白銀の騎士改
ニケの前に立ちはだかるは白銀の全身鎧。
その中身は空っぽで動くはずが無かった。だが、その鎧は確かに振り返り、ガシャガシャと音を立てて歩き、倒れるテュッテとリリィの元に近づいていく。
そして、テュッテに近づくと跪き、その首輪に手を掛けると、まるで紙切れのように握りつぶして引きちぎるのであった。
「……ノア、さま」
苦痛から解放されてもすぐには動けないテュッテは目だけで白銀の鎧を見、そして、その後ろで倒れている少女を見た。
『動ける?』
「は……は、ぃ……」
鎧から聞こえてきたノアの声に促され、テュッテは無理矢理にでも自分の体を動かそうと気合いを入れる。
「確か魂が抜けた後にも似たように神の鎧を維持しようとする動きがあったと聞いていたが……なるほど、神が作った理の影響か」
ノアの行動を邪魔すること無く観察していたニケがブツブツと分析を語り始めた。
「あるべき所に戻るとはいえ、魂がそう簡単にポンポンと移れるとは思えないな。それこそ、神が直接手を加えない限りは……」
そう結論づけるとニケは寝転がっているノアを見、音も立てず、しかも躊躇無く彼女目掛けて剣を振るう。
剣から放たれる風の刃。ニケから背を向けていた白銀の鎧には見えていなかったはずだった。
だが、白銀の鎧はすぐ様動き、ノアの前に立つとその風の刃を切り裂く。
そして、ゆっくりとだがぎこちなくノアが起き上がってきた。
「やはりな……只、魂と鎧が呼応して一時的に繋がっているだけか。しかも、不慣れな所為で本体すら上手く動けない状態か」
皮肉だがニケの説明でノアは自分に起こっていることを全て理解する。
確かに今のノアはとても不安定な状態だった。
自分という物をしっかり定めていないと自分がどっちなのか分からなくなってくる。
だが、幸か不幸か、ノアはこの状態をゲームに置き換え、自分を外で動かすプレイヤー、白銀の鎧をゲーム内にいるアバターとして捉えることでギリギリ成立させていた。
『テュッテッ! リリィを連れてここから離れて! その姿をお姉ちゃんに見せてあげて。そうすれば、この騒ぎもすぐに終わるわっ!』
目と口を閉じているノアがその状態でこちらに顔を向け、その前に立つ白銀の鎧が同じようにテュッテを見て声を掛けてきた。いくら棲み分けているとはいえ、こんな急ごしらえではやはりどちらに主導権があるのか曖昧な状態である。
そんな不安定な状態のノアにこの場を任せるという事態をテュッテは承服できなかったが、自分がここにいても只の足手まといであり、ノアの言う通り、メアリィに自分の姿を見せさえすれば、彼女の枷は無くなるはずだった。
まだ首輪の余波が体を蝕み、膝が震えるテュッテだったが、それでもフラフラとリリィの元に行き、そっと彼女を抱え上げる。
「器の枷を取るのは効率が悪いな。彼女には無抵抗で私に協力して欲し……」
よろめきながらもこの場から離れようとするテュッテを見て、ニケがなにかをしようと腕を動かしたとき、横から切りかかってきた白銀の鎧の剣をその籠手で受け止める。
「やれやれ、今のお前は魂の在り所が曖昧になってきているのに、そんな状態を続けていたら魂は肉体を見失い、最悪お前は戻れなくなるぞ」
『心配してくれるなんて意外ね。でも大丈夫、パパッとあんたを蹴散らせば良いだけのことなんだから。どんなに粋がっていても所詮あんたのソレは私のコピー品だもの』
白銀の鎧が受け止められていたニケの腕をそのまま切り落とそうと力を込めていく。
ノアの挑発も意に返さなかったニケの表情が強ばり、受け止めていた腕を振って白銀の鎧の剣を弾き返した。だが、白銀の鎧は体勢を崩すことなく再び剣を振り下ろす。
それを剣で迎え撃ち、つばぜり合いになるがジリジリとニケが押されていった。
「なぜ『かつての願い』を捨ててまで、私に刃向かう。そこまでするような理由がお前にあるとは思えないが?」
『お前達はお姉ちゃんを泣かせた。それだけで十分よっ!』
ノアの叫びに呼応するように白銀の鎧の力が増してニケは押し負け、その勢いのまま後ろへ飛んで距離を取る。
「……くだらんな……そこまで覚悟があるのなら、なぜもっとその力を有効的に使わない?」
『今、有効的に使ってるけど?』
「違う。個人の話ではない、この世界の話だ」
『はあ?』
「お前は、なんのためにこの世界にいる?」
ニケの突飛な問いにノアは戸惑うが、図らずも二人は膠着状態となり、テュッテがメアリィに合流する時間稼ぎになるのであった。
□■□■□■
私にとっては忍耐の時間だった。
カインは私が攻撃に転じれないことを良いことに攻撃を仕掛けてくる。私は飛んできた杭を叩き落とし、瞬時に移動してカインとの距離を詰めようとしたが、先程の彼の台詞が頭を過って足を止める。
「なるほど……改めてそのパワー、そのスピードは常人を遥かに越えていますね。これは念のため色々実験してみましょうか? もちろん、抵抗しないでくださいよ。抵抗した瞬間、貴女の大切な者がどうなるか、分かりますよね」
そう言ってカインは魔道具ではなく、私に火球魔法を放ってきた。
それを無抵抗に受け、掻き消す私をカインはまるで実験動物を見るような視線で観察している。その屈辱に耐えるしかない私はもう爆発寸前だった。
「ホウ、やはり魔法もダメですか」
「こぉの、変態男がぁっ! 幼気な少女になんてことするのよっ!」
我慢できないのはマリアも同じで怒りを露わに悪態付くと、カインの視線が彼女に向く。
私は反射的に飛び出し、マリアに放った無数の杭をその身で受け止めた。
「おおぉ~、素晴らしい反応速度。今のは私でも見失う所でしたよ」
マリアを庇う私を拍手するカイン。完全におちょくられているのが分かるが、それでも攻撃に転じることは出来ない。テュッテをこの目で確認できるまでは……。
「大丈夫?」
「ご、ごめん。我慢できなくてつい……」
「良いのよ、私の代わりに怒ってくれたんだもの」
私はマリアに微笑むと、チラリと控えているスノーを見るが、彼女は神妙な面持ちのままなにも答えてこなかった。
(まだなの、ノア、リリィ……なにかあったのかしら?)
まさか、ノア達がラスボスであるニケと対面しているとは露知らず、私は彼女達がテュッテを連れ出せると信じて待つしかなかった。
「……惜しい、実に惜しいです。その力が私にあれば、教皇様の目指すモノに貢献できたのに。なぜ貴女のような志も低い小娘なんかに……」
「教皇の目指すモノ?」
(そういえば、私、ニケがなにを考えているのか知らないんだよね。なんで私を狙ってくるんだろう)
ここまで来て、なにを今更と思える疑問に私は首を傾げる。
「教皇様の目指すモノ。それは世界の救済。人類の更なるレベルアップですよっ!」
私の呟きが切っ掛けとなり、カインの教皇至上主義の熱に火が付いたみたいだった。
「教皇様は一度だけ私に話されました。転生者とはなんなのかと。貴女はどうですか? 転生者よ」
「……他世界から来た存在、かしら?」
答えなくても良いのに、問われて律儀に答える私。
「そうですよね。私もそうでした。ですが、あの女の答えに教皇様は……」
なにを思い出したのかカインの表情が一瞬不機嫌になる。
「……いや、そんなことはどうでも良いことです。転生者、そう、転生者こそが我ら人類の上位種、我々を導く存在なのだと教皇様は仰いました!」
「じ、人類の上位種?」
(そ、それは随分と大きく出たわね)
「他世界から渡ってきたその経験と知識は我らに存在しないモノばかり。さらには我らには一切持ち合わせない能力すら与えられている。これを上位種と言わずなんと言うのですか?」
「そ、それは……」
「教皇様は仰いました。なぜ、神は自分をこの世界に連れてきたのか? なぜ、神は自分にこれ程の力を与えたのか? それにはきっと理由があるはずだと……」
もはや自分の世界に突入しかけのカインを放っておいても良さそうなのだが、その内容に私は聞き入っている。
というか、考えたこともなかった。なぜ、自分がここにいるのかということを……。只、神様が私の願いを聞き入れて、この世界に連れてきてくれたとしか考えてこなかった。
「……私がここにいる理由……」
「そうですっ! 神は転生者に期待しているのだと教皇様は気が付かれました。だからこその知識。だからこその力。それを持って、人類の更なる進化を促すため、教皇様は動かれたのです。より高度な文明を、社会システムを目指してっ! 最初は自身の故郷、集落から始まりました。ですが、上手くいきませんでした。人は醜くも権力に魅入られ、誰が一番かを争い狂いました。教皇様は酷く落胆しました。結局どこの世界も同じだと……だから、教皇様は人の上に更なる上位者を置くことにしたのです」
「上位者って、オルトアギナ……」
「残念ながら、これも上手くいきませんでした。我ら人類はどこまでも醜く、なんと愚かしい存在なのでしょうね。ですが、教皇様は諦めませんでした。この世界に連れてきてくれた神への感謝を形にするため、その期待に応えるため、更なる上位の存在、神を掲げ、この国の進化を目指したのですっ!」
(その結果があの聖教国だって言うの?)
私はここに来るまでに見た聖教国の様子を思い出す。確かに文化レベルは私がいる王国や、私が訪れた地域に比べて遥かに進んでいた。だが、それだけだ。そこに住む人々はほとんどが無表情で、活気がなかった。只、淡々と自分に与えられた人生を歩んでいる、そんな気がしてならなかった。
「貴女も疑問に思っているのでしょうか? 私としてはこれで満足なのですが、教皇様は仰いました、これではなにも変わっていないと……あの方の長きに渡る苦悩は計り知れません。神への感謝、神の期待、それはもはや呪いと言っても……」
とここでカインがピタッと止まりなにかに気が付いたように私を見る。
「そう、だからこそ、私はその苦悩を少しでも和らげて差し上げたかったっ! あの方の次なる計画の為なら、どんなことでもしようと! 準備が整ったらこちらに赴くのでそれまで相手をしていろと仰っておられましたが、私が無力化し連れて行っても良いでしょう。なぁに、簡単なことです。転生者といっても、無抵抗なのですから、いくらでもやりようはありますよ、ねぇ」
その時のカインの表情に私は怖気を感じた。
それは今まで見たことがないくらいの邪悪な笑みだった。今まで無表情だったカインだからこそ、そのおぞましさは計り知れないものだ。
「い、言っておくけど、馬鹿の一つ覚えの魔道具じゃ、私を無力化なんて出来ないわよっ!」
生理的嫌悪が勝って、私は虚勢を張る。
「確かに貴女の身体には傷つけることは出来ませんが、周りはどうでしょうね。お友達が死んでいくのを只、黙って見ていることしか出来ない貴女の精神がどれだけ持つことやら」
「なっ!」
カインの言葉に私はマリアとスノーを見、二人は身構える。
「おっと、全員動かないでくださいね。一歩でも動いたらここにはいないあの女がどうなるか知りませんよ」
最悪スノーが迎え撃てばマリアが傷つくことはないと思っていたが、カインはその希望すら無しにしてきた。
自分なら突っ立っていても決して傷つくことはないだろう。だが、他の皆は違う。その時私は、オルトアギナの言葉を思い出した。
驚く程に脆弱で……愛おしかった……。
(彼もこんな感じだったのかしら。だとするなら、私はどうすれば良いの。二人が殺されまいと抵抗して代わりにテュッテが死んだら、私はその事実を受け入れられる? いや、二人に重荷を背負わせないように私が動いてテュッテを犠牲にする? それとも、無抵抗の二人を見殺しにする?)
私の中で結論が出ない問いが続き、それを許さないと言うようにカインが動き出した。
スノーとマリアはというと、カインを睨み付けるがそこから一歩も動こうとはしていない。もしかしなくてもカインの攻撃を無防備に受けるつもりだった。
「大丈夫よ、メアリィ! レベルダウンしても私は暁の聖女。あのド屑の攻撃なんて回復魔法で耐えてみせるわっ!」
『そうそう、こちとら神獣なのよ。私のポテンシャルを見くびっちゃ~困るわっ』
二人は私が葛藤しているのを察して声を掛けてくる。だが、果たしてそれはホントに可能なのだろうか。
(私が動かなきゃ……いや、でも、そんなことをしたら……)
「他人のためにそこまで……フッ、どこまで愚かなのでしょうね。なら、耐えてみせてくださいっ! そして、彼女に聞かせてあげなさい、貴女達の悲鳴をっ!」
「やめてぇぇぇっ!」
カインの感情が篭もっていない声と私の叫びが合わさって二人に杭が襲う。
それはマリアの太股を抉り、スノーの前足を貫き床に縫い止めていった。
『「っ!」』
二人とも歯を食いしばり悲鳴すら上げない。
(動けっ、動け、私っ! でも、でも、そうしたらテュッテがっ!)
これから先、このような光景が続けられたら私は正気を保っていられる自信が無い。それなのに私はまだ決められなかった。
(神様、私はどうしたら良いのっ)
無い物ねだりで神に縋る己の弱さに私は絶望し、自分がチート能力を持っているからどんなことがあっても大丈夫だと、どこかで楽観視していた己の浅はかさに後悔する。
と、遠くで誰かの声が聞こえたような気がした。私が今、とても聞きたいと願っていたその人の声が……。
反射的に私はそちらを凝視する。
それはカインが来た通路。静かで暗いその通路から所々に光りが差し込んでいる。
その光りの中にフラフラと現れた人影。
小さな神獣を大事そうに抱えて、おぼつかない足取り、それでも止まることなく前へ前へと歩き続けるその姿に、私の目頭が熱くなった。
「……お……お嬢様っ!」
私の姿を見つけてその人は私を呼ぶ。
「……テュッテッ!」
おそらく、今までで一番速く動いただろう。そして、よろける彼女をしっかりと支える。
「なっ、ば、馬鹿な……どうして……教皇様になにが……」
テュッテの登場に私以上に驚愕するカイン。
「テュッテ、テュッテ、テュッテ」
私はそんなこと無視して、感極まったまま彼女の名を呼び続けていた。
「フッ、形勢逆転ね。これであんたの強みは失ったわ。ざまぁみろっ!」
脂汗を滴らせ、自身に回復魔法をかけるマリアがカインを挑発し、笑みをみせる。
「なぜだ、なぜあの女がここに……」
「お嬢様、リリィ様が……それにノア様がまだ奥で……」
「うん、ちょっと待っててね。すぐに終わらせるから」
テュッテに出会えただけで、私の中にあった不安も葛藤も嘘のように綺麗さっぱり無くなっている。
テュッテを気遣い、壁にもたれさせると私はしっかりと前を、その先に立つ相手を見据える。
「そこの女、なにがあったのですっ! 教皇様は、教皇様はどうなさったのですっ!」
先程までの余裕はどこへやらあのカインが珍しく取り乱していた。
「教皇の心配より、自分の心配をしたらどうなの?」
私はテュッテから離れ、ゆっくりとカインへと歩を進めていく。
「くっ、仕方ありませんね。教皇様の許可も無く使いたくありませんでしたが、私自身の力を使い、貴女を無力化した後教皇様の元に向かうとしましょう」
私が近づくのを見たカインはすぐに冷静さを取り戻し、自分の指から魔道具を外し始めた。
「お得意の攻撃手段を外してどうするつもり? 今更命乞い?」
「フッ、確かに複製体ならこの魔道具が唯一の攻撃手段だったでしょうね。しかし、私は違います。私は過剰すぎる力を控えるために魔道具を仕方なく使っていたのです」
「過剰すぎる力?」
「そう、貴女はアガードという実験体をご存じでしょ? 私は何度も造られたあの失敗作どもを元に作られた完成体なのですよっ! 私の力は人知を超え、生物の頂点、竜すらも凌駕するっ! お見せしましょう、この私の力――」
ドゴォォォンッ!
カインがなにかをしようと身構えたとき、彼は轟音と共に天高くに打ち上げられ、神や天使が舞い降りているかのような美しい絵が描かれた豪奢な天井に頭からめり込んでいた。
そして、彼がいた場所にはいつの間にか私がアッパーカットしたポーズで着地する。
私の今までの鬱憤を乗せた渾身の一撃で、エインホルス聖教国で恐れられていた右席卿、カイン・アルハザードは天井に突き刺さったまま落ちて来ることはなかった。