人魚とエンカウントしました
クラーケンの根性とやらで私達は無事に精霊の脅威から脱したようだった。
私達は風のように響く歌声に誘われる形で、フラフラと、もとい、もの凄い勢いでそちらへ向かっていた。
それはもう、もの凄い勢いで私達は甲板の柵やマストにしがみついているのがやっとである。
まぁ、私は神様から頂いたこのスーパーボディのおかげで踏ん張れるのだが、テュッテを支え、ノアにしがみついてもらっているので、身動きできなかったりする。
「ちょっとエミリアァッ! 下の人根性出し過ぎじゃない?」
「まぁ、精霊の力に触れたのは初めてじゃからのう。パニックを起こして全速力で逃げ散らかしてるのじゃろうな。あのヘタレめがぁぁぁっ!」
「海の怪物の異名はいずこへぇっ」
「えっと、あの、そのような状態でも、ちゃんと目的地に向かっていますね。そこがクラーケンの凄さでしょうか?」
私とエミリアがキャンキャンと吠え合っていると、サフィナがクラ子の株を上げようと必至に捻り出して褒めてくれる。
(サフィナったらなんて良い子なのでしょう。それに比べて私ったら……)
「う~ん、これは不味いね」
マギルカと一緒に近くのマストの縄を掴みながら王子が小難しい顔をした。
「殿下。な、なにか問題でも?」
「先程と打って変わって波が大きくなってきたみたいだよね」
「ええ、だから大きく上下に揺れる船から放り出されないようにこうやって……」
「いや、ボクらは良いんだけど……保つだろうか……」
王子の言葉に私はハッと気づかされる。
もしかして、これ程の加速と波を突っ切る衝撃で船が保たないのではないかということに。
(いや、腐ってもこの船はレリレックス王国の姫が乗船する船なのよ。魔法コーティング的ななにかが施されて丈夫なんじゃないかしら?)
私はゴクリと唾を飲み込み、王子の次なる言葉を待つ。
「……船に弱いザッハは……」
(そっちなんかぁぁぁいぃっ!)
思わず王子に対してツッコミを入れそうになったが、私はグッと堪える代わりに心の中でツッコミをする。
(王子ってば、偶に天然ボケかましてくるから油断していると失礼なことしてしまいそうになるのよね。危ない、危ない)
とはいえ、この騒ぎで一番テンション高くなるはずのザッハがいないのは、単純に船酔いで船室にいるからだ。
しかも、レイチェルさんが煎じた薬を飲んで看病されているおまけ付き。
「ハッ、こういったパターンの場合、なにかしらの進展があると私が読んだ恋愛本にはあったはずっ」
「なにぃっ! ならばこんな所でしがみついとる場合ではないぞっ! 見に行かねばっ」
とここで、なぜか盛り上がるシータとエミリアであった。
どうもこの二人、他人の色恋沙汰には目がないらしく、レイチェルさんにいらんちょっかいをかけがちで、今回の看病もあの二人のゴリ押しであったりする。
ちなみに私の腰にしがみついているノアも興味があるのか、チラチラとエミリア達を見ていた。
(なんだろう、おませさんなのかしらね。まぁ、年頃の女の子よろしく恋愛に興味津々なのかな……って、なんか私、枯れてない?)
「ここは私に任せて、エミリアちゃん達は行きなさい。後でどうだったか教えてね♪」
「ベルトーチカ様ぁあ?!」
私が自身の枯れ具合に嘆いていると、この娘にしてこの親である。ベルトーチカ様のまさかの参入に、驚きを隠せず語尾に間抜けな声が出る私なのであった。
「皆様、それよりも前をご覧になってくださいっ! あの小岩の上に誰かいますわっ!」
研究に対してはもの凄い情熱を注ぐが、こういった色恋沙汰には意外と冷静なマギルカが前方を指差し注意を促す。
確かに、小さな小岩の上に座った形で誰かがいた。しかも、歌はそこから聞こえてくる。
その容姿は絵本などで出てくるとおり、上半身が人で下半身が魚の女性だった。
海を彷彿とさせる鮮やかな水色の髪色は、毛先に向かって深海を表現するかのように深い青へと変化している。
こんな日陰と無縁な海原でよくもまぁ日焼けしないなと思えるほどの白い肌が眩しく、それを着飾るように貝殻などの装飾品が見えた。
(か、かかか、貝殻水着だぁぁぁっ!)
漫画やアニメで出てくる妄想全開の人魚の服飾を目の当たりにして、そのインパクトの強さに驚きつつも、その大人の色気全開なグラマラスボディに見ているこっちがかえって恥ずかしくなってくる。
向こうも私達が近づいてきたことに気が付き、歌が止んだ。
だが、パニックになっている下のクラ子の暴走は止まらない。
(あれ? これってやばくない?)
「フフッ、やっぱりベルトーチカの歌だったのね。会えてうれ、えっ、あっ、ちょ、まっ、あれぇぇぇぇぇぇっ!」
ドォォォンという衝撃音が海中から響いてきて、クラ子が正面衝突したことを伝えてくる。
しかも、減速できなかった船が海上の小岩にドッパ~ンッと水しぶきを上げて突っ込み、その衝撃と波で人魚さんが飛んでいくのが見えた。
(さすが姫様の船。この程度の衝突ではびくともしないわねって、感心している場合じゃないわ)
「「「………………」」」
しばしの静寂。
皆、見事に沈んだんだろう場所に広がる波紋を凝視しながら滝汗を流していた。
そして、プカ~と静かに浮かび上がってくる土左衛門の人魚が一人。
「フッ、フレデリカァァァッッ!」
皆が思考停止している中、一人翼を出して人魚の方へと飛んでいくベルトーチカ様がいた。
「こ、これはやらかしたんじゃない? 人魚達と戦争にならないかしら?」
「あ、あああ、あれは事故であって、は、ははは、話せば分かるのではなかろうか。主に母上が」
私の指摘にエミリアが視線を外して滝汗のまま弁明する。
「あ~、びっくりした。船ごと飛び込んでくるなんて、なんて情熱的なのかしら。フッ、相変わらずね、ベルトーチカ。やんちゃ過ぎるわよっ」
「いえいえ、あれは私ではなく下で牽引していたクラ子さんがおっちょこちょいなだけですよ。それに、クラ子さんを魅了しパニックにさせたのはあなたでしょ。相変わらずお茶目さんなんだからっ」
パタパタと空中に浮かぶベルトーチカ様とその下でプカプカと海面に上半身を出して浮く人魚のフレデリカさん。
まるでこういったことは日常茶飯事だと言わんがごとく二人のノホホンとした会話を聞いて困惑しているのは私だけではないはずだ。
と、とにかく、こちらの人身事故は流してくれそうな雰囲気なのでホッとしておこう。
見渡す限りの大海原。先程の大騒ぎから一転して、静かに浮かぶ船の上で私達はようやく落ち着きを取り戻していた。
ちなみに、ザッハ達はどうなったのか見に行ってみれば、思っていた以上に彼のラノベ主人公力が発揮されていた。
「まさか、レイチェルがザッハめを押し倒していたとはのう。いや~、意外と積極的じゃのう」
「ち、違いますっ! 先程も言いましたが突然の揺れで彼を守ろうとしてなんやかんやあって、あんな形になってしまったところに姫殿下達が来ただけです。べ、べべべ、別に他意はありませんよっ!」
ムフフといやらしい笑みを見せるエミリアにレイチェルさんが耳まで真っ赤にして抗議していた。
「私はお義姉ちゃんを応援するよっ。ねっ、ノアちゃんっ」
シータがファイトと言うように両の拳を握りしめフンッと鼻から息を吐いて気合いを入れるようなポーズを取る。ノアを見てみれば、シータと同じポーズを取っていた。
「シータにノアちゃんまで。もぉ~、私をからかわないでくださいっ」
シータはまぁ、そういうのに興味があるのはいっぱいそういった物語を読んでいるらしいので分かるのだが、ノアが興味を示すのはなぜだろう。
(あの子の忘れられた記憶にあるアガード。彼の記憶がレイチェルさんの状況に刺激され、呼び覚まされているのかしら? それとも、すでに呼び起こされて、似た境遇に共感している、とか?)
私は普段と変わらないノアを見る。
だが、確実に記憶を取り戻し始め、彼女の中でなにか変化をもたらしているのは確かなようだ。
その証拠に、昨晩だって一緒に寝ていたら夢にうなされていて、心配になって見てみれば、声をあげて飛び起きたのだ。
その後の台詞を私は忘れない。
――――ごめんなさい、ごめんなさい、アガード。私は、私じゃないの……。
身を小さくし小刻みに震わせ、一時ノアは夢と現実の区別が出来なくなっていたのか、私が声をかけ、その身に触れると、恐怖に歪んだ顔で私から離れた。ただ、あれは私に恐怖したというより、なにか別のモノ、記憶で見た誰かに恐怖していたように思う。
考えられるのは白銀の騎士。それとも、アガードか。
とにかく、今はそんな素振りを微塵も見せず、普段通り明るく振る舞っているので、こちらからあれこれ根掘り葉掘り聞くのは憚られるというものだ。
(ゼオラルへ行き、白銀の騎士に会えば、全てが分かる……今はそう信じて進むしかないわね)
私は気持ちを切り替え、甲板から下を見る。
そこには空に浮かびながら船体のチェックをしている船員達と、それを眺めるベルトーチカ様と人魚のフレデリカさんがいた。
「よし、行くぞメアリィ」
「ちょ、また私を抱えるんじゃないわよっ! 恥ずかしいでしょ」
かつて幽霊船騒ぎでさんざ担ぎまわされた状態をエミリアはさも当たり前のごとくやってのけ、海上に出ようとする。
「大丈夫よっ、そこで見ていてちょうだいね」
私とエミリアのやり取りを見ていたフレデリカさんはこちらに余裕で聞こえる声量で声をかけてくる。
そんなに大声を張り上げているようには見えないのに、しっかり私達の耳に届いてくるのは人魚の特性なのだろうか。
まぁ、皆で船を下り海上のフレデリカさんのところへ行かなくて済むのは良いことだ。
逆に人魚のフレデリカさんを甲板にというか、陸揚げするわけにはいかないしね。
「では自己紹介からっ」
もう彼女の名前はベルトーチカ様の会話からなんとなく分かっていたが、確かにちゃんとした紹介はまだだった。
「ミュージック、スタートォォォッ!」
「はい?」
フレデリカさんは一旦海中に沈んだと思うと、バッシャ~ンと海面から飛び上がって姿を現すと、そんなことを言う。
すると、ベルトーチカ様が軽快な音でリュートを奏で始めた。
「わ~たしのぉ、名前はぁぁぁっ、フレデリカ♪ この精霊海の領域に住む人魚のひ~と~りぃで、歌姫よっ♪」
そして、突然ミュージカルのごとく歌い出すフレデリカさん。
空中に飛び上がったフレデリカさんは、狙っていたのかちょうど船体チェックで飛んでいたガタイの良い船員にお姫様抱っこで綺麗にキャッチされる。
なぜ自然にキャッチしたのか分からず、船員が驚くのとは反対に、さも当たり前だという顔でフレデリカさんは私と目が合った。
「ねぇ~♪ あなたのお名前、聞かせてちょうだいなっ♪」
「あっ、えっと、メアリィ・レガリヤともっ」
「違う、違う、違ぁぁぁうぅ~、そうじゃなぁ~いわぁ~♪」
話を振られたので、私は困惑気味に自己紹介しようとしたら、チッチッチッと指を振られてダメだしされたでござる。
(ま、まさか私も、う、ううう、歌えというのかしらぁあ?)
嫌な気づきを得て、私は皆の方を見ると、皆逃げるように視線を逸らす。
最後の砦ということで、今も軽快にリュートを奏でるベルトーチカ様を見てみれば、にっこり笑顔で返されるだけ……。
音楽に合わせて即興で歌えとおっしゃる、その無茶ぶり。
(こ、これがこちらの精霊の試練ってことかしら。精霊樹での恋バナといい、精霊は私の神様パワーをことごとく外してくるわねぇぇぇっ! こんちきしょおぉぉぉっ!)
私は最大の難解問題に直面し、羞恥に悶えているが、こんなのはまだまだ序の口だということをこれから思い知らされるのであった。




