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紅い惑星  作者: 姫野里佳
8/10

8 精霊が見る夢

熱に浮かされたように想いに駈られ、白蘭と肌を合わせたフロルは、やがて引いていく熱のように、冷めたゲンジツに引きもどされていった。


 「…白、私はここに残るわ…あなた達一族と一緒にここで滅びを待つから…そんなことで許されるとは思わないけど…地球から来た私の仲間は見逃してあげて…!ごめんなさい!期待に答えられなくてごめんなさい…」

 フロルは溢れ出した涙をこらえ切れず、シーツに顔をうずめる。

 あのときも…そしてまた今も…

 “私はいつもいつも期待を裏切ってばかりで…”

 夢で見た精霊達が追いすがる声。絶望という闇に塗り込められた真っ暗な世界。

 踏みとどまるよりも、死を選んでしまったふがいない自分。

 そのせいで…一族は …滅びたのだ…

 泣きじゃくるフロルを、白蘭は優しく抱きしめ、幼い子をなだめるようにその背中を撫でる。

 「…いいんだフロル…これが精霊の望みなんだよ。彼らは私に素直になれと言った。自分の望みに貪欲になれと。こういうことだったんだよ。今になって…ようやく分かったんだ…」

 白蘭は何かを卓越したかのように、柔らかな笑みを浮べている。

 「でも!」

 フロルはシーツに埋めていた顔を、がばっと上げた。

 「…私のせいで一族は二度も滅びの日を迎えないといけないのよ。…私のせいで…」

 そう言うと、今度は力なくうなだれる。

 「それは違うよ。フロル。我々はもうすでに滅んでいたんだ。青い星を後にした時にね。精霊達は分かっていたんだよ。…君のせいなんかじゃない。」

 彼女を愛しむように、ゆっくりと優しくフロルの髪を撫でる白蘭。

 「白蘭…」

 「おいでフロル。青泪のところへ行こう。きっと、待ってると思うから。」


 二人は衣服を整えると、聖域へ向かった。

 

 聖域では精霊達が、二人が来ることをまるで予測でもしていたかのように、待ちうけていた。

 「おめでとうフロル。あなたが新しい精霊を統べる者、精霊使いよ。」

 青泪は水面に浮かぶように立つ、幾多の精霊達の前に立って、微笑んでいた。

 「え?精霊使い?…だって私は…」

 フロルはきょとんとし、白蘭の顔からは、さあっと血の気が引いていった。

 「どういう…ことだ?青泪?」

 青ざめた顔で青泪に詰め寄る白蘭。

 「白蘭。フロルに聖なる名を。」

 だが顔色ひとつ変えずに、青泪は厳かに白蘭に向かって告げた。

 「!」

 白蘭は目を見張っている。


 通例であれば、神官長が兼任する精霊使いには聖なる名が与えられることはない。

 だが帝妃となるの精霊使いは、帝のにより聖なる名を賜るのである。そうしてそのときから正式に帝妃として認められるのだ。

 だがその場合の帝とは、精霊使いの娘を妃とした者を指す。必ずしも現在、在位の帝であるとは限らないのである。

 つまり、当代の帝ではなく帝の血を引くものが、精霊使いの娘を妻とした場合には、当代の帝に代わり、新しい帝が誕生することになるのだ。

 『精霊使いを帝妃に立てる』、というのは歴史をひも解けば、そもそもが帝の力が及ばず、その力のみでの統治に支障があった場合に限って行われていた。  

 そのため例外中の例外として、統治に絶大な影響を及ぼす精霊達を、自らの力で統べることのできる精霊使いの娘を得た者は、在位の帝ではなくとも、新たな帝として帝位を得るということも起こり得るのである。

 このことからも精霊使いを帝妃に立てるということについては、帝の即位に大きな波紋を呼ぶ。

 そのために、長い歴史の中でも禁忌とされてきた。

 過去に遡れば、歴代の精霊使いには、帝位継承権のない市民と、恋に落ちて駆け落ちし、行方不明になった娘や、帝位の奪い合いという醜い争いの道具に利用され、その挙句の果てに、悲惨な末路をたどった娘もいたようであった。

 そのために近代では全く行われておらず、その詳細は、歴史の中でしか見ることができなかったのである。

 先帝はこのことを恐れ、帝妃候補達を修行と称して神殿に閉じ込め、外界とのつながりを絶たせたのだ…

 だがやはり禁忌を犯した代償は、大きかったのであろうか。争いは、やがては一族の存亡へと発展してしまった。


 青い水に立つ青泪は、白蘭をまっすぐに見据えている。

 「そう。大昔すぎて忘れてたでしょ?あなたにも帝位の継承権はあったのよ。あなたもまた先帝の血を引く者。夕霧はあなたの実の兄なのだから。」

 「!白蘭が…?夕霧の弟?」

 フロルは驚いて目を見張り、白蘭を凝視している。

 「では…夕霧は…」

 白蘭は違う意味で驚きを隠せずにいた。自分が帝位に就くということで、それまでその地位にいた者は、一体どうなるというのか。

 その問いに青泪が答える。

 「青蘭に戻るだけよ。」

 他の精霊達が青泪の後ろでささやく。

 「そうよ…そう…ただの青蘭に戻るだけ…」

 帝が元の名前に戻るということは、帝位を退くということを指す。

 「白蘭…あなたの帝名はです。本来ならあなたが自身で決めるものだけど、今回だけは先帝から賜り、今日まで私達精霊がお預かりしていました。」

 「父上が…?」

 呆然自失の白蘭。そんな彼を憐れむようにじっと見つめる青泪。

 「そして、フロル。あなたの聖なる名はもうすでに決まっていました。あなたは拝命の儀を待たずに逝ってしまったから…だから、今やっとあなたに授けることができる…うれしいわ。この日をどれだけ待ちわびたことか…あなたの聖なる名は。風の蘭、という意味です。我らが新帝白嶺、精霊使いにして帝妃風蘭。聖域へようこそ。ともに歓迎いたしますわ。」

 そう言って青泪は優雅に一礼をした。

 「…お前達の望みとはこのことか?父上はこうなることを分かっていたというのか?」

 白蘭の声には僅かに怒気が込められていた。

 「私は夕霧をないがしろにしてまで帝位を望んではいなかった!それなのに…!」

 激昂しかけた白蘭を制し、青泪は彼に詰め寄る。

 「帝位は望んでないけどフロルは欲しかったんでしょ?ハッキリ言いなさいよ!」

 「……」

 白蘭は青ざめた顔で、凍りついたように絶句している。

 「人間なんて浅はかな生き物よ。あれも欲しい、これも欲しい。だけど全部を欲しいと言ったら良心が痛む。だから?そうやって苦しんで?あなたの良心はそれで満足したでしょうけど、結果、いちばん大切なものをあなたは失ったのよ!そのことにまだ気づいてないの?……あなたって人は昔っからそう!どうして他の方法を考えようとしないのよ…!」

 青泪の目には涙が浮かんでいた。溢れ出る涙を拭おうともせず、彼女は身を引き絞るように叫ぶ。 

 「青泪…」

 白蘭は初めて見る青泪の激しい涙にうろたえ、どうしていいのかわからないようであった。


 まるで昨日のことのように、青泪の中での記憶が蘇った。


 『現帝夕霧は帝にあたわず。

 精霊使いフィリシアを帝妃風蘭として迎え、 

 新帝白嶺として白蘭を玉座に就けよ』


 勅命を携え、嬉々として青泪が二人の元へ向かったとき、すでにフィリシアは白蘭が見ている目の前で、自らの命を絶った後であった……


 「私達精霊は、ずうっと昔からあなた達、人間のそばにいた。今までも何人もの帝と、かわいそうな精霊使い達を見送ってきたわ…だから、今度こそあなた達が不幸な目に会わないように、見守っていたのよ…だけど…運命は皮肉で、偶然は必然へ向かって運命を成していく。」

 青泪は哀しげに目を伏せる。

 「私達の力をもってしても、止めることはかなわなかった。…私は…あなたの気持ちにも、フィルの気持ちにも気づいてた。気づいてて…知ってて何にもしてやれなかったわ!…苦しかったわ。大好きなフィルを失ったことはもとより、一人残されたあなたを見ているのが、辛くて辛くて、苦しくてたまらなかった。」

 青泪は白蘭から目を逸らすと、後ろに控えている精霊達を振り返る。

 「…だから、私達は力を合わせてあなたの魂を分けたのよ。再び降臨する女神、ここにいるフロルのためにね。」

 フロルは急に名を呼ばれて、驚いて眼を丸くする。が、会話には全く入りこめずにいた。黙って二人の会話に耳を傾けることしか、できなかったのである。

 「魂を…分けた…?」

 白蘭は思い巡らせるように、視線をさまよわせる。

 そして…思い当たった。

 遠い昔、この聖域でここにいる精霊達に秘密裏に呼び出され、意識を失ったことを。

 その後しばらく、どうしようもない喪失感に苛まれ、苦しんだことを思い出したのだ。

 「…あのときか?」

 「ええそう。私達にはこうなることは分かってたから。」

 ややあって平静を取り戻したのか、静かにそう言う青泪。

 「…!ではなぜそう教えてくれなかったんだ?教えられていたら…」

 「こうはならなかったわね。」

 青泪はぴしゃりと言い放つ。

 「!」

 白蘭は見透かされて、言葉に詰まる。

 「あなたはなんとしてでも彼女がここへ来ることを阻止したでしょう?違う?」

 柔らかな笑みを浮べる青泪。

 「…ああ。」

 白蘭は観念したように青泪を見つめ、そしてふわりと笑った。

「…その通りだ…」

 「あなたの考えそうなことなんてね、先からお見通しなのよ。一体何年、一緒にいると思ってるの?」

 青泪の幼子を見るような温かい眼差しが、白蘭を見つめている。

 「…そうだな。」

 白蘭は悔しそうに、だが、微笑っていた。

 「…あなただけじゃないわね。彼のことも…」

 青泪がそう言いかけた時、たくさんの足音がして、聖域に衛兵を従えた夕霧がなだれ込んできた。

 「…やはり来たわね。」

 夕霧の姿を目にすると、すうっと表情を引き締める青泪。

 「これは一体どういうことだ?青泪!」

 開口一番、よく通る少年の声が聖域に響き渡った。

 「…分かってるんなら聞かないでよ。」

 切羽詰った様子の夕霧に、青泪はあっけらかんと答える。

 「分からんから聞いているのだ?精霊が私の支配下から消えうせたぞ!どうなっているんだ!」

 「たった今、精霊の支配権は風蘭に移りました。そしてあなたは帝の位から退くことになるのです。」

 青泪は再び表情を引き締めると、夕霧に一礼して膝を折り、報告した。

 他の精霊達も水面に膝を折り、叩頭している。

 「…なんだと?風蘭だと?何がどうなっている?なぜそうなった?」 

 夕霧は周囲にいる者達を見まわす。

 そして、フロルと並んで立っている白蘭に目を留めた。

 「…まさか…?白蘭お前か?お前までもが私を裏切ったと言うのか?」

 夕霧の憎悪のこもる視線を、真正面で身じろぎもせずに受け止める白蘭。その様子は夕霧の荒ぶる心をも、その身に受け止めようとしているかのようであった。

 そして夕霧は続けざまに、フロルに視線を向け、叫んだ。 

 「フロル!お前は一度ならず二度までもこの私を裏切ったと言うのか?なぜだ?私は…私が何をしたというのだ?私だってフィルを愛していた。彼女を妃にと望んだのは、なにもその資質のみではなかったのに…」

 その場に力なく座り込む夕霧。   

 「白蘭…お前さえいなければこのようなことにはならなかったのだ!お前さえ…!」

 夕霧は白蘭に改めて憎悪のこもった視線を向けている。

 「なぜだ…?なぜ父上は、お前にフィルの世話係などを命じたのだ?なぜだ?…なぜ、このようなことに…っ!」

 力のこもらない拳で、床を何度も何度も打ちつける夕霧。その姿は狂おしいほどに哀しかった。

 “兄上……”

 白蘭は兄、夕霧にどんな言葉をかけてよいのかが分からずに、ただただ立ち尽くすことしかできなかった。

 「夕霧様!私がおります!私が一生お側に仕えます。そのような哀しいことをおっしゃらないでください…お願いです…」

 そのとき、うろたえる夕霧に思わず駆け寄る少女がいた。彼の背後から腕をまわし、すがりつくように抱きしめる少女。赤い衣に、紅い瞳…紅蘭であった。

 「離せっ紅蘭!お前などいらん!お前は我らの従妹ではないか!」

 そう言われて紅蘭は大きな紅い瞳に涙をいっぱいにして、首を振る。

 「いや!もう離さない!血筋なんて関係ない!もう、待つだけなんて…いやなの…私は夕霧様が好き。好きなの…」

 「青蘭…」

 青泪が、夕霧とすがり付いている紅蘭に、滑るように近づく。

 「その名で呼ぶな…私は夕霧だ。」

 帝になる以前の名で呼ばれ、力無くうなだれる夕霧。そんな彼をいたわるように、青泪はそっとのぞきこんで言葉を続けた。

 「あのね…あなた達の父上は、こうなることを在位の頃から、すでにご存知だったのよ。」

 「な…?」

 青泪の言葉に夕霧は元より白蘭までもが絶句する。

 「先帝、様は予見しておいでだったわ。こうなること全て…フロル、あなたが再び現れることもね。だから…私達は夕霧と共にこの星へ来たの。あなたが現れる日を待ち、黎蘭様の最後のを成就させるために…」

 遠い記憶をたぐりよせるかのように、遠くを見つめている青泪。

 「…どういう意味だ?」

 座り込んだままの夕霧は、驚きのあまりか、その声が掠れている。

 「この異例の帝妃選び…禁忌を犯してまでも、精霊を統べる力を持つ娘を帝妃に…というを、どういう意図で出されたものかは、二人とも分かってるわよね?」

 青泪は、白蘭と夕霧を交互に見比べるように見て言った。

 「…それがどうかしたのか?」

 夕霧はなぜだか怒りを漲らせて青泪にくってかかる。

 白蘭はなにも答えない。

 「本来なら、歴代の帝は帝の持つ潜在的な力でのみ、長年にわたる統治を行ってきた。だけど、次期の帝となるべき嫡男には…」

 「―!言うなっ!青泪!頼む。その先は…言ってくれるな…!」

 見れば夕霧は、その大きくはない背中を丸めて、嗚咽を漏らしていた。


 …そう、後継ぎでもある嫡男、青蘭(夕霧)には、その力が絶対的に不足していた。先帝はこのことを常に愁いていた…力量からなら、次男(白蘭)のほうが帝として相応しいが、そうなればプライドの高い夕霧は居場所を失う。夕霧の気性を思えばなおさらであった。

 悩みぬいた挙句、先帝が取った方法は、嫡男である夕霧を帝の地位に就け、白蘭を帝を補佐する任務に就けることであった。

 白蘭は夕霧とは違い、争いを嫌う穏やかな気性であったために、先帝は白蘭に夕霧の補佐を命じたのだ。

 だが、それでもなお不足する力量を補うために、敢えて禁忌を犯し、精霊使いとなる素質を備えた帝妃を迎える準備を整えたのだ。

 この異例の帝妃選びの背景には、こうした思惑があったのだった。


 だが…運命は皮肉だった。

 先帝は帝妃候補の少女たちの教育を、白蘭に任せてしまった。夕霧は次期帝としての修練により、多忙きわまる日々を送っていたがために…!

 そしてこの選択が運命の歯車を狂わせることとなった。

 

 帝妃候補は全国から集められ、その素質を調べあげ、選抜され、その数は絞り込まれていった。そして、最終的に残ったのが、フィリシアであった。

 歴史からの教訓により、フィリシアは外界から切離された。そして神殿の中で大切に育まれ、帝妃となる日を待っている…はずであった。

 だがある日のフィリシアと白蘭の様子を見た先帝は、自分の犯した間違いにようやく気づいた。…だが気づいたときは、時すでに遅かったのだ…

 先帝の寿命はもう尽きる寸前だった。

 先帝は青泪をそばへ呼び、内密に最期の勅命を下した。

 父としてではなく、民を守る帝として。


 『夕霧は帝にあたわず』

 …それはしかし帝国の末路を決める、最期の命令であり、苦渋の決断であった。


 「…もう、開放してあげたいわ…ただ長いだけの寿命は、人の心を狂わせるもの…」

 青泪はひとりつぶやく。

 「どうすれば、開放してあげられるの?ねえ青泪。その方法を、知ってるんでしょ?」

 その様子を見守っていたフロルは、そっと青泪に聞いてみた。

 「あなたと白嶺で、選んで。これからの一族の行く末を。リセットとリバース。このどちらかを…これが先帝、様の最期のご命令よ。」

 それをきいた白蘭、新帝白嶺はこうつぶやく。

 「父上の…そうか…そう、だったんだな…で?父上は、いやお前達精霊は、そのどちらが望みだ…?」

 今までの彼女達の言動は、全て先帝の命令が元になっていたのだ。いわば代弁者となって、白蘭達一族と、フロル達をここへ導いていたのだ。

 「聞かなくても…分かってるでしょ?」

 青泪は口の端を持ち上げて、皮肉な笑みを作る。

 「…そうだな。長い付き合いだものな。」

 白蘭はひとつ軽いため息をつくと、ふわりと笑って見せた。

 その笑顔がフロルのよく知る人物とふいに重なる。

 “エリオット…”

 「フロル。ここにいる全ての精霊達に伝えてくれ。全てをありのままに…と。我々が望むのはリバースではなく、リセットなのだ、と。」

 白蘭はフロルに向き直ると、表情を引き締めてそう告げた。

 「え?私が?どうやって?」

 フロルはうろたえて、白蘭と青泪を交互に見る。

 「大丈夫。君ならできるよ。」

 白蘭はフロルの背後にまわると、その背中を後からふわりと抱きしめた。

 「私が手を貸すわ。」

 そう言うと青泪はフロルの手をそっと握った。

 「!やめろ!リセットがどういうことか分かってるのか?白蘭!やめろ!やめるんだ!フィル!」

 夕霧は慌てて止めに入ろうとするが、紅蘭にしっかりと捕まえられていて身動きできないままでいた。

 「白蘭…」

 不安げに見あげるフロルに微笑む白蘭。

 「リバースは再生。一族が再び青い星へ戻り、失われた我々の文明をやりなおすことだ。そして、リセット。リセットの示す意味は、全てをありのままの状態に還すこと。」

 白蘭は大きく息を吸い込み、天井を仰ぎ見る。

 「父上は…父上なら全てをあるべき姿に戻せと命じるだろう。…そうだろう?青泪?」

 青泪は白蘭の問いに、口元に笑みをたたえたまま、力強く頷いた。

 「大丈夫。君にはここにいる全精霊が味方についてる。彼らを信じて。」

 白蘭は揺るぎない強い瞳で、フロルを見つめている。

 フロルは心を落ち着かせるためか、一度大きく深呼吸をした。そして力強く白蘭に頷くと、精霊達に指令を下した! 

 「はい。…リセットを。命じます…!」

 その瞬間、聖域の水は沸騰したように波打ち、光り輝き始めた。

 「きゃ…!」

 水飛沫があげるすさまじい轟音は、閉塞した空間に木霊し、やがてその場にあった水という水は、水柱となって天井めがけて吹き上がった。

 逆流する滝のように吹き上がる水飛沫は、精霊たちを包み込んで細かな霧となり、辺りの人々の髪を、衣を濡らして重くさせた。

 それはあたかも精霊たちの最後のいたずらのようであった。

 …そして、その場に満々とたたえられていたはずの水は一滴残らずその場から姿を消し、あの静謐な空気もろとも、かき消すように消え去ってしまっていた。

 そして光を放っていた壁も、精霊達が消えたことで、徐々にその光を鈍くしていった。

 精霊達は本来あるべき場所へ、それぞれの住処へと帰っていったのである。

 「…行ってしまったな…彼らは帰っていったんだ…あの青い星へ…」

 白蘭は天井を見上げてそっとつぶやいた。

 「白蘭!あれ…っ」

 フロルは悲鳴をあげると白蘭にしがみついて、指を指した。

 フロルが指差す先には、ついさっきまで夕霧が連れてきた一族の者達がいた…はずだった。だがその場所にあるのは、人の形をしていたはずの衣服と、その衣服の数と同じだけの数の、砂の山だった。

 そして、夕霧だけが、かろうじて執念だけでそこに立っているようだった。だがひどく顔色が悪い。血走った目で白蘭とフロルを睨み据えると彼らを指差し、掠れる声で言葉を吐き出した。

 「白蘭…私はお前がうらやましかったのだ…!その姿もその内に秘めた力も。…帝たるに相応しい、その強大な力も…私がどんなに努力しても得られなかったものを、お前は生まれながらにして持っていた。私にだって…そのくらいのことは分かっていたのだ…!」

 見れば夕霧の指先は砂に変わり、さらさらと音を立てて崩れ始めていた。

 「夕霧?」

 フロルは夕霧が何を言おうとしているのかが分からず、困惑の表情を浮かべている。夕霧はフロルにはかまわず、白蘭を睨んだまま言葉を続けた。

 白蘭はじっと夕霧の言葉に耳を傾けている。

 「…まだ青い星にいた頃だ。精霊達はある日、私に帝位を退けと言った。だが、私にできようはずもなかったのだ。私から帝という地位を取れば、一体何が残るというのだ…?」

 夕霧の脳裏に幼い日の思い出が蘇る。


 二人の幼い少年が遊んでいる。

 春の日の昼下がり、まぶしい日差しを浴びて、二人の少年のまだあどけない笑い声が辺りにこだましている。

 一人は第一皇子の青蘭。緑の髪が美しい、第一位の帝位継承権を持つ皇子であり、今年7歳になったばかりのやんちゃ盛りである。

 もう一人は第二皇子の白蘭。銀の髪と翠の瞳の美しい少年で、青蘭の弟にあたる。

 二人の皇子は神殿の裏にそびえる大樹に登り、遊んでいた。二人とも木登りに夢中になっている。

 「兄上!こっちこっち!ここ見て!」

 白蘭が指差す先には、小鳥が巣を作り卵を温めていた。彼はすでに大樹の中腹辺りまで登っていて、地上3mほどのところで手ごろな枝を見つけ、その枝にまたがって寝そべっていた。

 乳母が見たら卒倒しそうな危険行為である。

 だが白蘭は慣れっこなのか怖がる様子もなく、樹の枝の上でぶらぶらと足を揺らしてさえいる。

 巣にいる小鳥は白蘭が間近で眺めていても、怯える様子が全くない。青蘭も近くで見てみたくなり、白蘭が指差す方向へ大樹の枝を伝い、近づいて行った。

 すると小鳥は青蘭に驚き、巣を飛び立ってしまったのである。

 「あっ!」

 青蘭は小さく声を上げると、小鳥が飛立った方向へ思わず手を差し伸べてしまった。

 その瞬間、彼の身体は大きくバランスを崩し、大樹の複雑に絡み合った根元へまっさかさまに落ちて行った。

 「兄上っ?」

 白蘭も慌てて手を差し伸べるが届くはずもない。 

 地上3mから落ちれば、ただではすまないことを、7歳の青蘭は十分理解していた。

 だが理解はできても、子供の力ではどうしようもなかった。

 「…!」

 青蘭は恐怖のあまり、ぎゅっと固く目を瞑ってしまった。

 そして次に来るショックに覚悟を決めた。

 …だが、そのショックはなぜだか訪れることはなかったのである。

 「…?」

 青蘭が恐る恐る眼を開けると、目の前に白蘭の顔があった。

 「大丈夫?兄上?」

 そう言ってあっけらかんと笑う彼の弟は、プカプカと宙に浮いていた。見れば自分も地上1mほどの所で浮いている。

 「…っ!何をしている白蘭!私を下ろせ!今すぐにだ!」

 カッと頬に朱がさす青蘭。

 「どうしたの?兄上?せっかく助けてあげたのに…なんで怒るんだよう…っ?」

 急に怒り出した兄の反応が理解できず、白蘭は泣き出した。このとき青蘭7歳、白蘭5歳。

 次期帝としてのプレッシャーを、常に周囲の大人達から感じ取っていた青蘭にとって、この強大な力を持て余している幼い弟は、どう扱っていいものか頭を悩ませる存在でしかなかった。

 慕ってくる弟はかわいい存在であったが、時折見せる尋常ならざる力は、青蘭にとっては渇望してやまないものであり、どんなに欲しても得ることのできないものであった。

 …この頃から、青蘭は周囲の期待に応え、この弟を凌駕するために何が必要なのかを考え始める。

 そして、帝となり一族を従えても尚、こだわりつづけた。

 帝の地位という、唯一、白蘭を凌駕することのできる権力という力に……



 サラサラと流れ落ちる砂の音が、青蘭を現実へ…帝、夕霧へと引き戻す。

 「…私が一体何をした?帝としての務めはきちんと果たしてきた。力が及ばないのは私のせいではない!私には…どうすることもできなかったのだ!」

 自らの身体が砂に還るのを目の当たりにしながら、声を引き絞るように叫ぶ夕霧。その間にもどんどん彼の身体は砂に変わっていく。

 「私の…私のせいではないのに…!」 

 それは彼の最期の慟哭であった。

 “あなたは悪くない…悪くないよ…”

 その時、空から声が降る。紅い髪の少女が水の精霊に連れられて舞い降りてきた。身体が透けて見える、その少女は先に砂に還ったはずの、紅蘭であった。

 “精霊にお願いして、私だけあなたを迎えに来ることを許されました。さあ…こちらへ…”

 紅蘭の差し伸べる手を取る夕霧。その眼は涙で濡れていた。

 崩れ落ちる砂の塊。その中から、実体の無い夕霧がふわりと舞い上がった。

 “夕霧様…やっと…やっと私の手を取ってくれた…嬉しい…”

 紅蘭は眼に涙をいっぱいにためて、微笑んでいる。

 “お前だけはいつも私を許してくれていた…そして今また、私を許してくれる。地位になどこだわらねば、もっといろんなものに目を向けていれば…”

 透けて見える夕霧の頬に、涙が伝う。

 “…ああ…そうか。やはりな…やはり、私が滅びを招いたのだな…すまなかった…私は愚帝だった…”

 夕霧は誰に詫びるでもなく、遠い眼で辺りを見渡すと、紅蘭と共に空気に溶けるように消えてしまった。

 後に残ったのは、砂の山だけ…

 “神でさえも間違いを犯す…”

 青泪の言葉が白蘭の脳裏をよぎる。

 「…ここにいたのはもう生き過ぎた人間達だったんだよ。もうとっくに寿命は尽きてた。それなのに、いつか還れると思って妄執にとらわれて…精霊達の力を借りて、ゆがんだ形で生き続けてきた…」

 白蘭の声は震えているように聞こえた。

 “兄上…よりによって神はなぜこんな間違いを…!”

 見れば眉根を寄せて、その表情は哀しげに歪められている。

 「白蘭…?」

 フロルは白蘭が泣いているように見えて、心配になって彼を覗きこむ。

 「フロル。よくやってくれた。これでやっとあるべき姿に戻れるんだ。我々一族はやっと本当の滅びを受け入れることができる。ありがとう。…もう一度、君に会うことができて本当に良かった。まだちゃんと言ってなかったね…愛しているよ、フロル。」

 白蘭はフロルに向き直るとふわりと笑った。どこか不自然なほど、それは柔らかな笑みだった。

 「なあに?それじゃお別れを言うみたいじゃない。どうしたの…?」

 不自然な態度の白蘭に、胸騒ぎを覚えるフロル。

 白蘭は自分の胸に手を当てて、まるで青泪がそこにいるかのように、話しかける。

 「青泪、もういいよ。ありがとう。君にもそんなに無理はさせられないから…もう行っていいよ…力を、解放するんだ…」

 すると、彼女の声が答えた。

 「私のほうこそ。白蘭…ありがとう。やっと黎蘭様の使命を果たすことができたわ。やっとこれで…私も自由になれるのね…あの青い星へ還ることができるのね…じゃあ、私も行くね。またいつかどこかで…ね。」

 青泪は姿を現さずに声だけでそう言う。

 「待って青泪!どうしてこんなによくしてくれるの?私は…あなた達に迷惑ばかりかけてきたはずなのに…」

 フロルは慌てて青泪の声に問う。少しの沈黙の後、青泪はやはり声だけで応じた。

 「―言ったでしょ?私達はあなたが大好きなのよ。精霊にとって、精霊使いはとても大切な友人なの。その中でもフィリシアは特別だった。」

 想い出をかみしめるかのようなの後、青泪は再び言葉を続けた。


 青泪によれば、フィルは精霊の申し子と呼ばれていたという。 

 生まれ落ちてすぐに、精霊達とコンタクトを取っていたことからも、このことは周知の事実でもあった。

 それは人というよりもむしろ、精霊にとても近い存在だった。このことからも、精霊達にとって彼らの声を聞く神官や精霊使いとは違い、とても大切な、彼らにとってはかけがえのない、特別な存在だったのである。

 「フィルはね、私達の声を聞く精霊使いや神官たちとは違って、とても…私達にとってはとても大切な友人だったの。」

 青泪の声は、心なしか震えているようであった。声は彼女の心を紡ぐように、とつとつと続く。

 「…そして…あなたもね、フロル。あなたの友人でいられることが誇りだったわ…昔も今も、そしてこれからも。…じゃあ私、行くね。バイバイ。」

 青泪がそう言い終えた瞬間、フッとその気配が掻き消えた。

 白蘭は青泪を見送るように笑みを深める。そしてぼんやりしているフロルに目線を戻し、低くつぶやくように言った。

 「さよなら。フロル。私も砂に還らなければ…」

 「白蘭…?」

 白蘭はフロルを抱きしめてくちづけると、その腕を解いて彼女を突き放した。

 「…?いやっ!白蘭!いやっ待って!」

 フロルは白蘭の腕にすがろうとした。だがもうそこには布地が下がっているだけで、もう彼の腕はさらさらと音を立てて崩れ落ちていた。

 青泪は白蘭が砂になるのを、少しの時間引き止めてくれていたのだ。そのために無理をして、彼の身体に留まっていた。

 その彼女が去った今、白蘭も一族の者と同様、砂に返る運命をたどる。そのことは避けようのないことなのであった。

 「どうか哀しまないで、フロル…一族はあるべき姿へと戻ることができた。肉体は失っても、その魂はあの青い星へと帰りつき、新しい命として再生されるんだ。ゼロに戻るだけなんだよ…」

 白蘭は砂になりながらも、微笑を浮かべていた。

 「白蘭!白蘭!…白蘭…」

 あっという間に白蘭であった物は、白い砂となってフロルの腕の中を滑り落ちて行く。

 そして、後に残った彼の衣服を抱きしめて泣きじゃくるしか、フロルにはもうできることは残されていなかった。


 「うそつき…!一人にしないって約束したじゃない!愛してるって言ったじゃない!なんでいなくなっちゃうのよ…!」

 誰も、精霊さえもいなくなった聖域にフロルの声が木霊する。がらんとした空間は驚くほど彼女の声を響かせていた。

 泣いて泣いて、もう涙が枯れ果てたかと思うころ、聖域に靴音が響いた。フロルのものではない、誰か他の者が聖域に入ってきたようであった。

 “ここには我々一族の中でも限られた者しか入ることができない場所なんだよ”

 白蘭がそう言っていたのを思い出す。だが一族の者はもう本来あるべき姿へと、一人残らず還っていったはず。

 ここへ入ってこられる者が、いるはずもないのに…


 足音は近づいてくる。そして、フロルの背後でピタリと止まった。

 フロルが恐る恐る振り向くと、そこにはエリオットが立っていた。

 「…ここにいるって、が言ってたから。迎えに来たぜ。」

 そう言って、笑う。その笑顔が、あの懐かしい笑顔に重なる。

 目の前で砂になってしまった彼ではなく、夢で見た、銀の髪の少年。遠い昔にいたはずのあの、白蘭に…

 「エリオット…」

 涙でくしゃくしゃになった顔を、困ったように歪めて笑うフロル。

 「白蘭って言ったっけ?あいつ、さっき俺のところへきて、お前がここにいるって言ったかと思ったら、俺のここんとこへ入ってったんだ。あいつ、なんなんだ?」

 エリオットは自らのみぞおちの部分を指差して軽くトントン、と叩いてみせる。

 “…魂を分けた…”

 精霊たちが言っていたことは、こういうことだったのだ。

 エリオットと白蘭が近い存在であるということ、聖域へ入ることができるということ…

 元々は同じ魂なのだから、無理からぬことではないのだ。

 エリオットこそが、白蘭から分かたれた、魂の半身だったのだから。

 “白蘭…あなたはそこにいるのね…”

 フロルはエリオットを見つめる。

 「エリオット?あなたここへはどうやって入ったの?」

 「ん?扉に手をかけたら普通に開いたぞ。ラスがやっても開かないんだけどな。ああ。あの水から生えてた女が、俺と奴はシンクロしててすごく近いって言ってた。なんか関係あるのか?」

 青泪が聞いていたら怒り出しそうな台詞を吐いて、エリオットはフロルを抱き起こす。

 「ほら、立てるか?一体何があったんだ?お前泣いてたろ?」

 「…なにも。もうここの人はいなくなっちゃったの。だから、帰ろ。私達の星へ。」

 フロルはドレスについた砂を、払おうとしてふと思いとどまる。

 その砂は、ついさっきまでの姿をしてそこに立っていたのだ…

 フロルは彼が巻いてくれた、自分の腕の包帯をほどいた。そしてその砂をほんの一握り、大切そうに少し血のにじんだ包帯で包むと、そのままそっとドレスのポケットにしまいこんだ。

 「いなくなった?なんでまた?お前…まさか皆殺し?」

 エリオットが冗談ごかしに言って、ニヤニヤ笑っている。

 彼はすでにここで何が起ったのか、なんとなくだが理解していた。

 白蘭が彼に入りこんだ、その瞬間に。

 「馬鹿なこと言わないのっ!」

 そう言って、フロルはまた浮かんでくる涙を今度はこらえて、無理やりに笑う。


 精霊の力を借りて魂を分けた…

 分けられた魂は地球で新しい命となって、ずっと私のそばにいてくれたんだね…


 “ありがとう。白蘭…約束、ちゃんと守ってくれたんだね……だけど、あなたはもう…いないんだよね…”



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