24、ワンダーランド
「アイギス。アイギスはあっちだ」
暖簾をくぐろうとした足を止め、自然に、あたかも当然のことのようについてこようとしたアイギスに進むべき道を指し示す。
しかしだからといってアイギスにそれが関係あるかといったらどうだろうか。
いや、アイギスに関係なくともこちらには大いに関係がある。
このまま二人して目の前の暖簾をくぐればまず間違いなく、いや、どうなのだろうか。
犯罪者、になるというわけでもなければ、ただ良くて注意ぐらい、悪くて出入り禁止、使用禁止、その程度であろう。
だが、それが自身やアイギスにとって不都合であったり不利益であったりするのであろうか?
自身については考えるまでもない。
であればこそアイギスにその覚悟があるのであれば、それ以上こちらから言うべきことなどない。
つまり、問題ないのか?
「問題大有りよッ!」
暖簾をくぐろうとして、その流れから普通についてこようとしたアイギスに、ではなく、こちらに対して手刀が振るわれる。
不意打ちでもないそれを避けるのは簡単だが、あえて脇腹に迫るそれを遮る事なくその身で受け止めた。
「ちょ、何よっ。というかアンタも何平然としてるわけ?」
「いや、まぁ、本人がそうしたいなら止める理由もないなと思ってな」
「本人が良くても本人のためを思うなら止めなさいよ!」
「あぁ、そう、そうだな。うん。でもアイギスはアイギスだからな」
言いながらアイギスへと目線を送る。
話の内容が自身に関係することだというのにまるで反応を示していない。
むしろ当事者であるという自覚すらないのではないか。
「だーかーらー! 例えそうだとしてもって話!」
「この世界のことは良く知らないが、男湯に女性が入るのはおかしなことなのか?」
「どの世界でもそうでしょ!」
「詳しいんだな」
「へっ? いや、いやまぁ、ものの例えよ。それはだから」
「自分のもといた世界じゃ男湯に、そうだな。父親が自身の子供を連れ立って入ることは暗黙の了解として公に許可されていたわけではないが、そういう事例は存在していた」
「もしそうだとしてもそれは一人だと何かあった時に対処できない年齢だったからでしょ? アイギスはそんな年齢じゃないわよ?」
「年齢はそうかもしれない」
知らないが。
「だが、アイギスに何かあった時、自身で対処できるかは分からない」
「え? いや、いやいやいやいや。……え?」
「なんてな」
そういうときのために真昼間だというのにも関わらずサラスが着いて来ているのだ。
そもそもサラスを言いくるめても何の意味もない。
ただ、サラスの反対が無ければアイギスと共に風呂に入ることになるというこの状況。
些か、どうなのだろうか。
アイギスなら問題ない気がしてきている自分にそれでいいのかと待ったをかける。
というよりも一番重要なのはアイギス自身の意思だ。
それを確認せずしてむやみやたらに憶測で話をするべきではない。
アイギスがそれを見せてくれるかは不明だが。
「アイギス、血まみれにしてしまってすまなかったな。こちらに入るかあちらに入るかは自分で決めると良い。ただ、それでも、こちらに入りたいとしてもあちらに行くのがこの世界では正しい」
「……なんていうか、回りくどい言い方ね」
サラスの小言に耳を貸しつつもアイギスからは目線を外さない。
しかし、だからといってこちらの言葉に特別何かを表すこともない。
アイギスはただ、暖簾のその先、自身の進行方向を見据えるだけだ。
「……仕方ないな」
「え? いや、ダメよ?」
「分かっている。ただ、アイギスが単純に男湯に入りたいのか、こちらについてこようとしているだけなのかさっぱり分からない」
「……いや、前者ならただの変質者じゃない」
「違うのか?」
「アンタよく本人を前にして言えるわね」
「いやいや、ただの確認だ」
「アンタがいないときに私と入ってるからそれはないわよ」
「なら後者か、はたまたそれ以外か」
「ねぇ、アイギス。私と一緒に女湯に行きましょ? それから変えの服を買いに行くの。うんと可愛いのをねっ」
「試しに女湯に――」
「良いわけないでしょ。というかそれをやったら試しで済まないわよ」
自分でもそう思う。
だが、最早致し方ない。
ここで揉めていても何も進みはしない以上やり方を変える必要がある。
「サラス、女湯へ」
アイギスを言いながらひょいと持ち上げる。
幾度と無く繰り返しただけに迷いはない。
「正気?」
「あぁ」
言われるまでもないと思うが、傍から見ればそうではないのかもしれない。
女湯へとアイギスを抱えたまま先導するようにしては歩き出す。
「信用していいのよね?」
サラスからの再々の確認。
こちらとしてもその気持ちは十分に理解出来る。
現在、向かっているのは女湯なのだ。
生物学上で男の自分が目指していい場所ではない。
しかし、これから行おうとしていることを話すわけにはいかない。
それでいつもと同じ答えが口を衝いて出た。
「大丈夫だ」
「またそれ?」
不満の色をその言葉に滲ませながらも、それ以上は追及せず、以降はただ黙ってこちらの後ろをついてくる。
そして、暖簾をくぐるよう促しては、その姿が完全に消えるのを待つ。
「いくぞ」
一応の一声を掛けて――サラスと自身、その間、僅かばかりに開いた距離を――失敗しても最小限で済むようお尻から優しく投げ渡す。
勿論、言うまでもなくアイギスを。
「ちょ――アンタねぇ!」
そんな非難の声が、こちらの視線を遮るように垂れる暖簾の向こう側から飛んでくる。
それは一件落着の合図であり、サラスが上手い事アイギスを受け止めたであろうことの同時に証明でもある。
エルフが人間より優れているというこれまでの言葉は伊達じゃなかったというわけだ。
というよりも現に、それを今に至るまで何度も実感していたわけで。
それを込みで今回実行に移したわけだが――論より証拠。
そのいい例になってくれたようでなによりだ。
「アイギス、またあとでな」
見えない姿に一方的に投げかけては踵を返すように男湯を目指す。
アイギスと共に。
「……サラス」
「い、わ、分かってるわよっ」
追う様に、再び姿を現すサラス。
「リン。いえばわかる」
止めた足を前にアイギスから声が上がる。
その言に思う所などない。
アイギスはアイギスだ。
「アイギスは女湯だ」
「やだ」
どういうことか自分でも混乱してきた。
「アイギスはどうしたい?」
「いっしょ」
「サラスが一緒にいてくれる」
「さびしくない?」
「大丈夫」
アイギスは答えに満足したのかサラスの下へと戻って行く。
「あー、もーっ! 本当にアイギスは可愛いんだからーっ!」
サラスとアイギス。
感動の再会、かどうかはさておき、一頻り抱きしめる。
その後、勢いそのままにアイギスをお姫様抱っこの要領で持ち上げると、再び暖簾の向こうへと鼻歌交じりに消えて行った。
「さて」
その背中を何も最後まで眺めている必要はなかったのだが、サラスがあまりにも嬉しそうだったので行きがかり上そうなってしまった。
まぁ、元気が一番だ。
微笑ましい光景を前に、暫しの平和を享受する。
そう言えばここに来てからというものの最初に少し寝ただけで、それ以降一睡もできていない。
まずは風呂。
それから睡眠。
いや、服か?
血がついたつぎはぎだらけの衣服に目を落とす。
ジーナは裁縫がとても上手だ。
そんな日常に自然と口元が緩んでいくのを感じた。




