73、寄り道
「ははぁっ!」
足が飛んでいく。
血の飛沫が上がる。
だが、痛みよりも先に体を支配したのは言われも無い興奮だった。
「――!?」
本日だけで三度目のそれ。
いい加減数えるのも面倒になってきた。
しかし、一度目二度目とは違う決定的な事実を前にして自身の思考は急速にその回転を速めていく。
「あいつ……笑ってるわよ……?」
背後からそんなサラスのどこかこちらの正気を疑うかのような声が聞こえてくる。
ただしそれも自身の口角へと意識を向ければ一概に否定できず、状況と相反するようにして吊り上がった口角は正に狂気的なそれと思われても致し方ない。
「――」
見えざる敵はこちらの足を真っ二つにしておきながらもそれ以上の追撃は行ってこない。
そこにどのような意図があるのかは不明だが、仕切り直しを求めてか、その距離を後退という一手によってこちらの手の届かぬものへとされるのはいささか困るというもの。
「ははっ」
言葉にする気はなかったのだが、それでも不思議な事に楽しんでいるとしか思えないような声が漏れ出てしまう。
ただそれもその筈、肉を切らして骨を断つという言葉があるのは知っていたが、実際に肉を切られても骨まで断たれたことは一度も無かったのだ。
別に骨に対して絶対的な自信があったわけではないが、それでもその事実からして相手が強者であるという事には変わりないだろう。
そして強者が生まれたということは必然的な対比としての弱者も同時に生まれたということ。
即ち自分自身に他ならないのだが、だからといって何もしないという選択肢は愚かである以前に自身の中には存在しない。
例えそれが完全に優劣という形で明確に格付けされた後だったとしてもだ。
行動する事に意味があるとまでは言わないが、それでも決まりきった結末を時に崩すのはあくまでもそういった行動の積み重ねであり、変革をもたらす唯一の方法だろう。
しかし、だからといって一発逆転の手がこちらに残されているのかといえばそうではない。
精々が当てつけや嫌がらせにも似た悪あがきにも等しい時間稼ぎ程度であろう。
その中でも最も効果的に相手の時間を奪い、距離を与えず、選択の余地を残さないという意味での手段といえば何の事は無い。
攻めだ――。
それも前述したような執拗な攻めであればあるほど望ましく、巷では攻撃は最大の防御などといわれているが正にその通りで、攻めというのはその性質上こちらが攻めている限りは相手に防御を強制できる。
だがそれを成立させているのはあくまでも後がないと知っている自身の捨て身に他ならない。
死を恐れるのではなく恐れずに死んでいける。
そんな狂人とも強靭ともいえる行為こそが相手の首を絞めるのだ。
されど、そこまでやっても現状がひっくり返るということはまずないだろう。
どこまでいってもこれはただの時間稼ぎに過ぎない。
域を出ない。
そこまで分かっているのにも関わらず何故戦うのか。
そんなのは初めから決まっている。
守りたいから。
ただそれだけ。
ただそれだけのために今――自分と言う存在はこの場にこうして立っているのだ――。
ならばと。
残った片足を頼りにこちらから距離を取ろうとする相手へと文字通りの意味で一足飛びに追いすがる。
「中治癒」
その声で足が戻ったことに気付いては一瞬立ち止まりそうになる冷静な自分。
それを今は必要ないものとして躊躇なく切り捨てては、本来の速度を取り戻したその両足にて相手を自身の射程へと収めるべく更なる加速を要求する。
「っと――」
こちらの追従を嫌がるように振るわれた中段への薙ぎ払い。
見えない以上完全に避けることは叶わないが、それでも寸でのところで体を回転させてはその程度を左わき腹のみに限定させていく。
「リンっ!」
ジーナから上がるのは不思議なことにこちらを制止する声。
しかしながら目の前の現状がそれを許してはくれない。
傷口と相手の行動から大体の武器の種別と形状に見当をつけながらも長さという曖昧な部分については憶測と想定を交えて大まかな答えを導き出す。
「治癒」
今度はマリアからだ。
わき腹の傷は見た目ほど深くはないが、足を切断された際にいささか血を失いすぎているきらいがある。
これから更に血を流すであろうことは簡単に予想ができる中、その配慮と支援は素直に心強くもありがたい。
「チッ――」
それはそのままの意味で苛立ちと捉えてよいものなのだろうか。
ここまで相手にしながらもどこか不完全であったその存在から初めて漏れ出た感情という人間らしい反応。
誘っているのかとも考えられるがあくまでもそう思えなくもないというだけだ。
しかし、それ以上にそのようなことをする意味が分からない。
実力の差は一目瞭然で、圧倒的。
相手の有利がこの先崩れ去るという事も考えにくい。
となると逆。
盤石であるが故に何かを気にしているという線も十分にあり得る話だが……例えるならば時間。
もしかすると相手は今、一つの選択肢として退却を考慮しているのかもしれない。
根拠のない話だが、足を切断した際の最初の一撃にて首を跳ね飛ばさなかった理由にも辻褄が通る。
加えてジーナのこちらを制止する声。
ただ一つ引っかかるのはアイギスの言動。
何もないということはなかったわけだが、どこまでと範囲を指定されたわけでもない。
アイギスはアイギスであるからにして、そもそもが別の理由で声を上げていたという可能性も十分に考えられる。
とはいえ相手の狙いも分からぬまま、確信の一つも得られないままに仮定を信じて行動するというのは危険を承知でする綱渡りともまた違う、一種の賭けのようなものに他ならない。
しかし、現実としてこの戦闘での勝敗は既に決している。
その中でサラスたちの安全を確保するには、やはりここでどうにかする以外に方法がないのもまた事実。
だからといって我武者羅に撃退すればいいという問題でもない。
撃退した末に死んでしまってはそれはただの自己満足だ。
そうならないためにも最低限としての目標、相打ちにだけは持ち込まなくてはならない。
「ははっ」
決まってしまえば何の事はないなと笑いがこみ上げてくる。
そこにあるのは高い壁だが、それは自身が守ると決めたからには超えて行かねばならない壁だ。
「また笑ってるわよ……?」
「楽し気ですね」
「リンっ……」
これが最期かもしれないと考えてしまう程度には追い詰められているわけだが、そこには一切の淀みがない。
自分で言うのも何だとは思うが、これはこれで良いのではないかとすら思っている。
むしろ守って死ねるのであれば、それは本望だ。
相も変わらず距離を取ろうとする相手を追っては時折振るわれる剣筋に意識を集中させる。
疎らと言えども、一度見失ってしまえばその姿を再びこちらが捉えられる保証はない。
そうして相手が足を止めたのを感じ取っては、もうこれで終わることも厭わないと決意してお互いの必殺の間合いへと踏み込んでいく。
しかし――対するあちらはと言えば、何を思ったのか。
それまで散々隠し続けて来たその姿を露わにし、無慈悲にも下段から切り上げられた長剣でもってこちらへと応戦の意思を示す。
が――最早これまで。
こちらの足を断ち切った剣をへし折る事は難しいだろうと早々に握った拳を滑らせ、その軌道を変えるまでも無く掻い潜る。
そこからがら空きの脇腹へと続けざまに三発。
手応えは堅いが、想定通りと言っていい。
そしてそのままの勢いで再びこちらへと身を翻す長ったらしくも細い剣、その振る舞いから逃げるように後退ではなく前進する形で背後へと抜ける。
それで終わり。
当初こそ死を覚悟したが、傷一つない綺麗な体のままだ。
「ジーナ、サラス、マリア、アイギス。先を急ごう」
言葉にして事態の終息を告げる。
「え……ちょ、終わっ――たみたいね……」
サラスが訂正するように言葉尻を変える。
遅れて膝から崩れ落ちる音が周囲へと響き。
間髪入れずに液体が地面へとビチャビチャと音を立てては零れ落ちる。
しかしそれで終わりではなくむしろそこからが始まりと言わんばかりに咳き込み、息苦しさから声にならない声を上げ、嗚咽を漏らしては再び液体を大地にぶちまけるという一連の流れを止めどなく繰り返していく。
「リンさん……先程は無用な真似を……申し訳ありません」
「いや――あぁ、短剣。抜いとかないとね」
吐しゃ物を避けつつも近づいては容赦なく抜き取る。
どうやら相手の反応からしても自身の感触からしても防具に阻まれその刃は肉へと達していなかったようだ。
「すみません……」
汚れてはいないようだが軽く布を取り出してはふき取りマリアへと柄を向けては差し出す。
「大丈夫大丈夫」
それから肩へと手を伸ばしては優しく触れて見せる。
「そういうわけには。何か、何かお詫びを……」
「もういいから行きましょ? 酷い臭いだわ」
サラスは嘘偽りない事実を言葉にする。
見れば血液と吐しゃ物に混じって糞尿を垂れ流しているようだ。
「さんせーいっ」
「何やったのかは知らないけど最悪ね」
「危うく死にかけた」
「私の責任です……」
「ほらっ、そういうこというから……もうっ」
「いや、そういうつもりで言ったわけじゃないんだけどな」
「軽い冗談のつもりでも傷つくことはあるの。分かったらマリアに優しくすることね」
「あ、あぁ。でもこれからがある意味本番だぞ?」
「あっ……」
「はい――」
「忘れてたわ……」
ジーナとサラスは思い出す。
マリアは頑張り過ぎないようにとある意味注意が必要だ。
アイギスはと言えば――いつものようにどこか明後日の方向を……どうやらお腹が減ったらしい。
急いではいるが、出店のようで。
匂いに吸い寄せられるように自然と足が向かってしまうのは、きっと少しばかり失いすぎた血液の補給を体が求めているからに違いない。




