ゼオラル、上陸
まさか投げられたボールの気持ちを味わうことになるとはこのメアリィ・レガリヤ、予想できなかったでござる。
じゃなくて、とんでもないことをしてくれた精霊のせいで現在私達は投げられた水球の中で外に投げ出されないようにしっかり各々を掴み続けていた。
というよりスノーがいてくれたおかげで皆が彼女にしがみつくことで救われたと言っても過言ではない。
『メアリィ、ゼオラルが見えたわよっ』
この状態で外を眺める余裕があるスノーにはびっくりするが、かくいう私も意外と周囲を眺める余裕があったりする。ほんと、神様、ありがとうっ。
私の視界に広がる光景。
それは空という海を泳ぐ巨大な亀(?)の姿だった。
全体の形状が亀に近いように見えたので私は亀と呼称しているが、実際の亀とはどこか違って竜のような顔立ちをしている。翼にも見えるような異常に大きなヒレだとか、魚に似たヒレのような尻尾を持っていた。しかも、そのどれもが生物のようなナマモノ感はなく、岩のような肌感をしている。さらに、背中は丸い流線形ではなく平らに近く、その上は川や草木、鉱石や水晶などの山々があって一つの島のように見えた。
そんな巨体が空間からそのほとんどを剥き出して優雅に泳いでおり、しばらくはそのままの状態で空中を漂うつもりなのだろうか。
とにかく、近づけば近づくほど、その想像以上のスケールに唖然となる。
と、ここで、水球の軌道に変化が訪れた。
私達が上からゼオラルを眺められたのは数分で、そのままどんどんゼオラルの背中が近づいてくる。
(あれ、もしかしてこのまま落下する?)
精霊が投擲してゼオラルへ送るという荒技を披露したが、そういえば着陸はどうするのだろうと私は思い、顔が青ざめる。
このまま地上に叩きつけられて果たして無事で済むのであろうか。
(きっと、大丈夫よ。精霊様が守って……くれるわけないだろぉぉぉっ、あの精霊なのよ、なにを信じろというのよぉぉぉっ)
精霊のことだ。きっとなにも考えてないだろう。ただひたすら、ゼオラルへ送る、その一点のみ。
私の頭の中でサムズアップしている精霊が浮かぶ。
しかも、心なしかテュッテ達が苦しそうになってきている。おそらく、呼吸のための酸素がなくなってきたのだろう。
長考する余裕などない。ここは、水球を破棄してゼオラルに降り立つしかない。
「スノー、この水球を破壊できる?」
『できなくもないけど、そうすると中途半端なところで弾け飛ぶわよ』
「このまま地面に叩きつけられたり、酸素が無くなったりするよりはマシよ。精霊には悪いけど、私達はここで降車させてもらうわっ」
私はスノーに言い放つと、皆を見る。
余裕のある者達は私の意志を汲み取って頷き、浮遊魔法ができないザッハとサフィナに手を回した。
それを見ていたのかテュッテがリリィを抱きしめていたノアを抱きしめ、私は彼女の腰に手を回す。
「スノー、い――――」
準備が整い、私はスノーに声をかけようとして、背筋にゾワッとしたなにかが来る。
反射的に私達が飛んでいる先を見れば、そこに人影が現れていた。
「ニケッ!」
私は彼に会っていなかったが、本能的に叫ぶ。
向こうも私達を攻撃範囲に収めたのか、不気味な笑顔を零した。
ニケが私達に向かって指を差すと、彼の周りから大きな杭が三本ほど伸び出てきて、私達に向かって射出される。
魔法を唱えている暇はない。こうなったら私が皆の前に出て粉砕するしかない。
『ハウリング・ブラストォッ!』
私が動こうとした瞬間、スノーの咆哮が放たれる。
だが、それは杭の軌道を少し変えるだけに留まり、私達の水球に直撃した。
スノーの咆哮と杭の衝撃で水球が大きく弾け飛ぶ。
「テュッテッ、捕まってぇっ!」
衝撃で皆が投げ出され、散り散りに落ちていく。が、幸いにも元々水球を破壊して各々空中に飛ぶ用意をしていたおかげでそれほど混乱はなかった。
一方、私は側にいたテュッテに手を伸ばし、彼女を確保するが、衝撃でテュッテはノアと離れてしまい、彼女が落ちていくのが見えた。
(私が離れたからっ)
「スノー、テュッテをよろしくっ」
私の近くにいたスノーにテュッテを任せ、申し訳ないがスノーを踏み台にして私はノアに向かって飛び出す。
「ノアァァァッ!」
私はリリィを抱いたノアに向かって手を伸ばす。地上に到達するにはまだまだ余裕があるし、追いつけない距離ではないし、ノアも意識を失っているわけでもなくこちらを見てホッとしているので、私も釣られて表情が緩む。
その時、ノアの後ろに別の人影が現れた。
「サンプルを持ってきていただけて、感謝いたしますよ」
私と一緒に追いかけたというより、フッと現れたニケはノアをその手に掴む。
「ニケェッ!」
伸ばした手は虚空を掴み、私はノアがいたはずの場所をなにもないまま通過した。
ニケがノアを連れて消えてしまったのだ。
(また私の知らない魔法がっ)
先の杭のようなモノもそうだが、おそらく転移魔法のようなモノまで使いこなすニケに、自身の学の無さを痛感した。
浮遊魔法で空中に留まり、虚空を掴んだ拳をギュッと握りしめる。
「お嬢様っ!」
感情がグチャグチャになろうとしていた私の心にテュッテの声が響いてきて、はたと自分を取り戻す私。
スノーの背に乗り、心配そうにこちらを見てくるテュッテに私は無理に笑顔を作った。
「大丈夫よ、テュッテ。ノアはすぐに取り戻すから」
テュッテに言うというより、自分に言い聞かせるように私は心の中で反復する。
改めて眼下に広がる大地を見る。
タイミングが良かったのか、移動しなくてもそのまま下りるだけで大地に足が着きそうだ。
「皆はっ?」
「だ、大丈夫ですわっ!」
いきなりの襲撃に混乱しながらもマギルカがサフィナを支えながら皆を代表して無事を知らせる。
他の皆も各々降下を開始して、ゼオラルへと降り立とうとしていた。
伝説の島、ゼオラル。
そのスケールはちょっとした小島だ。
それが亀のような生物(?)によって形成され、空中を泳ぎ続けているのだ。
「これが、ゼオラルか……母上から話に聞いておったが、なんだか印象が違うな」
空中を優雅に飛び、皆の無事を確認し回るエミリアが私のところへ来ると、訝しげに言う。
そう、神が創りし空中の楽園。
あらゆるモノが満たされた伝説の豊穣の島。
ここへ来る途中、ベルトーチカ様がそのように歌っていたのを思い出す。
だが、私の眼下に近づいてくる大地は違っていた。
なんというか、荒れ果てていたのだ。
草木は枯れ、果てに見える湖や川は汚れ、一部干上がろうとしている。
歌には地上では見たこともない植物、伝説と謳われた生物達がいたというが、そんな珍しそうなモノは見当たらなかった。
これを楽園と呼ぶべきか、私なら首を傾げるレベルである。
数分後、私達はなんやかんやあったが、ようやく目的地であるゼオラルへ降り立つことに成功し、その感触を確かめた。
荒れ果て、乾いた土が私の脚に伝わってくる。
「ゼオラルの外見には驚かされたけど、この大地は別の意味でまた驚かされたね。どういうことだろう? なにかあったのだろうか?」
周囲の様子を伺いながら王子が質問してくるが、誰もそれに答えることはできなかった。
私が抱いた印象は、前世で言うところの自然豊かな場所が工場や開発事業によって破壊されたといったように感じている。
『かつてはそうだったのだろう。その証拠に枯れた周辺の草木や、その奥に見え隠れする風化した動物達の骨、それ一つ一つが我らが調べるに値する年代物だ。もっとも、あの状態では調べようがないがな』
「あぁぁ、非常に残念ね。なんてことをしてくれたんだろう。せっかくの学術資料がぁっ」
驚愕している私達を尻目に、シータとオルトアギナがさっそく周囲を観察して、彼女が絶望に打ちひしがれていた。
『潤沢だったはずの魔力が一カ所に吸い上げられているわね。たぶん原因はアレよ』
唸りながら言うスノーの視線を追うと、そこには山の一角に建造されたであろう神殿が見えていた。
「あの神殿に魔力が集中しているの?」
私の言葉に皆が彼方に聳える大きな神殿を見る。
「では、あの神殿に白銀の鎧とニケがいるという可能性があるね。おそらく、ノアとリリィも……」
「他に目立った建物は見当たらねぇし、鎧じゃなくてニケが出迎えにきたところをみると、メアリィ様が白銀の鎧達を一掃したというのは確かなようだな」
王子に続いて周囲を警戒していたザッハの言葉に私も頷く。
「ここで考えていても仕方ないじゃろう。無礼な出迎えの文句を言いに行こうではないか。ノアも待っておるしな」
「ええ、行こうっ」
エミリアの言葉に私は逸る気持ちを抑えて、冷静を装いながらも、誰よりも早く神殿へと歩み出す。
そんな私を追いかけるように皆もまた神殿に向かうのであった。
荘厳で巨大な神殿は、時代を感じさせるかのように風化し始めていた。
本来、こういった神が創りし奇跡の島は、風化とか縁遠いイメージがあったのに、これも周辺の荒廃となにか関係があるのだろうか。
そんな神殿の一画。薄暗い一間にノアは放り投げられる。
急なことで受け身が取れず、ノアは背中を地面にぶつけて苦痛の声を漏らした。
そのせいか、さっきまで大事に抱いていたリリィを離すと、リリィは暗闇に向かって唸り、警戒態勢を取る。
リリィの視線の先、暗闇から一人の男が現れる。
「余計なモノまで連れてきてしまいましたね。まったく……研究価値のないゴミに用はないのですが」
ニケは心底面倒くさそうにリリィを見ると、あの温厚だったリリィが牙を剥き出しに飛びかかった。
だが、リリィとニケの間に現れた薄い壁にぶつかり、飛ぶ前の床へと転がり戻される羽目になる。
「リリィッ!」
ガンッと痛々しい音を立て、後ろへ飛ばされたリリィを心配してノアが駆け寄ろうと手を伸ばす。
と、次の瞬間。
伸ばした手の平に激痛が走った。
空間から現れた杭が、容赦なくノアの手の平を貫通していたのだ。
「あぁぁぁああああっ!」
フッと杭が消え、事態を把握したノアの悲痛な叫びが暗闇に広がる。
ノアの叫びに呼応するかのようにリリィが再びニケへと飛びかかるがニケが淡々と指を動かすと、リリィを半透明の壁が叩きつける勢いで挟むように現れ、動きが止まった彼女を串刺そうと杭が横向き突き出てくる。
咄嗟に躱すリリィだが大きく後ろに浮き飛ばされ、部屋に聳える大きな柱の一つに叩きつけられる。
しかも杭を避けきれなかったのか横腹から血が滲みだしていた。
「リ、リィ……」
「どうしました? この程度、すぐに再生できるでしょ?」
何事もなかったかのようにニケはノアを見て、冷淡に事態を観察し続ける。
「そもそもこの程度の攻撃も弾けないとは強度も落ちてますね。やはり『崩壊』によって、身体能力の低下が進んでいるのですか。あの施設で妖精の助力によってどういった変化があったのか興味が出たのですが、期待外れです」
「ほ……う、か……い……」
痛みに耐え、ノアはニケの言葉を反芻する。なにを言っているのか未だに上手く整理できないが、それでも自身の身体に起こっていることは、ノアも薄々気が付いていた。
舞台でのニケとの戦闘で無意識に使った力。その後、寝覚めるまでの時間や身体の違和感。
失敗作。
その意味を噛みしめるノアだったが、あそこに彼女をしっかりと看れる人物がいれば、異変に気が付けただろうが、運悪くそれはノアだけの中に止められていた。
皆に心配させたくない。そんな気持ちもあったが、その影に皆にも失敗作だと思われたらという恐怖があったのかもしれない。
「はぁ……興味が失せました。コレ、どうしますか?」
ニケが無表情にノアの後ろを見ている。
手の痛みもだいぶ引いていき、よく見ると傷が治り始めていることに驚くが、それ以上にノアは自分の後ろにいる存在が気になった。
恐る恐る首を回すノア。
その視線の先には階段があり、自分がいる床より少し高い場所、そこに大きくベールに包まれた空間が存在していた。
『決まってるじゃない。自分の存在を呪い後悔するぐらい痛めつけて痛めつけて……そうね、グチャグチャにしてあのクソ生意気な聖女にでもくれてやれば良いんじゃない?』
ベールの向こうでノアにとっての恐怖の声が聞こえてくる。
だが、ノアは以前とは違って心を奮い立たせて恐怖に震え逃げ惑うことはしなかった。
恐れるな、『お姉ちゃん』のように強く、凜々しくあれ。その意志がノアを強くさせている。
『あら、どうしたの? いつものように泣き叫び逃げ惑いなさい。生まれたことを後悔し、無力な自分を呪いなさい』
「私がなにをしたというの。私もアガードのことを知ってるよ。あなたと同じで――――」
『同じと言うなぁぁぁっ! このコピー品の失敗作がぁぁぁっ!』
突然発せられる怒気と強烈な殺気に圧されて、さすがのノアも言葉を失う。
しかし、白銀の鎧の『コピー品』という言葉に引っかかりを覚えた。
今までニケの言葉や自身の状況を見て失敗作とは肉体的なモノなのだと思っていたが、ここに来て白銀の鎧の言葉でそれに疑問を抱くことになる。
コピー……私はなにを模造したのか、そう考えたとき、記憶のピースが動き出す。
逃げてばかりいた昔の自分では気が付かなかったが、自身の記憶を取り戻すのにもっとも近いのは目の前にいる白銀の鎧ではないだろうか。
しかし、それには恐怖に立ち向かい前に進もうとする勇気が必要だったのだが、メアリィに会う前の自分ではそれは適わなかったかもしれないとノアは思う。
「コピー? 私が?」
『ええ、そうよっ! お前は私の、いえ、私達の願いを踏みにじった失敗作よっ!』
私の願いと聞いたとき、再びノアの中で記憶のピースが紐解かれる。
一緒に戦うアガードの姿。
それを『内側』から見る自分。
彼を感じたい、もっと触れたいという思いから、そっと自分の手を見てみれば。
そこに見えるのは、なにも感じない無機物な手――――。
「ああ、そんなことよりっ! 彼らがここへやってくる頃ではないでしょうかっ! 歓迎の準備はしないのですか?」
ニケには珍しく大きな声を上げたため、ノアの思考が現実へと引き戻される。
『フンッ、そう思うならあんたがやりなさい、あんたがっ。なんのために好き勝手にさせていると思ってるのっ!』
「おやおや、怖い怖い。まぁ、例え来たとしても、ここへ辿り着くというかここの存在に気付くことはないでしょう。私の魔道具は完璧ですから」
『はんっ、そうでなきゃ困るわよ。この島の全てを使わせているのだからね』
「ええ、本来、白銀の鎧のために創られたこの大地はあなたの許可なく使用できませんからね。眠っていたあなたを調べようとして妖精に大変な目にあって、外へ持ち出したこともありました。まぁ、そのおかげで色々と研究できましたけど」
ノアを置いて白銀の鎧とニケだけの会話が続いていく。それでも割り込まずノアが静かにしていたのは別の機会を伺っていたからだ。
ニケ達の話ではメアリィ達がこちらに来ている。だが、会話を聞く限り通常ではノア達のいる場所にはたどり着けなさそうだった。
逃げなくちゃ、皆のいるところへ戻らなくちゃ。
目覚めたばかりは言い知れぬ恐怖に震え、生きていくことに悲観的になっていたノアだったが、メアリィ達と出会い、旅をし、その力強さに憧れて、いつの間にか最初の頃の悲壮感は無くなっていた。
傷もかなり治り始め、痛みで全く動けないということもなくなり、二人の意識が一時自分から外れている今がチャンスかもしれないと思い、ノアは暗闇の向こうに見える出入り口へと駆け出す。
だが、その視界の隅でフラフラと起き上がるリリィの姿を見た。
彼女を抱えあげてから出口に向かうでは時間がかかり二人に気付かれてしまう。
それでも、ノアは躊躇無くリリィへと駆け出していた。
友達を見捨てる事なんてできない。たとえ、この身が危うくなろうともっ。お姉ちゃんだったら、メアリィだったらきっとそうする。
そう思ったとき、ノアの心に一つのピースが思い起こされる。
それはアガードの笑顔。
とても優しく、儚げな笑顔。
それと供に聞こえる彼の声。
たとえ殺されても、キミを……。
『ライトニング・ボルトッ』
ノアの記憶が雷鳴と供に掻き消される。
稲妻の槍がノアを貫き、全身に電流が走って感覚を失っていった。
それでも、ノアはリリィを拾い上げ、力一杯出入り口に向かって放り投げる。
そのままの勢いで倒れ伏すノア。
「……ああ、そっか……これは……神様がくれたモノを捨てようとした私への罰……」
薄れる意識の中で彼女の口からポソリと言葉が零れた。
「……私は……私は……大好きなアガードを…………殺して……」
その独白と供にノアの瞳孔がキュッと細くなり、彼女の中でカチャリと記憶のピースが全てはまっていく。