聖教国へ
学園祭は後日続けられ、無事(?)終了したらしい。
らしいというのは、私があれから学園へ行っていないから分からないのだ。
あれだけの事件があったけれど死者はカムランなど聖教国側の人間でアルディア王国では怪我人が数十人出たくらいなのだそうな。
それも、暁の聖女が中心になって迅速に対処してくれたので大事にはなっていないらしい。
「というわけで、大方の治療は終わったわ。あぁ、今日も一日、いっぱい救済しちゃった♪」
「そこでうっとりしないでちょうだい。それよりも、ごめんなさい、私も回復魔法が使えるのに、参加しなくて……」
「良いのよ。今の貴女はとっても不安定だから、絶対やらかすわ。二次被害が出たらたまったもんじゃないもの」
現在、私はレガリヤ邸で外出禁止令が発動している。
国から直々の命令書ではないが、王子から言い渡され、父も母も事情を知って納得し、それに従っていた。
(確かに……あの時の私は危うかったわね……皆が体を張って止めてくれなきゃ、一人どこまでも突き進んで、聖教国の国境を実力行使で突破する所だったわ。そんなことをしたらどうなるのかも考えずに……)
私は自分の手を見る。
あの時、冷静な判断能力を失い、テュッテを取り戻さなきゃと、それだけに支配された私。
今は堪えろと止める皆を払いのけ、それでもなお邪魔をする皆を、実力行使でねじ伏せようとした手を……。
それでも、諦めずに止めてくれた皆の心と気迫に圧され、私は冷静さを取り戻すことができたが、皆にしたことへの罪悪感は今なお私の心に燻っている。
と、私はあの時の気持ちを思い出し、胸が苦しくなる。皆を傷つけた罪悪感もそうだが、それ以上にあの喪失感は思い出したくなかった。
(テュッテが……テュッテが側にいない……)
そう思うだけで、胸にポッカリ穴が開いたような、なにかが抜け落ちたような、言い知れぬ不安と悲しみが私を襲ってくる。
「メアリィ、大丈夫?」
レガリヤ邸の庭で報告がてらお茶していたマリアが心配そうに声を掛けてきた。
「へ? なにが?」
「涙……」
言われて、私は自分の頬に一筋の涙が零れ落ちていることに気が付く。
「あれ? なんでだろう……おかしいな……」
「回復魔法じゃ、心の傷は癒やせない……聖女としてなんたる無力なことか。あぁ、これも神様の試練ってわけなのね。あぁん、神様のい・け・ず」
「そこは恍惚じゃなくて、苦悩するところじゃないの?」
隙あらばダークオーラを放ちがちの私に、極力明るく振る舞ってくれるマリア。そんな彼女にツッコミを入れたのはノアだった。
現れるなりそっと私の手を握ってくれるノア。
テュッテが側にいないことでしばらくは情緒不安定になっていた私を、両親と一緒にノアは心配そうに見守ってくれていた。
(まさか、情緒不安定だったノアを介抱した私がそのノアに介抱されるなんて……お姉ちゃん失格ね)
「あっ、そうだ。王子殿下が来たよ。通しちゃったけど良い?」
一通り私の様子を確認した後、ノアは王子が来たことを告げる。
了承すると、程なくして王子だけではなく皆とエミリア、ルーシアさんの姿が見えた。
「あれ? エミリア。貴女、本国に帰っていないの? 大丈夫? エリザベス様、激おこじゃない?」
「フッフッフッ、伯母上に仕事を押しつけられたのを逆利用してな。現在は外交関係でここにおるという寸法よ」
「外交……」
その言葉を聞いて私の気持ちが落ちていく。あれだけ明るく振る舞っていたのに、どうしてこう気持ちの落差が激しいのか。自分でも上手くコントロールできない。
「メアリィ嬢、落ち着いて聞いて欲しい。昨日、聖教国側から王国側に白銀の聖女に対して正式な書簡が送られてきた。内容はメアリィ・レガリヤを正式に白銀の聖女として認可するからこちらへ寄こせ、と」
「寄こせって、出向くってことですか?」
「いや、そのままさ。レガリヤ家と縁を切り、王国を出て、聖教国の人間として献上しろと言うことだよ」
「シレッとまぁ、図々しいことじゃな。大方今後、聖教国がメアリィをどう扱おうと王国や周辺国が口を出せないようにするためじゃろう。まぁ、あれだけのことをしでかしたのじゃ。周りを黙らせる正当な理由の一つや二つ欲しい所じゃろう」
「もちろん、父上も母上も、キミを聖教国に明け渡すなど言語道断だとこれを突っぱねるつもりだ。そうなったら、向こうは聖女を私物化しているとかなんとか言って奪還するのだと第三次聖戦を起こす可能性までボクは考えている。そんな馬鹿なと思うけど、あれだけの騒ぎを起こした後では、それも辞さないと思っている。それでも、父上達は拒否するだろう」
「でも、そうなったらテュッテはっ!」
気持ちが抑えられないのか、自分でも驚くほど声が大きくなり、私は荒々しく席を立つ。
「利用価値が無くなり、なにをされるか分からない。最悪、殺されて送り返されるか、あの男のことだ。それ以上に実験体として神獣達のような……」
王子の容赦ない言葉に私は立ったまま王子を見る。どんな表情をしていたのだろう。皆が息を呑むのが分かるが、それでも王子は気後れせず私を見つめてきた。
「そうならないよう、キミが王族を説得するか、聖教国へ自ら亡命するか、その選択肢も含まれている。残念だけど、テュッテの件はすでに母上にも周知されているから、キミにそのような行動をさせないように動くだろう。キミとテュッテを天秤にはかけられないから……」
「それはテュッテが平民でっ、私が貴族だからですかっ!」
貴族と平民の差。それは重々承知していたはずだが、今の私にはそれを許容する覚悟がなかった。どこまでも未熟でお子様な自分に怒りなのか悲しみなのか、よく分からない感情が入り交じって頭がおかしくなりそうだった。
ノアが震える私の手を握ってくる。彼女が握ってくれなければ、そして咄嗟にマギルカ達が側にいてくれなければ、私は机を隔てて座る目の前の王子に対して不敬極まりない行動を起こしていたに違いない。
「そうだね。王族としてはどうあってもそう動くのが正解なんだろう。だけど、困ったことに共に行動してきた仲間としてはこれを承服できないんだよ。テュッテもまたボクが目指す王国の民であり、同じだ。そこに差異をつける気はないっ」
王子が真剣な眼差しで私を見据えながら、きっぱりと言う。その言葉は幼い頃、ジャイアントスネークに襲われた際に王子が言った「自分も皆も同じであり、民に違いは無い」という言葉に似ていた。だが、その言葉の重みはあの頃とは違っており、私は冷静さを取り戻すように座り直して、王子の言葉を待つ。
「とはいえ、こんなに豪語しといてなんだけど、今回はキミが成す為の道を裏で作ることしかできない。さらに共に行けず、結局、最後はキミ頼みになるのが悔しくてならないよ」
「そんなことありません、レイフォース様……」
「レリレックス王国もまた、全面的に王子を支持するぞ。シータのいるカイロメイアも引き込んで周辺国にも聖教国への不信感を増長させ、切り離そうと思っておる。そこは長年伯母上が上手くやってくれていたのを利用するがな。そのため、すまぬが妾も王子と共に今回加勢はできぬ」
「エミリア……ありが――」
「さて、話は本題に入ったということで、私が登場よっ!」
私がしんみりしていると、今まで黙っていたマリアが真打ち登場とばかりに嬉々して会話に参加してきた。エミリアが不服そうな表情でマリアを見ると彼女の後ろに控えていたルーシアさんが平謝りしていた。
「王子と協議した結果、メアリィは本国に戻る私達聖女団に混じって国境を越えて貰うわっ!」
「え? それって密入国じゃ?」
「だぁいじょうぶよ。あいつらは私達の団に機関の連中を潜り込ませるために非正規に関する人員の規定を緩くしているから、そこを逆に利用させて貰うわ」
「でも私、聖教国の人間じゃないんだけど」
「その点は大丈夫です。メアリィ様は回復魔法が使えるということで、聖女団の規定に則り、数が減った聖女団の臨時団員として一時的に雇う形にこじつけております。もちろん偽名で。連中が機関の人間を忍ばせ、他国で消えても大丈夫なように偽名や偽装のやり口が今回の件で明るみになりまして、それを利用させてもらいました」
「もらいましたって、ルーシアさん。笑顔が怖い」
「まぁまぁ、そういう細かい裏事情の誤魔化しは残った人間に任せておけば良いのよ。私達の役目は只一つ、テュッテを取り返すことよっ! 後ついでに枢機卿と教皇もぶっ飛ばぁぁぁすっ!」
狼狽える私を置いて、マリアが興奮するように握り拳を振り上げた。
「いや、ついでにぶっ飛ばしたらダメでしょ」
「ううん、貴女になにを求めているのか分からないけど、あいつらの目的は貴女よ。ここまで騒ぎを起こし、貴女に拘っている以上、どうやっても貴女を手に入れに来るでしょう。それこそ力ずくで……なので、テュッテを早急に確保し、これ以上手出しできないよう叩ぁぁぁきのめして結構よっ」
「いや、でも、それって大丈夫なの? 相手は教皇と枢機卿だよ? そこら辺の機関の人達とは訳が違うんだから」
「ええまぁ、事が荒立たなきゃ良いけど、もしもの場合は私が裏方になるから。貴女は貴女のすべきことをやりなさいっ!」
不安がる私にマリアが元気よくサムズアップしてくる。
「裏方って……マリア、貴女なにをする気?」
「はい、私の話は終わり。王子、後はよろしくね」
私の質問にマリアがはぐらかして、席を立つ。
「ああ、分かった。さて、おおよその話が終わった所で、メアリィ嬢、申し訳ないが明日にでも行動を開始して貰いたい。できるかな?」
「え? あっ……急ですが、とにかく準備します」
「私も手伝うよ、お姉ちゃん」
「ありがとう、助かるわ、ノア」
「じゃあ、マギルカ達は今晩こっちに泊まって、明日お見送りしてくれると嬉しいかな」
「え? い、いえ、私達は一緒にっ」
私が皆を置いていく発言をしたのが驚きだったのか、マギルカが慌てて私に詰め寄ってきた。
「ううん、ダメよ。今までは栄滅機関の人達が侵攻してきて、それを私達が撃退したという形だったけど、今回は私が私情で侵攻する側だし、相手が相手だもの……最悪を考えて皆にそこまで無茶させられないわ。レイフォース様も言ってたよね? 今回は共に行けないって。それはマギルカ達も含まれているんだよ。そうですよね、レイフォース様?」
「……相手はあの枢機卿だ。ボクは父上達の判断を長引かせ、あちらに不審がられない程度に時間稼ぎをしたい。メアリィ嬢が行動しやすいようにね。そのためにボクはここに残る。それに、ルーシアさんの調べで枢機卿が今回新たに斥候をこちらに潜り込ませたのを確認している。それを逆手にとってメアリィ嬢が学園にいる、もしくは家にいるように皆で偽装してくれるとありがたいんだけど……」
「ほら」
「で、でも、メアリィ様を一人にさせるなんて……」
王子の言葉にマギルカの意志が揺れるが、どうしても今の私を一人にするのが心配らしかった。
「大丈夫だよ、私も付いていくからっ! それにスノーだって」
渋るマギルカにノアが援護射撃してくれたが、それはそれでどうなんだろう。ノアもスノーも容姿的に目立ちそうなのだが……。
『まぁ、あたしゃ、人間の国境なんて関係無しにノアと一緒に空から越えていくから大丈夫よ』
離れた所で私の様子を見守っていたらしいスノーの声が頭に届く。
『私とノアはニケに色々思う所があるわけでさ。それに私達ってば今の所、国だの世論だの政治だのとは縁の無い存在だし、大丈夫よ』
「ありがとう、スノー」
聞こえるか分からないが、とりあえず感謝の言葉を口にし、いきなり脈絡の無いことを言い始めた私にマギルカが一瞬キョトンとする。
「ああ、ちょっとスノーと話してたの。一応私、一人じゃないみたいだし、奴らを欺くために私を偽装してくれてたら助かるわ」
「…………」
「ねぇ、マギルカ。お願いよ」
「……分かりました。不肖ながら私がメアリィ様になりすまして」
「いや、それは無理だろう。体型的に」
「ザッハさん、それはどういう意味かしら?」
せっかく良い雰囲気だったのに、ザッハからのノンデリ発言で私の情緒が不安定になるのであった。
(そう今は情緒不安定なのだ。決して体のとあるパーツの違いに激おこになっているわけではない。ええ、ええ、なっていませんとも、な、なってないやい)
翌日、まだ朝日が上っていない頃、私達は密かに出発することになった。
「では、行ってきます。お父様、お母様」
玄関ホールでわざわざ待っていてくれた両親に挨拶する。
「あの、お父様。昨晩も話したのですが」
私が躊躇いながらも昨日の晩の事を再度確認する。
私は最悪の場合を考慮し、もしも王国に、延いてはレガリヤ家の立場を悪くするような事態に陥ったら、縁切りもやむなしと両親に伝えた所、酷く叱られた。
いつもあれだけ甘々な父が私の弱気な発言に乱暴気味に異を唱え、常に冷静で私の味方になってくれた母もこればかりは父と同じく私を窘めてきたのだ。
その上でテュッテを見捨てるようなことはしないと父は言った。
戦争ならば受けて立つ。その方が取り返し易いと笑いながら豪語する父はとても頼もしく、憧れだった。
だからこそ、私のこの軽率な行動によって周りが被害を被って欲しくなかった。
(なのに、私は助けに行くことを諦められないなんてね……矛盾にも程があるわ)
「その話は終わった。メアリィよ、レガリヤ家の『嫡子』として己が正義を貫くのだ。そして、一度戦となったら敗北は許さぬ」
「……はいっ、お父様」
父フェルディッドの堂々たる物言いに感化されて、私は背負っていたリュックをかけ直し、背筋を伸ばす。そんな私を優しく抱き包むのは母アリエスだった。
「テュッテがいないから、私は貴女の生活面、それだけが心配よ。聖女様の言うことをちゃんと聞いて生活面で横着しないようにね。貴女は隙あらば怠けるから……後、変なモノは口にしちゃダメよ。貴女、子供の頃から初めて見る物の最初の感想が『これ、食べられるのかな』だから」
「お、お母様、皆がいる所で恥ずかしいこと言わないでよっ」
母の言いように恥ずかしくなって、私は両親以外に控えていた皆を見れなくなった。
ハグしている母から逃げるように離れ、私は玄関に向かう。
そこにはいつも私を助け、共に歩んできた友人達がいた。
「こちらのことはボクらに任せて、キミはキミのやるべきことに集中し成し遂げてほしい」
「はい、レイフォース様。それに皆……」
一度言葉を切り、私は皆を見回す。
「行ってきます」
そうして、私は玄関を出て、外で待つマリア達と合流……。
「あれ? マリア達は?」
外で待っているはずのマリア達がおらず、私は狼狽える。
そうしていると、重そうなリュックを背負ったノアを背中に乗せたスノーがのそのそとなにかを咥えてこちらに歩いてきた。
「……マリア、なにしてるの?」
襟元を咥えられてぶら下がっているのはマリアだった。
「すみません。この子ったら、困っている人の匂いがするっとか急に言い出して、持ち場を離れるものだから、慌てて取り押さえに行きまして」
すまなそうに隣を歩くルーシアさんが捕捉してくれる。あまりの締まらなさっぷりに、先程までの空気はどこへやら、溜息一つで緊張が解けていくのが分かった。
離れた所で見送っていた皆も、なんとも言えない表情でこちらを見ている。
(まぁ、これが私なのかもね……)
気合いを入れ直し、私は皆に手を振る。
(待っててね、テュッテ。もう少しだけ耐えて……すぐに迎えに行くから……)
私は皆から背を向け、空を見る。
目指すは、エインホルス聖教国。