手帳の内容は……
微妙な空気が静かな密室に流れていく。すると、マギルカが一度わざとらしい咳払いして、場を仕切り直した。
「えっとぉ……『そんな俺様はもちろん女子達にもてた! もててもててもてまくって困ってしまうくらいだ』」
そこまで読んでマギルカが本を閉じようとする。気持ちは分かるがここは堪えて続きを読んで欲しいところなので私は彼女の行動を止めることにした。
「マギルカ、読んでてイラッとすると思うけど、ここは堪えて続けてくれるかしら」
「では、メアリィ様が読んでくださいな」
まさかのギブアップに私は驚きながらもマギルカから差し出された手帳を受け取り、心を落ち着かせた後、ゆっくりと開ける。
私の場合、イラッとして思わず手帳を引き裂いてしまうかもしれないので平常心がものすごく必要とされるのだ。
「……『だが、どんな女性も俺様には釣り合わない。なんてったって俺様は完璧超人にして超絶イケメンなのだから、俺様と付き合うならそれ相応の人ではないとそんな完璧な俺様を生み出した神が許してくれない』」
私は一端天井を見上げて深呼吸する。
(平常心、平常心、平常心、平常心)
手帳を地面に叩きつけたくなる衝動を抑えるように私は心の中で平常心という言葉を念仏のように唱える。
そして、再び手帳に挑む私であった。
「……『ある時、俺様は気づいてしまった。それは正に神からの天啓だったのかもしれない。そう、完璧な俺様に釣り合う女性は……俺様しかいないということに!』……はああっ?」
読んでた私は思わず素っ頓狂な声をあげる。
それもそうだろう。何でそんな結論にいたるのか私には全く理解できなかったのだ。それはマギルカも同じだったのか、私があげたはしたない声に注意をしてこなかった。
まさかと思いつつ私はさらに読み進めていく。
「……『だから、俺様は作ることにした。男が女になる魔法アイテムを!』」
そして、想像通りの文章に私は「アホかぁぁぁっ!」と手帳を引き裂きたい衝動にかられて、咄嗟にそれを放し地面に落とすのであった。
咄嗟の私を誉めてやりたい。
そして、私達は二人揃って離れて見ている王子の姿を確認した。彼は私達の会話を聞いて苦笑するしかないみたいだ。
アホな内容に変わりつつあったのでマギルカが私が落とした手帳を拾い上げて、呆れた表情のまま読むのを引き継いでくれる。
「……『それから俺様は魔法アイテムの開発に専念することにした。まぁ、そんなに時間はかからないだろう。何てったって俺様は天才なのだから』」
(完璧超人で超絶イケメンで天才まで盛り込んできたわよ、このナルシスト野郎)
私は呆れ半分でマギルカの持つ手帳を見ると、彼女はページをめくって朗読を続けた。
「……『おかしい……この俺様ともあろう者が完成しないだと? どういうことだ? 神が俺様の才能に嫉妬して邪魔をしているのか?』」
予想に反して手帳の内容が急に怪しくなってきて、私は首を傾げつつ聞き入ってしまう。
「……『こんな場所じゃダメだ! もっと研究に没頭できる場所を作ろう! なぁに俺様は完璧超人だから部屋の一つや二つ、こっそり作るのも造作もないぜ! 魔法アイテムが完成しないのは俺様のせいじゃない。環境が悪いからなのだ!』」
(何だか言い訳し始めてきたぞ、この完璧超人。っていうか、そういう経緯でこの部屋が作られたのね)
私は雲行き怪しい内容を聞きながら、この部屋の誕生を理解するとぐるりと部屋を見渡してみる。
今は何もないので確かではないが、恐らくいろんな道具をここに持ち込んだのだろう。それも学園に黙って……。
「……『何かがおかしい。完璧な開発環境を作った。開発道具も最新の物を拝借してきた。なのに、なぜできない! この俺様が手がけているのだぞ! おかしいだろう!』
(あっ、ついに逆ギレしだしたぞ、俺様野郎)
完全に開発が暗礁に乗り上げた内容になって、私は不謹慎ながらもこれからどうなるのかワクワクし始めてきた。
マギルカも何となく楽しみになってきたのかページをめくる手が軽い。
「……『全然できない……あれ? もしかして、俺様……いや僕は完璧超人じゃないのかな? 何でもできる天才じゃないのかな? ただの一般人だったのかな?』」
(おおっと、ここにきてスランプによるネガティブ発想。しかも、俺様から僕に変わっているわ。頑張れ、俺様くん。キミならできるはずよ)
あまりの豹変っぷりに私は心の中で俺様くんを応援する。
「…………」
そして、ページをめくり続きを読もうとしたマギルカがなぜか固まった。
「どうしたの? マギルカ」
そんなマギルカを不思議に思って私は首を傾げつつ聞いてみると、彼女は無言で手帳を開けたまま、そのページが見えるように私に向けた。
その内容は……。
『できない できない できない できない できない できない できない できない できない できない できない できない できない できない できない できない できない できない できない 』
(怖っ!)
私は一ページぎっしりと書き殴ったその文章を目にして、戦慄しながら鳥肌が立った腕をさすってしまう。
やっぱりこれ系の手帳は狂気になるのかと震えながらも私はその先をマギルカにお願いすることにした。
「マギルカ……続きを……」
「これ……読み終わったら呪われませんよね……」
マギルカもこの狂気に怖じ気づいて読み渋る。可能性としてはさもありなんだが、私は一つのことに気がついた。
「そ、それはわからないけど、その魔法アイテムは完成しているわ。現にレイフォース様が変身しているもの。だから、これから一転するんじゃない?」
私の言葉にマギルカが王子を見、そして再び手帳を見て恐る恐るページをめくる。
「……『ある日、その御方は爽快にやってきました。そして、低脳で無価値でゴミ屑な僕に手を差し伸べてくれたのです』」
(俺様くん、めっちゃ腰が低くなってるぅ! すごい落差ね)
予想通り展開が一転したのだが、私はそれよりも彼の文章のあまりの変わりように驚きを隠せないでいた。
「……『あの方の手助けで魔法アイテム製作は一気に進んでいった。今までが何だったのかというくらいあっという間に完成してしまったのだ。うん、我ながら素敵なサークレットになったものだ。やはり、俺様は天才だった! 俺様は完璧超人だったのだ』」
(ありゃりゃ、もう復活してしまったわね、俺様くん)
本来はそんなに早く復活しているわけではないのだろうけど、手帳内の時間がどれだけ経過したかなど私に分かるわけもなく、聞いてる側からしたら次の日にも復活したように感じ、私はそんなことを考えてしまった。
「……『魔法アイテムを完成させた俺様は改めて自分の優秀さに気がつくと共に一つ、大きなことに気がついてしまった。それは……』」
もったいぶるように手帳の内容はそこで一旦止まって次のページに移ったみたいだ。変に演出が凝っているので私も思わず何事かと緊張する。そして、マギルカがページをめくってその文を見た。
「……『俺様が女になってどうする……だった』」
「ですよねっ」
半眼になってその文を読んだマギルカに間髪を容れず私は首を横に傾けながら同意する。
はぁ~と大きくため息を吐きマギルカが一旦手帳を見るのをやめて、天井を眺めていた。私は彼女の気持ちが何となく分かるのでそれを見守ることにする。
数分後、復活したマギルカが手帳に視線を戻す。どうやら、まだページがあるようだ。
「……『せっかく作った魔法アイテムだが意味がないと気がついたのでそのまま箱にしまっておいたが、ある日異変が起きた。声が聞こえるのだ。私を使えとささやいてくるのだ、あのアイテムを閉まった箱から! 気になってその声に耳を傾けるといつの間にやら箱を取り出し蓋を開けようとしている自分がいることに気がつき、慌てて箱を見えないところに閉まっておいた。なんだこれは、果てしなく怖いぞ! 思い切って破壊しようかと思ったがサークレットを見るのが怖い。だから俺様はサークレットを部屋ごと封印することにした。だから、掘り起こしちゃダメだぞ。最悪、掘り起こしても、決してサークレットに近づいちゃダメだからな。俺様との約束だっ!』……おしまい……」
そう締めくくり、マギルカがパンッと音を立てて手帳を閉じた。
「……なんなのです、この方は?」
「う~ん、アホの子?」
脱力し手帳を見続けるマギルカに私はそう答えるしかなかった。
「魔法アイテムを作る動機も動機なら、結末も結末ですわ……なぜすぐ気がつきませんの。物事を深く考えず、何だか行き当たりばったりというか思い立ったら即行動といった感じですわね。掘り起こすなと注意した手帳ごと部屋を埋めるわ。その手帳も問題の品と同じ箱に隠すわ。何がしたいのでしょう、この方は?」
「たぶん、改めて読み直したら前半部分の記述が恥ずかしくなって、他人には見せられないから一緒に隠しちゃったんじゃない? その時は注意文のこともすっかり忘れてさ」
私はこの俺様くんの意味不明な行動を自分なりに解釈し肩を竦めるのであった。
「……もしかして、男性を女性に変えるだけのアイテムですから男性限定アイテムだったのでしょうか。ですから、メアリィ様には声が聞こえなかったとか」
「かもしれないわね」
「とにかく、この手帳を書いた方が元凶みたいですから、彼を捜しだして外し方を聞き出すのが一番早いかもしれませんわね」
マギルカは手帳を持ったまま、早々に結論づけると次なる行動の指針を提示する。実に頼もしい限りであった。私には全く異論はないので彼女を見てそのまま頷くだけだ。
「では、部屋はこのまま立ち入り禁止にして、ひとまずここから出ましょう。よろしいですか、殿下」
マギルカは離れて控えていた王子の方へ視線を向けると彼(?)も頷く。
「そうだね。今日はここまでにして続きは明日にしよう。ボクがいきなりこんな姿に変わってしまったことが知れると王宮内が騒ぎになる可能性があるから、今日は王宮内の人に会わないようにするよ。特に父上や母上には会わないように努めないとね」
「可能なのですか?」
口に手を当て、何かを思案しつつ話す王子に失礼ながら私は聞いてしまう。
「うん。万が一のために王宮以外にもいろいろ非公式の隠れ家的な場所が用意してあるんだ。まぁ、父上が勝手に作った物が大半なんだけどね。そのうちのいくつかをこっそり父上に教えてもらったことがあるんだ。お前もいつか必要になるかもしれないってね」
なぜあのチャラ王が非公式の場所を大量に作ったのか、私はあえて聞かないことにする。建前は置いといて、本音の方はどうせ碌でもない理由だろうから……。
とりあえず次なる行動の指針が立つと改めて何だか大変なことになったなぁと私はため息を吐いてしまう。
女性になったのがザッハあたりならこれほど慎重になる必要もなかっただろう。今回の被害者がこの国の王子であるというのが少々問題であった。そして、私はふと、考えてはいけない不味いことに思い至る。
(ちょっと待ってよ。この問題を早急に解決しないと、ここを掘り当てたスノーと箱を見つけた私の立場が非常に不味いことになるような気がしてきたわ)
自分の責任問題に気がつき戦々恐々する私。そんな私を余所に、王子もマギルカも部屋から出ていくのであった。
地上ではさらにザッハとサフィナによって立ち入り禁止区域が広げられて、周辺には誰もいないようになっていた。これで今の王子の姿を目撃する者はいないだろう。最悪、見たとしても遠すぎて王子の変化を細かく認識する者はいないはずだ。
王子は私がマンドレイク事件でやらかした時のように持ってきてもらったマントで身を隠してとりあえず、旧校舎の談話室へと向かう。
余談ではあるがザッハ、サフィナ、テュッテの三人は王子の姿を見て驚いていた。まぁ、当然と言えば当然なのだろうけど、ザッハだけ何だか驚くというより絶望したようにも見える。
「……そんな……俺一人になってしまうなんて……」
そう呟いて膝をつくザッハ。
考えてみれば今のメンバーで唯一の男性になってしまった彼はいわばハーレム状態といっても良いのではないだろうか。こういった場合、男の人って喜ぶものだとてっきり思っていたのだが、何だかこの世の終わりみたいな顔をしているのはなぜだろう。不思議だ。
とにもかくにも、大変な事件が発生してしまったのは事実であり、明日から何とか大騒ぎになる前に事件を解決しなくてはならない。
どうしてこうなったと周りに追及されると私が不味いことになりそうだから……。
私はそんなことを考えつつ、帰路につき、明日に備えるのであった。
そして、次の日。
私は一人、王宮内の庭でお茶を楽しむニコニコ顔の王妃イリーシャ様のテーブルに同席させられていた。
(神様……こ、これってもしかして……もうバレました?)
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