あなたの命、もらえませんか?
某ビルの屋上。
「人生は、一度きりしかない。だからこの辛い現実から逃げることが出来たら、俺はもう立ち向かわなくてすむんだ。もう、限界なんだ……」
品川宗司は、屋上のフェンスを越えて呟いた。一歩踏み出せば、そこはもう空中だ。
「死ぬしか、逃れる道はない」
宗司は震える足を押さえ、覚悟を決める。そのまま、右足を前に押し出そうとした。
「自殺ですか?」
「え?」
突然聞こえた男性の声に、宗司は驚いて振り返る。誰もいなかったはずの屋上には、スーツを着た男性が立っていた。
「だ、誰だ!」
「自殺をするつもりですか?」
男性はあくまで淡々と言葉を紡ぐ。状況にミスマッチな雰囲気に押されながらも、宗司は頑なに主張した。
「そ、そうだよ! 俺は、もう死にたいんだ! 止めても無駄だぞ」
「止めはしませんよ」
「は?」
「あなたの命、もらえませんか?」
暗闇とスーツが相まって浮いて見える男性の笑顔が、一層濃くなった気がした。
***
「……」
屋上からファミレスに移動した宗司と男性は、対面して座っていた。
「品川宗司さんで間違いありませんね?」
「なんで、俺の名前を…」
男性はどこからか取り出したファイルを開き、文字を読み上げた。
「品川宗司。29歳。独身。1年前に4年間勤めていた会社をリストラされ、現在無職。親からも見放され、将来に希望が持てず死を決意する。9月18日、死亡予定。死因、自殺」
「なんだよ! そのファイルは!」
「死亡者リストです。天界役所に勤める者は、全員持っています」
男性は音を立ててファイルを閉じる。
「天界役所?」
「申し遅れました。私、こういうものです」
「天界役所リサイクル課。篠宮慶介?」
宗司は慶介から渡された名刺を読み上げた。
「ええ。私は天界から来ました」
「人間では、ない……?」
宗司の顔が青ざめる。
「その通りです」
慶介は笑みを崩さずに頷いた。
「もしかして、死神、とか?」
「いいえ。そもそも死神や天使とかは実在しません。あれは、人間が創り出した妄想ですよ」
宗司は一気に恥ずかしくなり、慶介から目線を外した。
「天界は、死者をジャッジする閻魔様がいる中間国。現実世界で良いことをした者が送られる天国。悪いことをした者が送られる地獄から成っています。しかし、現代のストレス社会。自殺する者が多くなっています。自殺は最も罪の重いことです。問答無用で地獄へと送られます。そのせいで地獄は一杯。収拾がつかない状況です」
慶介は呆れたように息を吐く。
「そこで作られたのが、私たちリサイクル課です」
「ちょ、ちょっと待て! お前が人間ではないのはもう確定なのか?」
いきなり現れた男性に、天界だの、閻魔様だの言われても信じることは難しい。
「そこは信じてもらうしか」
慶介は鋭い宗司の視線に、困ったように笑った。
「証拠を見せてみろよ」
宗司はさらに追及するように手を伸ばした。
「そうですねえ。分かりました。とりあえず、私の説明を聞いてもらえますか? その後、証拠を見せるので」
「説明? まだあるのか?」
「ええ。重要なことが終わっていません。私たちリサイクル課の仕事は、命のリサイクル。自殺者は地獄行きですが、他人を助けて死んだ人は天国行きとなります。それを利用して、自殺しようとする者が他人を助けて死ぬように手助けするのが仕事です」
「つまり、俺に誰かを助けて死ね、と?」
「理解が早くて助かります。それでは、理解していただいたところで証拠をお見せしましょう。今からこのファミレスに包丁を持った男が入ってきます」
「はあ?」
宗司が声をあげた瞬間、店の入り口の音が鳴った。思わず宗司の視線は入り口を向く。店に入ってきたのは、帽子を深くかぶり、ポケットに手を突っ込んだ男だった。
「そして、レジにいる女性を人質に取ろうとします」
慶介の言葉が宗司の耳に届くのと、男がポケットから包丁を出すのは同時だった。
「きゃー!」
レジの中にいた店員が男を見て悲鳴を上げる。それに気づいた店内の客は、店の奥へと逃げようと立ち上がる。
「さあ、品川宗司さん。チャンスですよ。レジの店員さんの前に割り入って、代わりに刺されて来てください」
宗司は引きつった顔で慶介の方を向いた。おそらく、店内で笑っているのは包丁を持った男と慶介だけだ。
「バカ言うな! 俺が助けれるわけないだろ!」
「死ぬ覚悟で行けば大丈夫ですよ。どうせ、死ぬ気だったんでしょう?」
「そうだけども!」
宗司と慶介の攻防が繰り広げられている間にも、包丁の男は店員に近づいて行く。
「おら! 金を出せ。じゃねえと、殺すぞ!」
「ま、待ってください! 出しますから!」
待つ気が全く見えない包丁の男の目は、血走っていた。
「死にたかったんでしょう? 宗司さん」
「そ、そうだけど。でも、俺が人助けなんて……」
宗司は手を握りしめて俯く。
「優柔不断ですねえ。早くしないと…」
「きゃー!」
奥の客から悲鳴が上がる。宗司が顔を上げると、包丁の男が店員を刺していた。
「だから、早くしないとって言ったでしょう?」
慶介の軽い言葉に、宗司は握った拳を固くした。
***
「……」
「信じてもらえました?」
ファミレスから逃れた宗司と慶介は、通りを歩いていた。
「ああ」
宗司は隣を歩く慶介の顔を見ずに、前を見つめている。
「ああなることを、お前は分かっていた。そして、人助けをして死ぬような場面に俺を連れて行くのがお前の言う手助けってやつか」
「正解です! 頭良いんですねえ! なんでリストラなんてされたんですか?」
人の汚点を軽々しく刺激する言葉に、宗司は慶介を睨んだ。
「うるせえ。どうせ知ってるんだろ」
「ええ。知っていますよ。後輩が社内でいじめられているのを助けて、孤立。ただ、その後輩君は……」
宗司が手を伸ばして慶介の口を押える。
「それ以上、言うんじゃねえ」
宗助は慶介を一睨みして、手を離した。そのまま慶介を置いて進んでいく。
「あ! 待ってくださいよ! 宗司さん、予定ではもうすぐ…」
「予定って…」
慶介の聞き逃せない言葉に宗司が顔だけ振り返る。
「きゃー!」
突然聞こえた悲鳴に、宗司は顔を前に向けた。そこには、大勢の人が円状に避ける場所があった。場所の中心にはナイフを持った若い青年が立っている。
「みんな殺してやる!」
青年はなりふり構わずナイフを振り回す。
「宗司さん。あれです。あれを止めて死んで来てください」
宗司に追いついた慶介は、宗司の背中を前に押す。
「バカ! ちょっと待てって! 俺が行っても、ただ殺されるだけだろ。俺には何の力もないんだ。止めれるわけない」
「だからって、ここで黙って見ているんですか? いいんですか? また死人が出ますよ?」
慶介は死人が出ることを何とも思っていない口調で言った。
「それは……」
「ほら、早くしないと……」
慶介が宗司の視線を青年へと促す。
「待て!」
宗司が視線を向けた時、青年の前には警官の服を着た男が立ちはだかっていた。警官は鮮やかにナイフを取り上げ、青年を押さえつける。
「おや。今回は結果オーライでしたか」
「篠宮。お前…!」
「私は、あなたが助けなかったからといって、絶対に死ぬとは言ってませんよ?」
慶介のおどけた口調に、宗司は怒る気を削がれて何も言えなかった。
***
「……」
「宗司さーん。いつになったら死ぬんですか?」
劇的な現行犯逮捕の瞬間を見た2人は、その場を通り過ぎて通行人に混ざっていた。
「早く人助けをして死んでくださいよ。そしたら、天国に行けるんですよ」
宗司は慶介の言葉を無視して、足を進める。
「どこに行くんですか?」
「お前には関係ない。付いて来るな」
「それは無理ですよ。あなたの人助けを手助けするのが仕事ですし。自殺をさせるわけにもいきません」
「人助けなんて出来ない。俺が何をやっても変わらないんだ。俺なんて、いなくてもいいんだ」
「そんなに、後輩君を助けられないことがショックだったんですか?」
「お前……!」
宗司が振り返って慶介の方を向く。慶介の手には、しまったはずのファイルがあった。
「いじめから助けた後、結局後輩君は自殺をしてしまったんですよね。せっかく助けてあげたのに」
慶介は流れてもない涙を拭うように目元に手を持ってくる。
「そうだよ。俺は助けることが出来なかったんだ。俺は何もできない。俺が何をしても何も変わらない」
「本当にそうなんですかねえ」
「お前に、何が分かる! どう頑張っても、俺は誰かを助けれるようなヒーローにはなれないんだ…!」
「きゃー!」
本日何度目かの悲鳴に、宗司は視線を向ける。悲鳴を上げた人物の先には、今にもマンションから飛び降りようとする少年の姿があった。
宗司は呆れたように慶介に視線を向ける。
「お前な。どれだけ矢継ぎ早に……」
宗司の視線を余所に、慶介は焦った表情を浮かべていた。
「あれは、リストには載っていません。全くの予想外です」
「どういうことだ?」
「彼は今日、死ぬ予定ではないんです。何で、未来が変わったんだ……」
宗司は少年に視線を戻した。
「うるせえ! 母さんが、さっき強盗に殺されたんだ! ただ、ファミレスで働いていただけなのに。たった一人の家族だったのに。俺も死んでやる!」
「あいつ、もしかしてさっきの店員の息子か?」
強盗が一日何件起きているのか知らないが、未来が変わったのは宗司が店員を助けて死ぬ運命が変わったからかもしれない。
「宗司さん。あなたが行動しなかったつけがこれです」
「あれが、俺のせいだって言うのか!」
宗司は焦ったように少年を指さす。
「直接的ではなくとも、間接的には影響を及ぼしているんですよ」
「でも、助けたって後輩が自殺したことは変わらなかった。もし助けなかったら、自殺しなかったかもしれないんだ! もう、俺が行動することで、誰かが死ぬのは嫌なんだ」
「本当に、そう思っているんですか!」
「篠宮?」
出会って初めて声を荒げた慶介に、宗司は戸惑いの表情を浮かべる。
「リサイクル課の仕事は自殺しそうな人物を探す所から始まります。その人の自殺の原因さえも調べるんです。そして私はその過程で、後輩君の親に会ってきました」
「え?」
「感謝してましたよ。あなたに。後輩君はあなたに助けてもらったことを遺書に書いていたそうです。自分のせいで、孤立させてしまったと。でも、助けてもらったことは本当に嬉しかったと」
「なら、なんで自殺なんて」
「自殺の直接の原因は書いてなかったそうですが。最後に、先輩に弱くてごめんなさいと伝えてと書いてあったそうです。あなたのしたことは、確かに後輩君の力になっていたんですよ」
慶介はいつもの笑顔に表情を戻す。
「あなたの行動が、どういう結果を及ぼすかなんて私にも分かりません。ただ、この場であの少年を助けることが出来る可能性があるのは、死ぬ覚悟をしている宗司さんだけですよ」
「あ!」
通行人がどよめき声を上げる。少年が空中へと身体を投げ出すのを見た瞬間、宗司は反射的に動いていた。
「それでこそ、私の選んだ人です」
笑う慶介の目に、地面スレスレの所で少年を受け止めた宗司が映る。
宗司は安堵した顔で少年を抱えていた。
「これでもう、宗司さんは地獄に行こうとしないでしょう」
慶介は宗司の笑顔を見ながら、そっと姿を消した。
***
某ビルの屋上。
「くそっ。あいつら僕をバカにしやがって。死んでやる!」
屋上のフェンスを飛び越えた先に、1人の男性が立っていた。
「自殺ですか?」
「だ、誰だ! お前は!」
男性が振り向いた先には、笑顔の慶介の姿。
「自殺をするつもりですか?」
「そ、そうだ!」
「あなたの命、もらえませんか?」




