エインホルス聖教国
エインホルス聖教国。
神が最初に降り立ったといわれている霊峰オフィリオン。さらにその奥にある始まりの聖域と呼ばれる場所に神殿を建設し、その周囲に国を形成していった神への信仰厚い小国家である。
聖教国は閉鎖された国家であり、その住人は少なかった。神の名の下に管理された国を目指した聖教国はその信仰心と能力の高さで人を選別し、優秀な者達だけが居住を許されていた。
そのような厳しい管理下の国に住みたいと思う者は多く、その理由としては生活水準が小国ながら高く、技術、教育、そのどれもが他の国を凌駕していたからだ。さらには、神聖魔法を始めとする回復魔法の習得技術をほぼ独占しており、周辺国の回復術士達は聖教国と関わりがある者が多かった。
ある者は言う。
その魔法技術はかつて栄華を誇ったカイロメイア、魔法大国レリレックスに匹敵すると。
その全てが神より遣わされた教皇様によってもたらされたモノだと。
だからこそなのか、それとも長年の教育の賜物なのか、聖教国の国民の中には選民意識が強い者がおり、神の、延いては教皇の言うことを絶対と信じて止まない者が多数いた。
教皇。
エインホルス聖教国の頂点に立つ者であるにもかかわらず、その姿を見た国民はいない。
教皇に次ぐ権限を持つ四人の枢機卿ですら、その姿を拝見できない者もいるくらいだ。
四人の枢機卿。
その者達には前後左右の席という呼び名がそれぞれ与えられており、その一席「右席卿」と呼ばれる者だけが現在教皇に謁見を許されている。
その右席卿こと『カイン=アルハザード』は見た目二十歳くらいの若き枢機卿である。
その容姿はくせっ毛一つない綺麗な黒髪をおかっぱのように切っている所から男とも女とも取れるような中性的で、その黄金に輝く瞳は多くの女性達を虜にしていた。だが、その性格は冷淡であり、無慈悲。全ては教皇様のためと、不要な者、逆らった者達を粛正するなど凡人には到底理解できない範疇を平気で越える存在であった。
それでも彼に敬意を表し付き従うのは、教皇という絶対の存在に唯一謁見できる立場、洗脳とも呼べる選民意識の賜物なのかもしれない。なによりカインの実力や知識、運営手腕が周囲の人の枠を大きく超えているからであった。
そんなカインは今、自身の執務室にて亡き栄滅機関の者達からの経過報告書を再度集めさせ読み直していた。
「……白銀の聖女。あの『複製体』が最後の最後にこれだけはと伝えてきたワードなのですから、余程の発見だったのでしょうね。器を発見ですか……もしそれが本当なら教皇様の考える『世界救済の日』がまた一歩、いや、今度こそ実現できるやもしれません。とすれば、私はついに教皇様のお力にっ」
人前ではあまり感情を表に出さないカインの瞳に珍しく輝きが灯り、持っていた報告書に力が篭もると、彼はそれを机に戻し、冷静になるため一度天井を見る。
いつもの自分を忘れそうになるほど、カインは教皇に心酔していた。それは信仰する神以上だということは本人も自覚している。なぜなら、平凡だった自分が持つこの異常なまでの身体能力の高さは、全て教皇がもたらしたモノであり、カインにとってそれはもう神の奇跡であったからだ。
だからこそ、教皇が目指す世界の救済に微力ながらも貢献出来ると思うと興奮を抑えられないのは仕方のないことなのだ。
「フゥ……報告を読み直して分かりましたが、やはり、アルディア王国にここ一年でその存在が見え隠れしているようですね。カイロメイアを任せていたトーマスが最後に寄こした経過報告にも『白銀の聖女』というワードが度々書かれていましたが、魔法少女だの、神獣を連れる金髪の少女だの、神出鬼没のフードの少女だの、はっきりしないのはなんなんでしょうね? 王国に作っておいたルートからもレイフォース周辺の情報が二転三転し始めて信憑性がなくなってしまいましたし」
カインは言葉を切り、思案するように天井を眺める。
アルディア王国は別の枢機卿に任せていたが、襲撃事件失敗により、その情報網は壊滅状態になっていた。だが、カインは独自のルートを作っており個人的に情報を入手していたが、それも上手く機能していないことに今更ながら気が付く。
「……気付かれましたか。愚かで御しやすかったのですが、それは向こうも同じということですね。ふむ……切った方が良いかもしれません」
一度だけパーティーかなにかで見たことのあるレイフォースの姿を思い出す。だが、その姿ははっきりしておらず、曖昧なモノだった。当時の自分は覚えるに値しない存在だと見限っていたのだ。
それもそのはず、カインが会ったのはメアリィに会う前のレイフォースであって、彼女によって変わった彼とは対面していなかったからだ。
今の彼と対面していれば、放置という愚を犯すことはなかっただろう。
「レイフォース、か……トーマスを始めとする機関の優秀な人材が次々と葬られるとは、野放しにし過ぎましたね。さて、今回の件はそこらの案件とは重要度が違いますから失敗は許されません。やはり、私自ら現地に赴き、この目で確かめるしかありませんか。しかし、今の王国は強引にでも入らない限り私のような者を入国させるのに難色を示すでしょうね」
現在、というか、予てより王国と聖教国の国交は表面(世論)的には問題ないように見えているが、その実、裏面(政治)的には芳しくなかった。
それもそのはず、聖教国が中心となって行ったレリレックス王国への二回に渡る聖戦。その遠征軍は白銀の騎士や、アルディア王国とレリレックス王国との連合軍によって退けられている。
さらに、ここ最近の枢機卿達の失態。
これで、あちらが無警戒になんでも迎え入れるようなら、王国などとうの昔に滅ぼされていただろう。実際はかなり警戒されていて、いよいよ国交を絶つような流れがあるとの情報もあった。
今までは教会などの信仰や神聖、回復魔法の教育や人員の派遣、魔道具の提供などほとんど聖教国が独占しているモノの提供があったため、王国も強く出ることが出来ずにいた。
だが最近、アルディア王国はいにしえの森に住むエルフ達と友好を結び、それによって開いた道を辿り、あのカイロメイアとの国交を結ぶことができたそうではないか。このままでは次第にその技術と知識が王国にもたらされることだろう。
そうなれば聖教国が独占状態だったはずの知識や人材をも得るという、長年危惧していたことが起こる可能性が出てくる。だからこそ、なにか起こる前にカイロメイアを我が手中に収める必要があったのだが、それがカイロメイアとアルディア王国の友好に繋がるとは皮肉なものである。
「ふむ……強引ですか……」
不穏なワードを口にしてカインはある一つのことに気が付くと珍しく失笑する。
「フッ……周辺国への宥めになるからと好き勝手にさせてましたが、ここで私の役に立つかもしれないとは……これも『アレ』を作った教皇様のお導きなのでしょうかねぇ」
犬畜生を哀れむかのような表情でポソリと呟くカイン。それに応えるように慌ただしくこちらに迫ってくる気配を感じ、いつものような無表情に戻り、書類から視線を外して扉の方を見る。
すると、そのタイミングで扉からコンコンッと割と大きめなノックの音が部屋に響き渡った。
「どうぞ」
カインが言うのと同時に今までの静けさをぶち破るかのような勢いで扉が開かれる。
「アルハザード卿っ! 現在の救助活動を撤収させるとはどういうことかしらっ! まだまだ私達を必要としている人達はいるはずでしょうっ!」
年の頃十八歳、大人の成熟さと少女の未熟さが混ざりあったような肢体。フワッとボリュームのある茜色の髪の毛を左右で大きな三つ編みにし、その髪のところどころには綺麗な薄紫色のメッシュが入っていた。そして、その黄金色の瞳が部屋の奥に座るカインを捕らえるなり息巻く始末。
「こちらとしてもいつまでも同じ所の支援活動を続けられていては困るのですよ。『暁の聖女、マリア・ウィル』」
だが、そんな勢いなど意に介しないカインは冷静に受け流すと、部屋に入ってきた暁の聖女こと、マリアの後ろにいる同じ団体の者達が、ここまで彼女を止めることができずアワアワしているのを冷ややかに見ていた。
「で、でもっ」
「貴女は回復魔法の最高階級オーバーオール・ヒーリングを魔力枯渇ギリギリとはいえ、一度だけでも行使できるという今までにない稀少な聖女なのですよ」
「え、ええっ、それはそうだけど。この奇跡は教皇様の、いえ、神様のご加護であり、感謝しているわっ。でも、それがなによ?」
マリアは誇らしげにまだしゃべろうとしているカインを遮ると、神に感謝の祈りをする。
その光景を見るカインの瞳は相容れない別の人種を見るかのように冷ややかだった。
「……フッ、神か……」
「なにか言ったかしら?」
「いえ。話を戻しますと、その奇跡は世界中の人々が必要とし、待ち焦がれているのです。もっと時間を有効的に使ってください。我々は神の使徒として、より多くの人々を救わなくてはなりません。貴女が一人の人間に拘り、その代償に多くの人々の命が救われなかったらどうするのです。しかも、聖女は基本、その奇跡の代償に短命なのですからね……」
「うっ……た、確かに……」
カインの言葉にマリアの勢いが萎んでいく。
神の使徒として、小事に拘り大事を忘れるな。
それは聖教国で教えられるごく当たり前の理念であった。
聖教国において代々聖女はその回復の力を持って、人々を助ける『救済』の象徴だ。
最初は聖教国だけだったが、暁の聖女と呼ばれる少女が隣国の災害に、周囲の反対を押し切って救援に向かい、見事多くの人々を救ったのを皮切りに、その存在は多くの民に広まっていき、いつしか周辺諸国までその救済の手は拡大していった。
その功績の積み重ねが、多くの国、主に民衆から信頼を得て、聖女が率いる団体は聖教国に所属しているにもかかわらず、他国にある教会からの要請があれば国境を許可なく越えることが許されるようになった。もちろん、アルディア王国も例外ではない。
現在、暁の聖女の名を引き継いだマリアもまた、先人達に負けず劣らず、周辺国へと赴き、人々を助け回ることを生きがいとしていた。
そんな彼女が救済途中で呼び戻されたのだから、怒り心頭で抗議しに来ても仕方がないのかもしれない。それ程までにマリアは人々を救うことに誇りを持ち、使命であると自負していたのだ。
とはいえ、枢機卿の、しかも『右席』を冠する者に抗議しに行くのは他の者達からしたら生きた心地はしなかっただろう。
本来なら聖女の権力は、その功績を称えられ枢機卿と並ぶモノとなり、四人の枢機卿が口出しすることはできないはずだった。
だが、カインは別だ。マリアが文句を言いに来る程に、聖女団の行動を制御できてしまう彼の力は、あらゆる組織に影響を及ぼしていたのだ。
その裏事情の力関係で周囲は右席卿を、いや、カインという男に恐怖し媚びていると言っても過言ではない。
「大丈夫ですよ、焦らずともすぐに貴女の力を必要とする者達が出てきますから……それまで身体を休め、次の遠征の準備をしておいてください」
「どういうこと?」
カインの発言に引っかかりを覚えたマリアが訝しむ。
「ああ、それと。次の遠征には私も同行します。ここ最近、貴女の団の支出が多いので、その査察だと思っておいてください」
「なっ、そ、それは皆を救済するために色々物資が必要でっ! 貴方は知らないと思うけど、被害の大きさが年々大きくなっているのよっ!」
「他国にとっては無償であっても、その資金は我々聖教国の税なのです。そのことを忘れずに」
話はこれで終わりだと言うようにカインの視線が再び書類に戻る。
「ちょっと、話はまだっ」
「マリア……そこまでです」
カインの態度が気に食わず、さらに文句を言おうとしたマリアを着いてきた一人の女性が慌てて間に入る。年の頃二十八歳、黒色の髪を後ろでお団子のように結ったその姿は落ち着いた大人な雰囲気を醸し出している。
「でも、ルーシア……」
「マリア……」
さらに理知的そうな眼鏡のその奥で光る黒色の瞳でマリアを宥めるように見つめてくると、マリアは押し黙るしかなかった。
そこから見て取れるように団長であるマリアは副団長であるルーシアに頭が上がらないのだ。
というのも、人々の救済に没頭し、それ以外が雑なマリアの聖女団を管理、運営しているのは他でもないルーシアなのだ。彼女がいなくてはマリアは一人で団を率いていくことはできないと言っても過言ではないし、長い年月、共に団を率いてきたその信頼関係はかなり深かった。
「わ、分かったわよっ!」
ルーシアと一緒に着いてきた団員達もホッと胸を撫で下ろすとマリアを誘導し、そそくさと部屋の外へ出ていくのであった。
そして、静けさが戻った部屋にカインだけが、いや、先程の団員達の一人がまだ佇んでいた。その姿を見ることなくカインが言葉を掛ける。
「成果の方は上々のようですね」
「……しかし、合成獣の製造を失ったのは……」
「構いません。アレも実験の一つに過ぎませんから……」
「…………それで、次なる標的は?」
「アルディア王国」
「……全ては『教皇』様のために……」
カインの指令が終わると男は頭を下げ、音もなく部屋を後にする。その所作は先程までいた聖女団の素人集団とは一線を画していた。
それもそのはず、非戦闘系の回復術士で構成されているはずの聖女団の一部は栄滅機関の人間であり、彼らは聖女団を隠れ蓑にして他国に潜入し、その影響力を広げていたのだ。
カインは各地の人々の善意を悪意を持って利用し、栄滅機関を強大な闇の組織として昇華させたのである。
もちろん彼が機関の長であるのは言うまでもなく、他の枢機卿は彼から機関の者達を貸し与えられたに過ぎなかった。その機関員によって枢機卿達の動向は監視され、弱みを握られ、逆らうことが出来ないように仕向けている。それが右席を冠した枢機卿カイン・アルハザードなのであった。




