6 青い惑星
フロルは大地に横たわっていた。
ゆらゆらと、揺れるように意識が覚醒していく。
強い土の匂いと、遠くで聞こえる水のせせらぎ。
“私…なんでこんなところに…?”
ぼんやりとそんなことを考えた次の瞬間、ハッキリと覚醒した。がばっと勢いよく身を起こす。
「…ここどこ?」
きょろきょろと辺りを見まわし、思わず独りつぶやいてしまう。
そこはさっきまでいた神殿とは、全く違う、見覚えの無いところだった。
足元にはむき出しの黒い土。
ふんわりとした土色の落ち葉が積み重なり、フロルの体重を柔らかく受け止めていた。
頭の上にはうっそうと緑の樹木が生い茂り、その緑の隙間からは青空がのぞき、まだらに木漏れ日がさしていた。
「…水の音がする…」
フロルはどこからか聞こえてくる水の音が気になり、音を頼りに木漏れ日の中を、音のする方向へと歩き出した。
ほどなくして見つかったその水音の正体は、さほど大きくはない清流だった。
大小さまざまな大きさの岩の間を駆け抜けるように流れる澄んだ水は、木漏れ日の中できらきらと輝き、息を飲むほどに美しかった。
フロルはふと清流に足を浸してみたくなった。そして自分の格好が変わっていることに初めて気づいた。
靴は編上げのサンダルのような履物を履いていた。服は胸元にドレープを取った、ノースリーブのような、袖の無い膝までの丈の白いワンピース。ウエストに細い帯状の布を巻き、たくさんのチャームの下がったチェーンベルトのような物も巻いていた。そのベルトとコーディネイトのピアスとネックレスもつけていて、額にはどうやらサークレットらしい装飾品が飾られてあった。
そのどれもがフロルの好みにピッタリで、動くたびにシャラシャラと軽やかな音がする。
そして、極めつけはその長い髪だった。本来なら背中の辺りまでしかないはずの髪が、膝裏の辺りまで伸びていた。
「これ…私?なんで?」
自分の着ている服を引っ張ってみたり、髪をつまみあげてみたりしたが、どうにもよく分からない。
水を鏡に自分の姿を見ようと、フロルは身を乗り出した。だが清流の流れは、とどまることを知らないために、彼女の姿を鮮明に映し出してはくれない。更に身を乗り出しかけたとき、苔むした岩についていた手がつるりと滑った。
「きゃ…っ?」
次の瞬間、フロルはバランスを崩し、清流にどっぷりと浸かる…はずだった。
「…あれ?」
フロルはバランスを崩したそのままの体勢で、かろうじて助かっていた。
腰には斜め後ろから伸びてきた力強い腕がまわされ、フロルを支えていた。
「まったく。目を離すとすぐにこれだ。」
すぐ後ろでため息混じりに聞こえた声は、その腕の持ち主のものだった。
眼の端に映る銀の髪。
それは紛れもなく、あの火星で出会った銀の髪の青年、白蘭であった。
今はダークグレーの長衣を着て、額には細い金色の輪のサークレット、そして左上腕に同じ細工の腕輪をはめている。
“白蘭?”
フロルはそう言った。つもりだった。だが声が出ない。
“どうして?さっきまでは…”
突然、声が出なくなって焦っているフロルを尻目に、白蘭はフロルを清流から少し離れた安全なところまで抱えたまま移動すると、すとんと彼女を下ろした。
そしてすうっと息を胸いっぱいに吸い込む。
「フィリシア!神殿の外に出る時は、ひとりで出てはいけないと、あれほど言ってあっただろう?」
白蘭は怒りを通り越して呆れているという様子で、フロルの顔を覗きこむ。
“フィリシア?私はフロルよ!”
フロルは混乱する。だが、相変わらず声は出ない。
よく見れば白蘭の髪はまだ肩の辺りで切りそろえられていて、フロルが知っている白蘭よりも幾分幼く見えた。
そしてよくよく見ると、自分もかなり小さくなっていることに気づく。
“これは一体…?それに…ここはどこなの…?”
フロルはその場で考えこむ。だが白蘭はそんなフロルにいぶかしげな目を向けている。
「どうした?フィル?…フィリシア?連日の修行で疲れが出たのか?」
白蘭は腰に手を当てて、フロルの顔を覗きこんだ。
「でもね、君が帝と共にこの世界を治める日を、つつがなく迎える為には必要な修練なんだよ。拝命の儀式までもう日がないというのに…」
そのとき白蘭に雨が降った。そう、なぜだか白蘭にだけ。
「こら!」
白蘭は清流に向かって一喝する。
清流から人の形のものがゆらゆらと立ちあがって、キャラキャラと笑っていた。
「全く…本当に君は精霊に愛されてるな。怖い怖い。」
そう言って白蘭は笑った。銀色の髪から銀色の雫が輝きながらこぼれおちる。
その初めて見る笑顔に、フロルは胸を締め付けられる。
“…こんな風に、笑うんだ…”
ぼんやりと、白蘭を見つめていたフロルの手を、彼はつかむと勢いよく歩き出した。
「よし!じゃあ今日は特別。休暇にしよう。君にも、休息は必要なはずだ。ついでに私もね。」
そう言って彼はいたずらっぽく片目を瞑った。そしてそのままずんずん歩いて行く。
白蘭は清流の脇の小路へ入り、フロルを少し小高くなった丘へと連れていった。見晴らしのいい、丘の突端には白い木で作られた見張り場があった。見張り場を見つけ、一目散に走って行くフロル。
「フィル!あんまりはしゃぐと転ぶぞ!」
後ろから白蘭の声が追いかけて来る。その瞬間、フロルの視界が横転した。緑の草に足を取られ、転んだらしい。
「言わんこっちゃない…」
ゆっくりとした足取りで、こちらに歩いてくる白蘭を、フロルは転んだままの姿で見とれていた。
緑の丘に立つ、銀の髪の少年。その姿は神々しくもあり、なぜか儚くもあった。
白蘭はフロルを抱き起こすと、彼女をそのまま抱き上げた。
「ケガをされると困るんでね。お姫様。」
そう言うと、またふわりと笑う。その笑みは、懐かしさと切なさをフロルの胸に呼び起こした。
“こんな風に笑う誰かを私はもう一人知ってるはずだったけれど…誰だったんだろう…?”
そんなことをひとり考えているフロルをよそに、白蘭はフロルを抱えて見張り場へと歩いていく。
「この下は崖だから、あまり身を乗り出すと危ないぞ。」
白蘭はそう言いながら、そっとフロルをおろした。
白蘭が言うのも無理は無かった。見張り場のすぐ下は切り立った崖で、見張り場そのものも、年季が入っているのか白く塗られた木の塗りが、ところどころ剥げているところがあった。
フロルはそっと手すりに手を置いて、見張り場からの景色を見まわす。
「きれい…」
思いがけず声が出た。
「気に入った?」
自分の声に驚いているフロルの隣に、白蘭もやってきて手すりに手を置く。
「ここはね、前の帝が帝妃の為に建てさせたものだそうだ。私も子供のころここを見つけて、よくここで遊んだんだ。私だけの秘密の場所だけれど、フィルには特別教えておこう。そのかわり、誰にも内緒だよ。」
白蘭はいたずらっぽく笑ってそう言った。
高台を吹き抜ける風は、まっさらの空気を運んでくる。青い空と遠くに見える水平線。下を覗き込めば、白い壁に彩られた神殿と美しく整備された白い街並が見える。
「風も君がここにいることを喜んでいる。君はいい帝妃になるだろう。なんと言っても、精霊を統べるに相応しい才覚を備えているからね。」
「……」
「フィル?どうした?」
白蘭はいつまでも黙っているフロルを心配そうに覗きこむ。が、その表情はすぐに驚きの表情へと変わった。
「!」
フロルは泣いていた。理由はわからなかった。ただ涙が溢れて止まらなかった。
「私は、帝妃になんかなりたくない。」
掠れる声が言葉を紡ぐ。
それはフロルの意思ではなく、彼女の身体を借りて、全く違う、他の誰かがしゃべっている、そんな感じだった。
だが、間違いなく言葉は白蘭の耳に届いていた。
「フィル?何を言っているんだ?やっと長い修行を終えて、晴れて精霊を統べる役割を担う日が、すぐそこまでやって来ているというのに。君が幼いころからやってきたことは何だったんだ?この修行の為に親元を離れ、神殿へやってきた君なのに?ユーラシアの再来と詠われた君が?精霊の祝福の声が聞こえるだろう?みんな君がこの世界を統べることを望んでいるんだ。わかってるだろう?」
「わかってる…わかってるわ。でも…私は、違う…私が欲しいのは…」
フロルの眼から、とめどなく流れる涙。困ったように覗きこむ白蘭。
“この言葉だけは言ってはならない…!”
フロルの心の中で葛藤するもうひとつの心。
そのもうひとつの心の中で、失われた希望の部分を絶望が黒く黒く塗りつぶしていく。
やがては墨一色のような闇が、彼女の思考までをも閉ざし始める。
輝いていたはずの希望は失われ、心は葛藤することさえも放棄して……
そして、は全ての思考を閉ざしてしまった。
…そして白蘭が止める間もなく、あっという間に見張り場の手すりを乗り越えて、その身を青い空へと躍らせた。
闇に閉ざされた世界に一人立ちすくむフロル。
遠くで聞こえる声。
それは精霊達の声…
泣き叫ぶ、声。その声に、心が掻きむしられるように痛む。身を切られるような叫び…
フロルは思わず耳を塞いだ。訳も分からないまま、あふれる涙。
“ごめんなさい。ごめんなさい。ごめん…私を許して…”
フロルは泣きながら、追いすがるように聞こえる声に謝りつづけた。なぜだかそうしないといけないような気がしてならなかった。
そうして…やがてその声さえも聞こえなくなった。
“真っ暗…私、死んだのかな…?”
そんなことを考えて、重いまぶたをゆっくりと開けてみる。
涙が頬を伝う感覚が、ゆっくりとフロルを現実へ引き戻す。
「気がついたか?うなされていたようだが、気分はどうだ?苦しくはないか?」
緑の髪の少年が、寝台のすぐ横の椅子に座り、心配そうに自分を覗きこんでいる。
額には冷たい布がきちんと折りたたんでかけられ、眠ったまま泣いていたフロルの涙を、夕霧はどうやら拭ってくれていたらしい。その手にはハンカチのような白い布が握られていた。
「夕霧…?」
そこは、暖かな色味のベージュの布で彩られたこぢんまりとした部屋だった。
あるのは部屋の隅にある、小さなチェストとひとりがけの椅子、そしてガラスのはめ込まれた小さめのテーブルだけだった。
フロルは、シンプルだが上質な布を張られた寝台に寝かされていた。
「ここは…?」
慌てて体を起こし、自分に掛けられている布をかき寄せるようにして胸の前で抱え込んだ。
「ここはお前の為に用意させた部屋だ。…そう警戒するな。なにもしやしないよ。」
夕霧はそう言って笑った。
“…そうよね。相手はどう見ても15、6歳だものね。”
フロルはホッと胸を撫で下ろすと、夕霧に聞いた。
「白蘭は?それに青泪も…」
「白蘭には他にも仕事があるからね。青泪はあの神殿のある聖域からは、出ることができないんだよ。私の力が至らないばっかりにね…彼女達には申し訳なく思ってるよ…」
夕霧は悔しそうに唇を噛み締める。
「力?あなたの力が足りないと、どうして申し訳ないの?」
フロルは夕霧の言った言葉の意味がわからずに、素直に質問する。
「私の力だけでは、精霊達を統率することができないんだよ。今現在、彼女達を自由に活動させてあげられるのは、あの聖域内だけなんだ。言い換えれば、私の力が及ぶのは限られたあの空間だけということになる。」
夕霧は何かを思い出すかのように遠くを見つめ、そっとつぶやく。
「あの青い星にいた頃は、彼女達ももっと自由に動き回ってたんだけどね…それでも多くの制限はあった。だから力を補う意味で、精霊を統べる力を持つ者を帝妃として迎える必要があった。そして国中の娘の中から選ばれたのが、フィリシアだった。だがフィルは…」
夕霧はそのまま固まったように、沈黙してしまった。
「夕霧…?」
フロルは心配になって、うつむいたまま固まっている彼を覗きこむ。
「…すまない。大丈夫だ。君を見ているとどうしてもフィルを思い出すからね。君はフィリシアに本当にそっくりで…本当に、そっくりで……」
夕霧はフロルをじっと見つめている。いや、正確にはフロルを通してフィル、フィリシアと呼ばれていたあの少女を見つめているようであった。
フロルは気まずくなってしまった空気を何とかしようと、慌てて話題を変えた。
「あ、ねえ?私、さっきすごく驚いたわ。ここの施設の奥にあんなに水があったなんて。」
フロルはさっき見た夢の話を夕霧にしても良いものか、迷っていた。だが、なぜ迷うのかも分からないまま、やはり話すことはためらわれて、全く別の話題へと話を切り替えてしまった。
唐突な話題転換に、夕霧は少し面食らったようであったが、少し笑うと再び話しはじめた。
「聖域のことだね…あれは精霊達が連れてきた水だ。青い星からね。ここの水には馴染めなかったようだよ。おかげで青い星のほうは水のバランスが崩れてしまったようだが…」
そう言って夕霧は立ち上がると、フロルのいる寝台に、座りなおした。
「まさか…砂漠化の原因?」
フロルの頭の中に簡単な引き算が浮かんだ。
「人聞きの悪い言い方だな。厳密に言えばそうだが、決定的な原因は君達にあるんだよ。環境を破壊することで繁栄する方法しか君達は知らないし、知ろうともしなかっただろう?精霊達の行為は原因の中の要素のひとつであって、精霊達のせいではない。彼らは、あの青い星を今でも変わらず愛しているからね。」
夕霧はひどく自虐的な笑みを浮かべた。
「地球を今でも…って、じゃあどうして地球に戻ってこなかったの?」
フロルはごく自然に思ったことを口にした。
「…どうして…だと?」
夕霧は突然、目をすうっと細めたかと思うと語気を荒げた。こぶしを握り締め、その肩は怒りのためか小刻みに震えていた。
フロルは驚いて、次の言葉を見つけられずにいた。
「……」
フロルが黙っていると、気まずい沈黙の後夕霧はようやっと、吐き出すように言葉を紡いだ。
「…戻りたかったとも。あの青い星は我々の故郷だ。だが、戻りたくとも戻れなかったのだ。」
夕霧の話では、あの青い星にいた頃、彼らの文明は精霊達とオリハルコンという石の力を、代々に渡って帝が束ね、制御することによって、文明と人々の生活を支えるエネルギーを得ていた。だが、石の力だけでは文明を維持できなくなり、彼は精霊達と一族の一部の者を連れて、オリハルコンに代わる新たな資源を探しに宇宙へと旅立ったのだった。
オリハルコンよりもさらに力のある鉱石が、この赤い星にあるとわかり、彼らはとりあえずこの場所に仮の住まいを整えた。
「…ここはね、我々の船の中なんだよ。この星の有害な光線から逃れるために、地中深く船を埋めて、迎えを待った。…だが、青い星からは二度と迎えは来なかった。来るはずが無かったんだよ。我々の文明は、私がほんのわずかあの星を離れたために、滅びてしまったのだから。」
淡々と、まるで物語を読み聞かせるように語る夕霧の言葉からは、愛惜も追憶も感じられなかった。『滅び』という寂寥感を伴う言葉をもってしても。
「…滅びた?」
フロルは思わずその言葉を繰り返す。
そのとき封じこめていた感情が爆発したかのように、夕霧は一気に声を荒げる。
「お前のせいだ!あのとき、お前が私の妃になっていれば、オリハルコンの暴走を食い止められたものを!お前は私よりも国よりも、そして何よりお前をあれほどまでに慕う精霊たちよりも死を選んだ!なぜだ?私の妃になれば精霊はお前に従い、石が暴走することなど起こり得なかったものを!…我々の文明は滅びることなく今も栄華を誇ったものを…!」
思わずフロルに掴みかかろうとしたその手を、ぐっとこらえて握りこむ夕霧。
「あなたが地球を離れたからって、さっき言ってたじゃない。それがどうして私のせいなのよ?」
フロルは困惑していた。夕霧がこんな風に感情を荒げる理由が、今ひとつ理解できなかったのだ。そんな彼女に答えるように、夕霧は言葉を続ける。
「お前の死の後、精霊達はざわめき、統制を失い、私にも従わなくなってしまったのだ。その結果、オリハルコンを制御するに足る力が不足し始めていた。オリハルコンという石は、帝である私の力、帝妃となるはずだったフィルの力、そして精霊達の力がうまく均衡を保てないと、力がうまく作用しない。作用しないだけならまだいい。もし力の均衡を失えば、石は暴走を始めるのだ。あの時、フィルの死という絶望を加味され…いとも簡単に力の均衡は失われたのだ…」
―オリハルコン、それは莫大なエネルギーを秘めてはいたが、その存在はまさに諸刃の剣だった。文明はいつも危険との隣り合わせだったのだ。
彼はオリハルコンの力を凍結させて、作動させないよう精霊達に命じた。そして文明の存亡をかけて、新たな資源を捜しに青い星を出た。オリハルコンに代わる、安全で豊かな資源を。
…だが民の全てを連れては行けない。彼は彼の民と精霊の大多数を、あの青い星に残したままだった。
「結果はどうだ?資源となる石は見つけた。この赤い星でな。だが我が文明は、凍結させていたはずの、オリハルコンの暴走によって滅び、国はおろか星全体にわたって、乱れに乱れた。この私にも予測がつかないほど…それほどまでに、お前の死は精霊たちの力の均衡を失わせてしまっていたのだ。」
フロルは夕霧の言葉に、震えた。あの闇の中で聞いた、自分に追いすがる精霊たちの声を思い出したのである。
思わず自分を抱きしめるように両腕を抱えるフロル。
そんな彼女の様子には気づかず、夕霧は遠い目をして言葉を続けている。
「そして、一万年の後、お前はここにやってきた。赤い石と精霊に導かれてな。」
フロルの頭に、青泪に見せられた極光石がふと浮かんだ。だがどうもそうではないらしい。あの石は、赤くはなかったからだ。
今も頭に響く精霊達の声を、振り払うかのように、フロルは頭をひと振りすると夕霧に問う。
「赤い…石?」
今は彼からの情報を聞き漏らす訳にはいかない、そう判断したからである。
「そうだ。オリハルコンに代わる資源石。莫大な力を秘めた石だ。今はこの船の動力源にもなっている。」
「え…?」
フロルは思わず周囲を見まわす。
「という。」
夕霧は穏やかな声で言った。なんとか彼は平静を取り戻したようであった。
「青泪は極鉱石って言ってたわ。また違う石なの?」
「は明かりを取るための石だ。赤鉱石の再利用の形のひとつだ。赤鉱石はね、尽きない資源なんだよ。何度でも使えるんだ。それは精霊達の協力無くしては、ままならないことなんだけれどね。」
赤鉱石と極鉱石。
二つの石は元は同じ石らしい。火星の大地から掘り出した原石を、聖域の水に浸しておくと赤鉱石となり、動力源として膨大なエネルギーを放出した後、極鉱石として照明に使われるのだそうだ。また、極鉱石は再び聖域の水で清めることにより、赤鉱石として蘇りを果たす。どちらにしても、精霊達の力無くしては原石は使い物にはならないことから、彼らと精霊達との密接な関係が見て取れる。いわばこれは共存の形なのかもしれなかった。
「精霊達とは共存してるのね。」
フロルは尊敬の念を込めて、夕霧に言った。だが、彼にはそんな彼女の態度になぜか苛立った様子を見せる。
「そうだな。そういう言いかたは気に食わないが、そうだ。お前達にはできなかっただろう?所詮はサルに毛の生えたような物だからな。」
夕霧は侮蔑を込めた眼でフロルを見ている。
「ちょっと待って。その言いかたこそ気に入らないわね。そのサルを妃にって言ってるの誰よ?」
フロルは負けじと言い返す。
「お前は特別だ。フィルの生まれ変わりなのだから。あの時代に確かにお前もいた。これだけは間違いない。」
夕霧はフロルを強く見据える。あの少女の生まれ変わりなのだとハッキリと言いきった。
「…一万年ってさっき言ってたわよね。生まれ変わり?誰が誰の?それに、聞きたくないけど聞くわよ。あなた一体いくつなの?」
フロルはこの夕霧に感じていた違和感の原因に、なんとなく気づいてしまった。この少年は見かけこそ少年だが、見かけ通りの年齢ではないということに…
そんなフロルをよそに不敵な笑みを浮かべる夕霧。
「…そんな昔のことなど、もういいではないか。私はお前が今度こそ私の妃になってくれれば、それでいいのだ。そうすれば、私はこの船にわずかだが残っている私の民と共に、あの青い星へ帰ることができるのだ。民を故郷へ帰してやれるのだ。お前の力と精霊の力、そして、赤鉱石の力。この三つの力のひとつでも欠ければ、もう我々はここで滅びるしかないのだ。お願いだ。二度も滅びを経験させないでくれ。私は民を救いたい。そしてあの青い星へ帰りたいのだ。…ただそれだけなのに…」
夕霧はそう言うと、涙を浮かべ足元をじっと見つめていた。
フロルはそんな夕霧が居たたまれなくなって、シーツを握り締める彼の手を取ろうとした。
だがその手が途中で止まる。どうしても、動かないのだ。
「?」
そして、浮かんでくるのはあの、白蘭の笑顔。フロルが逡巡を繰り返していると、夕霧は不意に立ち上がった。
「…倒れたと聞いて、様子を見に寄っただけなのに、長居をしてしまったようだ。これ以上は体に障るといけない。すまなかったな。もう少し眠るといい。また来るよ。」
夕霧はそう言うと、涙で濡れた顔を無造作に袖でぬぐい、部屋を出ていった。
「ふう…」
フロルはため息をついて、寝台に横になった。
夕霧に対しては、なぜか強い警戒心が働いてしまう。短い時間話しただけなのに、彼女は疲れていた。意識が泥に沈むように、遠くなっていく。そして、再び深い眠りに落ちていった。
そのころ、エリオット達は人数分の寝台の用意された大きな部屋に案内されていた。
殺風景なその部屋は、まるで、病院の大部屋のようだった。
「ここがお前達の部屋だ。一応客人として扱うが、最奥の聖域へ踏み込めば容赦なく殺す。いいな。」
案内してきたのは紅蘭だった。美しいがとげのある少女はそう凄んで見せると、部屋を出て行こうとした。
「待てよ。」
彼女を呼び止めたのはエリオットだった。
「なんだ?」
顔をしかめつつ振り返る紅蘭に、エリオットは質問をぶつけた。
何もかも、わからないことだらけなのだ。とにかく今は少しでも情報が欲しかった。
「フロルはどうしている?無事なんだろうな?」
「ああ、あの女か?当然だ。帝があの女をどうこうするなんてことがあるはずがない。帝の目的は彼女自身なのだから。」
取りつくしまもない様子の紅蘭に、エリオット以外のメンバーはひるんでしまう。
「なん…っ?それは一体…」
激昂しかけたエリオットをメイヤー教授が押しとどめる。
「エリオット。…とにかく無事ならいい。それから、最奥の聖域とは?我々は、そこにさえ行かなければ自由にこの部屋を出歩いてもいいということなのか?」
「聖域についてはお前達が知る必要はない。そこだけは立ち入ろうとしても、無理だろうがな。万が一ということもある。こことは雰囲気が明らかに違うところへは入るな。それが約束できるなら、自由に出歩くこともかまわない。」
教授の質問にごく端的に答えると、紅蘭は薄笑いを浮かべて一同を見渡した。
「なんかいけ好かない女…」
ぼそりとラスがつぶやいた。それを聞きとがめてか、ラスの周りにカマイタチが襲った。
「うわああっ」
思わずラスは悲鳴をあげる。
「ラスっ!」
「大丈夫か?」
仲間に助け起こされたラスの頬には、長さ5センチほどの浅い切り傷ができていた。床には数本の髪も落ちている。
「言葉に気をつけろ。あの女と違って、精霊の加護のないお前達など、いつでもどうにでもできるのだからな。」
冷酷な笑みを浮かべた紅い瞳が、その場にいるメンバー全員を一巡する。
「貴様…」
エリオットは紅蘭をにらみ据える。
「あの女よりも自分たちの身の心配をしたほうがいいんじゃないか?」
そう言って高笑いをすると、紅蘭は部屋を出ていってしまった。
「くそう。あの女…」
エリオットはどうにも怒りがおさまらず、思いきり壁を蹴飛ばしている。
「エリオット。少し休んだほうがいい。せっかくベッドも用意されたんだ。」
教授はエリオットの背中を軽く叩き、なだめる。
「休んだら、少し辺りを調べてみよう。どうやら彼らも、フロルには危害を加えるつもりはないようだしな。」
「それがいいよ。エリオット。あんなのがたくさんいるんじゃ、助けに行くって言ってもすぐには無理だ。ちゃんと作戦を練らないと。」
ラスも頬の傷を押さえながら教授に同意した。
「そうだな…」
エリオットはため息をひとつつくと、近くの寝台に座り込み、ゴロリと横になった。
頭の後ろで手を組んで、天井を睨み据える。
“待ってろフロル。必ず助け出してやるからな…”