暁の聖女
ホセ・クラーク男爵の領は、北方の山岳地帯に隣接し、山や高地を利用した高原野菜や酪農を中心としたのどかな村であった。
とりわけこれといった特産物はないが、あえて特徴的なことを取り上げるとしたら、男爵を含めた村の人々が聖教の敬虔な信者であることだろうか。なのに、周辺の領に比べて活発に聖教国との交流があった記録がないのも不思議なモノだ。
そんな村に水害が出たとのことで、私達は現地に赴いている。
「嫌な天気ですわね。小雨になって、もうすぐ止みそうですが、もしかして未だこんな感じで降り続けているのでしょうか?」
村に近づくにつれて雲行きが怪しくなったかと思えば、今はパラパラと小雨が降っていた。道が泥濘み、村にはもうすぐ着くのに馬車も一時停車している。
「どうしたの、スノー?」
馬車と併走していたはずのスノーが村から距離を取るように後退し、マギルカやノアと戯れていたリリィも落ち着かない様子になっていたのに気が付き、私は馬車の窓を開け顔を出しスノーに話しかける。
『なんか嫌な匂いがするというか……雨が……とにかく、私達は村から少し距離を取るわ』
「え? どういうこと」
『わかんない。でも、こぉ~、ゾワゾワするのよね~』
スノーには珍しく、曖昧に返答すると私達から離れ、馬車の扉をカリカリと引っ掻くリリィもまた外に出してあげる。
「スノー様やリリィはどうかしましたか?」
一部始終を見守っていたマギルカが皆を代表して聞いてくる。
「いや、私にもよく分かんないんだけど、あんまりあの村には行きたくないらしいわ」
「スノー殿が行きたがらない、か……これはもしかしたら……」
私の答えに王子が口に手を当て思案する。
「いや、行ってみれば分かることだね。村もすぐそこだし歩いて行こう」
マイペースな王子には珍しく急いた感じで馬車から降り始めた。
私も続いて馬車から降りると、頬に雨の雫が当たる。
(うっ、冷たっ……はて? 何だろう。スノーが言ってたゾワッとした感じがするような……いや、雨に濡れたからかしら?)
私が不思議に思って小雨の空を眺めるていると、それを隠すようにテュッテが傘を差してくる。
「ありがとう、テュッテ。フフッ、二人一緒だなんて相合い傘だね♪」
「あいあいがさ? なんのことだか分かりませんが、私は差すだけで入りませんよ」
「え~、一緒に傘の中にいようよ~」
立場というモノがあるのは分かっているが、どうしてもテュッテに対しては家族のような身分をとっぱらった対応を求めてしまう甘々な私。
と、私しか分からないだろう相合い傘にテュッテが首を傾げると、プクッと頬を膨らませたノアが私の腰にしがみついてくる。
(あら、ノアは相合い傘の意味は覚えていたみたいね。もしかして焼いてるのかな。んん~、可愛いぃ~)
可愛い妹の焼きもちと思った私はしがみつくノアを愛でるように優しくナデナデする。
そうしてノアとテュッテ、三人で入る入らないの問答をしながら、私達は村へと歩いていった。
程なくして村に到着し、その中央、大きく広がった広場には王国から来たのだろう一団がいた。
「あれって……」
その中で見慣れた人物を見つけて私は反射的にザッハを見る。
「父上が来ているということは、派遣されたのは近衛騎士団?」
「軍を動かすよりかは大事にならないだろうね。それにボクが来たことでその役目も成り立つ。母上もそれを考えてボクに伝令を送ったのだろう」
ザッハの問いに王子が答えると、私達に気が付いてクラウスさんがこちらに来た。
「殿下……申し訳ありません。村で一番高い位置にあった男爵邸が土砂災害を酷く受け、現在一家全員行方不明とのことです。それと、王妃様が懸念していたよりも早くあちらに要請が出ており、向こうの対応も早かったようです。現在、救助活動の指揮はあちらが進めております」
クラウスさんが現状の報告をしているのだろうが、一部だけ災害に対しての報告には思えないものが含まれている。どういうことだろうと王子を見てみれば、難しい顔をして広場の近くに建てられた立派な教会を見ているではないか。
釣られて教会を見ると、村人や騎士団とは違った見慣れない風貌の人達、修道士とか修道女のような出で立ちをより機能的というか、動き易いデザインにした人達が教会内外でなにやら作業をしていた。
「……『救済の聖女団』か。教会辺りが独断で聖教国に要請したのだろうけど、確かに対応が早いね。まるで双方示し合わせたような……」
救済の聖女団といえば、聖教国の組織なのに、救護のためなら許可なく国境を越えることが出来るという団体のはずだった。聖教国というワードに私はハッとなって周囲を警戒する。
誰よりも早く被災地に赴き、怪我人を治療し、救助している人達に大変失礼なのだが、聖教国絡みとなるとどうしても警戒心を拭うことが出来ない。
(もしかして、スノー達が落ち着かなかったのは聖教国の人間がいたから……う~ん、距離まで取って警戒するような事かしら……)
自分の考えに首を傾げていると、皆もあの聖女団を見て驚きはしたが、無警戒な人間はおらず、どうすれば良いのかととりあえず距離を取り様子を伺っていた。
と、あちらも王子の存在に気が付いたのか、動きがあったみたいで、こちらに向かって黒髪の女性が歩いてくる。
「私は救済の聖女団、副団長の『ルーシア・セリス』です。失礼ながら、そちら、アルディア王国第一王子、レイフォース殿下とお見受けしますが?」
その問いにクラウスさんが動き出そうとして、王子が手で制す。
「ええ、そうです。他国のことなのに迅速な救援、不在のクラーク男爵に変わって感謝します」
「いえ、こちらも想定外の被害だったので、マリア団長が満足のいく救助が出来ず、団員達も振り回されているところです」
相手が王子だというのに全く物怖じしないルーシアさんの胆力に感服していたのに、最後の方で掛けていた眼鏡を直しながらドッと疲れたような雰囲気になって「あれ?」となる。
「マリア団長とは……もしかして『暁の聖女』殿ですか?」
「はい……殿下が来ているというのに、あの子ときたら、そんなことより救済よって物資を考えもなしにぃ……」
ルーシアさんの眼鏡が曇り、なんかだんだん愚痴になってきているようでハラハラしているのは私だけではないだろう。
「え、えっとぉ……聖女殿に会うことは出来るのかな? 現状の把握と今後について話し合いたいのだけど」
ルーシアさんの変わりように、王子も形式張った口調が崩れていく。
「あっ、それはもちろん。本来なら首根っこ掴んででも連れて来なくてはいけないのですが、自分が救済するんだと聞かず……」
それだけ言うと、案内するようにルーシアさんは教会に向かって歩き出した。
私達はその背に着いていき、教会内へと入っていくと、そこには数人の怪我人を見ている団員の人達がいた。
どの人も回復魔法を行使しており、聖教国の回復術士の充実さが垣間見える。
「団長っ! その子の治療は我々でもできますから、いい加減副団長の所へ行ってくださいよっ!」
「うっさいっ! 私が救済するんだから邪魔しないでよねっ」
茜色の髪の女の子が団員と口喧嘩している。
彼女の前には子供が一人、その剣幕に若干引いているみたいだった。
(というか、あの子供どこか怪我をしているのかしら? もしかして、あの膝小僧の擦り傷?)
私の予想が当たったらしく、女の子は子供の膝に手をかざした。
「ヒールッ!」
言葉と共に怪我をした所が光に包まれ、傷が癒えていく。
どんな小さな事でも自ら先陣をきって治療にあたる。しかも、部下の負担を減らすべく自ら率先して仕事をするなんて、とても素晴らしいことではないだろうか。
私だって、怪我人がいっぱいいたら、手当たり次第回復して回っていたかもしれない。
その心意気に共感し、感心して見守っていれば、治療が終わった後、女の子は左右から両手で薄桃色に染まった頬を包み、恍惚とした表情を浮かべていた。
「あぁぁ、神よぉぉぉっ。私はまた、人を救済しましたぁぁぁっ!」
「「「…………」」」
(いや、なんか私の思った共感と違うような……)
女の子の素振りは皆も見ていただろうに、私同様、皆ノーコメントを貫くようだ。
「お姉ちゃん、変態さんがいる」
「ちょっ、ノッ」
このまま見なかったことにして話を進めようと思っていた矢先、思ったことを口に出す癖があるのか、ノアが純粋無垢な表情でポソッと私に言ってくるではあ~りませんか。私は慌ててノアのお口を手で塞ぐと、そぉ~と周囲を見回す。
皆は聞かなかったことにしてくれるのか私と視線を合わせることはなく、ルーシアさんに至ってはニッコリ笑って頷いたかと思うと、なにも言わずに今なお恍惚としている女の子に足早に近づいていった。
そして、有無も言わさず脳天に軽くチョップを喰らわせる。
「あいたっ! って、なにするのよ、ルーシア。私は今、神に祈りを捧げている最中なんだから邪魔しないでよ」
(あの恍惚ポーズが神への祈り?)
「この残念な、オホンッ、え~、こちら、我々救済の聖女団団長のマリア・ウィルです。団長、あちらはアルディア王国のレイフォース王子殿下と御一行です」
もしかしたらと思ったが、あのちょっと変態チック、じゃなくて、独創的なテンションの女の子が周辺国で有名な暁の聖女、マリア・ウィルその人であった。
「あらそうなの? マリアよ、よろしくねっ!」
(えらくフレンドリーというか、他国の王子に対して随分と気安い感じね。聖教国もレリレックス王国みたいに緩いのかしら?)
ふと、私は今まで会ってきた聖教国の人間を思い返してみたが、どれも栄滅機関という闇部隊の人間ばかりでこういったお偉方に会ったのは初めてかもしれない。
「ハッ、もしかして私から救済を取り上げようってんじゃないわよねっ! 嫌よっ、ここは私がもう仕切っているんだから最後まで私が責任を持ってっ、あたっ!」
なにも言っていないのに、勝手に変な解釈をして勝手に突っかかってきたところを、後ろからルーシアさんに後頭部をチョップされる聖女様。
もしかして、マリアのあの誰が来ようと物怖じしない態度は他国を渡り歩いた結果、身に付けた処世術なのだろうか。
もしくは、私達より年上に見える只の駄々っ子なお子ちゃまか……。
「こちらとしては、現在の状況を把握し、今後のことを話したいのだけど、良いかな?」
さすがは王子。エミリアとか変な要人達と接してきた彼の胆力はあの程度の個性で揺らぐことはなかった。
「その点については、私も同席して宜しいでしょうか? レイフォース王子」
私達から少し離れた所から話しかけてくる男の人の声がする。
その人を見た王子の表情が一瞬強ばり、マリアは露骨に嫌そうな顔をした。
「申し遅れました。私はカイン・アルハザード。今回聖女団の査察のため、同行させていただいた者です」
「……カイン・アルハザード……もしかして、枢機卿の……」
少し距離を空けて王子達の後ろに控えていたマギルカが驚き呟くと、現れた男の人がとんでもない要人であることに私は緊張する。
「す、枢機卿ってあれよね。聖教国では教皇に次ぐ権利を持っている人でしょ。なんでこんな所に?」
緊張のあまり、ついつい隣にいるマギルカに私は小声で話しかけて、今一度カインを確認した。
その小声に気が付いたのか、タイミング悪く私とカインの目が合い、私は慌てて視線を逸らす。
それでも私を、いや、私とマギルカを見つめるカインの視線に私の背筋から汗が垂れてくる。まるで蛇に睨まれた蛙状態だ。
と、私達とカインの視線の間に王子が入ってくる。
「救済の聖女団は政治に関与、及び、利用しないという取り決めでその活動を他国から許可されている。貴方は救助ではなく査察、言わば別組織から政治的な理由で付いてきているからその申し出は受けられない」
今まで見たことがないくらい王子が強い言葉遣いで相手を拒否してきた。
「はて、そんな取り決めあったでしょうか? そちらが決めたことで聖教国は承諾していなかったと思いますが」
王子の指摘に無表情でシラを切ってみせるカイン。
「だが、異を唱えてもいない。それは過去、聖教国が聖女団に対して関与しないという意思表示のはずだが? まさか、歴史をお忘れか?」
それに対し、王子も感情的にならず言葉を続ける。
カインが聖教国と大きな括りでしゃべっているのは、暗に聖教国に楯突いてもよろしいのか? と圧を掛けているのだろう。それを突っぱねている王子の堂々たる様や。
(昔のチャラチャラした時の王子とは大違い)
「なるほど……この短期間で懸念した通りになりつつあると……」
「なにか?」
「いえ、こちらの話です。こちらとしては形式に則って発言したまでなので引きますよ。ああ、今後の話の件はそちらで好きに話し合っててください。」
終始無表情のカインが興味を失ったのか、あるいは次なる手を考えているのか、とにかく、この場を引いていく。
「なんだったのかしら……」
「さぁねぇ、嫌がらせなんじゃない?」
ノアのことをどうこう言う資格のない私は、彼女と同じように思ったことをポロッと口に出し、近くにいた人が私の独り言に答えてくる。
マギルカか誰かかと思いきや、その人はなんとマリアだった。
「ちょぉ~と、自分だけ特別だからってお高くとまっちゃってさぁ。なにもかも自分の思い通りになると思ったら大間違いよっ! キャハッ、ハブられてやんの、ざまぁぁぁっ!」
はたしてこれが同国の者、しかも枢機卿に対して言って良い台詞だろうか。私が言ったら大問題である。いや、私じゃなくても大問題だ。
「す、枢機卿に向かってそんなこと言って大丈夫なの?」
あまりの暴言に私は相手が聖教国の人間だということを忘れて心配になり聞いてみる。
「あ~、私とあいつは階級上は同じだから大丈夫よ。右席だかなんだか知らないけど、唯一教皇様に謁見を許されているだけで調子に乗りやがって。いやほんと、なんで『右席』だけ許されるんだろうね。どう思う?」
私が聞けばそんな内部事情までペラペラしゃべりだし、グイグイと私との距離を物理的にも詰めてくる聖女様。
(近い近い近い。お願い、ルーシアさん。チョップを入れてこの人止めてぇ~)
ルーシアさんをチラリと横目で見てみれば、絶賛王子と話し中でそれどころではなかった。
「そ、そそそ、それは~……えっとぉ~、神に愛され、神に最も近い存在が右側に座るという話とかから来ているんじゃないのかな~……なんて…… 」
初対面の私に寄って来てフレンドリーな圧を掛けてくるマリアに焦った私は、パッと思い浮かんだ記憶を使って、適当に誤魔化した。
「へ~、そうなんだ」
「いや、貴方の国のことでしょ。聞いてないの?」
「そうだったかも知れないけど、忘れたわっ!」
「あ、貴方ね~……」
ニパッと笑い飛ばすこの初対面の人との距離感をバグらせた聖女様に私は深く溜息を吐くのであった。
と、ゾワッと悪寒を感じて反射的に周囲を確認してみれば、距離を取っていたカインがまたこちらを見ていることに気が付いた。先程の無表情とは違って、目を見開き驚いているように見えて私は慌てて視線を逸らす。
(な、なんでまたこっち見てるのよ。も、もしかして私の独り言を聞かれていた、とかかしら。いや、そんなことで驚かれるのかしら? 聖女の話に驚く要素なんてあったかしら? 怒る要素ならいくらでもありそうだけど)
こんなことで国家間問題に発展でもした日にゃ、王子というか、お父様というか、とにかく各方面の方々に顔向けができない。
私の鼓動は高鳴り、滝汗出まくり状態である。
恐る恐るカインの方を見てみれば、彼は何事もないようにその場を去って行く所だった。
それを見届けると私は止まっていた呼吸を盛大に解放し、胸を撫で下ろすのであった。
□■□■□■
所変わり、カインは教会を出ると村から離れた聖女団の野営地、自分のテントに入っていた。
と、テント外で待機していた団員、あの執務室に最後まで残っていた男に声を掛ける。
「先程の話、聞きましたか?」
団員はスッと中に入り、そのまま入り口付近で跪く。
「……せ、聖女のいつもの戯言です。気になさる事では……」
聖女が暴言を吐くなど今に始まったことではないので、それを今更指摘してきたカインに団員は驚きを隠せず、言葉を詰まらせる。
「はあ? 聖女の話などしていません。あの白銀の少女の話です」
何を言っているのだとカインは跪く男を冷ややかな瞳で見る。
「も、申し訳ございません。聖女の話に気を取られて……」
団員から嫌な汗がにじみ出る。カインの意図を汲み取れなかった挙げ句、少女の話を聞いていなかった失態に団員の頭の中に粛正という文字が浮かんで体が震えた。
「……口封じとここまでの段取りに免じて許しましょう」
許しの言葉を聞けて安堵するどころか、次はないという裏の言葉に団員の緊張はさらに高まる。
「あなたは右席がなぜ特別か、知っていますか?」
と、今の会話と脈絡がなさそうな質問をカインがしてきて、団員は言葉を選ぶように、しばし思案する。
「こ、古来より教皇様に謁見を許された者が冠する名だから……」
団員は考えたが、どんなに考えても聖教国で広まっている一般的な認識しかなく恐る恐る返答する。
「そうですよね。それが正しい。神に愛され、神に最も近い存在が『右に座る』ことを許される……神と右を結びつける発想など『ココ』にはありませんよね」
団員の答えに返すというより、自問自答している雰囲気に団員は薄ら寒さを感じて無言を貫くしかなくなった。
「クククッ、あぁあ、教皇様。貴方は正しかったですっ! 貴方が授けた右席の意図っ! それを根拠もなく口にする者こそが……」
さらに、あの無感情な男がここまで気持ちの込もった物言いをし始めたことに、団員は恐怖すら感じ始めていた。
「……転生者の可能性あり、と……」