オルトアギナの書
ここは司書長の部屋。
今はシータとレイチェル二人だけで話し合っているところだ。
今回の事件、オルトアギナの書の盗難。
保管されていた本が盗難や紛失というのは今まで一度もなかったわけではない。そのための管理や警備は年を重ねて強化されていったが、完全に防ぐことはできないでいる。なので、ここまで大騒ぎするような事態ではないはずなのだが、今回はそうも言ってられなかった。
なぜなら、司書長しか開けられないはずの閉じられていた書庫の扉が開けられ、持ち出された本が貴重なオルトアギナの書だったからだ。
もちろん、シータが閉め忘れたというポカはしていない。そもそもあの扉は閉めたら勝手に閉まるオートロック式だ。
「まさかオルトアギナの書が、昨日見つけたばかりでいきなり盗まれるなんて……」
「計画的というには行動が早すぎるわね。仮に計画していたのなら場所を知っていたということかしら」
シータの呟きにレイチェルが続く。
「でも、私が開けなくても扉を開けられるのなら、このタイミングで盗るのはおかしな話じゃないかな?」
「そうね。だとすると、昨日あの本の存在を知った者達……に絞られるかしら」
「昨日の段階で知っているのは、報告を聞いたお義父さんと、その場にいた司祭とギランさんくらいかしら?」
「氏族長の父が盗むメリットが分からないけど、一応三人にはここに来るように使いを出しておいたわ」
「さすがお義姉ちゃん。仕事が早いっ」
シータがその考えに至ると察して、すでに行動に移っていたレイチェルの有能さに感嘆しつつ、シータは話を進めることにする。
「それで、昨日はあの後、なにか不審な点はなかったかしら?」
「そうね、町中に例の正体不明なモンスターが侵入したくらいかしら?」
「ふ~ん、モンスターね~。これといって驚くことじゃないけど、ここ最近、町中に出没する回数が増えている気がするような……」
レイチェルの報告を聞いて、モンスターが現れたのにシータは特に驚くことはなかった。ここカイロメイアが湖の真ん中に位置しているからといって、いにしえの森の中にある以上モンスターの脅威とは無縁ではいられない。町中にモンスターの侵入を許すことなどよくあることなので、別段驚くことではなかった。
だが、気になるのはここ最近出没するという、なんなのかよく分からない歪な形のモンスターの存在だった。
モンスターに詳しい者に聞いたところ「見たことがない、もしかしたら新種か合成獣ではないか」と言っており、出現率が多くなりそうなら本格的に調べないといけないかもしれないなぁと氏族長の義父がぼやいていたことをシータは思い出す。
「町中に侵入してきただけなら報告することじゃないんだけど、今回は大書庫塔内に一匹侵入していたのよ」
「町に侵入したモンスターが大書庫塔内に?」
それは初耳だとシータは驚きつつ、レイチェルに聞く。
「う~ん、それがよく分からないのよ。塔内を巡回していた者が、不意に見つけたらしくて、そんなに強くなかったから一人で討伐できたんだけど、外から侵入してきた痕跡が見あたらなかったって言ってたわ」
「う~ん、まぁモンスターの件はお義父さんに任せるとして。私達は本と扉の件に専念した方が良いかな~」
レイチェルの話を聞き、シータは早期解決には至らなさそうな予感がして目を閉じ腕を組んでう~んと思案顔をしてみる。
「正直な話、私はオルトアギナの書についてほとんど知識がないし、その価値すらよく分かっていないのよ。扉を開けるヒントとかないかなっていろいろ調べていたら、ちょこっとその名前が出てきて、昔のカイロメイアの本なんだってことくらいしか知らないのよね」
「そうね……私も内容まで細かくは知らないけど、古代、つまりは古カイロメイアに作られた魔法の書だと云われているわ。私が調べた中ではおそらく最古の書であり、失った古カイロメイアの叡智が記されている可能性があるわ」
「そ、それはすごいっ! それなら書庫の掌握だってできるかもしれないよね」
眉唾物だが仮にレイチェルの話が本当なら、シータにとってその書の価値は鰻登りになっていく。取り返さなくてならない使命感が沸々と沸いてきた。
「そうね。でも、その本は開けて字を読むだけでも特殊な手順が必要な難解の書だそうよ。素人が手を出して良い代物ではなくて、最悪、命を落としたっていう記述すらあったわ」
「えっ、そんな物騒な書だったの」
レイチェルの返答にシータは驚き、初めて書を見たときのことを思い出す。そして、ちょっと触れたときに浮かんだあの巨大な影を思い出すとブルッと身震いし考えるのを止めた。
「あ、あくまでなにも知らない場合よ。オルトアギナの書はエルフが作成した書だろうから、大抵は精霊樹の領域へ行けばその加護により閲覧可能になるはずよ。そんなに物騒な代物じゃないわ」
シータが怯えた素振りを見せたのでレイチェルが慌てて宥めるように補足してくる。
「ま、まぁ、そっちも気になるけど私としては、私以外に扉を開けた事実の方も気になるわね。他の人でも開けられるのなら是非ともその方法を教えて欲しいものだもん。もう、切実に」
変に気を使わせてしまったかと思い、シータは話を変えるためもう一つの気になる話題をレイチェルに振ってみた。
「その件なんだけど、シータを介さず扉を開ける方法が一つだけあるのは知っているわよね?」
「えっ? そんなのあったっけ?」
レイチェルの意外な質問にシータは首を傾げて、自分の記憶を掘り起こしてみるが、すぐには思い当たるモノが見つからなかった。
「昔、一度だけとんでもないことをしでかして私に怒られたでしょ」
シータのはてな顔にやれやれといった感じで助け船を出すレイチェル。
「あ~、はいはい、不意に試したアレのことね。外が駄目なら内からはどうかってやつ。あ~、思い出すな~、お義姉ちゃんに滅茶苦茶怒られて、あまりの怖さに泣いちゃったっけ」
シータはばつが悪そうに昔のことを思い出す。
当時、なかなか思い通りに行かず、精神的にも追いつめられていたシータはなにを思ったか、内側から見たらなにか分かるのではないかと、昔から開放状態だった書庫を内側から閉めたのだった。
それはかなり危険な行為であり、もし扉を開けられなかったらシータは書庫内に閉じこめられ、二度と外には出られない状態になっていた可能性があった。
だが、シータが現在、ここにいるということは扉を開けることに成功したということだ。喜ばしいことなのだが、その経験は今のところ全く生かされていない。なぜなら、扉は内側からだとなぜか誰でも簡単に開けられる構造になっていたからだった。
ふと、普通に押しただけで開いた時の拍子抜けというか、がっかり感よりも、あんなに優しかったレイチェルがあそこまで怒り、悲しんだ様を初めて見て泣いたインパクトの方が強く残っていることに、シータは苦笑いをする。
「でも、扉を閉めるときは誰かいないかしっかり確認してから閉めるし、あの時もちゃんと確認したはずだよ。そもそも、内側から開けられるっていうのは私達だけの秘密にしておいたから、誰も知らないはずよね」
「……まぁ、一つの可能性としての話だから、今回の件での正解というわけではないわ。そもそもあの書庫内に残っていた者はいなかったはずだし……」
とその時、扉をノックする音が聞こえて、レイチェルは会話を止めると扉へと向かっていく。そのまま扉を開けて、待っていた使いの者となにやら話をしていた。シータは特に気にすることもなく、自分なりにこれからどうしようかと思案してみる。
「なんですってっ、ギランさんがいない?」
レイチェルが思わず声を出し、その言葉にシータも考えるのを止めて、話に耳を傾けた。
「はい、家に行ったところ不在で、馬車もなく、家の者に聞いたところ、今朝早く一人で外出したとのことです。帰りはいつになるかちょっと分からないそうで……」
「あ、ありがとう。仕事に戻って良いわ」
レイチェルは話を聞き、平静を装いながら使いの者を帰していった。
「ギランさんがいないの? このタイミングでっていうのが変に勘ぐっちゃうわね」
レイチェルが扉を閉め、再び二人っきりになるとシータが口を開く。
「それはそうなんだけど早計かもしれないわ……とにかく、司祭とお父さんにも話を聞いて、それから考えましょう」
「それだと遅すぎるような気がするわ。というわけで、レイチェルは二人の話を聞いておいて。私はちょっと気になることがあるから門番の所へ行ってもうちょっと話を聞いてくる」
「そ、そう? シータがそう言うならそうするけど、あっちにフラフラこっちにフラフラと寄り道したりしないようにね。話を聞いたらまっすぐここへ戻ってくるのよ」
「もぉ~、またそういうこと言うぅぅぅ。私はもう子供じゃないんだからねっ!」
冗談半分に言うレイチェルに、シータはふくれっ面をしながら席を立つとそのまま扉へと向かうのであった。
塔を出て、シータは町並みを見ながらちょっと寄り道したい衝動に駆られながらも、グッと堪えて門の所へ到着していた。そして、門番に会い話を聞いている最中である。
「ギランさんか。そういえば、今日は珍しく朝早かったなぁ~」
「なにか気になる点はなかったですか?」
「気になる点? そういえば、な~んか慌てていたような……相変わらずこっちの話をほとんど聞いていなかったけど、さっさと通せとイライラしてたな。いやはや困ったおじさんだ」
「は、はあ……あっ、どこに行くとか言ってませんでしたか?」
「……いや、言ってなかったな。あっ、でも精霊樹がどうとかこうとかブツブツ言っていたっけか」
思い出したように言う門番の言葉に、シータはやはり直感は正しかったかと心の中でドヤッてみる。
こうなってくると益々もってギランが怪しくなってきた。いや、ただ偶然的に口走っただけで、そこへ向かったわけではないのかもしれないが、怪しいと言えば怪しいだろう。
シータはお礼を言うと門番と別れ、辺りを見回す。
今から馬を借りて走れば、向こうが精霊樹に着いた時点で合流できるかもしれない。仮に自分の考えすぎでそこに誰もいなかったらそれはそれで杞憂だったと報告ができるから悪くはないだろう。
問題があるとしたらシータの外出だった。
「勝手な行動するけど、ごめんね、お義姉ちゃん」
レイチェルがいるだろう大書庫塔に向かって頭を下げて謝罪するシータ。
別にシータは司書長だからといって、カイロメイアから外に出られないわけではなかった。
ただ、シータがカイロメイアの外に出るのをレイチェルがとにかく心配するのだ。それはもう、過保護というか怖いくらいに……。
とにかく、レイチェルはシータを外には出したくないのが基本で、どうしてもの場合は同行してくるのである。
まぁ、シータの両親が研究、調査のためにと外に出て、そこでモンスターに襲われ、事故死している過去から、シータもそうなってしまうのでないかと心配でしょうがないのかもしれない。
とはいえ、シータも篭の中の鳥になるつもりはなく、こうやって本人が居ないところで謝っては、勝手にお出かけしていたりするのだ。最近はレイチェルも諦めたのか、その都度お説教はしてくるが、シータの行動を監視するようなことはしてこない。だからといって、外出OKかというと基本的にはNOであり、特に今回向かう場所のような遠出など以ての外だろう。言えば、同行を条件にしても絶対反対してくるに違いない。
実の所、レイチェルの話を聞いてから、シータにとってオルトアギナの書はかなり株が上がっていた。なにが書かれているのか是非とも読みたい。そして、願わくば今の問題を解決できる知識が欲しいと切実に思い始めている自分がいることを自覚するシータ。
読みたい本が見つかるとすぐにも読みたくて読みたくて仕方がなくなり、行動に出るのがシータの短所であり、長所でもあると、レイチェルが以前に言っていたことを思い出し、確かにその通りだとシータはたははと困ったように笑みを零すのであった。
シータの考え的には仮にギランがオルトアギナの書を持ち出したとして、その目的はと言えば、それは売却だろうと踏んでいる。彼がこの町に来た目的の半分はまさに本の売り買いであった。一応、表向きは正当な売買をしているらしいが、噂では盗品なども売っているとかいないとか。とにかく、彼に本を渡すと碌なことにならなさそうな気がしてならない。
そして、ギランが本を商品としてしか見ていないとしても、中身を確認しないで売買はしないというのは多少の付き合いから知っていたので、今回も確認するために外に出た可能性は高かった。
と、いろいろ考えてはみたものの、全ては状況証拠による仮説でしかないので、とにかく現地へ向かうのが今は得策だろうと、シータは結論づける。
「めざすは精霊樹の領域……私の物語が今、始まる……なんてねっ」
シータは久しぶりの外出に少し心ウキウキさせながら、歩き始めるのであった。