ゼオラル落下阻止
「具体的に私はなにをしたら良いの?」
暴走する装置を止めようとしているシータを手伝うためノアはオルトアギナに具体的な指示を請う。
『ん~、あ~、えっとだな』
時間がないというのに、オルトアギナは言葉を選んでいるのか歯切れが悪い。そこでノアはやはりかと悟るのであった。さほど危険がないのなら、オルトアギナはとうの昔に指示を出していただろう。この期に及んでも言い淀むのはそれが危険な行為だからだ。
「オルトアギナ様、時間がないの。私のことは気にしなくて良いから、言って」
『う、うむ……そうだな。魔力の逆流はあの膨張する動力炉の暴走する魔力からだ。なので一時だけでも流れを変えてその隙にシータが入り込む』
オルトアギナの提案にシータとノアが頷き合う。
「どうやって、流れを変えたら良いの?」
『シータのおかげで内部の一部が見えた。動力炉の奥に循環器がある。それを利用して逆流を抑える。なぁに、簡単だ。行ってレバーを引いてくるだけなのだからな』
「待って。あの膨大な魔力の渦の中に入って行けって言うの?」
『そうだ。あの防護壁を苦もなく開け、防御結界を解除することなく素通りできるのはノアだけだ』
行為そのものは簡単そうだが、その現場に行くことがどれ程危険なことなのか、シータは気が付きオルトアギナに問い詰めようとすると、彼は覚悟を決めたのか、淡々と事実だけを述べる。
「うん、ほんとだ。私でも簡単にできそうだね」
「ダメだよ、絶対ダメッ! そんなことしたらノアちゃんが耐えられる保証がないわ。そんなことさせられないっ!」
『では、どうする。シータ、其方も分かっておろう。相手との実力差を。今の其方の力では一人でどうすることもできないということを。それでもなんとかなるという根性論の段階はとうに過ぎた。時間がないのだ』
「でも……でもぉ……」
オルトアギナの正論にシータはまるで子供が駄々を捏ねるように否定するが、現状を打破できる別案は出てこなかった。
「行ってきます」
ノアはニパッと笑顔を見せ、自分が成すべきことを確認するように動力炉の部分を凝視する。
悩んでいる時間はない。いや、そもそもノアに悩む要素はなかった。むしろ、皆の役に立てると思うと嬉しくて仕方なかった。
痛む身体に鞭打って、ノアは扉の方へヨロヨロと向かう。
「ごめんね、ごめんね、ノアちゃん。私が、未熟なばかりに……私もメアリィ様みたいに格好良く全部出来たら良かったのに……」
自分の不甲斐なさを痛感し、涙を堪えるシータの震える声に、ノアは振り返ると首を横に振る。
「ううん、皆、皆、自分に出来ることを傷つくことも恐れず一生懸命頑張ってる。だから、とっても格好良いよっ」
笑顔のまま、ノアは扉にあるプレートのようなモノに触れるとそこから魔力が一瞬彼女の身体の中を駆け巡る。
そして、扉は難なくロックを解除した。オルトアギナの言う通り、ノアもまたニケの血筋と認識されたのだろう。ならば、自分のすべきことは分かっている。
ムアッと熱い蒸気が扉の向こうからノアを襲ってくる。中がどれほど酷い環境なのかは想像したくないと、ノアは躊躇うことなく部屋の中へと侵入していくのであった。
動力炉の中は想像以上に熱が放出され、体力を奪い、身体の傷を穿ってきて、その痛みに泣き叫びたくなる。さらに、暴走する魔力の渦がノアの精神を蝕み、意識が朦朧としてきた。だが、ノアは唇を噛み、必死に耐えて、目標地点をひたすら凝視し歩き続ける。
ノアの強靱な肉体だったからこそ、耐えられたのだろう。ノアの決意が勝ったからこそ歩けているのだろう。
このままなんとか目的のレバーまで行って、引くことは出来るかもしれない。だが、そこで自分は終わるとノアは本能的に分かっていた。
この状況下で、そんなことをすれば、そこにいる自分になにかしらの反動が襲ってくることは容易に想像できる。
それに自分が耐えられるのかと、ノアは自分の身体を確認した。この劣悪な環境が肉体の崩壊を加速させ、もうノアの自己修復は機能していないと言っても過言ではなかった。
ちょっとした段差に躓き、なんの抵抗もなく地面に倒れるノア。その不甲斐なさに、ノアは涙が出そうになる。
「えへへ……私も……メアリィお姉ちゃんみたいに格好良く……できたら、良かったのに……」
自虐気味に笑みを見せ、それでもノアの進みは止まらない。格好良かろうが悪かろうが、自分は目的の場所まで行くのだという気迫だけでノアはズルズルと這っていく。
身体が燃えるように熱い、痛い、苦しい。意識が朦朧として吐きそうになる。でも、やらなくては。自分がどうなろうと、皆のために自分の役目を遂行する。そう思ったとき、ノアは気が付いた。
「あぁ……きっとアガードはこんな気持ちだったんだろうな……自分がどんなに傷つこうとも、皆を守りたかったんだね……」
視界がぼやけ、自分がどこに向かっているのか分からなくなってきたノアは、それでも微かに見える光に向かって進んでいった。それはまるで誰かが導いているかのように。
「だから、アガードは私が暴走しても手を出さなかったんだ。たとえ、殺されても……傷つけたくなかった……」
ノアの視界に目的のレバーが見え、彼女は最後の力を振り絞って立ち上がる。
「ごめんね、アガード。守ろうとした私が紛い物で……私なんて紛い物が生まれたせいで、二人の幸せを滅茶苦茶にしちゃって……でも、嬉しかったよ。この記憶が焼き付けられただけのモノだったとしても……幸せだったよ……」
レバーを握った手に力を込める。
これを引けば、全てが終わる。
そう、自分の命も……。
そう思ったらなぜかノアの頭の中に白銀の騎士以外の記憶、ノアと名付けられ生きてきた今までの自分が思い起こされる。
――――紛い物なんかじゃないわ。切っ掛けはどうであれ、今のあなたはノア。私の可愛い妹よっ――――。
ふと、メアリィの言葉が脳裏を過り、堰を切ったように涙が溢れる。
「……うぐっ、ひぐ……生きたいぃ……皆と一緒にいたい……もっと、もっと、感じていたいよぉ……でもぉ……でもぉ……そんなこと……できない……」
これで最後だと思ったとき、ノアの本心が決壊した。
子供のように泣きじゃくるノア。だが、決してレバーから手を離さなかった。
「生きようっ、ノアッ! 貴女は紛い物なんかじゃないわっ!」
今一番聞きたかった声が動力炉内に響き渡る。
『こらぁっ、開かないはずの扉を力ずくで開けるんじゃないっ! しかも結界魔法まで砕け散ったぞっ!』
オルトアギナのツッコミを背に、扉の前に立つ少女がノアに手を差し伸べる。
「さぁ、後のことは私に任せてレバーを引いてっ! 皆のところに帰りましょう、ノア!」
「……うん……メアリィお姉ちゃん」
ノアはびっくりするほど心穏やかに、安心してレバーを力一杯引くのであった。
色々あったが、なんとか私達はゼオラルの墜落を防ぐことが出来た。
「オーバーオール・ヒーリング」
私は傷を負った人を順次回復していく。こうして改めて見ると、皆結構一杯一杯だったのだなぁと今回の事件の危なさを実感する。
残念だったのはノアの身体には回復魔法が効き難いという点だった。彼女の崩壊とかもこれで回復できるんじゃないかと思ったが、回復魔法はあくまでその人の持つ自己修復能力の活性化に近い作用であり、それが機能的に低下していると回復力も低下する。亡くなろうとしている人を回復魔法で元気にさせることができない感じなのだろうか。それはそれでまた別の魔法があるのだろうが、それはまた次の機会にでも探すとしよう。私的にはノアが生きていてくれただけでも嬉しいのだから。焦らず一つ一つやっていこう。
あれからどれだけの時間が経ったのだろう。ゼオラルは徐々にその高度を取り戻しつつ、優雅に空を泳いでいる。あのはた迷惑な装置はオルトアギナとシータによって今は沈黙しているが、その内カイロメイアの学者さん達を呼んで解体し、ゼオラルの復興に専念する予定だそうだ。まぁ、ノアの許可がないとこの島ではいろいろやりづらいそうだが、その点は大丈夫だろう。
その時にはこちらも協力したいとエミリアや王子が意見交換している。事件が終わったのもつかの間、上に立つ人は忙しいのだなぁと心の中で応援する私なのであった。
復興作業といえば、あのミスリル製の人型像が動き出し、いつの間にやらせっせとなにやら作業していたのにはびっくりした。
オルトアギナ曰く、ニケによって権利を悪用されて手出しできなかったらしく、間接的に色々動いていたらしい。ニケが亡くなり、動けるようになったのでまずは後片付けをしているようだった。
とはいえ、ニケが作った装置などは勝手が分からず、どうしようと一人しょんぼりしていたのは可愛らしかった。
「ところで、妾達はどうやって帰れば良いのだ? 予定では妾は下の母上に色々話すことがあるのだが」
後片付けが一段落終えた頃、エミリアの素朴な疑問に私はハッとそれに気付く。
オルトアギナの話では本来、舞台から伸びるリフトのようなモノが形成され、ゼオラルが上で漂着し、そこで一時的に行き来ができる仕組みだったが、ニケに破壊され、私達は放り投げられてきたので帰り方が分からない。
『ウォッホン、その点は大丈夫だぞっ。妖精からの情報だが、古来より、緊急時には精霊があのような方法を取ったように、ゼオラルもまた、自身が用意した粘液に包んで海へ射出したところを精霊に回収して貰うという方法があるようだっ』
誰かが言ってくるのを待ってたかのように、ドヤ顔(見えてはいないが声の調子から察して)で答えてくる本の人。
「え~と、それってつまり、ゼオラルの唾と一緒に落ちろってこと?」
『うんまぁ、分かり易く言うとそうなるが、ゼオラルは生物ではないので唾ではないぞ。衝撃を吸収する大変便利な粘液だ』
「「「…………」」」
「いやじゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
「エミリア姫には申し訳ないけど、予定を遵守するため行動してもらうね」
申し訳なさそうに王子が指示すると、ザッハとサフィナが平謝りしながらズルズルとエミリアを連れて行く。
「いやじゃあぁぁぁっ! この人でなしぃ、悪魔ぁぁぁっ!」
魔族に悪魔呼ばわりとはこれ如何に。
「ではシータ嬢、後は任せるね」
「は、はい」
エミリア達の後をこれまた申し訳なさそうにシータとレイチェルさんが付いていく。哀れエミリアは皆に先駆けて射出されに行くのであった。生物ではないゼオラルの口からペッと射出される様はアレを彷彿させられるが他の人には見えないので、良しとしておこうではないか。
(いやいやいや、色々ありすぎて私の中の感覚が麻痺し始めているわね。精霊や妖精とかに関わると碌なことにならないわ)
で、下に落ちたら、説明し物資やらなにやら持って、ベルトーチカ様と一緒に再び上へ放り投げられるのだろう。
(哀れすぎるっ)
これも全てニケが舞台を破壊したからいけないのだ。早急な復旧作業を要望する。
復旧が間に合わなければ、いつか私達もそうなるのだけども、今はエミリアの勇気ある行動に敬意を表することにしておこう。
と、ノアがリリィやスノー、テュッテのサポートを受けながら戻ってきた。ついでに、その後ろには例の像も付いてきている。
「まずは、埋葬だね」
王子の言葉でこちらに気が付いたノアが駆け寄ろうとして、私は彼女の身体を気遣うようにこちらから駆け寄るのであった。
エミリアが戻り次第、埋葬が行われる予定だ。
しばらくして、なにやら見覚えある球が飛んできた。
一緒に来たベルトーチカ様は、あの最後まで非常識な放り投げを体験したせいで腰を抜かしたのか、顔面蒼白でしばらく立ち上がれなかったのは見なかったことにしておこう。
アガードの遺骨はノアの要望でここゼオラルで埋葬されることになった。
ふと、エネルスの方が故郷のようだし、そちらの方が良いのではと提案してみたが、ノアはアガードと白銀の鎧が離ればなれになるのは寂しいかなとの思いからだったようで、私はそれ以上言うことはなかった。
埋葬場所はどうするのかとなったとき、ノアは月見草が咲く場所にしたいと言ってきた。
だから、ノアの記憶を辿ってスノーやテュッテ、リリィと一緒に探しにいったところ、驚くことにこんなに荒れた大地の中で唯一、そこだけが守られるように蕾状態だが花が咲いていたのだそうな。
これは、偏に白銀の鎧の思いからだったのだろうか。管理していた妖精の配慮だったのか。
前者の言葉は、今はもう聞くことはできない。
鎧は私の最後の一撃を受けて、魂は浄化されたが、その鎧自体は驚くことに破壊されることはなかった。
なにも答えない只の鎧は、今、神殿の奥にある台座に戻って静かに佇んでいる。
『もっと大々的な式を催して、もっと立派な墓を建てた方が良いのではないのか?』
オルトアギナの気遣いにノアは首を横に振る。
「いいの……アガードは仰々しいのは苦手だったし。鎧を捨ててからは目立たず静かに暮らしたいって言ってたから……」
像の協力を受けながらアガードの遺骨を埋めていくノア。
「アガード……いっぱい、いっぱい、楽しい思い出をくれて……ありがとう。私に心をくれて……ありがとう。アガード、空で私を、皆を、見守っていて……」
涙を零し、ノアは大好きだった人に最後の別れを告げていた。
簡易的ではあるが、埋葬は終わった。
よくよく考えると、参列したのはアルディア王国の第一王子と貴族の子息子女、神獣達に、レリレックス王国の王妃と姫、カイロメイアの智欲竜と司書長とその補佐など、その錚錚たるメンバーにおぉぉっと変な声が出てきそうになる。
「……これで終わったのね」
「いいえ、終わっておりませんわよ」
気が抜けた私の何気ない吐露にマギルカが答えてきてギョッとする。
「お、終わっていないって、まだなにかあるの?」
私はオロオロと周辺を見回した。
「そもそもメアリィ様はレポートのために白銀の騎士様をお調べになっていたのでしょ?」
「あっ、そういえば、そっか……」
マギルカの指摘に私はポンッと手を打ち納得する。
そう、切っ掛けは私のレポートだった。
白銀の騎士の晩年。それは大っぴらに語るような煌びやかな生活ではなかった。
とても悲しいその話を、私は後世に残す気にはなれない。その反面、アガードという心優しい青年がいたことを私は広く伝えたいと思うところもあった。
はてさて、どうしたものかと思い悩むと心の整理が付いたのか、ノアが墓から私達のところへ戻ってくる。
「ノアはしばらくゼオラルにいないといけないようだしなぁ。その間、私も残って色々調べようかしら」
「それは良い案だと思いますわっ♪」
「うんうん、微力ながら私も協力するよっ♪」
私が残ることを表明すると、探究心の申し子達が賛同する。マギルカは弁えているから良いものの、シータとオルトアギナが心配だ。
(これ以上、問題を起こされてはたまったもんじゃないんだけど。しっかり監視しておかないといけないかなぁ~)
「お姉ちゃん、ここに残るの?」
私達の会話を聞いたのか、ノアは驚いた顔で聞いてくる。
「ん? 当たり前じゃない。どうせ一緒に帰るんだから。お父様やお母様に紹介しないとね。私の可愛い妹ですって」
どうやらノアは一人このゼオラルに残るのだろうと思っていたらしく、私の言葉にポカ~ンとしていた。だが、私の最後の言葉で恥ずかしいのか顔を赤らめ俯いてしまう。
「えっ、あれ? 違った?」
予想外の反応に私はオロオロする。
「ううん…………ありがとう、お姉ちゃんっ」
顔を上げたノアの笑顔はそれはもう、とびっきり可愛かった。
神が最初に降り立ったと伝えられる霊峰。
その地に立派な神殿や教会、住居などがいくつも存在している区域があった。
その一番上の場所。選ばれた者のみが足を踏み入れることを許された聖域に、一人の青年が歩いていく。
誰もいない静寂な空間にカツンカツンと靴音だけがしばらく響き、それが止まった。
神殿の奥、そこに一人の人物が椅子に座ってなにやら本を読んでいた。
その手前、離れた場所で青年は膝をつき、敬意を表す。
「……ゼオラルからラストメッセージが送られてきました……」
その言葉にピクッと反応し、椅子に座った者は本を読むのを止め、ゆっくりと青年を見る。
「死んだのか?」
「はい」
「あの『複製』はゼオラルでの研究を引き継がせる為に造った唯一成功したモノだったのだが……まぁ、あれから真新しい発見はなかったから失っても別に構わないか」
「…………」
「それで、メッセージにはなんと?」
「器を発見、白銀の聖女、と」
「白銀の聖女?」
「我々が認知している中にそのような二つ名はありません。おそらく外部かと……調べるにしても栄滅機関に多大な被害が出ておりまして、すぐには動けない状態です」
「他の枢機卿達は?」
「現在、アルディア王国の監視を失敗、レリレックス王国進軍の拠点作りも失敗、カイロメイア侵攻作戦も失敗に終わっております」
「使えぬ奴らだ」
「申し訳ございません。が、報告によりますと、その全てにアルディア王家の関与が見られるようです」
「アルディア王国か……古来より、目障りな王国だったな」
「…………」
「まぁ良い、今はその器とやらを探すのだ。それこそが私の悲願っ」
「……全ては『教皇』様の御心のままに……」
青年は立ち上がると、そのまま早足に神殿を後にした。
ここは霊峰を中心とした小さな国。
人はこの国を「エインホルス聖教国」と呼ぶ。