、か」
考える。
こうするに至った考えを、まとまっていない考えをまとめて行く。
「離してもらえますか?」
ふぅ……。
やれやれと考えながらも未だ形を成していないそれを言葉に変えて行く。
ただし、それだけでは通じ得ない。
相手を動かせない。
だが、自身の知っているやり方ではマリアは決して変わらない。
違う。
変わって欲しいわけでも考えを改めて欲しい訳でもない。
ましてや生き方に文句を言う気もない。
ではどうするか?
そんな相手に出来得ることは一つ。
寄り添うだけだ。
「マリア。こういう時、神ならどうする?」
「自身の運命を受け入れろと申されるでしょう」
「分かった。ついでに一つ教えてくれるかい?」
「はい。どうぞ」
「これから君はあの空間に行って、その奥へと進むだろう。それはたぶん人間がいるからだ。ただし、それには危険が伴う。しかし、君はそれを排除しようとはしない。何とかしたい。神ならどうする?」
「お気になさらず――」
「神に聞いてるんだけどね」
「神は……」
「何ていってる?」
「……神は人間同士のいさかいになど興味はありません。ただ、自然の摂理に乗っ取りその流れを慈しむだけです」
「うーん。つまり、マリアには死ねと。こちらには好きにしろと言っているわけだね?」
「……離してもらえますか?」
「分かった。ありがとう」
それが答えだと受け取り手を離す。
マリアは怪訝な顔をしながらこちらへと背を向けると走り去っていった。
焼き過ぎた肉に手を伸ばし、素早く頬張る。
胸元には焼いたスコップの先端を押し付けた。
火の後始末をし、マリアを追う。
問題はそれから先、追い付いてからだ。
きっとゴブリンに手を出そうものならマリアはそれを許さない。
だが、今回はそれよりも優先させうるものがマリアにはある。
囚われた人間たちだ。
どうにかそこまで無事にたどり着ければいいが……。
何となくジーナの軽口が聞きたくなってきた。
自然と自嘲気味に笑いが漏れる。
気がつけば自身の死よりも他人の生を重要視している自分がいる。
以前とは打って変わってと言えるがそれにしてもよく刺される。
まぁ、吊るし上げられるよりはましか?
何となくそう思った。