10、気になるあの娘
「悪いがもたもたしている時間はなくてね」
相手に言い聞かせるというよりも自分に言い聞かせる様に断言する。
手元のマリアは既に瀕死と言っていい状態だ。
呼吸は浅く弱い。
むしろ何故これほど衰弱していながら意識が保たれているのか不思議なほどだ。
「グベッ?」
こちらの事情など一切考慮されていない棍棒が大地を滑るようにして横薙ぎに振るわれる。
「落ち着け」
右足を軸にして、蹴り込むように左足で受け止める。
だが相手はこちらを優に超える巨体の持ち主であり、完全にその勢いを殺すまでには至らない。
しかし、何の問題も無い。
棍棒が僅かな力の拮抗の際に子気味良い音を上げる。
そうした中で僅かばかりも自身を保てなくなり炸裂した。
「ベベッ?」
頭上に疑問符を浮かべているように見えなくも無い。
辺りを見回す。
戦うもの身動きできないもの檻に立ち籠るもの様々だが、未だ生存者は過半数を超えている。
「あーそこの人! そこのー、半裸でヒゲで逞しい剣を振り回してるそこの人っ!」
こちらの一番近くに位置し、尚且つ、武器を所持している者にその特徴だけで声を掛ける。
「あぁ!? 誰か俺を呼んだか!?」
「そちらに倒すので止めをよろしくお願いします!」
「――あぁ!?」
こちらの言にやや遅れて戻って来た返事には特に気遣うことなく歩を前へと進める。
「グベッベベ」
柄だけの棍棒を眺めていたゴブリンがそれに気づくと最早どうでも良いと明後日の方向にかなぐり捨ててはこちらへと歩み寄ってくる。
何もかもが違うが、同じ生物である以上その意図は伝わったようでなによりだ。
そうしてお互いが一定の距離を保って歩みを止めたと同時、ゴブリンから鋭い点というよりは面の拳が飛来する。
この時自身にはいくつかの選択肢があったがその中でも出来るだけ大人しいものを選びとり、それに基づいて静かに拳に対して前へと出た。
迫る拳、しかし引かない。
また避けることもせず、かいくぐる事もしない。
ただ拳に対して前進する。
前へ前へ、前へ前へ、と。
そして、当たる。
必然的に。確定的に。
その瞬間前へと倒れ込む。
地面へと斜めに突き立った杭の様に。
ゴッ――
鈍い音が周囲に響く。
全身が軋む。
しかしそこには打点を前へと移動させたため、以前のときのような後頭部を襲った衝撃はない。
「グベッ? グベエェエエエエエエ!」
拳を押さえながら押し出される筈の自身に変わってゴブリンが後退する。
反対にこちらは前進を止めない。
そのまま一歩二歩とその距離を縮め、膝へ一撃。
それでゴブリンは予定通りの位置へと崩れ落ちた。
「うわっ!? っぶねぇ!?」
やせ細ってはいるが体格の良い男が吠える。
「って――こいつのことかよぉッ! ――おらァ!」
狙いすまされた剣はゴブリンの喉元へと突き立つ。
盛大な血飛沫が上がり、辺りを染めて行く。
正直、殺しはしていないと言えるがそれに加担したとはいえる訳で。
マリアは何と言うだろうか……。
考えても仕方ない。
これでうまく行けばゴブリンたちは引いてくれるだろう。
「って――お前! すごい血だぞ!」
言われるまでも無く気付いているが、顎から時折滴り落ちる血がマリアを直撃している。
だがまぁ、この程度では人間は死なない。
それだけは考えるまでも無く体が知っている。
「大丈夫だ。心配ない。それよりもゴブリンたちが思ったより引いていない。もしかしたらボスは別にいるのかもしれない」
「いやお前ありゃオークだよ!」
「ん? つまり?」
「ゴブリンとは別もんだ!」
男の言に言うまでも無くこちらの狙いは空振りだった訳だが、それよりもまず純粋に驚いた。
つい数時間前にようやく小人がゴブリンという生き物だと分かったところであるのにも関わらず、もう新種に遭遇してしまった。
その名もオーク。
まぁ、今はでかいゴブリンみたいなものだと頭に入れておく。
差し迫った状況での熟考は余計だ。
「引こう。露払いはこちらで引き受ける」
「バカッ! てめえみたいなケガ人が病人を抱えたまま露払いなんてできるわけねえだろ!」
「大丈夫、大丈夫」
「んんん? なんだその何もない所から湧いてくるような自信は!」
「大丈夫だから、生存者は全員連れ出してくれ」
「な――あ、あぁ、もう分かったよ! よく分からねえが。分かったよ!」
男は納得とは程遠い、むしろ怒鳴るという言葉が相応しい声色で何人かを連れ立っては生存者の下へと走る。
「逃げるぞ! 立てる者は立て! 歩けるものは歩け! 走れるものは走れ! それが無理だってんならしょうがねえから担いでやる!」
男の最早怒号と言えるそれが周囲を目まぐるしく変化させていく。
「すごいな」
素直に感嘆する。
正直、男一人であれば脱出は容易かっただろう。
そう思わせるに十分な胆力を持ち合わせているように見える。
「急げ急げ急げ! ――おい! そっちは!?」
「大丈夫」
「あ――? おい。正気かよ。すげえな、見てなかったけど」
逃げ出さなかったゴブリンたちをひとまとめに。
逃げ出さなかったまでも戦意を喪失しているゴブリンたちを追い立てて。
入口、というよりも出口の安全を確保してはその時を待つ。
「くそっ、もういい放っておけ! そいつは――」
「無理矢理にでも連れて来てくれないか」
「あぁ!? 正気かよ!?」
男だけでなく、それ以外の者達も檻の中から一向に動こうとしない者達へ対して、もういいだろという視線を送っている。
「この子との約束なんだ」
「あ? あーあー分かったよクソッ。連れていきゃーいーんだろーがーよ!」
「ありがとう」
「チッ、礼なんて今言うんじゃねえよ」
「済まない」
「謝罪は今でも後でも言うんじゃねえ! 俺が死んだらてめえのせいだからな!?」
男が常人、それも衰弱している状態では不可能なレベルの三人を担いでは先を急かす。
「分かった。行こう」
そして――巣窟からの脱出が始まり――広場を抜け、森を抜け、辿り着いた先で。
「もう朝よ」
という気の抜けたような馬車に乗ったサラスの一言によってそれは終わりを告げた。
空を見上げる。
自分からすればまだ朝だ。
「リンが遅いから迎えにきちゃったって、すっごいケガだねー。それにケガ人もいっぱいだー」
ジーナが馬車から降りて来てはこちらの具合を確かめ、その後マリアを半ば強引に、されど優しく抱え込んでいく。
「あとは任せてっ」
「ありがとう」
「さて――」
「お、おお、おお! 助かったぜ姉ちゃんたち! すぐに――」
「ぅるっさいわね。これだから人間は――」
「サラスー、ちがうでしょー?」
「ったく、わかっ――」
「いいから早く――」
「一列に! 並びなさい。私たちの職業は回復。それで治るものは治して、治らないものは馬車で連れていくわ」
サラスの有無を言わさぬ簡潔な説明。
それに口を挟むものはいない。
淡々とその状態に合わせて列が出来て行く。
「治癒、治癒、治癒――」
サラスの治癒で改善が見られなかったものは馬車へ。
実に手際が良い。
そこでふと思い出す。
「サラス、それを使い過ぎた状態がマリアだ」
「知ってるわよ。説明にあったし」
あったのか……。
「アンタが聞いてなさすぎなのよ」
「済まない。しっかり聞いていればマリアは――」
「ほら。良いからアンタも並びなさい」
「いや、自分は――」
治癒――。
どこからともなく聞こえたその声が、気のせいではないことを癒された自身の体が証明してくれる。
見ればアイギスはこちらへと背を向けながら馬の頬をつまみ、びよーんびよーんという謎の行動を取っている。
嫌がっていない馬はどこか困惑しているように見えるが、それでもそれを許しているという時点でアイギスの動物に対する秘めた才能を感じた。
「ありがとう」
聞いているかどうかは分からないがその背中にしっかりと礼を言った。
「……まっ、一件落着? でいいんじゃない? とりあえず」
「今日の宿代もないのにー?」
何となく収拾をつけようとしたサラスにマリアを看病するジーナから現実が飛んでくる。
「余計な事は言わなくていいのよ」
「えーーー、ぼくお風呂無しはいやだよーー?」
「何とかするよ」
それにいつも通り答える。
「また根拠のない……」
「さっすがリンっ。でも一人で無茶はもうだめだよー?」
「別に私は構わないけどね。しっかり稼いできてくれるなら」
「ぶーっ。そんなんじゃサラスもてないよー?」
「人間にモテてどうすんのよ。はいはい。もう良いでしょ。ジーナ、出発する前に適当にまいちゃいなさい」
サラスがもう馬車も自身も限界だと告げる。
「はーいっ」
ジーナが治癒を言われたとおりにばらまいていく。
「それじゃー皆さん、また街であいましょー!」
ジーナが陽気に手を上げる。
その元気が少しでもこちらに伝染したのか、身体的には楽になったがまだまだ精神的に苦しいであろうに、徒歩で帰らなくてはならない者達の中にも自然と笑みがぽつぽつと浮かび上がって行く。
「リンーっ!」
そうして動き出した馬車の上からジーナが声を張る。
「よく頑張ったねっ!」
そんなつもりでは無かったのだが、褒められると中々どうして悪い気はしない。
むしろ素直に白状してしまうならば間違いなく嬉しい。
「ありがとう! 気をつけて帰るんだよー!」
こちらも合わせて幾許か声を張る。
「うんっ! またあとでねー!」
手を振られ、こちらも振り返す。
そんなどこにでもあるやり取り。
しかし、さて、と。
出発を促すため振り返ったその先で――いや、何があったのかは話すまでも無い。
女の子に見える彼女は実は男の子なのだ。
それを知るのは街についてからでいい。
ただ、そう思った。




