7、その日の汚れはその日のうちに
「ゼロですね」
目の前の女性は台を挟んであっけらかんと言い放つ。
「ちょ、ちょっと! そんな訳ないでしょ?」
自身は分かっていたことなので特に思う所は無い。
しかし、それを見ていたサラスはそうは思わなかったらしい。
「私たちは何十どころか何百って数のゴブリンを相手に戦ってきたのよ?」
「そう言われましても……」
「あくまで止めを刺してなきゃだめだって言うの?」
「そういう規則でして……」
「それでも被害を与えたのは確かなのよ?」
「はぁ……ですが、こればかりは私の一存では……」
「それならもっと上の――」
「サラスぅー。それは僕らも聞いてたことでしょー?」
「そ、それは、そうだけど……でもどうするのよ? ここで引き下がったら――」
「まぁ、何とかするよ」
「また……根拠のない……」
「まーまー! リンが何とかするっていってるんだからここは、ねっ?」
そうして渋々というよりも本人はまだ引く気が無かったようだが、ジーナに背中を押されてそのまま外へと連れ出される。
その背中を見送っては、残されたマリアとアイギスと共に再び受付の女性へと向き直る。
「すみません。うちの仲間が無理を言ってしまって」
「いえ……ですが、規則は規則ですので……」
申し訳なさそうにいうその言葉は幾度と無く繰り返してきた言葉なのだろう。
非常に堂に入ったものだった。
「はい。ただ、無理を承知でお願いがあるのですが、何分私達も切迫した状況でして、自分は構いませんので何とか彼女たちだけでも組合の宿に泊めていただきたいのです」
「それは……」
再び申し訳なさそうな顔。
次に出る言葉は容易に想像できる。
しかし、それを言葉として聞き入れてはこちらの立つ瀬がない。
そうならないためにあえて相手の言葉を遮るように言葉を急ぐ。
「勿論、私に出来得ることがあるのであれば誠心誠意務めさせていただきますので、どうか――お願いします」
手を横に、深く床と並行になるまで頭を下げる。
そうして相手の言葉を待つ。
だが、一秒二秒と確かに経過している時間の中において、帰ってくる言葉は何一つない。
これは……そう。
悩んでいるのとは違う沈黙だ。
言うならば相手に対してどう言葉を返すか選んでいる。
そういった類のものだ。
そしてそれは、面倒な相手に対してどう断るかという時に陥るもので――
「おい、これだけあれば足りるだろ?」
そんな声が予想に反するようにして自身の頭上から聞こえた。
「え、あ……はい。銀貨一枚、確かに頂戴いたしました」
「アンタもいい加減顔上げな。あんだけの混戦の中で自業自得とも言えなくも無いが、アンタは俺たちの命の恩人なんだ」
それでようやく下げた頭の上で何が起きているのか理解する。
「ありがとう」
頭を下げたまま言い、それから顔を上げる。
「いいよ。ただ、俺たちも別に余裕がある訳じゃない。一部屋あれば事足りるだろ?」
「あぁ、どうもありがとう。この恩はいつか必ず」
「いいよ、別に。それにそれじゃ俺たちの仲間の命が銀貨一枚より安いように聞こえちまう」
「そうか。ありがとう。でも、もし何か困ったことでもあればいつでも協力する」
「それは、素直にありがたいな。まぁ、俺たちは俺たちでまだすることがあるんでな。ここらで失礼するよ」
「ありがとう」
再び頭を下げる。
それに男はいいよと言い残して颯爽と立ち去って行った。
「あの……それで」
扉の開閉する音がした後再び頭上から声がかかる。
しまった、名前を聞いておけばよかったと思うが後の祭り。
人込みにまぎれた彼、もとい彼らを探すのは少しばかり骨が折れる。
それで思い直すように正面の女性へと意識を戻す。
「四人一部屋でお願いします」
「食事はどうなさりますか?」
「範囲内でしたらお任せします」
「承知いたしました。では、こちらを」
番号の掘られた鍵が手渡される。
「食事はどちらでおとりになりますか?」
マリアとアイギスを見て、最後にサラスのことを考えるなら部屋でとるのが最善だろう。
「部屋でお願いします」
「それでは一時間後にお持ちいたします。尚、大浴場へは併設されていますが、一度外へ出てからの入館となりますのでその際に鍵をお持ちいただきますようお願いします」
「はい。ありがとうございます」
頭を下げ、マリアとアイギスの背に手を当てその場を後にする。
「あっ、どうだったー?」
扉を開けて外へ出ると壁に背を預けているサラスを置いて真っ先にと近づいてくる。
「何とかなったよ」
「おー、さっすがリンくんっ。ほめてつかわすー」
「ありがとう。それより――」
「一部屋なんでしょ? さっき人間から聞いたわ」
サラスがつっけんどんに続きを遮る。
ただ、話が分かっているのならばこちらとしてはいう事は一つ。
「我慢してくれ」
「べつにいいけど」
こちらとしてはひと悶着あるかと思っていたが意外なことに素直にまとまる。
サラスは人間を嫌ってはいるようだが、その辺の分別、いや、整理はついているのかもしれない。
「……何? 嫌とでもいうと思ってたわけ?」
「あ、あぁ。まぁ」
「リンー。僕にはきかないわけー?」
「ジーナは大丈夫だよ」
「う、凄い信頼感。これは下手に茶化せない。でも少しくらいは心配してほしいなーなんてっ」
「アンタは別に大丈夫でしょ」
「これは最早女湯に入っても怒られないレベルなんじゃないかなって思うんだけどリンはどう思うー?」
「怒られなくてもやめておいた方が良いと思うよ」
「うー、じゃー男湯で我慢するーっ」
「怒られるわよ?」
「じゃー、リンに入るーっ」
「ん?」
「籍に入るって言いたいんじゃない?」
「いいよ」
「へっ――?」
ジーナが固まる。
「バカね、冗談に決まってるでしょ」
「な、何だ……冗談か……もーー! ちょ、ちょっとだけうれしかったじゃないかー! もー!」
「これで喜ぶのはアンタぐらいよ」
「ん? 何だ冗談だったのか」
「へっ――?」
再びジーナが固まる。
「ははっ。ジーナ、これが部屋の鍵。それとそこの大浴場に入るにはこの鍵が必要で晩御飯は一時間後に部屋でとれるようにしてあるからね」
「アンタ……」
サラスが白い目でこっちを見ている。
「サラス、アイギスとマリアを頼む」
「それは……頼むようなことじゃないでしょ」
「それなら安心だな。それじゃあ――」
「ちょっと、まだ何かする気?」
「ん?」
「……気のせいならいいけど」
「いや、ちょっと出てくる」
「……明日じゃダメなの?」
「朝には戻る」
「……今回だけよ」
「すぐ戻る」
「はぁ……ジーナになんて言おうかしら……」
そう肩から深く溜息をつき、サラスは手でしっしとさっさと行くように促す。
それに口角を少し上げることによって苦笑いとし、目的地へと足を向けた。