31、瑠璃色
「リンッ――!?」
いつも通りに目覚めた意識の中で一番最初に捉えたのはジーナの声だった。
「ジーナ……おはよう」
体感としてではなく、自身が目覚めたという事は時間が来たからに他ならない。
言うまでも無く夜明け前。
部屋に窓はついているが自然な明るさというものはまるで感じない。
反対に人工的なという意味であれば部屋の中は薄暗くもある一定の明るさを保つよう自身を中心にした一帯は照らし出されている。
そんな中、ジーナはこちらに向かって安心したように言う。
良かった――と。
何が良かったのか、言うまでもない。
薄れ行く意識の中でのアイギスの言葉が思い出される。
竜は……どうなったのだろうか。
「ジーナ、その後のことを聞いても良いかな」
「……うん。竜は、騎士団が。リンはボクたちが。街の被害は甚大だけど、騎士団に負傷者が数人出ただけで済んだみたい。こっぴどく叱られちゃったけど、ボクはリンが生きていてくれただけでその、嬉しい……かなっ」
「ありがとう。アイギスのことも聞いていいかな」
「アイギスは……えっと、リンよりも状態は良いはずだけど……まだ疲れて眠ってると思う」
「ここに居ないってことは部屋かな?」
「うん。一杯ご飯食べてそのまま寝ちゃった。でも、サラスとマリアがちゃんとついてるから大丈夫だよっ」
「そっ、か……」
さすがのアイギスといえど、あれ程のスキルを一度や二度ではない回数行使したのだ。
そうなってしまっていてもおかしくはない。
むしろ、そうなっていて当たり前、そうでなければ道理が通らないというもの。
だが、心配だ。
ジーナに言われて問題ないのは分かっているのだが、その顔を見るまではどうにも落ち着かない自分がいる。
それで体に力を入れては起き上がらせてみる。
「あっ、リンっ。安静にしてなきゃダメだよっ」
言われて手で制されるもその動きに淀みは無い。
全身に異常な箇所は今のところ見当たらず、疲労感こそ拭えないが、それにしても空腹から来る脱力感のほうが些か大きいと言えるぐらいだ。
「心配しなくても大丈夫だよ。体に痛みはないし、支障もないみたいだ」
「でっ、でも――」
「お腹が減ったよジーナ。何かこう、元気になるものが食べたいな」
「……もうっ。リンはいっつも周りに心配させるだけさせてっ、そうやって自分は大丈夫だって言い張るんだからっ。この際だからいっておくけど、全然大丈夫そうじゃないからそう言ってるんだからねっ?」
「ははっ、いつもありがとう。感謝してるよ」
「むーっ。そういうのって良くないと思うんだーっ」
「ジーナだとついね」
「別にぼくに甘えるのはいいけど……嬉しいけど……本当はまだ固形物はだめだって言われてるんだけど……今回だけだよっ?」
「ははっ」
「笑ってごまかすのはうそをつきたくないからかなーっ?」
「ジーナの料理は食べたいけれど、正直に答えたら食べさせてもらえなさそうな気がした」
「ひゃーっ、リンのぼくに対する評価が見え隠れしてるよーっ」
「でもきっとジーナはそう言っても食べさせてくれると思ったから……ってどうかした? ジーナ」
「そっ、そういうのは……言葉にしなくてもっ、そのっ、分かるからっ」
「手作りがいいなー」
「も、もうっ! 頑張ってみるけど、あんまり期待しないでねっ!」
ジーナはこの場から逃げるように立ち去っていく。
その背中を見送りながらも言葉にすることなく礼を言う。
ありがとう――。
それから静寂の降りた室内を見回す。
ベッドこそいくつもあれど、どうやら自分以外に使用されているような形跡は見て取れない。
となれば遠慮する必要も無いだろう。
床に足を下ろしてはひんやりとした感触のまま窓際へ。
躊躇なく鍵へと手を伸ばし、ゆっくりと音に気をつけながらも外側へと向けて窓を開け放つ。
不意に吹き込んで来た風に少しだけ身震いしながらも、どこか気持ちの良さを感じるその風に身を任せては一度だけ大きく深呼吸。
ジーナを待たせることになってもいけないので体が元気な内にと窓枠へと手を掛ける。
そうして、足を掛けるまでもなく、アイギスはそこにいた。
「アイギス」
「リン」
「アイギス……」
「リン」
「アイギス?」
「リン」
「一応ですが私もいます」
「マリア。良かった。ジーナに聞いて様子を見に行こうと思ってたんだ」
「見ての通りです」
「サラスは?」
「疲れていたのでしょう。今はお休みになられています」
「マリアは?」
「アイギスさんが抜け出そうとしていましたので、行先を尋ねたところ、リンさんのところに行きたいとのことでしたので念のため同行させて頂きました」
「ありがとう。それと、マリアの心配もさせてもらってもいいかな」
「私……ですか。私は見ての通り問題ありません」
「そう?」
「はい。それよりもアイギスさんが何かご用があるようでしたが」
「あ、あぁ、それだけど、とりあえず、中に入る?」
窓枠から離れてはあまり行儀がいいとは言えないが、入室を促す。
「……アイギスさん?」
「リン」
「ん?」
「リン」
「……あぁ」
何の事か分からなかったが何の事は無かった。
再び窓へと近づき、身を乗り出してはアイギスを持ち上げて、部屋へと迎え入れる。
続くようにマリアが身軽な動きでその枠を超える。
それから隅に置かれた椅子をいくつか引っ張り出してきては並べ、そのうちの一つにアイギスをちょこんと乗せた。
「……固形物はまだ早いと思いますが……」
着席して早々マリアにそう突っ込まれる。
ジーナが不在であることと微かな匂いでも感じ取ったのであろうか。
自身には分からないため何とも言えない。
「ジーナにも同じことを言われたよ」
「でしたらお控えになった方が賢明かと」
「……とりあえず食べてから考える事にするよ」
「あくまで常人の物差しですので元からリンさんに当てはまるとは思っていません。ただ、先生がそう仰っていましたので一応……」
「食べ過ぎないようにして様子を見てみる」
「それがよろしいかと思います」
「うん。それで、アイギスは何の用でここに?」
「……」
「……リンさんの様子を見に来た……というところではないでしょうか」
「うーん……アイギス?」
「リン」
「ん?」
「リン」
「ん?」
「リン」
今日は良くアイギスが喋る。
だからと言ってそういう日なんだなと、特別納得する訳にはいかない。
アイギスはアイギスである以上そういう日があってもおかしくはないが、アイギスは用もないのに声を上げたりするだろうか?
その理由を考える。
しかし、情報が足りないどころか憶測を巡らせるにしても手元には何も無い状態だ。
だが、何かある。
アイギスには何かある。
何かがあってこちらの呼び声に応えているのは確かなのだ。
「お待たせーって、すごい増えてる……」
ジーナが慣れた手つきでお盆を片手に姿を見せるもそのジトっとした目線が意味するところは説明だ。
「ジーナ、これは、その、アイギスが自分に用があるみたいで――」
「こんな時間に?」
「それが、その良く分からなくて困ってる」
「……ふーん」
「ジーナさん本当です」
「うーん……」
「ジーナ」
「分かった!」
ジーナは分かったらしい。
この状況に対してか、はたまたアイギスの用件に対してか。
察しのいいジーナのことだ。
最初から分かっていてもおかしくない前者である可能性は低い。
ともすれば必然的に後者ということになるのだが。
ジーナは答え合わせをするようにアイギスへと向かう。
そして、お盆がアイギスの膝の上へと乗せられる。
「あり合わせだけど良かったらどうぞっ」
ジーナは言う。
あり合わせといったが自分にはとてもそうは見えない。
彩りも豊かで香りも良い。
分量も恐らくこちらが食べることを考慮してだろう。
些か少な目に作られているのが分かる。
その分、満足感が減ることも見越してか、品目は多くも無いが少なくもない。
「リン」
アイギスから声が掛かる。
つまりそういうことなのだろう。
「いただきます」
「いただきます」
手を合わせるこちらの動きと言葉を繰り返すようにアイギスも食前の挨拶をする。
「うんっ、どうぞっ」
ジーナがニコニコとアイギスに食事を勧める。
しかし、アイギスはいつまでも料理に手を付け始めない。
その理由は分かる。
ここまでくれば自分にも分かる。
「アイギス、気付いてやれなくてごめんな。固形物はまだ自分には早いらしいから気にせず――」
最後までいうまでも無かった。
「リンには後で果物のジュースを作ってあげるねっ」
「ありがとう。お願いするよ」
「うんっ、任せといてっ」
まだ暗がりの室内に、ジーナの明るい声が反響する。
もうすぐ夜明けだ。




