神獣
「に、日本語……」
色々驚くべき要素がノアの中だけで起こっているが、一遍に考えられないので一つずつ処理していく。
カインが発したあの言葉はアクセントやイントネーションが滅茶苦茶だが確かに日本語だった。
教えられた言葉を意味も分からずそのまま音として発しているようなカインの日本語は彼があちらの世界の住人ではないことを物語っている。
カインの言葉を鵜呑みにするなら、教えたのは教皇、ニケ・キーリクス。
その結論に至ると、あのニケは転生者であったということになる。
それが事実なのかとノアは自身の記憶を探り確かめようとする。
とその時、ノアの曖昧だった過去の記憶の一部が紐解かれた。
そう、自分が初めて人に出会ったあの時、ノアは日本語で「誰?」としゃべりかけていたことを……。
そんな彼女にニケはなんの躊躇もなく自己紹介を始めていたことを……。
なぜ誰も分からない二人だけの文字だとアガードに教えておいてその手記を隠させたのかを……。
だが、メアリィの話ではあの時ゼオラルにいたニケは手記の文字が読めなかったと言っていた。
「複製体、だから……」
ノアは自分で結論を出して絶望する。
あの悪夢は終わっていなかったのだ。
白銀の鎧と出会い、アガードを作り、魂を移動させノアを生み出した張本人、あのニケは健在だったのだ。
「ノア様?」
耳元で優しい声が囁いてくる。
テュッテが心配そうにこちらを見ていた。
そこでノアは自分がかなり怯えた表情をし震えていたことに気が付く。
「光が収まった?」
続いて王子の言葉にノアは目の前の装置に意識を移す。
確かに、あれだけ眩しかった光が収まり、周囲が暗くなっていた。
だが、ノアと皆とでは一つ差異があった。
透明な容器の中、何かの物体が浮かんでいるその中心部がほんのりと未だ光っているのだ。
「テュッテ、あそこから一切光は見えなくなったの?」
「はい……全く」
急に暗くなって目が慣れておらず、装置の中央に浮く物体がなんなのか今一分からなかったが、皆次第に目が慣れ、それが見える。
そして、誰もが息を呑み、その場が凍り付いた。
首だ。
蛇、豹、鳥、様々な頭がグチャグチャに混ざり合って一つの塊として容器の中に浮いていたのだ。
「しんじゅう……」
ここでノアは先程カインが口にした日本語の認めたくない部分を目の当たりにするのであった。
「ホゥ……これが神獣だとよく分かりましたね。正解です」
全く感情のないカインの言葉が現実となってノアの心に突き刺さる。
『正解ですじゃないわよぉぉぉっ!』
この光景を見て冷静でいられるほどスノーも無感情な生き物ではない。
地を揺るがすような咆哮を上げ、カインへと飛びかかっていった。
と同時にカインのもう片方の手が動く。
すると、見えない障壁がスノーの前に現れ、彼女を後方へ弾き飛ばした。
「杭だけじゃなく、障壁まで……」
あんなチート能力の道具が二つ、量産されていることにノアは驚愕を隠せないでいる。
「やれやれ、実験体にもなれなかった出来損ないの神獣がよく吠えますね。暴れすぎて洞窟が崩れたらどうするのです?」
スノーの攻撃など全く意に介さず、カインは唸る彼女を冷笑する。
「実験体にもなれなかった?」
「そのようですよ。教皇様は研究のために神獣や精霊に手を出したそうです。もっとも、精霊は癖が強くてなかなか捕られることが出来ず、手っ取り早くその下位互換である神獣を乱獲したそうです」
「乱獲?」
「気が付きませんでしたか? なぜこの大陸には神獣の存在が謳われているのに全く見ないのか? ほとんどの神獣は教皇様の手によって捕獲されたのですよ。あぁ、自然現象をも御する神獣達すら制する存在、それがあの方なのです」
カインの話通りならそれは一人間ができる範囲を越えていた。
それ程に教皇は、いや、ニケは人知を越えた存在なのだろうか。あまりに強大で異質すぎる。
「そして、そこな出来損ないは豹の神獣が自身の存在をグチャグチャにされる前に核を分離させたカスのようなものなのです。フッ、何も知らず神獣としての能力も微々たるモノで、長く我々に使役されるだけの無能になろうとは無駄なことをしたものですね」
「アルハザード卿っ! あなた自分がなにを言っているのか分かってるのっ! 神の使いである神獣様になんてことをっ!」
神への感謝の表現があれな聖女様であるが、マリアにとって神はそれこそ神であり、その御使いである神獣はとても尊い存在であろう。そんな神獣にあんな惨いことをした教皇、そして、それに対してなんとも思っていないカインにマリアは激怒する。
『な、なん……私が、私達が……そんな……』
あまりの衝撃にさすがのスノーもヨロヨロと後ろによろめき出す。もっと否定的に激怒するモノかとノアは思っていたが、意気消沈し否定しない所を見ると、思い当たる節があるのだろうか。確かにスノーは神の獣にしては威厳もなく、その力も天地を揺るがし、自然を操るような存在ではないとノアも思う。だからといって、彼女を下げる言い方は腹が立って来るし、悲しくもなって来るというものだ。
「スノー……」
「……い、一体、なんのためにこんな惨いことをしたんだぁっ!」
驚くことに、ヨロヨロと後退するスノーに変わってカインの嘲笑に激怒する王子がいた。
彼が人前でここまで怒りを露わにする所をノアは見たことがない。それもそのはず、王子にとって目の前の神獣達とは縁はなかったが、スノーという神獣とは長く共に冒険してきた仲であり、そんな彼女を卑下し、あまつさえ同胞達をあのような状態にして笑っているのだから、怒るなと言う方が無理だろう。
「なんのため、ですか? 先程も言いましたよ? 全ては教皇様が目指す神域に至るためっ! あの方はより高度な段階へと進まれたのですっ! そうっ、魂の段階ですっ!」
なにかのスイッチが入ったのか、あれだけ冷静だったカインの様子に違和感が出てくるほど彼は心酔したように熱く語り始める。
「魂?」
「魔族や神獣、妖精や精霊。これらの者達は我々とは根本的な肉体構造、いや、存在構造が違うのです。特に神獣や精霊達は物質よりも魔力、魂に近い存在なのだそうですっ!」
ここが戦場だというのに急に雄弁に語り出すカインの姿にノアはニケの姿が重なり、ゾッとする。
「しかし……教皇様が求めるモノが全て紐解けたわけではなかったようで。このまま廃棄しても良かったのですが有効利用しようとお思いになって、その力を一つにまとめ、より大きな一つの力を我らに授けてくださいました」
「ゆ、有効利用?」
「大きな一つの力?」
激昂した二人との会話を全く成立させないくらい一方的な熱弁が終わったようで、カインは急に冷めたようにいつもの無表情へと戻っていった。
急に饒舌になったカインの話について来れないノアだったが、王子は最後の意味深な言い回しにハッと気が付き、後ろを振り返る。
「この雨とその装置は関係している?」
王子が見た先、ノアの視力で見えたのは洞窟の出入り口、そこは光が差し込み明るくなっていた。五月蠅かった雨音も今は全く聞こえてこないことから、あれだけ降っていた雨が一瞬で止んだということになる。
「殿下、雨が止んでますっ」
「装置を止めたと同時に……タイミングが良すぎるよね。やはりその装置は……」
「フゥ……勘が良くて説明する手間が省けるのは宜しいのですが、要らぬ事まで理解されると目障りですね」
否定しない所をみると王子の考えは強ち間違いではないようで、ノアはその推察力に驚きを隠せないでいる。
とはいえ、装置を止め雨が止んだからといってこちらが有利になったわけでもなく、むしろスノーの精神が不安定になって戦力にならなくなっているかもしれない。向こうにあの魔道具がある以上、こちらから下手に出ることが出来ず、お互い距離を取って膠着状態が続く。と、ここでノアはじりじり動き続けた自分達が洞窟の奥側になっていることに気が付いた。
「まさか、そこな神獣の所為でここに来られるとは予想外でした。おかげで『検証』のための十分な用意が出来ていません。この場は引き、仕切り直しといきましょう」
ノアの気付きと同時に引くと公言するカイン。
やたら饒舌だったのはこのためだったのかと焦るノアを前に王子は冷静に会話を続ける。
「検証? まさかその装置のことを言っているのかい?」
「これはとうの昔に完成していますよ。これには随分とお世話になりましたからね、そうでしょう? 暁の聖女よ」
王子の探りにカインが乗り、意味深な言葉をマリアに投げかけてきた。
急に話を振られて何のことだが全く分からずポカンとするマリアの後ろで、その言葉の意味をルーシアがすぐ様気が付く。
「まさか聖女団が救済に向かった水害のほとんどが今回のような流れでっ」
「なっ、なによそれぇっ! それが本当なら私達は自分で起こした災害を自分達で処理しに行っているってことぉ? 周辺国はいい迷惑じゃないっ!」
それが事実ならなんたるマッチポンプなのだろう。いや、全てがとは言わないが、現に今その状態になっているのだから否定は出来ないことくらいノアでも分かっていた。
「じゃあ、こんな大掛かりなコトしてなにを検証しているって言うのよっ!」
「今回は特別なのです。そして、貴女達が知る必要はありません」
「検証があの装置ではないとするなら……さっきボクらの行動を監視しているような口振りだった……でも、ボクらの動きは把握していなかったということは、見ていたのはあのモンスターか、それともメアリィ嬢達か……」
「……ほんと、察しの良い輩は嫌いですよ。さすが、と認めましょう。今まで我らの邪魔をし、よく白銀の聖女の存在を隠してきました」
ここに来て急にカインから白銀の聖女の名が出てきてノアは驚く。
そして、話は終わりだと言わんがごとくカインの手が動く。
カインとノア達の間に大きな杭が無数に屹立し、天井を貫いた。
「「「なっ!」」」
カイン以外、敵ですら驚愕の声をあげる程の愚行。次々と隆起する杭が深く刺さり、天井の岩盤に亀裂が走って周囲へと広がっていく。
そして、大きな音と共に天井が一斉に崩れ始めた。
「ここでの検証はダメになったので、自身の持つ能力をふんだんに使える舞台を別に用意しなくてはいけません。なるべく被害が大きくなる所が……」
天井が崩落し、大きな地響きが鳴る中、障壁に守られ余裕を見せるカインの言葉をノアは聞き逃さない。
「まぁ、目障りな観客達はここで退場してもらいますが」
カインの言葉の意味を理解した瞬間、テュッテだけでも守らなきゃとノアは彼女を視線だけで探す。
ノアはまだレガリヤ家の一員として正式に認められていないし、教育も受けていないので王子よりテュッテを優先するのは致し方なし。
それ程、切羽詰まった状況であり、崩落を食い止める暇はなかった。
自分の丈夫な体を盾にすればもしかしたらと咄嗟にテュッテを庇おうして、逆にこちらに来たテュッテに有無も言わさず覆い被さられるノア。
「ち、違うっ! 私が守るの」
『皆、私の所に集まってっ!』
想定外のテュッテの行動に驚き慌てるノアの頭の中にスノーの声が響く。
「皆っ! スノーの側にぃっ!」
どうすれば良いのか分からずにいた皆がノアの言葉に従いスノーに走り寄る。
そして、洞窟は轟音と共に崩れていくのであった。