逃走と戦闘
「なんだ……なにが起こっているというのだっ!」
捕らわれた状態のシータの横でトーマスが困惑と焦りの表情を見せている。
現在、捕獲されているシータとレイチェルは英滅機関の人間数人と共にこの迷宮みたいな地下墓地から地上へ向かって走っていた。
その後方、遠くの方でマギルカ達と機関の人間が交戦している音が微かに聞こえてくる。こちらに駆けつけてきた氏族長の部隊と合流し、一気に差を縮めてくるのは時間の問題だろう。
シータ達もそれが分かっているから、足を引っ張るべく抵抗したかった。ところが、彼らに付けられた首輪のせいか上手く力が入らず、そのせいで魔法を使おうとすると、動作が遅くすぐに暴力によってキャンセルさせられる。
シータは知らないだろうが、彼女達が装着させられているのはレリレックス王国にあった拘束具の技術の盗用だった。
とはいえ、メアリィのせいでオリジナルを盗み出せず、さらにはギルツやフィフィのような優秀な人材がいない聖教国ではかなりの劣化コピーで、本物には程遠い粗悪品しか作れなかった。それでも、シータ達くらいなら強引に連れていけるだけの拘束力を、数分くらいは備えているみたいだ。
彼らとて、こんな粗悪品に頼りたくはなかったのだろうが、切羽詰まった状況なのでシータ達の煩わしい抵抗を少しの間でも無くしたかったのだろう。
そこまで用意周到なトーマスが今、計画が破綻しようとして、驚愕と焦りに顔を歪ませているのを見ると、シータは「ざまぁみろ」と思ってしまう。
「くそっ、くそっ、この私が逃げるなどと……私の計画は完璧だったはずだ。多少強引ではあったが、なんとかここまで持ってこれたのに、肝心の合成獣達が町を荒らさず集まっているだと。それでは竜の封印を解いた後に聖教国の軍が救援を名目に侵攻できないではないか……」
よほど余裕が無くなってきたのか、シータにとっては耳を疑いたくなるようなことをブツブツとトーマスが呟いている。
この騒ぎに乗じて封印を解くだけでなく、さらにその後のことを見越しての自作自演であったということだろうか。
「なのに、神獣に跨がった白銀の少女だと……神獣はあの金髪の方が使役していたのではなかったのか。ま、まさか、我々の目を誤魔化すための手を、ここへ来る前から打っていたというのか……」
トーマスは精霊樹の領域で出会ったマギルカを思い出して、驚愕する。カイロメイアに到着する前、あの時点で白銀の少女は自分達の警戒から逃れるための布石を投じていたということだろうかと……。
まさか、メアリィもふと思った検証が、思わぬ所で彼らにおもいっきり作用するとは考えてもいなかっただろう。
「ありえない、ありえないっ! 我々は神の代弁者、神の御使い、その選ばれし我々が……私の計画が破綻など……」
「思い上がりも甚だしいわねっ! 神に愛されているのはあの方であって、お前なんかじゃなっ」
「黙れぇぇぇっ!」
自分がした功績ではなかったが、それでもシータは言わずにはいられなかった。この町を混乱に陥れ、シータの両親を殺した相手にシータは皮肉たっぷりに答えてやれば、トーマスは足を止めると激昂して彼女の頬を叩いてきた。
「トーマスッ、貴様ぁぁぁぅぐっ!」
近くで足を止めたレイチェルがシータが殴られ激昂し、彼に飛びかかる勢いで動こうとするが、周りを囲んでいた男達の暴力に息を詰まらせる。
トーマスの逆鱗によほど触れたのか、手加減なしの平手打ちにシータの頬が赤くなり、唇の端を切ったのか血が滲んだが、シータはそれで恐怖し萎縮することはなかった。キッと相手を睨みつけ、殺意をぶつけていく。
トーマスだけじゃない。彼が動かす英滅機関に、その後ろで暗躍する聖教国に怒りを込めて……。
だが、トーマスは少女程度の気迫になど圧されることなく、興奮気味ではあったが、彼女の髪を掴んで引っ張りあげると睨み返してくる。
「フンッ! ユニット風情がよく吠える。そうだ、お前だ、お前さえ封印の場に連れて行けさえすれば、過程などどうでもよくなるのだっ」
トーマスの口振りに、シータはこの儀式に自分には拒否権がないことを思い出し、このままではいけないと足掻こうとするが、悔しいかな今のシータには彼らを振り解く力はなかった。
「貴様だけは、許さないっ!」
トーマスとシータのにらみ合いに割って入る声がする。
それはレイチェルだった。
なんと、彼女は男達を振り払ってトーマスに飛びかかってきたのだ。
よく見ると、彼女の首輪が壊れかけているのが見えた。
所詮は劣化コピー。レイチェルの力を抑制できず、壊れたのだろうか、もしくは時間切れだったのか、とにかく、レイチェルに拘束力が無くなった。
とはいえ、まだ上手く体に力が入らないレイチェル的には魔法を使いたかったが、シータが彼の近くにいるため使えない。ならば、彼女が逃げられるだけの隙を……そう思っての体当たりである。
もう少し持つだろうと踏んでいたトーマスからは予想外の抵抗に驚き、思いっきり彼女の体当たりを受け、体勢を崩すとシータを離した。
それを見逃すシータではなかった。
力が入らない体に鞭打って、強引に彼らから離れようと走り出す。
だが、その背中にくぐもった悲鳴が届くと、慌てて横目で見てみれば、倒れるレイチェルの背中に大きく切り傷が入っていた。
そして、苦悶に歪むレイチェルと目が合う。
だが、それはシータに助けを求める視線ではなかった。
その目には自分を見捨てて走れという思いが込められていることにシータは気付く。
ここでシータの足の動きが鈍った。
なぜレイチェルまでもが連れてこられているのか、シータは気が付く。彼女はシータが逃げないようにする足枷だ。一緒に逃げられるのならそれに越したことはないのだが、今のようにレイチェルを残して自分だけ逃げるとなったとき、シータがその選択を選ぶことができるかということだ。
実際問題、シータはすぐにはできなかった。
レイチェルは自分を利用した節がある。そう考えても、レイチェルに対してどうしてもドライな気持ちにはなれなかった。
「逃げなさいっ、シータッ!」
レイチェルの怒声にビクッと体が硬直し、怒られた子供のごとくシータはギュッと目を瞑って、反射的に走り出す。体が先程までよりも動くのが幸いだったが、それでも足がもつれて上手く走れない。
「くそがぁっ、どいつもこいつも私の足を引っ張りやがってぇっ!」
トーマスの怒声とレイチェルの苦痛の叫びが洞窟内に木霊し、シータは耳を塞ぎたくなる。
「お前達はここで追っ手を迎え撃て。私はあいつを追うっ」
「はっ! それで、この女はどうしますか?」
「もう利用価値が無くなったから、殺っ……いや……そうだな、ここで役に立ってもらうとするか」
不穏な声が響いてきて、シータの足取りが鈍くなり戻ろうとしてしまう。そんな考えを振り払おうと首を振って、シータはとにかく外を目指した。
シータがトーマス達から離れてすぐの頃、先行していたマギルカ達が追いついてきた。
「レイチェルさんっ!」
マギルカが男達に囲まれながら倒れて動かないレイチェルを見て叫ぶと、その声に気が付いたトーマスがこちらに一瞥してきて、待ってましたと口角をつり上げる。そして、懐から合成獣の卵を取り出すと、その卵は今まで見たものと形状も大きさも違っていた。
「これはまだ試作品で問題だらけだが、私をここまでコケにしてくれたキミらにプレゼントしようじゃないか」
そう言うとなにを思ったかトーマスはボトッとその卵をうつ伏せになっているレイチェルの痛々しい背中に落とした。
すると卵は、いや、肉塊はボコボコボコと膨れ上がるとレイチェルの背中を包み込むように広がっていく。
それと同時にレイチェルから悲鳴が上がった。
「レイチェルさんっ」
「み、みな、さん……私のことは、無視して……シータは……この先にぃ……」
マギルカの叫びと痛みに意識が朦朧とする中、レイチェルは言葉を絞り出す。まるで急速に魔力を奪われているような感覚に襲われ、体が動かせない。否、奪われているのだ。
寄生型の合成獣。
自身の魔力を消費して急速成長して暴れる従来の合成獣とは違って、エネルギーの全てを寄生先から調達するモンスターは、急激にその体を大きくしていき、宿主であるレイチェルをその腹に取り込んでいく。
マギルカ達がその光景に驚愕し、どうしていいのか分からず戸惑っていると、身の丈三メートル程の巨体が彼女達の前に立ちはだかった。
その姿は二本足で立つ竜を模したのだろうか。だが、その姿は歪でとてもそうとは思えない形をしている。
マギルカは先の合成獣事件で見たなんちゃってドラゴンのことがあったので、もしかしたらと気付ける程度に形は定まっていない。
「クククッ、リベラルマテリアの生け贄システムの応用だが、ここまで上手くいくとは驚きだ。さすがは竜が作った実験素体のエルフ、研究となると相性が良いようだな」
異様な光景を目の当たりにしながらトーマスが嘲笑し、誰かに語っているのを見て、ザッハがその視線を追った。
「腹の部分を見ろ、レイチェルさんがっ」
戦闘態勢をとったままザッハが叫ぶと、皆合成獣の腹を見る。
彼の言う通り、そのお腹から宿主であるレイチェルの上半身が露出していた。
さらに、合成獣と対峙するマギルカ達の前に、黒ずくめ達が合成獣の加勢をするかのように立ち塞がってきた。
よく見ると、トーマスは一人合成獣の後ろに静観し、自分だけシータを追いかけようとしていた。
数的にも不利で、しかも未知のモンスター相手にどうするか思い悩むマギルカ達だったが、そんなことお構いなしに合成獣が咆哮をあげ、動き出した。
攻撃が一斉に来る。
そう思って相手を注意深く見ていた三人の目に信じられない光景が飛び込んできた。
なんと、加勢とばかりに現れた黒ずくめ達を合成獣が、その大きな手に生えた鋭い爪で面白いくらいになんの抵抗もなくスパスパと斬って捨てたのだ。
黒ずくめ達の鎧すらモノとも言わせないその切れ味は危険極まりないことをマギルカ達に教えてくれる。
「ふむ……やはり制御できていないか。贄が代わっても結果は同じと……」
「……見境なしということですかっ」
「ザッハさんっ、あぶなっ!」
「任せろっ! サフィナ、準備をっ!」
トーマスの独り言から状況を素早く判断し悪態を付くマギルカ。それによって状況を掴んだザッハが皆の前に出ると、それを見て驚くサフィナに彼は盾を構えて答える。
タイミング同じくして、合成獣は吠えながら黒ずくめ達を葬ったその大きな腕を振り上げ、ザッハに襲いかかってきた。
しかし、ザッハの予想通り持っていた盾に弾かれ、驚いた合成獣が体勢を崩す。
なんという強度だろうか。テストの段階でさんざん強度を見てきたが、あくまで勘で弾けるのではと思っていたザッハは、その強度に制作者であるシェリーへ心の中で感謝する。
「ん? 跳ね返しただと。なんという盾だ」
予想外だったのか驚くトーマスを尻目に、この隙を見逃さないサフィナがザッハの後ろから飛び出す。
「風刃裂破ッ!」
真空の刃が乗ったサフィナの一閃が合成獣の片腕を襲い、血飛沫をあげて切り離される。
「あぁぁぁぁぁっ!」
すると、腹から露出していたレイチェルが合成獣の叫びに合わせるように苦悶の叫びをあげた。
「まさか、共有されていますのっ!」
さらに驚くのはその再生スピードだった。
マギルカが出会ったあのドラゴンもどきと同じく、みるみる内に斬られた腕が再生していく。だが、それに伴ってレイチェルの顔色がどんどん悪くなっていくのが分かった。
「クククッ、そのうち魔力が枯渇して合成獣も自壊するからのんびりしていれば良いさ。まぁ、私は忙しいので先に進ませてもらうけどね。結果が見られないのはとても残念だ」
トーマスが皮肉混じりにアドバイスをすると余裕を見せてるようにシータが逃げた方へと歩き出す。それをただただ見ていることしかできないマギルカ達は歯噛みしていた。彼の言う通り、時間を掛ければ今まで出現した合成獣のように目の前のモンスターも衰弱するだろう。だが、それは宿主から魔力を根こそぎ奪ったことになり、レイチェルの命が尽きたということになる。
時間は掛けたくない。だが、攻撃するとレイチェルの精神に多大なダメージを与えてくる。下手をするとこのままの状態で合成獣を倒したら、レイチェルも道連れにされるかもしれない。
「どうする?」
「レイチェルさんをあのモンスターから引き剥がし、再生できないくらいの一撃で葬るのが理想ですわね。さらに、時間を掛けたくありませんので、今すぐにでも」
どうすれば良いのかマギルカが考えを巡らせていると、ザッハが聞いてきたので、とりあえず一番の理想を彼に伝える。
「なるほど、確かにそれがベストだな」
どうやってやるんだという質問がザッハの口から出てこなかったのは、その方法がマギルカにはないということを彼女の言葉から汲み取ってのことだろう。こういう時だけ察しが良い友人に、マギルカは自虐も含めて苦笑いを零してしまう。
「よし、俺がレイチェルさんをあいつから引き摺り出すから、トドメはお前らに任せたぜっ」
マギルカの提案から数分もしない内にザッハが提案してきて、その内容にマギルカとサフィナは驚き、彼を見る。
ザッハがどうやってそれを可能にするかは、彼に考えがあるのか分からないが、マギルカは自分とサフィナにトドメを任せたのには、少なからず心当たりがあった。
いつもならこのポジションにはサフィナとメアリィがつき、二人の混合技で相手を葬るのがパターンであったからだ。
それを今、マギルカにやれとザッハは言っているのだ。
マギルカもまた、メアリィの実力を知ってなお、自身の向上を諦めたわけではない。
むしろ、彼女に追いつくために日々の努力を怠ってはいなかった。
それでも、メアリィのように魔法を五連続も行使するという離れ技を修得することはできなかった。
今の自分には、できて二連続が限界だ。
いや、後先も考えず、魔力枯渇でぶっ倒れて、最悪危篤状態になったとしても良いと言うなら三連続はできるかもしれない。
それでも、五連続のメアリィには遠く及ばなかった。
と、考えすぎて沈黙が長かったせいか、サフィナが心配そうにマギルカの顔を見ていたことに気が付く。彼女がなにを求めているのかマギルカには痛いほど分かっていた。だからか、続く言葉に逡巡が含まれる。
「……私には二…………いいえ、三連続が限界ですわ」
マギルカは決して見栄を張って三連続と言ったわけではない。後続の王子達に自分の身を託し、倒れる覚悟で、下手をしたら命の危険を冒す覚悟でサフィナに伝えたのだ。
サフィナもその覚悟を理解したのか、なにも言わずに頷くだけに終わる。
「……私も、自分可愛さになんて言ってられませんね」
マギルカの決意を知って、サフィナもまたなにかを決意するように刀を握り直していた。
「サフィナさん?」
「タイミングはお任せします。私が必ず合わせますから」
昔はあんなに弱気だったサフィナの頼もしい言葉を聞いて、マギルカは胸にぐっと来るものがあった。
自分一人で全て悩むことはない。
ダメならダメで助けてくれる仲間がいる。
自分がそうあろうとする中で、自分もまたそうあろうとする存在に囲まれていることに、マギルカは心の中で神に感謝する。
「よぉし、決まりだな。それじゃあ、行くぜぇぇぇっ!」
会話の終わりを合図にザッハが相手を睨んで飛び出した。
メアリィがいない中で、彼女の実力に少しでも追いつき、助力になろうと志す仲間達の戦いの幕が、今、切って落とされた。




