出航ですよ
翌朝。
私は胸を踊らせ、眼前に広がる大きな帆船を凝視していた。
(こ、これが帆船。何かカッコいい♪ 今からこれに私達乗るのね)
おお~と口を開け、見上げるという間抜けなポーズのまま固まっている私とサフィナ、ザッハを尻目に乗船作業が着々と進められていく。
「フッフッフッ、どうじゃッ! 我が国最速の大型帆船は、凄かろう」
おのぼりさん状態の私に向かって、エミリアが誇らしげに言ってきた。
「本来なら三日はかかる航海をなんと、一日と半日に短縮した優れモノなのじゃ」
「え~、せっかくの船旅が一泊だけ~」
これまでのエミリアのフレンドリーさに毒されて、私はついつい他の皆と同じように軽い口調になってしまった。しかも、不満タラタラの表情付きで……。
「ハッ!す、すみません」
「いやいや、よいぞ。そこまで砕けてくれた方が妾としては楽じゃ。我ら魔族はそなた達ほど形式や格式に厳しくはないのでな」
私が慌てて謝ると、エミリアはケラケラと笑いながら気にしていない素振りを見せて、船の方へと歩いていってしまった。
「さすがはメアリィ様。もう姫殿下とあんなに打ち解けて。さすがは王者の器」
「いやいやいや、王者の器ってなによ。物騒なこと言わないで、私は普通の令嬢ぅ……よ?」
隣にいたマギルカがポロッと恐ろしいことを言うので、反射的に否定する。普通の令嬢という発言辺りで皆の疑いの目が集中して言葉尻がしぼんでしまったが。
「どうしたのじゃ? そろそろ出航するぞ、乗船せい」
甲板へ乗り込む場所の前で船長らしき人と話していたエミリアが未だに動こうとしない私達に声をかけてくる。私は慌ててそれでも走ることなくそちらに移動した。
(うおぉぉぉ、ついに船に乗るわぁぁぁッ!)
優雅に歩く見た目とは裏腹に内心、かなりはしゃいでいる私は、逸る気持ちを抑えつつ、乗船していくのであった。
歩いているとはいっても早歩きのせいで、必然的に私が先頭になってしまい、皆がどんな表情で私の後ろをついてきたのか分からない。しかし、私はそれすら気にすることができないくらい、はしゃいでしまっていたのだ。
(さぁ、人生初の船旅よぉぉぉッ)
船が出航して数時間。
私は一度用意された客室に案内されて、一息つくと我慢できずに甲板に上がって船員の皆さんの邪魔にならないところへ行き、風景を眺めていた。
「う、海よ、海。テュッテ、海よ♪」
「そうですね、お嬢様。広いですね、海というのは。って、乗り出さないでください、お嬢様。危ないですよ」
どこまでも続く青い海。遠くに見える水平線。潮の匂いに、風。
まさに、海の上。
そんな海の上を颯爽と走る大きな帆船。もお、どこの映画かしらと思って興奮してくる。
前世だって体験できなかったことに私は有頂天になっていた。そして、興奮するあまり、私は手摺りから身を乗りだそうとして後ろからテュッテに押さえられてしまう。
「だ~いじょうぶだって。ほらほら、サフィナも見てみな……さい、よ」
押さえるテュッテにテンション高めに答え、後ろにいるだろうサフィナを見ると、彼女が思いの外後ろの方にいるので不思議に思って見てしまう。
「サフィナ? それにマギルカもどうしたの? ほら、もっとこっちに来なよ」
私は甲板中央近く船室へと繋がる出入り口付近で突っ立っている二人にチョイチョイと手招きする。よく見ると、サフィナはマギルカに何となくしがみついている感じだった。
「わ、私達はここで十分ですわ。 いい眺めですわね、サフィナさん」
「そ、そうですね、マギルカさん」
二人ともちょっと顔が青いのが気になる。
「あれ? もしかして二人とも船酔いしてるの?」
「いえ、船酔いはしてませんわ。ねぇ、サフィナさん」
「はい、幸いなことに」
気分が悪いのかと聞いてみたがどうやらそうではないらしい。では何で端に来ないのか、私は疑問を表すように首を傾げてしまう。
「じゃあ、もっとこっちに来なよ。いい眺めだよ。ほら、ここからだと船の下までよく見えるから。意外と甲板って高いのね♪」
(ん? 高い?)
自分で言ってて何かに気がつく。私は間近の海面を眺めた。そこは思っている以上に高く感じ、さらに海の中に吸い込まれそうな感覚に襲われてくる。
(あ、高所恐怖症。え、ここでも発揮するの?)
私は二人に共通するものに行き当たり、ポンッと手を打つ。
「大丈夫だって、そんなにここ、高くないわよ。これくらいならすぐに慣れるって」
「でも、お、落ちたりしたら」
私の言葉におずおずといった感じでサフィナが答えてくる。どうやら私の想像通りに加え、落下の恐怖も含まれていたようだ。確かに、船はたまに揺れるので怖いと言えば怖いか。
「大丈夫だって、そう簡単に落ちたりぃっ」
「楽しんでおるか、ものどもぉぉぉっ!」
「うきゃぁぁぁッ!」
「お嬢様ァァァッ!」
私が手摺りから手を離し、両腕を広げて大丈夫アピールしようとしたら、どこから現れたのかエミリアが事もあろうに私を押してきた。
突然の行為によろめき、おまけにタイミング良く船が揺れて、私は船から半分以上身を乗り出してしまう。だが、慌ててテュッテがしがみついて私を支えてくれたので落下することはなかった。
「あ、あ、あ、危ないでしょッ! 姫殿下ぁぁぁっ!」
「とまぁ、このように全く安全かと言えばそうではないので、はしゃがず十分注意するようにのぅ」
「あなたのせいでしょうがァァァッ!」
危機から脱したばかりで肩で息をする私とテュッテ。私はドキドキする心臓の沈静化を計りつつ、嬉しそうにしているエミリアに抗議した。すると、まるで悪びれた様子もなくシレッと言ってくるこのお姫様に思わずツッコミをいれてしまう。
「楽しそうだね、皆」
爽やか笑顔で私達に近づいてくる王子。その後ろでは何か青い顔をしたザッハがいた。王子達の登場で場が仕切り直され、私も冷静さを取り戻してくる。そして、同時にザッハの状態についつい絡んでしまった。
「どうしたの、ザッハさん? 気分悪そうね。まさか、あなたも怖いのかしら?」
「そんなわけないだろう……」
私が意外そうに驚いた顔を見せるとザッハが青い顔をしたまま否定してくる。
「彼は、単純に軽い船酔いだよ」
困った顔で王子が補足してきた。
「おやおや、一番頑丈そうに見えたが随分と軟弱じゃのう。こっちの令嬢達は何ともないのに」
呆れた顔でエミリアがザッハに言うと、彼は何か男のプライド部分に攻撃を受けたのかウッとうなって嫌そうな顔をする。
「……俺はメアリィ様達とは違って繊細にできてるんですよ」
その言葉に私達三人がピキッと凍り付く。
「ホウ、そうなのか?」
ザッハの言い訳を鵜呑みにして、彼を見た後、エミリアは私達を見て聞いてきた。
「ほほほっ、そんなわけないじゃないですかぁ、ねぇ、みんなぁ」
誤解を招くような言い方をされて、私は口に手を当てながら凍り付くような微笑を言った本人に浮かべて答える。すると、ザッハは王子の背に隠れるように逃げていった。なるほど、そのための王子なのねと納得しつつ、私は他の皆を見渡すと、マギルカとサフィナが強く頷いた。
「そうですわ。メアリィ様だって繊細ですわよ、ねぇ、サフィナさん」
「そうです、え? あれ?」
当然といった顔で答えるマギルカ。そして、その言葉に疑問を感じるサフィナと遅れて私。
「ねぇ、マギルカ、ちょっとまって。『達』、『達』って言ってるわよ。私だけじゃないからね」
私が半眼でマギルカを見ると、彼女はプイッと首を回して視線から逃げていくではないか。確信犯か……。
「マギルカ。私達、話し合う必要がありそうね。ちょっと眺めの良い所に行きましょうか」
「冗談、冗談ですわ。ごめんなさい、メアリィ様、目が怖いです」
私は視線を逸らしたマギルカの肩を掴み、ズルズルと船首の方へと引きずっていく。すると、マギルカは涙目になって謝ってきた。
「繊細かぁ……なるほどなぁ」
私達のやりとりを眺めながら、何を納得したのかエミリアがうんうんと頷いているのが見える。
(何、その納得顔。私だって繊細なんだからね、ほんとよ)
私はマギルカを解放し、エミリアの納得顔を直視できずに、バツが悪そうに愛想笑いを浮かべるだけになってしまった。
その夜。
私、サフィナ、マギルカ、そしてなぜかエミリアの四人が客室にいた。
(もうツッコまない。これがもう普通なのよ、あきらめよう)
「はぁ、明日の昼頃には暗黒の島に到着しているなんて、今でも信じられませんわ」
「フッフッフッ、我が王国の造船技術、凄かろう」
マギルカが小さな窓を見ながらそう呟くと、エミリアが勝ち誇ったように胸を反らす。
「確かに……。帆船の仕組みはよく分からないけど、この船、速度にブレがないわよね。帆船って風に左右されるものじゃないの? この船、別の動力で動いているのかしら」
私は曖昧な知識で疑問を投げかけると、なぜかエミリアが冷や汗をかきながらあさっての方向を見ている。
「そ、そ、それはこ、国家機密故しゃべることはできぬ」
いきなりどもって、柄にもなく国の話をしてくるのが大いに気になるところだが、何か別の動力で動いているのは確かのようだ。それが何かは語りたくないみたいだが。
「あっという間の船旅でしたね」
何となく気まずい空気を変えるため、サフィナが話題を変えてくる。
「船旅かぁ。そう言えばふと思ったんだけど、船に乗ると意外と起こるイベントがあるのよね」
(まぁ、ゲームの話なんだけど)
「初耳ですわね、どういったものですか?」
サフィナの話題変えに乗っかり、私はつい前世のゲームで得た話をしてしまうと、向かいのベッドに座っていたマギルカが興味津々に聞いてくる。
「えっと、そうね。船に乗ると、お約束のように海賊船が襲撃してくる……とか、幽霊船に遭遇する……とか、海の怪物クラーケンに出くわす……とか?」
私が指折り数えてお約束っぽいイベントを連ねると、なぜだか三人とも沈黙してしまった。
「え、やだな、皆。何で黙るの? これ、私の妄想だよ、妄想。ほんとに起こるわけ」
ドォォォォンッ
私の言葉を遮るように外から大きな音が響いてきて、周辺が慌ただしくなってくる。
(神様、私は決してイベントを所望して話題にしたのではありませんよ! 私はどのイベントフラグをたててしまったのですかぁぁぁっ)
私は「ない、ない」と手を横に振っているポーズのまま固まり、心の中で神様に祈るのであった。
ここまで読んでいただきありがとうございます。