16、ピンゾロ
ふと、グロスの笑い声が重なるように脳内へと響く。
がはははという豪快な笑い声。
それがグロスという男の笑い方だった。
しかし、次に再会したときにそうして笑ってくれる保証などどこにもない。
いや、自身に対してそれを向けないだけならそれでもいい。
何よりも笑えないのはグロス自身が笑えなくなってしまっているかもしれないということだ。
生きていて欲しい。
その思いに偽りはない。
それでも一つの結末として、考えてしまう。
もう手遅れなのではないかと。
既にどうにもならないところまで来てしまっているのではないかと。
それならばせめてグロスが命を賭して助けようとした妹を――妹?
「サラス、グロスは言った。妹のためだと」
「ん? ええ、そう言ってたわね」
「病気でもうそれほど長くないらしいな?」
「賭け事に手を出すぐらいだから切迫してるのは確かね」
「金は借金した」
「そうね」
「期限は明日の朝」
「何が言いたいの?」
「担保は何だ?」
「……知らないけど何かあるんでしょ」
「俺が知る金貸しは賭け事に手を出すと分かっていながら返せる保証もない金を貸したりはしない」
「金貸しなんて吐いて捨てる程いるんだからその限りとも言えないでしょ」
「そうだ。確かにそうとも言える。ただ、グロス程の男が病に苦しむ妹をそのまま家に置いておくとも思えない」
「ん? アンタ何が言いたいの?」
「それに、地下闘技場の介入のタイミングもこれ以上ないぐらい完璧なものだった」
「それは知らないけど」
「……グロスは囚われていた時ボロボロで何も持ち合わせていなかった。ただ、数時間後に再開した時にはその装いは酷く上等なものばかりだった」
「私たちに比べたらの話でしょ?」
「それもそうだが、サラス。金貨一枚でどれだけ泊まれる?」
「え? えーっと……組合の宿なら四人一部屋で一月ぐらいかしら」
「そうだ。銀貨にしておよそ三十はある。それをこちらに先払いの報酬として支払った」
「普通でしょ?」
「それは違う、サラス。賭け事をする人間に限って先に軍資金を崩す様な真似はしない」
「グロスはそうじゃなかったってことじゃないの?」
「そうであって欲しいが……」
「言いたいことは何となく分かるけどそれならそれでグロスは何で――」
「そういえば助けた者達はどこへやった?」
「へ? 知らないわよそんなこと。人間同士のことは人間同士で――」
「組合に預けたわけだよな?」
「……そうよ」
「治癒で治らなかった者達の中に依頼の出ていなかった者達はどれだけいた?」
「……」
「その者達は一体だれが治療した? いや、治療するんだ? その代金は? その手配は?」
「……待って」
サラスが足を止める。
「グロス!? 居るんでしょ!? 返事しなさい!」
サラスはこちらの後方へと回り込んでは叫ぶ。
しかし、返答はない。
「分かってるのよ!? 生きてるなら返事して! 妹さんが待ってるわよ!」
答えはない。
「グロス!?」
サラスの声に困惑が混じる。
それと同時にこちらを押し出すように壁際へともぐりこむ。
気配。
それは鼻が利かずとも姿形が見えずとも、生き物であるのならば誰しもが持ち合わせているもの。
「一つ、二つ……いくつだ?」
サラスを背に小さく問いかける。
「わ、わっかんないわよっ。と、とにかくグロスが前にも後ろにもいるってことは確かよっ」
「……グロス! 手助けに来た! どっちがお前だ!?」
問いかけるもやはり反応は無い。
ただ、こちらを挟み込むように、気配はその距離を縮めて行く。
「ど、どうすんのよ!?」
サラスにもそれが分かっているのか焦りは時間と共に大きくなっていく。
「サラス、良く聞け。グロスはどれだ? いや、どっちだ?」
近づいて来てより明確になり始めた気配。
数にして五。
前方から二、後方から三。
そのどれがグロスかは自身にはまるで分からない。
さすがに昨日今日会ったばかりの者の気配など見分けようが無く、ただこちらには何者かが近づいて来ているという感覚だけが全身を通して伝わってくるのみ。
「た、たぶんっていうより、ずっと追ってたのは前でしょ!?」
頼みのサラスにも分からないのであれば、消去法で前が本物の可能性が高い。
その意見には賛成だ。
しかしそれでも尚、前方には二人の気配がある。
そのどちらか、いやそのどちらでもない可能性がある。
ならば。
「サラス! 他にグロスはいるか!?」
あえて息苦しいのも無視して大声で、問いかける。
「い、いいないと思うわよっ!?」
その言葉を信じる。
分からない以上そうすることにする。
まずは後方の三人。
それからじっくりと前方の二人を確かめればよい。
「サラス、危険なのと安全なのどっちがいい?」
行動する前に念のため聞く。
「安全第一に決まって――ってぇ!?」
サラスを脇に抱え込み前傾姿勢で後方へと突撃する。
視界が無い今、相手の武器もリーチも定まっていない状況で無謀と言わざるを得ないが、だからこそこちらが取るべき選択は攻めることに他ならない。
戦力が分からない以上、数で負けていることが分かっている上で守りに入ってしまえば、必然的に五対一を強いられることとなる。
そうなれば一層突破は厳しくなるだろう。
であればこそ、この状況を打開するのならば今しかない。
「ふっ――」
短いながらこちらに相対した者から笑い声と思しきものが漏れ聞こえてくる。
だがそれはこちらに取って好都合。
三人の内の一人がグロスでないことが確定した。
靴をそれ以外へと高速で飛ばす。
「――」
防がれる。
だがそれでいい。
防いだ音から刃物ではないことを確認。
確定ではないがそれで十分。
スコップを背中から抜き放ち、グロスではない者へと投げつける。
接触。
サラスを自身の下へとなるように抱え込んでは速度を上げる。
スコップの弾かれる音。
遅れて二か所に鈍痛。
通過。
走る。
とにかく走る。
壁沿いに体を走らせる。
全身が脳が悲鳴を上げている。
しかし、止まる訳にはいかない。
気配は未だ遠のくことなくこちらへと向かってきている。
息がしたい。
そんな簡単なことが出来ない。
苦しい。
そんなことは分かっている。
痛い。
死ぬほどじゃない。
「治癒――」
それで自分以外の存在を思い出す。
「ッ……」
痛みが和らぎ体が活力に満たされる。
それから声を掛けようとして自身の中に何も残されていないことに気付かされる。
まずい。
足が止まる。
そう思った時、サラスの口が再び開かれた。
「治療――」
不意に、息苦しさが消えた。
衝撃に因ってその役割を果たせなくなっていた肺が、布と粉塵こそあれど足りない酸素を取り込もうと懸命に動き始めている。
「こうなった以上、さっさと帰らないと皆が心配ね」
サラスはこちらに起こった変化を気にすることなく平然とそんなことを言う。
だが、内容には大いに賛成だ。
恐らくこちらと事を同じくしているに違いない。
「一応言っておくけど私は大丈夫よ。それと礼も必要ないわ。私もさっき気付いたことだし」
「助かる」
「口を開ける暇があったらさっさと足を動かせって言った方がよかったかしら?」
サラスの顔は見えないが大層呆れているような気がする。
「まぁ、いいけどね。それじゃあ、さっさとひっくり返しましょ?」
サラスはこちらに提案、いや、宣言する。
「あぁ」
それにあえて嫌味の一つも言われることを覚悟して同調する。
「次口開いたら殴るわよ」
黙って速度を上げた。




