約束したから……
王鼠は洞窟内を無我夢中で駆けた。途中、仲間が腐敗し朽ち果てている様を見せられながらも、王鼠は洞窟の最奥を目指す。
どうして、こうなった? 自分の計画に抜かりはなかったはずだと王鼠は自問自答しながら洞窟を駆けていく。
そもそも、自分が他の大鼠とは違って特別であることは成長とともに気が付いていた。他の者とは違う知能、しかも成長につれて他の者を指示し動かす力を自覚したときから彼の世界は変わった。
そして、その知能の高さ故に知った、自分達がとある強大な存在の気まぐれで生かされていることを……。
だが、王鼠はそれを悲観しなかった。
数を増やすのだ。そして、邪魔な他のモンスターはその強大な存在、あの方に倒してもらい、その死肉でさらに数を増やせば良い。
そう考え、あの方の機嫌を損なわないようにしながら、地道に数を増やしていった。そして、さらに転機が訪れたのは人間の存在を知った時だった。偶然森で観察していた人間という種、彼らは冒険者と呼ばれ、いろいろ話をしていた。驚くことに、王鼠はその能力からか、その言葉を少なからず理解していき、時とともにその理解力が増していったのだ。
そして、彼は国と王という存在を知った。その時、彼は特別な大鼠から王鼠へと変わったのだ。
それからの彼はいつか自分の国を作れるほどの数を増やすことが狙いとなった。自分達にとって危険なモンスターはあの方にけしかければそれで済む。だが、人間やエルフ達にこの安全な洞窟で自分達が増え続けていることを悟られてはこちらも討伐対象にされてしまうとひた隠しにしていた。
そして時が経ち、かなりの数が増え、いよいよ大移動の時かと森のいろいろな所へ偵察へ行かせた大鼠チームは時折人間やエルフと遭遇しているが、数を悟られないためあえて少な目にしているから彼らはあまり危機感を持って自分達をそれ以上捜索してこなかった。
森の外にいる人間の方では何か動きが見られたが、本格的に動くにしてもまだ時間がかかるはず。そして、森の中にいるエルフ達は全くといっていいほど警戒していなかった。
完璧だった。完璧だったのに、どうしてこうなったと再び王鼠は自問自答する。
なぜ、この絶妙なタイミングで今の今まで動かなかったエルフ達が動いた。そして、なぜヴィクトリカと名乗るあのような化け物がここにいる。
安全地帯でのほほんと暮らしていた王鼠はヴィクトリカという強大な存在に眠っていた野生の本能を呼び覚まされていた。
あれには勝てない。あの方に倒して貰わなくては。そう考えて王鼠はあの方の下へと向かう。とその時、自分の後ろから追っ手が近づいていることに気が付いた。
「それにしてもすごい数の大鼠だな」
「ええ、未然に防げたのもメアリィ様の進言のおかげですわ」
「そうですね。メアリィ様は凄いです。大鼠と遭遇しただけでその異変をいち早く察知したのですから」
王鼠の耳に人間達の会話が洞窟内に響き聞こえてくる。その内容に王鼠は驚愕するしかなかった。
メアリィ、メアリィとは何だ? 人の名前か? それにしては先ほどの戦いにその名で呼ばれた者はいなかったぞと王鼠は先の戦闘を振り返った。
分からないことだらけだが、王鼠は絶望していない。
なぜならこれから向かう先にいるあの方、ヒュドラ様はまさに無敵なのだから。我が神に適うものなどいないと王鼠は確信していた。
だからこそ、衝撃だった。
我が神ともいえる存在の姿を確認したとき、ヒュドラは一人の人間の少女に頭を掴まれて怒られてしまい、シュンとしていたのだから。
そして、その少女が『メアリィ』と呼ばれたことに。
さらに、その白銀の少女を見たとき、王鼠の呼び覚まされた野生の本能が自分にこう伝えてくる。
『アレに絶対逆らってはいけない』と。
「よぉし、準備は整った。それじゃあ、レインちゃん、パパッと服脱いじゃおっか」
「は?」
何やら道具を配置し終わったシェリーが笑顔でレイフォースに脈絡のないことを言ってくるので、彼は言葉に詰まる。
「……変態」
「え、あ、違う違う。妖精とコンタクトする時にこの世界の物を身につけていない方が良いってだけだよ」
フィフィの言葉にシェリーは二人が何を思って自分を白い目で見ているのか分かり、慌てて弁解した。
「なるほど……それじゃあ、仕方ないですね」
そういうと、レイフォースはなんの躊躇いもなくドレスを脱ごうとし、途中で自分一人では脱げないことを知り、離れて見ていたメアリィにテュッテの力を貸して欲しいとお願いする。
その時、メアリィがヒュドラの頭を掴んでなにか言っていたのが気にはなったが、レイフォースは自分のことに集中することにする。
全裸となってシェリーに勧められるままレイフォースはゆっくりだが、薄く光り輝く綺麗な地底湖にその身を沈めていった。
湖はさほど深くないレイフォースの下半身までくらいが沈むだけで終わった。ヒュドラがいたのでもっと深いかと思ったがとりあえず溺れるということはないことを知り、ちょっとだけホッとする。
「では、始めよう、レインちゃん。目を閉じて、額のサークレットを意識するんだ。そして、耳で聞くんじゃなく、頭の中で言葉を聞くイメージでいるんだよ。せっかく話しかけてくれた妖精の声を聞き逃さないでね」
「……はい」
シェリーの説明に今一ピンときていなかったレイフォースだったが、いつもメアリィがスノーと会話をしている感じなのかなと考える。
だが、周りで作業するシェリーとフィフィの声が聞こえてきて、どうしても意識が耳にいってしまい、改めてメアリィはこんな通常とは違う行いを平然とやってのけているのかと感心するのであった。
「う~ん、おかしいな。湖に溜まっているはずの魔素が足りないな。あ、もしかしてヒュドラが入って吸っちゃったとか?」
意識を頭の中に集中していてもやはり耳から聞こえてくるシェリーの声に意識がいってしまうレイフォース。
そして、遠くの方でなにやらメアリィの声が聞こえるが遠くの方なので上手く聞き取れないので意識から除外した。
すると、ザブ~ンと大きな波紋がレイフォースの体を揺らす。
何事かと薄目を開け周りを見ると、なんと自分のそばにヒュドラがシュンとしたように首を垂らして立っていたのだ。
「よぉし、魔力触媒も完成した。これで出力があがったぞ」
シェリーの物騒な言葉にヒュドラがなにか言っているような素振りを見せているが残念ながら自分には全く聞こえていないレイフォースである。
と、その時、レイフォースの頭の片隅に遠く小さくだが、クスクスと笑う声が響いた。
妖精の声だとレイフォースは直感的に感じて、目を閉じ意識をそちらへ向ける。
『あなたがサークレットにいる妖精様ですか』
『あちゃ~、見つかっちゃった。あ~、うん、そうだよ~。初めましてっていうのかしら、この場合』
可愛らしい女の子の声が聞こえてくるだけで姿はない。だが、彼女とコンタクトした瞬間からレイフォースの意識が強引に何もない所へ引っ張られ、思考が消えそうになった。
これが、シェリーの言っていた妖精に引き込まれる危険性というものかとレイフォースは自分をしっかり保つようにする。
そしてあまり自分には時間がないことを悟って手短に用件を伝えることにした。
『お願いします。私を、いえ、ボクを元の姿に戻してください』
『え~、見ててとっても楽しいのに。良いじゃない、もうこのままでも。皆、あなたをレインとしてちゃんと敬愛してくれてるよ。愛してくれてる人すらいるじゃない。ねっ、黄金の姫様♪』
やはりと思っていたが、そう簡単には承諾されないことにレイフォースはがっかりするが、気持ちを切り替え、それでも諦めないよう自分を奮い立たせる。ここで諦めてしまったら妖精に引き込まれてしまう可能性もあったからだ。
『でも、ボクはこの国の王子です。ボクにはその責任と役目があります』
『それって、楽しいことなの?』
無邪気に質問してきた妖精にレイフォースは言い淀んでしまう。正直な話、その責任と役目『全て』を楽しいと思ったことはない。苦しく、逃げ出したいと思ったことだってある。そして、ここは心の中。偽りの言葉で妖精に言い繕っても彼女には通用しないだろう。逆に彼女を怒らせるかもしれない。
『そ、それは……』
分かっていてもやはりはっきりとはいえない何かを感じてレイフォースは言い淀む。
『フフッ、楽しくないんだ。だったらぜ~んぶ投げ捨てて、新しい自分になっても良いんじゃない? 今の自分は楽しくない? 苦痛? そうじゃないよねっ、私、知ってるよっ♪』
クスクスと悪戯っぽい笑い声とともに妖精の投げかけてきた言葉はレイフォースの心を見透かしているように感じてならなかった。
確かに女性になって初めて気づいた女性の力強さ、社会関係、立場。そして、彼女達の未来への可能性。そんな新たな刺激と発見が楽しくなかったといえば嘘になる。なにより、王子であった自分にはなかった解放感とワクワク感をこの旅で得られた。それは不謹慎ではあるが今まで以上に楽しかったと言っても良い。
それを自覚した瞬間、自分という形がグラグラし始め、妖精の声に溶け込みそうになってくる。
そこに恐怖も焦りもなかった。水の上にプカプカ浮くような心地良さしかない。いっそもうこのまま身を任せても良いかなっと思えてしまうくらい妖精の力はレイフォースを呑み込んでいく。
『ねぇねぇ、私と一緒に楽しいことだけしていよ。サークレットを外すなんて言わないでよ』
『…………』
妖精の声がいまははっきりと聞こえてくる。自分が妖精に引き寄せられている証拠だが、それを自覚できないほどレイフォースの意識はまどろみ始めていた。
『約束だよっ♪』
『……約束……』
妖精の言葉にまどろんでいたレイフォースの意識に一つの光景が浮かんだ。
それは光り輝く花畑の中、白銀の少女とそして自分にかしずく二人の少年少女の姿であった。
そして、次に浮かんだのはあの日、妖精と交渉することを決心したきっかけを作ってくれた白銀の女の子の笑顔と言葉。
『……ボクは……』
『?』
『ボクは約束したんだ。いつか、この国の人々が笑顔で居続けられる、そんな国の王になると』
まどろんでいたはずのレイフォースの意識がはっきりし始めた。
『それって、楽しいこと?』
『楽しいこともあればそうじゃない時もある。でも、ボクはその責任と役目だけで動いているんじゃない。本当に、皆を笑顔にさせたい、そう思っているんだ。そして、ボクにはそれを可能にできる道がある。王子として産まれたボクならっ。だからっ!』
今までちょっとのことでも伝えることが困難だったはずなのに、今は普通に会話するくらいレイフォースは雄弁に自分の気持ちを妖精に伝えていった。
『キミとは一緒にいられない。ボクは王子に戻るんだ』
妖精の怒りを恐れることなく、レイフォースは彼女にはっきりと言ってのける。
『『…………』』
しばらくの沈黙。だが、レイフォースは待った。自分の気持ちは伝えたのだから後は妖精の判断に委ねるしかない。
『フフフッ、あ~あ、フラレちゃった。まぁ、いっぱい楽しんだから、いっかぁ』
軽い感じで返してきた妖精の言葉にレイフォースの緊張が緩む。
『それじゃあ』
『う~ん、名残惜しいけど、まぁそろそろ帰らないと皆も心配しているしね』
『……ありがとう。とても貴重な体験をさせてもらったよ、勉強になった部分もあったしね』
『フフフッ、それは何よりだったわ』
姿は見えないが今、お互いが目の前で笑いあっている。そんな気がするレイフォースであった。
『それじゃあね、未来の王様。いつか、あなたの作った国を私にも見せてね』
『うん……え、それってどういう』
妖精の最後の言葉が引っかかりレイフォースが聞こうとしたが、それを拒絶するかのように今まであったイメージみたいな空間がスゥッと無くなっていったのであった。
閉じていた瞳をうっすら開けると湖が見える。
意識の世界から戻ってこれたのだとレイフォースは自覚した。
自分が倒れそうだったのかそばにいたヒュドラの首に支えられていたことに気が付き、レイフォースは手を添え微笑む。
「ありがとう……もう良いですよ」
そう言うとヒュドラが優しく声をあげ、レイフォースを解放していった。
「お姉様ぁぁぁっ!」
その時、湖の先でヴィクトリカの叫びが響きわたり、レイフォースはそちらを見て、水の中を歩きだした。
そして皆が駆け寄る中、湖から出たレイフォースは自分が随分と疲労していたことに気が付き、足下をふらつかせる。
すると、チャリンッと何かが額から落ちていった。
それがサークレットであることをレイフォースは確認するまでもなく、フッと笑顔を零すのであった。
「ただいま、皆。迷惑をかけ、たぁ~ね?」
自分の足でしっかり立ち、集まった皆を見て言うレイフォースの言葉は、目の前にいる女性陣の真っ赤な顔で言葉が萎んでいく。
そして、女性陣の奇声というか悲鳴というか恥声というか、なんかよく分からない絶叫が洞窟内に木霊するのであった。




