海はオコです
「マギルカ、サフィナ、ここのことはよろしくね」
「はい、お任せください」
「メアリィ様もあまり無茶なことをなさらないように」
「ぜ、善処するわ」
「あっ、いえ、そういう意味で言ったわけじゃありませんわよ」
「お嬢様、お気をつけて」
元気よく頼もしいサフィナの返事を聞きつつ、端から見るとマギルカに一人で無茶なことをしないように心配されているように見えるが、皆と私の『無茶』の意味合いがちょっと違ったりするのはご愛敬ということで。私はこれ以上やらかさないように、例えばうっかりこの舞台を崩壊させるとか、とにかく気を引き締めつつ、テュッテから伝説の剣(笑)を受け取る。
「メ、メアリィお姉ちゃん、わ、私も行く……」
と、ここでノアが抱っこしていたリリィをテュッテに預けると私に近づいてくる。
「危ないわよ。相手はあの白銀の鎧なのだから」
「白銀の……鎧……」
その言葉を聞き、ノアの勢いが萎んでいく。その小さな身体が小刻みに震え、恐怖の色が顔に浮かぶ。
彼女にとって白銀の鎧がこれ程までに恐怖の対象になるのはなぜだろうか。
なにか酷いことをされたのだろうか。聞いてみたい思いもあるが、今はその時ではないし、だからといって無理に聞くのは違うと思う。
「無理をしないで、ノア」
「で、でも……私の記憶にきっと白銀の騎士が関わってて……それを思い出した方がお姉ちゃんの役にっ」
震えるノアを宥めるように頭を撫でると、彼女は自分の心情を吐露した。
そんなノアの台詞を止めるように私は優しく抱きしめる。
「ありがとう。でも、慌てなくても良いわ。ゆっくり、ゆっくりと取りもどそっ。時間はいっぱいあるのだから」
私はノアの震えが小さくなったのを抱きしめていることで理解し、その顔を見る。
すると、ノアの目が虚空を見つめていた。
「……時間は、いっぱい、ある……」
私を見ているようで見ていない、そんなノアの呟きは、私の言葉と言うより、他の誰かの言葉を復唱しているようだった。
『なにをしておる、メアリィ。さっさと行けっ! 舞台に近づかれると厄介だぞ』
私とノア、二人の時間のようでそうではない時間がオルトアギナの呼びかけで解かれる。
「わ、分かったわ! テュッテ、ノアをよろしく」
「はい、お嬢様」
私はまだ半分現実から戻ってなさそうなノアをテュッテに託すと、彼女は私を追うように手を差し伸べたままだった。
「大丈夫。あなたは私が守るわ。だから、そんな苦しそうな顔をしないでっ」
私はノアを安心させようと笑顔で優しく言葉をかける。だが、ノアの表情は虚空を見つめたまま、さらに表情を歪ませた。
「違う、違うのっ、私は、違うっ」
ノアは小さな声で呟き続ける。それはまるで、目の前の私がなにか別の者とダブって見えているかのようだった。明らかに私に対して言葉を発しているように思えない。
もう少しノアの記憶について確かめたかったが、それをしている時間はなかった。
オルトアギナが言うように、鎧達を舞台に近づけるのは得策ではなかったからだ。
まぁ、主に私がやらかしかねないから……。
「行くわよ、スノーッ!」
『へ~いっ』
私は一人、スノーに飛び乗ると、上空を仰ぎ見、迫り来る人影達を凝視する。
(さっさと倒して、精霊を鎮めるわよ。そして、ゼオラルへの道を切り開いてあげるんだからっ!)
メアリィがスノーに跨がり大空を舞う。
それを眺めるノアの心は不安でいっぱいだった。
周りも気が付いているだろうが、ノアの記憶は着実に戻ろうとしている。
だが、彼女にはそれが自分の記憶だという認識がどうしてもできなかった。
唐突に蘇る記憶の映像、それがまるで他人事のように見せられる毎日。その記憶の大半がアガードという若者と一緒にいることだったが、それがなぜか映像越しという認識になって主観的になれない。
とはいえ、まるで無感情というわけではなく、彼との記憶を思い出すと胸がほんわかと温かくなり、そして次第に苦しくなっていくのがいつものことだった。
どうしてそうなるのか、ノアは知りたいと思い、似たように異性を気にかけているレイチェルに聞いたことがあった。
「へっ、わ、わわわ、私がどうしてザッハさんを気にかけているかって? そ、そそそ、それは、えっとぉ、た、助けてもらった恩があるから……」
「でも、メアリィお姉ちゃんの話だと、ザッハお兄ちゃんと、サフィナお姉ちゃんとマギルカお姉ちゃんに恩があるんじゃない?」
「うっ、そ、そうなんだけど……なんていうのかしら……その、ほっとけないというか、危なっかしいというか……ついつい気になっちゃって」
「これはね、ノアちゃん、恋よ」
「シ、シータ! また変なことをノアちゃんに吹き込むんじゃないわよっ」
「……恋……でも、もう……彼は、いない……」
「ノアちゃん……」
「レイチェルお姉ちゃんは、彼を失うのが怖くないの? 彼が、アガードが、うしな……」
「ノアちゃんっ!」
ノアはレイチェルともっと詳しく語りたかったが、最終的にはいつも胸が締め付けられる思いと頭痛、それらとともに情緒が不安定になっていって、意識が混濁していく。
まるで、それ以上踏み込むなと本能が拒否しているかのようだった。
結局、話はそこで打ち切られ、その後それについて聞こうものなら、周りが心配するようになってしまい、ノアは遠慮するようになった。
ノアの自分の思いは、記憶は、果たして彼女達が言う恋なのだろうか。
そうだったら良いなと思う反面、その記憶の断片と、ベルトーチカ達から聞いた周りからの話を照らし合わせると、自分はある人物と関係があるという事柄に頭が痛くなる。
白銀の騎士。
白銀の騎士の旅にはノアの記憶と酷似していることが多々あった。
もしかしたら自分は白銀の騎士ではないのかと思ったこともあったが、そんなわけがない。
白銀の鎧は別に存在しているし、あの鎧はノアにとてつもない殺意を抱いている。
自分がアガードだというのは記憶の断片からあり得ない。
そして、ノアもまたあの鎧を思い出すと恐怖で胸が締め付けられ、正気を保つことができなくなっていた。まるで、記憶の奥底に住む本当の自分が鎧を拒絶しているかのように。
自分は一体何者なのか。
結局そこに戻ってくるノアであった。
記憶が戻っているといっても、どれもこれも断片的でピースのようにバラバラになっている状態である。
なにか、なにか一つ、全てのピースを綺麗にはめ込める切っ掛けがあれば良いのだが、今のところそのような状況に至っていなかった。
「さぁて、面倒くさそうな鎧はメアリィに任せて、妾達は精霊とやらと問答しようではないかっ!」
『いや、魔女姫よ。精霊の方が面倒臭いと思うが……』
大声で語るエミリアに冷静なツッコミを入れる本のおかげでノアは思考の渦から現実へと戻される。
「オルトアギナ様、フレデリカさんがいない今、精霊と対峙するのは得策ではないんじゃ?」
『シータよ。精霊樹と対話できていたのだ。其方ならできると我は信じておるぞ』
「シレッとシータに全てを押しつけないでくださいっ!」
シータとオルトアギナの会話に割り込むレイチェルの言い分は納得がいくのか、周りの皆がうんうんと頷いていた。
メアリィと別れる際、あれだけ頼もしく豪語していたこのしゃべる本は、ノアにとってやはりどこまでいっても態度のデカいしゃべる本にすぎなかった。
皆からはあれは仮であって、本当は偉大なる智欲竜様らしいが、ノアにとっては今のところ敬う要素がなかったりする。
とまぁ、そうこうしている間に舞台の周りの海が荒れに荒れだし、一カ所の海面がズモモォ~と山状に盛り上がっていくのが見て取れた。
危険を察知したのかノアを連れ、テュッテが皆から離れて船へと移動し始めた。
こういった状況を非力なテュッテがなんとか凌いでいるのもこういった危機管理能力の賜物だとノアは今までの旅で気が付いているので、文句も言わずリリィと一緒に着いていく。
それに気付いたマギルカも、二人を見守る形で皆から距離を置いた。
そして、皆、海面の変化に釘付けになる。
ノア達の目の前には巨人が現れていたのだ。
正確には上半身だけなのだが、その大きさはこの大きな舞台をも呑み込むほどの大きさである。
「水の巨人……これが精霊っていうのかよ」
ザッハの呻きに誰も答えず、視線はずっと目の前の巨人に注がれる。
「ま、まぁ、落ち着くのだ。こ、こういう時のために妾は精霊の言葉をヴィクトリカから伝授されておってな。なんでも友人のエルフから教えてもらったらしいのだよ。フフフッ、刮目するが良い」
エミリアはちょっぴり尻込みしていたが、持ち前の破天荒パワーで威厳を取り戻し、交流を深めようと聞き慣れない言葉を発した。
皆が驚く中、ノアはなぜテュッテとサフィナが焦っているのか不思議に思う。
すると、水の巨人がピタッと動きを止めた。
話が通じたのか、誰もがそう思った瞬間、仁王立ちで迎え撃つエミリアに悲劇が及んだ。
『なにが「黙れ、クソガキ」だぁぁぁっ! こちとら立派な大人やぞぉぉぉっ!』
「あびゃびゃびゃびゃびゃびゃびゃっ!」
少年のような中性的な声が脳に響き、しかも大音量とともにその口から、エミリアへ勢いよく水鉄砲がぶっかけられる。
幸か不幸か、レリレックス王国の姫君という矜持が無様にその放水に呑まれて吹っ飛ぶことを許すことはなく、仁王立ちのまま全身に水鉄砲を延々とぶっかけられるという、なんともシュールな状況が出来上がっていた。
周りはというと、精霊がしゃべったという驚きよりも、この状況に唖然となっている中、テュッテとサフィナだけがそうなるよねと苦笑いを零していることにノアは不思議に思うのである。
『な、なにっ、こいつ立ったままだとっ。うわぁ、マジキモいんだけどっ』
「人がフレンドリーに語りかけたというのに、その態度はなんじゃぁぁぁっ! やんのか、ごらぁぁぁっ!」
エミリアの根性が精霊をドン引き、もとい、冷静さを取り戻させ、代わりにエミリアが激昂するという悪循環に突入する。
『あっ、気の強い女の子はタイプじゃないんで、チェンジでお願いします』
「なぁにがタイプじゃないだぁぁぁっ! こっちからお断りじゃよっ! というか、人のことああだ、こうだという前に、自分の造形をしっかりせんかぁぁぁっ! なんじゃ、その抽象通り越して溶けたようなフォルムはぁっ! もっとこう、筋肉の隆起をだなぁっ!」
激おこのエミリアは全身を使ってなにやら表現しているが、人体の構造に疎いノアにはなにを表現しているのかよく分からず、首を傾げる。
『んなこと言ったって、観察したことないもん』
姫君と精霊の熱きバトル(?)が続く中、果たしてこれを見守っていて良いのかと、さすがのノアも心配になってきた。
「ならば、刮目するが良いっ! この肉体美をっ」
「ちょ、こらっ姫殿下、待て待て待てぇっ」
エキサイトしすぎて頭に血が上ったエミリアは、ちょうど隣で行く末を見守っていたザッハの服をはだけさせようとしている。
それを見たノアは、別のことで不思議に思った。
周りの女子達がキャ~と顔を手で覆いながらも二人のやり取りを止めようとしないことに。
『あっ、いや、男はちょっと~。やっぱ、女の子っしょ』
最初、あれだけ喧嘩腰だった精霊も、いつの間にやらエミリアのペースに乗せられ、普通に会話している。
これがレリレックス王国の姫様なのかと、ノアは目を輝かせ感心していると、テュッテからあのようなこと真似しちゃダメですよと釘を刺されるのであった。
「チッ、贅沢な奴じゃのう。ここにイリーシャがいたら、からかい半分で彼奴を差し出すのに」
「人の母親を差し出さないでくれるかな」
エミリアの暴言に王子が静かに抗議する。
「そんなに言うのなら、ご自分の母親なんてどうかな?」
「うっ、ダメじゃ、ダメじゃ、母上は余所様に見せられんっ!」
「ホォ~、それはつまり、私がとても世間様にお見せできないスタイルだというのでしょうか、エミリアちゃん?」
さらに続くエミリアの暴言に、ベルトーチカまで静かに抗議してきた。
先程までの感心はどこへやら、レリレックスの失言姫と改名してはどうだろうかとノアが思うほど、エミリアは口を開けば開くほど、ドツボにはまっていく。
『女の子で思い出した。フレデリカたぁぁぁんっ! どこぉぉぉっ!』
一旦ノア達の意識が精霊から離れたところで、彼が急に叫び出した。
「は? フレデリカか。彼奴ならおらんぞ」
『い、いない……そ、そんな、フレデリカたんを追いかけ回して、やっとここまで追い詰め、もとい、来たのに』
なんだか不穏なワードを聞いたように思えたが、精霊の様子が変だったのでノアは見守ることにする。
『お前らぁぁぁっ、フレデリカたんをどこへやったぁぁぁっ!』
思考が短格的なのか、精霊は再び怒りだし、海が荒れ始める。
『まあ、待て待て。我の話を聞くのだ、精霊よ。我こそは偉大なぁ~あああああああっ』
「シ、シータッ!」
エミリアとの会話を聞いていて、それほど面倒な思考を持った者ではないと判断したオルトアギナが満を持して語りかけてみれば、あっさりとシータもろとも海水に流されそうになり、無情にもずっと警戒していたレイチェルにシータだけは引き寄せられて難を逃れ、本だけ流されていく。
本当に、ただのしゃべる本だなとノアは認識を改めるのであった。
「あぁ、オルトアギナ様がビシャビシャにっ!」
海水に流され、舞台の角にしなびれる本をシータが慌てて拾いに行く光景は、本にとってはなんとも哀愁漂うというかなんというか。
とにかく、再び聞く耳持たなくなった精霊をどう宥めるべきか皆が思案しているのだろう、ノアもなにかないかと考えてみる。
「ええい、落ち着け、精霊よっ! フレデリカなどどうでも良かろう」
『うおぉぉぉっ、フレデリカたぁぁぁんっ!』
と、ここでレリレックスの失言姫ことエミリアが神経を逆撫でするようなことを言ってくる。
明らかに精霊にとってフレデリカは大事な存在のようだった。それをいないとか、どうでも良いとか、失言にも程があると、さすがのノアですら察するレベルである。
海は荒れ、舞台に近い船は大きく揺れる。
舞台上も海水が押し寄せ、皆びしょ濡れになり始めた。
「チッ、埒があかんわ。こうなったらしょうがない、駄々っ子には軽くお灸をすえてやろうっ!」
「いけません、エミリアちゃん。精霊に危害を加えたらそれこそ取り返しがつかなくなりますよっ!」
「いぃ~やっ、こういう輩は一発ぶちかまして黙らせた方が手っ取り早いっ! ふはははっ、精霊なんぞなんぼのもんじゃぁっ! こちとら魔族の姫ぞぉっ!」
ベルトーチカの制止空しく、エミリアがテンションマックスで魔法を放つ体勢をとる。
これぞメアリィが言っていた『脳筋』というやつなのだろうかとノアはこんな大変なときに思うのであった。
「……やれやれ、興味本位で下りてきてみれば、随分と低脳な争いをしていますね」
あちらの騒ぎとは裏腹に、離れていたノアの周辺が凍り付く。いや、実際には凍り付いているわけではなく、ノアの耳が、その声だけを聞き取り、静かになったような錯覚を抱いた感じだ。
そして、ゾワァッとノアの背筋に怖気が走る。
それと供に鼓動が早くなり、目に熱が篭もって視界がぼやける中、ノアはゆっくりとそちらを見た。
そこには、一人の男が空中に浮いていたのだ。




