懐かしい文字
今、私の頭の中はあまりの驚きで思考停止寸前だった。
だが、考えを放棄できるような事柄ではなくて、私はどういうことだと自分の中で何度も何度も自問する。
周りでなにかを話し合っているようだが、私の耳、というか頭の中に入ってこない。
「お嬢様?」
あまりのテンパりっぷりに、テュッテでも私の表情から思考が読み取れず、不思議そうにこちらを覗き込んできた。
彼女の顔を見て、僅かながらに思考が動き出す。
(落ち着くのよ、メアリィ。冷静に考えれば、あり得る話じゃない。この世界に来たのは私だけとは神様も言ってないわ。そう、私よりも前にここへ転生した人がいても不思議じゃないでしょ)
私は心の中で自分に言い聞かせるように、色々と理由を並べていく。
そう考えると、時間経過と供に私は冷静に判断できるようになってきた。
そして、次なる問題はもちろん、この施設に関係する者が、私同様、日本からの転生者だという可能性だった。
キーワードは最初に書かれていた「アガード」という単語である。
単純に考えて、人の名前だろうか。
それとも、なにかのマジックアイテムの名称か。
はたまた、私の知らない魔法の名称か。
もしかしたら場所かもしれない。
う~ん、考え出したらきりがなかった。
ならば、その古書をもっと読めば良いだけのこと。私はそう結論づけると、ようやく皆を見ることができるようになった。
「シ、シータ。なにか分かったことはあるかしら?」
「う~ん、本の材質、劣化具合を見た感じ、古いモノだというのは分かるんだけど。正確な年代はしっかり調べないと分からないわね」
『我としては、この記号というか文字らしきモノが気になるな。我に知らぬモノがある……実に興味深い』
好奇心と探究心を刺激され、二人はその古書を持ち帰る気満々だった。
「私にも見せてくれる?」
「ええ、どうぞ。あっ、でも、一応私の魔法で一時的に保護しているけど、慎重に扱ってね。こういうモノは脆くなっているから」
私に差し出しながら、シータはパワー過多の私に恐ろしい要求をしてきた。
本の内容が衝撃的すぎて忘れていたが、これは年代物であり、扱いには細心の注意が必要な代物だったのだ。
そう思うと、ビビりな私は尻込みする。でも、読みたい、内容を確認したい。
ではどうするのか、そうなったときの私の判断は一択である。
「テュ、テュッテ……」
「はい、お任せください、お嬢様」
私が頼ろうとすると、待ってましたかのようにささっと、前に出てシータから本を受け取るテュッテがとても頼もしい。
本を持ちテュッテは二人で揃って本が読めそうな場所に私を誘導すると、二人仲良く座って読書を開始するのであった。
「仲がよろしいことで」
一部始終を見ていたシータがホッコリ顔で感想を述べると、なんだか気恥ずかしくなってくる。
テュッテにページを捲ってもらい、私はその内容を確認していった。
あがーど。
きょう、あのひとがくれたぼくのなまえだ。
これにとくべつないみはない。
ただばんごうでよぶのが、いやになったからだって。
それでも、ぼくはうれしい、のかな。よくわからないや。
とりあえず、もらったのでよろこんでおいた。
一ページの文字量はとても少なく、簡潔だった。
日記ようにも思えるが、正確な日付もないのでなんとも言えない。
(あの人? 名前をつける? 番号? ここで一体なにが……)
とにかく、ここに誰かが二人いたのは確定のようだ。だが、ここでなにをしていたのか、この文からは見えてこないが、なにやら言い知れぬ不安が私の中で燻り始めている。
「お嬢様?」
前世の知識から、チラッと恐ろしい考えが頭を過り無言になる私を見て、古書を閉じ心配そうにテュッテが話しかけてきた。
「んっ、あっ、ごめんごめん。考えごとをしちゃってたわ」
「それで、メアリィ様、どうだった。もしかしてその文字が読める、とか?」
私が見終わったと判断して、待ちきれずにシータが期待の目で聞いてくる。
「ど、どうなんだろうね。見覚えあるようなないような……」
申し訳ない気持ちだが、今しばらく私は言葉を濁しておく。
『ほぉ~、読めない……ではなく、見覚えが、か。さて、どこで見たのやら』
「うっ……」
嘘をつくのが下手くそな私は、どうやら余計なことを言ったらしく、オルトアギナが探るようにちゃちゃを入れてきた。
「そ、それを言ったらオルトアギナだって、ここの施設はニケさんが作ったんでしょ。彼? が書いたんじゃないのかしら?」
『なるほど、それは失念しておった。確かに、我は見たことがないが、奴に関係するモノの中にその文字があるやも……』
誤魔化そうとしてさらに墓穴を掘っているのではないかとハラハラしながら、私は捲したててみると、意外といけたみたいだ。
「う~ん、ここが大書庫塔なら、総動員でいろいろ調べられるのになぁ……」
『それなんだが、今手の空いている者に指示し、調べさせておる。なにか分かれば知らせよう』
「あっ、そっか。オルトアギナ様はカイロメイアにいるんだっけ。忘れてたわ」
『いやいやいや、我はそこの本ではないぞ。忘れるでないわっ』
シータに言われて、私もそういえばあのしゃべる本の正体は、大きな古竜だということを失念しそうになっていたことに苦笑する。
『それで、メアリィよ。先の話だが、其方はどこで』
くっ、誤魔化せなかったようですわ。
「メアリィ様ッ、ちょっと来てくれっ!」
しつこく話を戻そうとしてきたオルトアギナを遮ったのは、奥の方から私を呼ぶザッハの声だった。
「ザ、ザッハさんが呼んでるわ。な、なんだろうね、行きましょ、行きましょ」
『チッ……まぁ、良いわ』
私としても、もう少し古書を読み進めたいところではあるが、今はこのしゃべる本、もとい、古竜の追及から逃れるべく、ザッハ達のところへ向かうのがベストだろう。
古書の方はテュッテがシータになにやら聞き、メモしている。おそらく、取り扱い方について相談しているのだろう。今後も私が読みたいだろうと彼女は考え、手元に残しておこうとしているのだと思う。
ほんと、私のことを知り尽くしている、実に頼れるメイドであった。
そそくさと逃げるように私は奥の方へと歩いて行くと、突き当たりの大きな部屋の中にいる皆が見えてくる。
どうやら、あの部屋になにやら問題があるようだった。
私はふと、先程の日記のような文を思い出す。
例の二人がここで生活していた痕跡でもあれば良いかなと思いつつ、皆と合流した私の眼前には、そんな生優しい考えを一蹴する光景が広がっていた。
大人一人が余裕で入れるような、円柱の大きな培養器が壁に沿って円を描くようにズラ~と並んでいる。その異様な光景は、マジックアイテム類なのに、ある種SF映画を彷彿させる光景だった。
さらに、その中央。そこには台座のようななにかが設置されている。
私の主観ではあるが、パッと見た瞬間ベッドのように見え、全体的に手術室といった雰囲気だろう。
「……メアリィ様、どう思われます?」
「う~ん、一番しっかりして機能しているところを見ると、ここがこの施設の中枢ってところかしら……詳しくはシータやオルトアギナに聞いた方が良いかも」
「『…………』」
「シータ?」
二人の意見を聞こうと思い、シータを見てみれば、なぜか固まっていた。その表情は見てはいけないモノを見たといった驚愕と恐怖な感じである。
「……ここは、オルトアギナ様の記憶の一部にあった人体実験の風景に似ている……」
『ニケよ。其方はまだ続けておったのか』
シータが震える声で呟き、苦虫を噛み潰したような声でオルトアギナが続く。
その言葉で初めて知ったのだが、かつてオルトアギナが行った凶行に協力者がいたということだ。
そして、先程私が読んだ古書の内容。そこの疑問点に一つの可能性が出てきたのかもしれない。
アガード。
彼はここにいた実験体なのかもしれないと。
(じゃあ、あの人とはニケのことかしら。番号で読ぶのが嫌になったからと書いてあったし、辻褄が合うような)
ニケの人となりを知らないので、あくまでこれは私の憶測に過ぎないのだが、とにかくここでカイロメイアの悪夢が人知れず続けられていたと言うことだろうか。
「それって、つまりここでシータ達のような人体実験が行われていたってこと?」
『……いや……肉体に手を加え作り替える段階はすでに成功し終わっておる。奴が目指し、我と道を違えたその先の神の領域をここで行っていたのかもしれない』
「……人を作り替える、その先って……」
ニケが目指した神の領域とやらがなんなのか、私には分からない。だが、それは私の中で賞賛されないことだと警鐘を鳴らしているのは確かだ。
アニメや映画、それらの創作物から引用するなら、現状から別の存在を作り上げる。はたまた、全く新しい存在を作り出す。そういった感じなのだろうか。
『シータ、すまぬ。今一度其方の力を借りるぞ』
「……うん」
私がゾッとするような想像を膨らませていると、横でオルトアギナがシータに断りを入れてきた。
「オルトアギナ様ッ! いくら拒絶反応がないといっても、そんな短い時間にっ」
中央の台座の近くにあった端末らしき筒に鍵を挿し、スゥッと瞳に光が無くなっていくシータを見て、レイチェルさんが叫ぶ。
私には分からなかったが、シータにも負担はあったのだろう。扉を開けた時からそんなに時間が経っていないので、彼女の負担がどれほどになるのか計り知れない。
『ここの装置はいまだ健在だ! こんなモノが他の者達の手に渡る可能性はゼロにせねばならぬっ! 奴なら施設を完全に破棄できたはずなのに、それをしないということは、いつか何者かがここを訪れ、どういった結果をもたらすのか、観察する魂胆だったのだろうっ! 我と奴は根本が似ているから、安易に想像がつくっ』
珍しくオルトアギナが怒りを露わにして、聞いてる私は、息を呑む。
「し、しかし、この施設の破壊行動は妖精が許さないと言ってましたけど、大丈夫なのですか?」
だが、オルトアギナの迫力に気圧されることなく、レイチェルさんは別の理由で攻めていった。
『外部の損傷なら奴らも気が付くが、内部から誤作動を起こすように仕向ければ問題ないっ』
そんなので誤魔化せるのか甚だ疑問だが、まぁ、オルトアギナが言っているのであれば、大丈夫なのだろう。知識量と判断力だけなら、私は彼を信頼している。
ここの施設がどれほどデンジャラスなのか、今一ピンと来ていないが、聖教国あたりや、他者に悪用されるのは勘弁して欲しいので、私としては願ったり叶ったりである。しかも、ここはレガリヤ領だ、個人的にも気が付いた以上、問題は極力排除しておきたい。
「シータさんへの心配はもちろんあるけど、オルトアギナ殿の判断をボクは推したい。王国としてはここの技術は手に余るし、倫理に反している。合成獣の件で、聖教国はカイロメイアの技術力をかなり欲しているだろうから、潰せるのなら潰しておきたいと思ってる」
「殿下の言うこともごもっともですが、そもそもここの入り口を再び閉じてしまえばよろしいのではないでしょうか?」
王子は私と同意見らしいが、マギルカの言い分も確かにと思う。
「そうね、今までそれで侵入されてな……いや、侵入されているわ」
私は巨像と戦った場所と、今までの噂話を思い出した。
『そうだ。あの白銀の鎧達やモンスターは外部から入り込んできた者達だ。調べて分かったが、どうやらこの施設はある期間中、魔力供給が不安定になり、機能しない時がある』
「……もしかして月見草の開花時期?」
『うむ、月見草が開花すると大量の魔力が外へ放出される。移動され群生化した月見草の魔力はここから受けており、ここは人工的に作られた魔力溜まりの中枢だ。そこが急激な吸い上げに耐えられなくて機能が一時麻痺するといった感じだろう』
「あのぉ~、私、覚悟完了してスタンバッてるんですけど、まぁ~だですかぁ~?」
緊張感が走る中、一人間の抜けた声でシータが抗議してくる。
「あのさ、的外れなら謝るけど、シータの力って自分ではなんとかならないのか? それができたら負担だなんだってのは、無くなるんじゃね?」
「ふへ?」
私達の会話に参加していなかったザッハが、シータに向かって素朴な疑問を投げかけてきた。
「こういうモノだって思って、考えたことなかったわ。確かに、私の力だものね」
腕を組み、う~んと唸りながらシータが考える。
「ザッハさんのくせに、なかなか盲点を突いてきたわね」
「くせにってなんだよ、失礼だろ」
「そうですよ、メアリィ様。ザッハさんだってこう見えて周りをよく見て、鋭い考察をしますよ」
「こ、こう見えてって……レイチェルさんまで……」
「あっ、え、えっと、そのぉ……ちがっ、違う、違うのぉ」
シュンとするザッハに、レイチェルさんは申し訳なさそうになにか言おうとアワアワしている。
「なんだろう。キリッとした表情でフォローしたつもりが一転して、頬を真っ赤にしてアワアワする様は可愛いというかなんというか、良いモノですなぁ~」
「そうだねぇ~」
というわけで、二人の様子を満足気に眺める、私とシータがいるのであった。
「それで、どうなの? オルトアギナ」
『う、うむ……可能といえば可能だろう。もともと彼女の内にある能力を、我が強引に引き出しておるだけだからな』
「だってさ。シータ、試しにやってみたら?」
「メアリィ様、やれって言われても、どうやって?」
「そこはオルトアギナが教えてくれるでしょ、ねぇ」
『だったら、我が操作した方が早くないか?』
「そんなんじゃあ、いつまで経っても娘が成長しないわよ。父親としては寂しいかもしれないけど立派に巣立たせないと」
『だ、だだだ、誰が父親だ』
ザッハとレイチェルさんのおかげで和んだ空気がその場にでき、私は続いてオルトアギナにも茶化すように言ってみたら、意外にもアワアワと焦る様が見られて、心がホッコリする。
「おとうさぁ~ん、教えて、教えてぇ~♪」
悪乗りして、シータも茶化してきた。
『ば、ばばば、馬鹿なこと言ってないで、気を落ち着けよ、シータ。オホンッ……其方がどれほどの者か試させて貰うぞ』
私達はシータから離れ、二人の行く末を見守ることにする。
オルトアギナがなんか小難しいアドバイスをしているが、なんのことだがさっぱり分からないので聞き流し、私は私なりになにかできないかと、周りを見回してみた。
そういえば、例の古書も読み途中だったので、これを期に読み進めるのもありかもしれない。
私は側に控えるテュッテに、古書を出して貰おうと彼女を見る。向こうではオルトアギナの訳の分からないウンチクに、ウ~ウ~唸りながら悪戦苦闘しているシータの声が今もなお聞こえてくる。
その内シータの感情がウガァァァッと爆発するんじゃないのかと言うくらい切羽詰まっている雰囲気だが、心の中で「頑張れ」と励ますしかできない不甲斐ない私であった。
とその時、ガゴンッとなにかが外れる大きな音が辺りに響き渡った。
「えっ、な、なに?」
『おおおっ、凄いじゃないか、シータよ。初めてにしては上出来だ。まぁ、目的とは全く違って、ただ作動させただけだけどな。だが、さすが我がむす……じゃなくて、民だ』
「この親馬鹿がぁ! 褒めとる場合かぁ」
「えへへへ、それほどでもぉ~」
「そっちも、照れとる場合かぁ! 事態をややこしくしたかもしれないんだからねっ」
ゴゴゴゴゴッと不穏な振動音を起こすこの部屋で、和んだ空気を醸し出す二人に、私はツッコミを入れつつ、周りに注意を払う。
振動が止むと同時に私達が立つ中央の床が変形し、円柱状に迫り上がり始めた。
「皆、離れてっ! 床が」
私はテュッテを連れ、一旦中央から距離を取り、周りを見ると皆も各々散りながら距離を取っているところだった。どんな危険なモノが現れようとも、すぐにテュッテを守れるように、私は臨戦態勢を取る。
そして、緊張する私の眼前で、せり上がった床の下から新たな装置が姿を現した。
それは周囲にあった円柱の培養器をさらに大きくした感じで、かなり複雑化されたモノだった。
だがそれよりも、私の視線はその中身に釘付けになっている。
「……人が……眠っている……」
今まで見た容器は全て空っぽだったのに、その容器には液体が満ちており、そこに一人の少女が浮かんでいたのだ。
年の頃は私達より幼いようで小柄だ。
全裸だというのは衝撃だったが、それ以上に、腰と尾てい骨の間辺りから伸びる爬虫類のような尻尾。頭から生えている小さな二本の角。エルフを彷彿させる長い耳。シータ達に似た白い髪と褐色の肌。
その全てがなにを物語っているのか、馬鹿な私でも察せる程、衝撃を受けている。
(うそでしょ。ここでニケが行っていたのは、人の合成……)
これが、白銀の騎士の軌跡を辿ろうとしていた私に舞い降りた、とんでもない事件の始まりであった。