精霊海の領域
レリレックス王国の王都からベルトーチカ様を連れ出し、再び港町に辿り着いた私達は現在、エミリアの船の上にいた。
無論、天空の島ゼオラルを目指してのことである。
「しかし、王都でそんなことがあったなんてね。なるほど、メアリィ嬢が諸々を飛ばして、急ぎ向かったのはそういうことだったのかな?」
甲板の上で水平線を眺めつつ、私から色々事情を聞いた王子が思わせぶりに聞いてくる。
「いえ、エミリアの勢いに呑まれただけで、なにも考えてませんでした。軽率な行動、申し訳ございません」
変に言い訳じみたことをすると碌なことにならないので、私は素直にありのままを伝える。
「まぁまぁ、メアリィ様にも色々思う所がありますから。それよりもこれからのことを話し合いましょう」
私に気を遣ってマギルカがフォローを入れてくれるが果たしてそれは私にとってプラスになるフォローなのか甚だ疑問ではある。
先日港町に着いて驚いたのは、エミリアの別荘にて待ち伏せ、もとい、エリザベス様と王子達が待機していたことだった。
エリザベス様はベルトーチカ様が外に出てきたことに驚き感嘆していたが、王都で現在起こっている英雄と魔王の対戦を聞いて、溜息交じりに渋々王都に向かっていった。
おそらく、王都の損壊など後処理の為だろう。ちょっと見ていただけだがあれは相当周りに被害が出ていたと思われる。主に建物関係が……周辺の魔族達が巻き込まれて怪我とかしていないと良いのだけど。
口では文句ばかり言っているがそれでも、会話の節々にエリザベス様から魔王様への心配心が垣間見れてちょっとホッコリする私でもある。
ただ、エリザベス様の過保護とも呼べそうなベルトーチカ様への心配は当の本人やエミリアの「メアリィがいるから大丈夫」という台詞で説き伏せたのは些か納得できないのだが……。
まぁ、そういうわけでエリザベス様に着いてきた王子、マギルカ、サフィナ、ザッハ達が合流する形で私達は船に乗って大海原に出て、今に至っているというわけなのだ。
「それもそうだね。ベルトーチカ様の話では、ゼオラルへ向かうにはとある海域を目指さないといけないんだっけ?」
「精霊海の領域。精霊樹の領域同様、精霊が支配している海域だと云われてるわ。文献では船の墓場とも呼ばれているらしいけど、なにがどう墓場なのか勉強不足でなんとも……」
「墓場とは随分危険な場所ですね。精霊がなにかをしているのでしょうか?」
シータが神妙な面持ちで補足説明をしてくれると、サフィナが素朴な疑問を口にする。
「相手はあの精霊だし、変なちょっかいかけて船を沈めているのかしらね~」
私の経験則から導き出した冗談半分の答えに、皆が難しい顔をして無言で答えてくるのであった。
「いやいや、そこは嘘でも反論して欲しいんだけど、ごめん、私が悪うございました」
「あっ、でも、精霊に通ずるエルフのシータさんがいるんですから、なんとかなるんじゃないでしょうか?」
自分で言っておいて不安になった私がオロオロしだすとマギルカがポンと手を打ち、なんとか打開策を提案する。
「う~ん、どうなんだろう。そっちの精霊とは会ったことがないからなんとも……」
「なにか違いでもあるの?」
「精霊がというより、その周りかな。私達は精霊樹、言わば木の精霊と通じているだけで、精霊海、水の精霊には別の種族が通じている可能性があるのよ。だから、向こうには向こうのルールってのがあって、私達はあくまで余所者なのよね」
「なるほどね~。っで、精霊海の領域とコネクションできる人って誰なのかしら?」
「それはぁ~……ベルトーチカ様、とか?」
私が小首を傾げて質問すると、シータも釣られたように小首を傾げてくる。
私達の一連の動作を見守っていた皆が、潮風に乗って聞こえてくるリュートの音に気が付き一斉に船首付近にいる魔族の女性に視線を向けた。
その名はゼオラル
伝説の空島
この世から隔絶された
魔力溢るる豊かな楽園
大海原の天空を揺蕩う姿は
誰にも知られず
ただ海の精霊と人魚の歌が
その伝説を引き寄せる
美しく澄んだ声が周りの音にかき消えることなくスッと私の耳に届いてくる。エミリアとノアにせがまれて歌を歌っていたベルトーチカ様が偶然かそれとも私達の会話を聞いていたのか、とにかくナイスタイミングでゼオラルの歌を歌っていた。
「どう思います、メアリィ様?」
「さすが吟遊詩人よね、綺麗な歌声だし、絵になるわ~」
「お嬢様、そちらではなくて、歌詞の内容だと思いますが?」
「あっ、そっち」
マギルカの質問に、頭空っぽで聞き惚れていた私が素直な感想を述べると、後ろからこっそりテュッテが訂正してくれる。
「海の精霊というのはさっきの精霊海の領域と関係していると考えると、そこに通じているのはエルフではなくて人魚ってことかしら?」
「そうです~♪。私達はぁ~これから人魚のぉ~住処へ向かうため、精霊海の領域へと足を踏み入れる必要があります~♪」
先程のノリのままリュートを奏で、ベルトーチカ様がこちらに語りかけるように歌ってくる。
「あの……ミュージカルみたいになってますが」
「みゅじかるぅ?」
「いえ、気にしないでください。それよりも普通にしゃべっていただけると嬉しいのですが?」
「あっ、ごめんなさい。歌っていたのでついつい」
歌っていたら通常の会話も歌になるというのは職業病なのだろうか。いや、吟遊詩人じゃない私には分からないことということで、うん、深く考えるのはよそう。
「と~にかく、覚悟はしてたけどやっぱりそうなるのかぁ、またどんな難問をふっかけられることか」
私は気持ちを切り替え、精霊樹での出来事を思い出しながら、ガックリと肩を落とし、深い溜息を吐いた。
「ふむ、精霊海の領域か。精霊に会ったことがないからどんな奴なのか楽しみじゃのう」
私と精霊の試練とやらを経験したテュッテとサフィナがなにも言わずに苦笑を零す中、なにも知らないエミリアが心躍らせている。
「ちなみに、先程精霊海の領域に入りましたので心しておいた方がよろしいかと」
「ふへ?」
とりあえずなにか対策会議でも立てた方が良いのではないかと思っていた矢先にサラッと柔和な笑顔で言ってくるベルトーチカに私は血の気が引いた顔で見返した。
ガコンッ!
タイミング良く、大きな振動と供に帆船が急停止した。
「えっ? さっきまでスイスイ進んでいた船が急に止まった?」
「どうしたのじゃ? 幽霊船か? 海賊か? クラーケンか?」
「エミリア……それは私に対する当てつけかしら?」
「いや、メアリィが海で起こるイベントと言ったらこれと言っとったからのう」
「姫様、船には異常ありませんっ!」
私とエミリアのしょうもないやり取りを尻目に、状況を確認してきた船員さん達の声が響いてくる。
「メアリィ様、風が止んでます……」
少し緊張した面持ちでサフィナが周囲を警戒しながら腰の刀に手を添えた。
彼女に言われて私もあれだけ気持ち良かった潮風が全く吹いていないことに気が付き、周囲が静かすぎることに一抹の不安が過る。
「これは……潮の流れも止まっている?」
甲板から少し身を乗り出し、シータが更なる怪現象を報告してきた。
「これが、精霊海の領域。またの名を船の墓場……」
完全に停止状態の船の上で私は周囲をグルッと確認し、ゴクリと唾を飲み込む。
「フッ、この程度で妾達の脚を止めたつもりなら甘い、甘いわぁ! 砂糖菓子よりも甘すぎるわぁぁぁっ!」
「エミリア、あんま精霊を煽るような行為は良くないと思うなぁ、私」
船首に仁王立ちし、水平線に向かって豪語するエミリアに私は後ろから控えめに忠告しておく。
「なぁに、風が無くとも、潮の流れが無くとも、妾の船には問題なぁいっ! さぁ、行けぇぇぇっ、クラ子よぉっ! レリレックスの底力を思い知らせてやれぇぇぇっ!」
前方を指差し、声高らかに宣言するエミリア。
そして、しばしの沈黙。
しばしの沈黙。
沈黙ったら、沈黙……。
「あの、エミリアさん?」
「どうしたぁ、クラ子っ! まさかこの非常事態に寝とるんじゃなかろうなぁっ!」
甲板から身を乗り出し、船の下、水面に向かってエミリアが叫ぶ。
が、やはり船に変化は起こらなかった。
いや、一点変化が起こった。海面にチャプンとゲソの先っぽが申し訳程度に顔を出したのだ。
そして、なにやらウネウネと動いてネチャネチャ音を出す。
「はぁあ? 動けんとはどういうことじゃっ! 貴様っ、精霊に臆したかぁっ、この軟弱者、いや、烏賊か?」
海中にいるクラーケン改め、クラ子の報告を受けてエミリアが逆ギレしながら、一人ツッコミを入れるという冷静なのかそうじゃないのか分からない状態になっている。
「はいっ! 精霊樹は、領域の木々を自在に操っていたと言うことは、精霊海もまた、その海域を自在に操れると言うことではないのでしょうか?」
「はい、正解です」
シータが優等生よろしく挙手した後、自分の考えを言うと、ベルトーチカ様がこれまた今の状況に似つかわしくないポワワ~ンとした表情で、手を合わせて優しく生徒を褒めるかのように答えている。
「え~と、つまり海中にいるクラ子はなにかよく分からない海中の力、もしくは水圧で雁字搦めにされて身動き一つ取れないってわけ?」
「そうですね。この海域は全て精霊の思い通りになると思った方が良いですよ」
私の質問におっとりと答えてくれるベルトーチカ先生。
「な~るほど、ではクラ子の言うことは誠だったというのじゃな、いや~、良かった良かった……って、喜べるかぁぁぁっ! なんじゃ、その反則技はっ!」
「まぁ、それが精霊としか言えないわね」
「理不尽すぎるじゃろっ」
「分かる、分かるわよ、エミリア。だから、あんまり関わり合いたくないのよ、精霊とは」
また一人同志が増えて嬉しいやら悲しいやら。それはともかく、現状どうして良いのか打開策が見つからない。私のグーパンで海面を叩いたところで大きな波紋ができるくらいで、どれが本体なのか曖昧な精霊には大したダメージも与えられない可能性がある。
さらに、それで起こした大きな波のせいで船が転覆した日には土下座じゃ済まされないだろう。下手なことはできない現状が、あぁ、もどかしい。
「どどど、どうするのじゃ? 今からでも謝った方が良いか? 今こそ、其方に教わった土下座をする時か」
先程までの勢いはどこへやら。随分と情けない姿をみせる姫様であった。
「そこはレリレックス王国の姫君として毅然として欲しいところだけど、土下座一つでここを通してもらえるのなら、このメアリィ・レガリヤ、喜んで一緒に土下座してやろうじゃないのよ」
「メ、メアリィ……」
二人でなんかエモい雰囲気醸し出しているけど、言ってる内容はしょぼすぎて泣けてくるんですけどね……。
「姫様っ! 船の周囲に大きな渦が突然発生しました。船を囲むように渦が大きくなっていますっ! このままでは船がっ」
マストの上の見張り台にいた船員の報告にいよいよ精霊の本気が見て取れる。
いや、私が出会った妖精も精霊も、はた迷惑ではあったがコンタクトもなしに、一方的にここまで攻撃的ではなかったはずだ。
まぁ、それは個体差だと言われればそこまでなのだが、なにかあったのかと勘ぐってしまう。
(いやいやいや、そんなこと考えてる場合じゃないわ。どうするのよ、この状況。海を相手に私はどうしたら良いの?)
と、ここで誰よりも前に立ったのはベルトーチカ様だった。
「は、母上っ!」
驚くエミリアを尻目に、ベルトーチカ様はリュートを奏で、歌を歌い始める。
すると驚くことに勢いのあった渦が弱まり、その大きさが縮み始めたではないか。
「すごい、これが吟遊詩人の力」
「んなわけなかろうが。これは母上の力じゃ」
「だから吟遊詩人の力じゃないの?」
「い~や、母上の力じゃ」
「エミリア、そんなことで言い争ってないで、ここは一旦逃げる算段を」
「「「あっ」」」
私とエミリアのどうでも良さそうな議論に先程まで歌っていたベルトーチカ様が珍しくツッコミを入れる。
(するとどうなるかって? 決まってるじゃないか、歌が止まるのだよ)
などと、心の中で自問自答していると、案の定返って神経を逆なでさせてしまったのか、渦が再び大きく激しさを増していった。
「メアリィがさっき会話する時、歌うなと言うからこんなことになったのじゃぞ」
「そもそもあなたが私に変なチャチャ入れるからでしょうがっ!」
見苦しい責任の押し付け合いの中、現状はより悪化した状態になった気がする。
「待ってください、なにか聞こえませんか?」
私達が子犬のごとくキャンキャン吠えてると、マギルカが唇に人差し指を当てて、シ~とポーズを取ると、耳を澄ましていた。
私も釣られて耳を澄ましてみると、確かに今まで聞こえなかった風音というか、歌のような音が聞こえてくる。
「やっと私の歌が届いたようですね」
ホッとするベルトーチカ様の言葉と供に、渦の勢いが弱まり始め、船が金縛りから解けるかのように徐々に動き出す。
「精霊の気が逸れました。エミリア、今のうちに歌が聞こえる方角へっ!」
「なんかよく分からんが、よぉし、クラ子よぉっ! 海の怪物と恐れられた其方らの根性で弱まった拘束など振り切って、逃~げるのじゃぁぁぁ!」
(そこは根性じゃなくて、力って言ってあげた方が良いんじゃないのかしら?)
なんとも締まらないエミリアの口上に応えるように船は動き出し、弱まる渦を掻い潜って、遠くの方で聞こえる歌声に向かって進んでいくのであった。




