その小さな命に祝福あれ
スノーは私の指示に従って、自らの限界高度まで上昇していく。その遙か下にもちろんあの化け物が鎮座し、私達が目指す心臓部とを直線で結んでいた。
『行くわよ、メアリィ! しっかり掴まっててね』
「ええ! アクセル・ブーストッ!」
私の力ある言葉がスノーに加速を付加させる。それを合図に彼女は突進という、小賢しい真似は一切なしな急降下を開始した。目標は心臓部一点のみ。
それを察知したのか兵器も動き出した。無数の手や武器がスノーめがけて繰り出される。
『神獣、なめんなぁぁぁ!』
スノーの声が私の頭の中に響き、咆哮と共に辺りに木霊する。彼女は攻撃を時にスレスレで躱し、避けきれないならその身に受けてでも急降下の軌道を絶対に変えなかった。止まらぬスノーに、兵器は例の魔法攻撃の一斉放射も加えてくる。
『これが、全力全開のぉぉぉ! ハウリング・ブラストォォォッ!』
スノーの咆哮が衝撃波となって相手の攻撃を物理から魔法まで押しのけていく。だが、向こうも魔法防御に特化しているだけあって魔法障壁が何枚も展開され、スノーの咆哮が抑えられていき、心臓部までその衝撃波が届くことはなかった。が、それでも許容範囲を超え無理をしたのか、周辺が爆発し残った障壁やその他の魔法が消えていく。スノーは私にとって十分な役割を果たしてくれた。なぜなら、私の視界に心臓部がはっきりと見えていたからだ。
(よし、道は開けた!)
私はスノーの背中から勢いをつけて飛び出そうと体勢を取る。
だが、その視界の端にまるで私達を挟んで叩き潰そうとする大量の腕が左右から接近するのが見えた。
(どうする? スノーは魔法を放った直後だから硬直してしまっているわ。これは私がふせっ)
私が一瞬迷って飛び出すのを止めたとき、スノーは体を振って勢いよく私を前方、心臓部への道へと放り投げる。
「スノーォォォォォッ!」
『行って、メアリィ! 妹を、おねがっ!』
ドォォォォォンッ!
もの凄い衝撃音と共に私の視界から無数の腕がスノーの姿を隠した。だが、私は戻るわけにはいかない。そのまま視線を前方に向けて、開いた道へと急降下していく。
「ありがとう、スノー! 後は任せてっ!」
私は身体を大きく広げ、降下速度を少し抑制しながらスノーが開いた道を降下する。本来ならこんなスカイダイビングなどしたことない私のメンタルが悲鳴を上げているところだが、今はそんなことで臆している気など微塵もない。スノーに攻撃が集中して、今この瞬間私を止めるモノはいない。後は、神獣を巻き込まないようにし、あの心臓をぶち抜きつつ救い出すのみ。私はただそれだけを考え、小さな神獣だけに視線を固定していた。心臓周辺部の魔法攻撃も先程の爆発の影響か沈黙している。仮にあったとしてももう私の進行の妨げにはならないだろう。私はあの子だけに集中すればいい、焦ることなくこれから行う事を冷静に行える自信がつく。準備は整った。後は、あの子が少しでもいい、抵抗してくれれば。
と、その時、後ろの方で咆哮が聞こえた。
おそらく、スノーが押さえつけられる攻撃からもがきながらもあの子の名を呼んだのだろう。念話ではないので私には聞こえなかったが、聞こえたとしても私はそれを聞かなかったことにしていただろう。
「お願い! あなたのお姉さんの咆哮を聞いたでしょ! 彼女の思いを聞き届けて! 少しで良いの、もう一度、もう一度だけ抗って! そしたら私が救ってみせる、絶対にッ! だから、私を信じて、負けないでっ! 一緒にお姉さんの所へ帰ろぉっ!」
私は降下しどんどん迫っていく小さな豹に向かって心の底から叫んだ。
だが、変化は見られない。
(お願い、神様! あの子を助けさせてっ!)
その時、私の前方でうっすらとだが、確かに一瞬、明滅が見えた。
それはとても弱々しく、薄い光でありながら、それでも明滅を繰り返し始める。
それはあの化け物にとっては小さくてささやかな抵抗。それでも、私にとっては大いなる抵抗だと思った。
そして、私は見た。
小さく衰弱した子が必死になって生きようとあがくその姿を。
姉の声に手を差し伸べようと、その小さな手を天に向けて、そしてそれが肉塊からほんの数センチ離れて浮いたことを。
今この瞬間だけかもしれないが、剥離に成功したのだ。数十秒もすれば再び取り込まれてしまうだろうが、それでも、私には十分だった。
「……ありがとう……」
私はそう言うと、頭を下にして空気抵抗をなくす様に突きの体勢に変えると、降下速度を一気に上げていった。
「プロテクション・フィールド!」
こんな非道な化け物に手加減などしない。全てを貫く覚悟で私は突っ込む。だから、その衝撃からあの子を守るように魔法障壁を展開し包み込む。それに気がついたのか、私に合わせて全身をうっすらと食いしばるように小さな豹は光り出した。
「消えてなくなれぇぇぇっ!」
私は絶叫と共に剣を抉るように繰り出す。心臓部は自身を守るように何か魔法壁のようなものを何枚も張ってきたがそんなもの歯牙にもかけず私は、それらを貫き、脈打つ心臓を容赦なく思いっきりぶち抜いていった。そして、空いたもう片方の手でしっかりと私の魔法壁に包まれた小さな命を受け止め、私の体に引き寄せると、守るように優しく包み込んだ。
肉塊を突き破り、装甲を突き破り、あらゆる物を貫いていく不快な感触が私の全身を襲ってくるが、今の私はその胸に抱きしめる小さくて暖かい温もりを確かめているだけで満足だった。
もの凄い音が港町一帯に響き渡り、そして、魔工兵器がピタリと止まる。
数分、辺りが嘘のように静かになり、そして、光の粒子が装甲の隙間から零れ落ち始めると、もの凄い騒音をたててその身を崩し落としていった。
終わったのだ。
『メアリィ……』
しばらくすると、頭の中でとても優しい声が聞こえてくる。
私は綺麗になんて着地できないと自覚していたので豹を守るようにその身に包み込んで丸くなって落ちていった。そのまま目を瞑り、残骸に埋もれていったところまでは覚えている。私を傷つけるものなどないので、私が豹の盾となりクッションとなればそれで良かったのだ。
声に応えるように目を開けると、残骸を取り除き、ボロボロになったスノーがそこにいた。
「スノー……」
私は彼女を認識した瞬間、その身で守っていた小さな豹を見る。その子は身を丸くし、全てを私に委ねていた。
生きている。
救出に成功したのだ。
だが、先程のような光はもうない。遠くから見ていた以上に衰弱が激しすぎていた。
「う、うそ……」
私は震える手でその子をそっと抱きしめ、先程まで感じていた温もりを確かめる。それは確かに感じられた。だが、どんどん小さくなっていくのが分かる。それがどういう意味か悟ったとき、私の瞳から大粒の涙がこぼれ落ち始めた。
「ダ、ダメよ、ダメッ! せっかく助け出せたのにっ! やっと、お姉さんと会えたのにっ!」
私はその温もりが消えないように叫んだ。それでも現実は無情だ。
『……ありがとう、メアリィ』
ヨロヨロと近寄るスノー。彼女は満足げに妹に鼻を寄せ、スリスリと頬ずりする。それに応えるだけの動きすらできない小さな豹。でも、とても安心しきった穏やかな表情をしていた。
「ありがとうじゃないわよ、スノー! 何諦めてるの!」
『私だってっ! 私だって諦めたくないわよ! でも、でも……』
私の頭の中で私の叫び以上にスノーの声が響き渡るが、言葉尻がどんどん小さくなっていく。彼女はもうどうすることもできないという残酷な現実を悟ってしまったのだろう。だが、私は諦めなかった。
(私は完全無敵なのよ! 力だって、魔力だって、魔法だって、何だってできるはず。何かできるはずなんだから)
「何かないの、何か! この子を救う何か!」
『私達は魔力を糧にしているの。これだけ魔力を使い果たして、私も分ける魔力はもうないわ……神獣一匹の魔力がどれほどのっ』
「だったら、私のを使いなさい! いくらでも搾り取りなさい! さぁ、できるならやって、早くぅぅぅ!」
私は自身の能力で可能性が見えた瞬間、思わずヒステリックに叫びながら採血してもらうように腕をスノーに突き出していた。
『え、で、でも、神獣よ? この子の足りない分を補うとなると相当の魔力量がひつよっ』
「良いから、さっさとやれぇぇぇ!」
私のことを心配しているのか逡巡しているスノーに私はつい理不尽にも怒鳴ってしまった。
『わ、分かったわよ……どうなっても知らないからね。私を経由してあなたの魔力をこの子に分け与えるから、そのまま抱いて、この子に魔力を分けてあげるって思い続けていて……そして、私と同じ魔法の言葉を紡いで頂戴』
「うん、分かったわ」
スノーが私と妹豹を包むように丸くなる。その温かな感じに私は自然と目を閉じ全てを委ねた。
(お願い、私の魔力をあげるから生きて……)
『いくわよ、メアリィ……』
「ええ……」
「『ヒーリング・オブ・ハーモニー』」
私はスノーに合わせて教えられたその力ある言葉を呟いた。それは何かの魔法なのだろう。何だか私と二匹の神獣とで繋がったような気がする。私は目を閉じたまま、自分の中にある何かを皆に送るようにイメージし続けた。だから、しばらくして周辺に皆が集まり始めていることに全く気がつかないでいた。
「メ、メアリィ……なんじゃ、何が起こっておる?」
(なんだろう、遠くでエミリアの声が聞こえた気がするわ)
「……メアリィが神獣と一緒に光って……神獣達の傷が癒えてゆくのじゃ……」
「「「おおおおおおおッ!」」」
(ん? なんかいろんな人の声が聞こえるような気が? あぁあ、でもなんか疲れたわ、だめ、どんどん意識が……)
『メアリィ……あなた、なんて魔力量なの? そういうことは早く言ってよぉ~。これなら遠慮なく搾り取れそうだわ。あ、ついでに私の分も頂戴ねぇ~』
(おいこら、スノー、調子に乗るな……でも、これでこの子は助かるのね……良かっ、たぁ…)
そう思ったら決して魔力の吸われすぎで意識が切れたわけではないが、今まで張りつめていた緊張の糸が切れ、私の意識が遠のいていく。
『……アリガ、トウ……』
意識の遠くで私はとても幼い女の子のたどたどしくも小さな声が聞こえたような気がするが、私はそれに返すこともできず深い眠りにつくのであった。