カイロメイアの大書庫塔
広範囲に広がるいにしえの森の奥深く、先が見えないほどの密林だった風景が一変して、まるで森をくり抜いたかのように巨大な湖が広がる場所にそれは存在していた。
カイロメイア。
人々が歴史を紡ぐ遥か以前から存在していたとされるその場所は、巨大な湖の真ん中に浮かぶ小島を基盤に立派な石造りで建設された歴史を感じさせる感じの町となっていた。
そのカイロメイアのおよそ半分を占めているのが巨大な塔である。といっても、天高く雲を突き抜けるほどのとんでもない高さというわけではないが、その広さは圧巻だった。
さらに、その中は荘厳な造りで天井まで吹き抜けた大広間を中心に幾つかの部屋に分けられ、書庫となって大量の本が保管されている。
その様子から住人はここを「大書庫塔」と呼んでいた。
そして、残りの土地に居住区や広場、商店、農地などなど、人々が生活できる空間が存在している。
カイロメイアは湖の上に存在している特性上、外部とは一本の長い大橋のみで繋がっており、さらには巨大な門と塀が出入り口を塞いでいるため外来の人々の行き来を制限しやすい構造となっていた。
そこを利用して、カイロメイアは周辺のエルフの集落とは最低限の物流程度しか交流をしておらず、森の外の人々との交流などほとんどない閉鎖的な場所として知られている。
そんな住人のほとんどはエルフであるが、彼らの容姿は森に住む他のエルフと少し違っていた。
その肌は褐色で、真っ白な髪の毛と真っ赤な瞳をしていたのだ。
「ダークエルフ」と呼ばれる種族に特徴は似ているが、その能力値は全てにおいて遥かにカイロメイアの住人の方が秀でており、代わりにカイロメイアの住人は他のダークエルフに比べて寿命が短いといった点で同じかどうか些か疑問視されている。
なぜ彼らの寿命が短いのか、それが種族的なモノなのか、環境的なモノなのか、今のところはっきりとはしていない。
さて、日も昇り、大書庫塔の無駄に広い大広間では今日も学者肌の住人が蔵書の解読に精を出している。
そんな中、大量に並べられた本棚の前にある脚立の上に腰掛けて熱心に本を読む少女がいた。
長い白髪に可愛らしいベレー帽を被り、白を基調とした立派なケープを身に纏っている。
このケープは大書庫塔において「司書」としての役職を意味しており、彼女のモノはその最高位である「司書長」を意味していた。
そんな高位のエルフである彼女は、どことなく幼さを残している顔立ちと容姿から年の頃は十五、六といったところだろうか。エルフなので見た目の年齢は当てにならないだろうが、熟練の大人ではないのは確かだ。
「シータ。また本の片付け途中で読書をしてる」
そんな彼女を「シータ」と呼ぶ女性が近づきながら呆れている。
「あ、おね……じゃなくて、レイチェル。こ、これはちょっと確認したかったから読んでただけで、決してサボってたわけではないのよ」
声をかけられ、シータは慌てて本を閉じ「レイチェル」と呼んだ女性に向かって言い訳をした。
レイチェルは小柄なシータとは対照的に、頭一つ身長が高く大人びた容姿をしておりとても魅力的な女性であった。ポニーテールにした長い白髪が動く度にまるで尻尾のように揺れているのがどことなく可愛らしさを残してはいるが。
そして、レイチェルもまたシータと同様に「司書」を表すケープを身に纏っているところから、同じ役職であることが分かる。
しかも、彼女は司書長の仕事の補佐をするのと、護衛をする任も担っていた。
「ふ~ん、最初に見かけてから一時間くらい経っても読んでいたのに、まだ確認が取れないのかしらね~」
「うっ……そ、それは~」
悪戯っぽく笑みを見せるレイチェルにシータは嘘がばれて目が泳ぐ。
長であるシータに向かってレイチェルの話し方は随分と親しみが込められていた。これはシータが望んだことであり、彼女の生い立ちに繋がりがあった。
シータの両親は彼女が幼い頃に事故で亡くなっており、彼女はレイチェルの家族に引き取られ、育てられていたのだ。
なので、シータにとってレイチェルは姉のような存在であり、役職のせいで彼女に隔たりを作られたくないというシータの我が儘によるものであった。もっと欲を言うなら、仕事中だろうとレイチェルのことを『お義姉ちゃん』と呼びたいところなのだが、それはさすがに私情を挟みすぎだと本人に窘められ、渋々名前呼びにしていたりする。
「フフッ、それで……なにをそんなに熱心に読んでいたの?」
「これはね、シェリーが寄贈してくれた『黄金の姫とヒュドラ』という本よ」
「ああ、去年あたりに話題になっていたものね。なんでまた?」
「ファルガーから届いた手紙に、あの『白銀の聖女』の話が出てきて、ついつい読み返したくなっちゃったの」
「へ~、白銀の聖女様が……やはり実在していたのね」
「しかもしかも、手紙によると、その彼女がカイロメイアに来るかもしれないのよっ! はぁ~、どんな人なのか一目で良いから見てみたいなぁ~」
興奮したかのように本をレイチェルに見せていたシータは、それを胸に抱き寄せ、はふ~と息を吐き、夢見る少女のように浸っていた。
「はいはい、それじゃあ、司書長として恥ずかしくない振る舞いを常日頃から意識していないとね。こんなところで読書に耽ってないで、ほら、仕事仕事っ」
「はぁ~い」
姉に窘められる妹のごとく、シータはがっくりを肩を落として置いてあった本を片付け始めた。
「あ、そうだ。今日の解錠もまた同じ場所?」
「そうね。地下にある書庫は古くから保管されているモノが多くて、解錠されるのを待ってる人達が多いから、頑張ってねシータ」
「う~、が、頑張るっ」
片付けを終わらせると、シータは待っていたレイチェルの隣へ歩み寄りながら質問する。レイチェルは答えながら目的の場所に歩き始め、シータは後ろから付いていく形になった。
大書庫塔は長い年月存在してきたところからも、大変貴重な本などが数多く存在しており、盗難防止、保管管理のため鍵が掛けられる書庫が幾つか存在していた。その解錠をするのが、代々司書長の仕事である。
司書長が持つその鍵は伝説級のマジックアイテムで、かなり特殊な性能をしていた。司書長、というかシータの家系にしかそのアイテムを使用できないのだ。
これがシータがまだ未熟であるにも関わらず、この塔の司書長を任される理由である。
「おや、レイチェルさんとシータさんじゃありませんか」
考え事をしながらレイチェルの後を付いていたシータに優しそうな口調で声をかけてくる中年の男がいた。
「あ、トーマス司祭。こんにちはっ」
聞き慣れた声にシータは、考え事を止め笑顔であいさつをする。
目の前に立つ男性はエルフではなく、人族であった。しかも、彼はカイロメイア出身ではなく、エインホルス聖教国の司祭だった。
二十年ほど前に聖教国にあった大変貴重な書物を寄贈しに訪れ、そのままこちらに留まり、布教を開始。以降、外部からの訪問者に対する相談役や橋渡しの役を買って出ていた。面倒事を引き受けたり、誠実な行動を長年重ねた結果、住人からの信頼も厚かったりする。
かく言うシータもまた、司祭の話などのおかげで外部の人間、世界に興味を持つことができ、ファルガーやシェリーと出会えるきっかけを作ってくれたありがたい人物であった。
「お二人揃ってどちらまで?」
「地下の書庫。開けられなかったモノを今日もチャレンジしようかなってっ」
「おぉ~、それはそれは、良いことですな。できることなら、そのままさっさと全部開けて欲しいところですよ。こちらは長いこと待たされてますからねぇ。全くもって迷惑な話ですよ」
司祭とシータの会話に、無粋にも入ってきた男の声にレイチェルは露骨に嫌そうな顔をしてそちらを見る。
司祭の後ろに隠れるかのように立つ小太りな中年男は嫌みったらし気な笑みを見せながら、そんな彼女を見返してきた。
「ギランさん、言葉が過ぎますよ。シータさんも分からないことだらけの中、皆のために頑張って日々努力をしているのですから」
嫌みを言うギランを司祭が窘めると、彼は不機嫌そうに皆から視線を逸らし、口を閉ざす。
シータはギランの言葉には一理あると気落ちしながらも、司祭のように自分の努力を認め庇ってくれる存在がいることも知っているので、そこまで追いつめられた精神状態にはならなかった。
なので――
「私、頑張るっ。だから、もうちょっとだけ待っててねっ」
嫌みを言ってきた男に対しても、気圧されることなく前向きに対応でき、その元気な対応にギランの方が圧されて「あ、ああ」と戸惑いながら頷くのであった。
シータは司祭達をそのまま引き連れた状態で、大書庫塔にある螺旋状の大階段を下りていく。地下書庫へは関係者以外立ち入り禁止というわけではないのだが、盗難防止ということで、一応無関係な者は入れないようにしている。なのに、司祭が入っても誰も文句を言わないのは彼がこれまでに築きあげてきた信頼関係から来るものであった。まぁ、一部の人は度々迷惑行動をするギランの方に不満はあるところだが、彼も長年行商人として良い品を皆に提供している手前、その性格に些か不満があっても強くは出られないでいた。
最小限の静けさだった大書庫塔からさらに静けさを増した地下書庫に着くと、シータはレイチェルに誘われて三メートルはある巨大な両扉の前に立つ。
腰に付けていたポシェットから十センチ程の鍵を取り出すと、その先端部分は複雑な形をしていた。しかも、よく見るとそれは今の形を変えることができる構造をしている。形を変えることができるところからこの鍵一つで大書庫塔の扉全てを管理でき、且つ、一つ開けたからといって全てが開くわけではない状態を作り上げていた。
その形状パターンは何万通りとあり、そのどれかを手探りで探さなくてはならないため、彼女は書庫を開けられないのであった。
シータは扉の前、右隅に設置されている七十センチ程の金属のようなもので作られた円柱の上の部分に鍵を差し込む。
「むっ、この形じゃないのかな? これだと思ったんだけど、違ったみたいね。ん~、どういう形なんだろう?」
鍵が沈まず途中で遮られた感触にシータは首を傾げ、鍵を抜くと先端を見つめながら思考する。すると、彼女の魔力とイメージに反応して鍵が仄かに光り、先端が変形し始めた。
「やれやれ、またこのパターンですか。君らのご先祖様は子孫のために鍵の資料などを作らなかったのかね?」
「私もそう思うんだけど、お父さんからそういう話を聞くことができなかったから分からないのよね。いろいろ探したけどそういった資料も見つからないし……」
後ろの方でまたまた嫌みを言ってきたギランに対して、シータはそんなことは気にせず、考え事をしながら答える。
「そもそも、このカイロメイアについての資料がなさすぎるのよ。特にここがどうやってできたとか……記述することの大切さをよく知っているはずなのに、この鍵もここの扉もどうやって作られたのか、だ~れも知らないときたもんだ」
「シータ、愚痴はそのくらいにして、作業に集中して」
「は~い。じゃあ、あんまり考えなかったこの形で行ってみよう。ていっ!」
おしゃべりしながらシータはふと記憶の片隅に浮かんだ鍵のイメージを掘り起こす。それは幼い頃の記憶の断片だったのだろうか、ただの想像なのか判断できないくらいパッと浮かんだイメージだった。
「あっ、入ったっ」
幸運なことに、今まで苦戦に苦戦を重ねたこの扉の解錠が、何気に考えたモノによって、鍵が沈み回すことができた。ガチャッと音の後鍵を抜くと、円柱から出た光の線が床を伝って扉へたどり着き、扉全体に広がっていく。ガチャリと音が鳴って、鍵が外れたことを伝えるように巨大な扉が少し開くのであった。あまりのあっけなさに一瞬放心状態でその扉を眺めるシータ。
「…………や、やったぁぁぁっ、開いたよ、開いたっ! 見て見て、レイチェル」
「はいはい、はしゃがないの。シータ、鍵の形状を覚えてるかしら?」
「ん? 待ってっ、あっ、忘れそうっ! メモメモっ、紙とペンちょうだいっ!」
鍵の形状は抜いた時点でデフォルトの状態に戻っており、今開けた鍵とは違っていた。意外な展開に喜んでいたシータは、レイチェルの指摘で、深く考えていなかったイメージが薄れていくのを慌てて繋ぎ止めようと、紙とペンを求めるように片手を差し出して、ブンブンと上下に振る。
やれやれと溜め息をつき、シータに紙とペンを渡すとレイチェルは扉を開けて書庫の中へと入っていった。
「シータさんは入らないのですか?」
「ごめんっ! 今、話しかけないで、イメージが薄れちゃうっ」
レイチェルを見送った後、司祭は床に紙を広げて、うずくまるようにペンを走らせるシータに声をかけるが、彼女は紙とにらめっこしたまま答える。
「トーマス司祭、せっかくだし我々も中を見せてもらいましょうよ。掘り出し物が見つかるかもしれません」
ギランはグフフッといやらしい笑みを見せ、司祭の返事を待たずに部屋の中へと入っていく。
「ギランさんは懲りないよね。さすがに書庫の中は関係者以外立ち入り禁止だから、レイチェルに追い出されるのに」
「そうですね……」
紙に書き終わったシータは呆れた顔でドアを見、この後起こる出来事を見守ることにしたが、一向にその兆しがない。
「あれ? どうしたのかな」
さすがにおかしいなと思い、シータは司祭を残して書庫の中へと入っていく。
書庫内では奥で立ち尽くすレイチェルと、それを後ろから見ているギランの姿が見えた。二人ともシータから背中を向けているので彼女が入ってきたことに気が付いていないみたいだ。
「どうしたの? 二人とも」
二人が凝視している先を後ろからヒョコッと顔を覗かせて眺めたシータの目に入ってきたのは、厳重そうな箱の中に入っていた一冊の本だった。
一目見て、それが普通の本ではないことを理解できる程、それは大量の魔力を帯びており、魔導書の類に似ているが、それを超えるなにかだとシータは直感で判断する。
「……やはり……ここに……」
「レイチェル?」
レイチェルの驚きの中にどことなく嬉しさが込められているような小声にシータは不思議に思って声を掛けた。
「……『オルトアギナの書』……」
そんなシータに答えるというより独り言のようにレイチェルが呟くと、その言葉に彼女も驚きを隠せなくなり、目の前の本を凝視する。
「それって確か、カイロメイアの創始者が唯一残したといわれていた幻の書だっけ? ホントに実在してたんだ」
「それは素晴らしいっ! それが本当ならすごい価値のありそうな書物ですなっ」
シータとレイチェルが小声で会話していたのを聞いて、ギランが大きな声を上げて喜び出す。
「あっ、ギランさんっ! ここは関係者以外立ち入り禁止ですよっ!」
ギランの反応のおかげでやっとレイチェルが場を把握し、手遅れながらもギランを外へ追いやり始めた。残ったシータはもう一度書物を見る。
「カイロメイア創設時の書物……これがあれば、もしかしたら大書庫塔の仕組みも理解できて、全ての扉を開け閉めできるかもしれないわ」
心苦しかった現在の立場に光明が見えて、その期待に胸を膨らませるシータに、ふとある疑問が頭を過ぎった。
「でも……こんな貴重な書物がこんな身近な所にあるのに、幻とか言うほど皆が知らなかったなんて……そんなことあるのかしら……」
ちょっとした疑問だったが答えが見つからず、それはシータの心にモヤモヤを作り、彼女は無意識の内に書物に軽く触れる。
と、次の瞬間、ザザッと巨大な黒い影が脳裏に映り、慌てて手を引っ込めた。
「……な、なに……今の?」
「シータ、どうしたの?」
「……ううん、なんでもないっ! それよりも、これはお義父さんに報告しなきゃねっ」
「もぉ~、今は仕事中よ。お父さんじゃなくて、氏族長と呼びなさい」
扉の向こうからレイチェルに声を掛けられて、シータは気持ちを切り替えると笑顔で答え、扉に向かって歩き出すのであった。
だが、シータの期待はすぐに打ち砕かれる。
翌日。
シータ以外開けられないはずの書庫の扉が開いており、中にあったオルトアギナの書が持ち出されてしまっていたのだ。