自己証明と猫証明
自分の身分を証明する、というのは実は大変なことなのかもしれない。
それこそ、乳幼児には「保護者」。小学生には「ランドセル」。中高生は「制服」という自己を証明するための、分かりやすいアイテムがあったから良かったのだが……大人になるとそうはいかない。
大学に入り、自らを縛りながらも自らを証明していたソレがなくなった時、僕は喜びと不安が絶妙にミックスした、何とも言えない気持ちに襲われた。
そんな話を大学の友人に話すと、その一風変わった友人は講義でも始めるかのように、高らかに、唄うように言った。
「そういうモンだよ。情報ってのは発信してこそ、相手に受信されてこそ価値を持つんだ。だから、人々は自己を証明する。そうして自分の情報を発信するワケさ。世間において、自分が価値を持つために、ね?」
彼は今ごろ何をしているのだろうか……とそんな風に考えながら、僕こと成田耕康は事務所の窓から通行人を眺めていた。
暇人なのだ。
社会人ともなれば、当然会社に勤めるなどして、自己を証明するのだろうが……残念ながら僕は、証明しづらい職業ランキングの上位に食い込むと予想される職業に就いている。
すなわち、探偵だ。
名乗る度にギャグかと思われ、詐欺かと疑われる。物語での探偵諸君は優遇されすぎじゃないだろうか? 尊敬の視線というよりは哀れみの視線ばかりを受けている気がする。
……まあ、尊敬されるようなことをしていない、推理で難事件を解決していない……そんな僕の責任なのだけれど。
「お?」
今、誰かがこのビルへ入ったように見えた。この晴天では雨宿りというわけではないだろう。一階の弁当屋か、二階の僕の事務所か、はたまた三階の学習塾か……。割合的には、5:2:3といったトコか。……低いなぁ、僕の事務所。
コン、コン。
唐突なノックの音に少しビビってしまった。慌てて扉へ向かう。
結果はまさかの大穴……僕の事務所だった。もっとも、僕の馬券を買っていた人が居るかどうかは疑問だが。
「えと、探偵事務所はこちらで間違いないでしょうか……?」
入ってきたのは若い女性。何やら新聞紙の切り抜きを握りしめている。以前、地元の新聞業者に頼み込んで、そこそこのお金を払って宣伝した甲斐があった! ……元は未だに取れていないのだが。
「実は、新右衛門を探してまして……」
新右衛門? ……え、何? 武将か何かですか?
怖いくらいに青い空が町を包む中、僕はチャリンコを走らせていた。
新右衛門というのは、依頼主の飼い猫だそうだ。写真を渡されたのだが、いわゆる一般的な、ありふれたトラネコだった。
「朝になって見てみたら、いなくなってて……。最初は大丈夫かなって思ってたんですけど、ちっとも帰って来ないんです。どこかで事故に遭ってないか心配で……」
居てもいられず探偵に頼った……というワケだそうだ。
「私が悪いんでしょうか? エサは栄養のバランスが良くなるように考えたり、首輪が苦しいかと思って寝る前には外してあげたり、カッコよくしたいと思って丁寧にブラッシングしたり……全部お節介だったんでしょうか!?」
……そんな風に詰め寄られても、別に僕は猫の専門家ではないので、反応に困る。が、何というか猫にしたら少し窮屈だったのかもしれない。
しっかりしている良い奥さんが浮気をされやすいというケースは多い。夫は逆にストレスを感じてしまうのだとか。
だが、僕は依頼主を元気づかせるように声を張った。少し涙を浮かべたその顔から、下手なことを言ったら折れてしまいそうな気がしたからだ。
「任せてください。すぐに見つけてご報告しますよ……!」
正真正銘の小心者である僕が、大きく出たのには他にも理由がある。今回の事件には自信があった。僕は依頼が来ない間は、パトロールを兼ねた散歩をしている。
決して徘徊ではない。決して。
だから、分かるのだ。どこに猫が集まりやすい、というのが。
依頼主の家の近くにもスポットは2、3箇所ある。僕はそこを一つ一つ確認すれば、猫関連の依頼は大半は攻略出来るのだ。
数十分前の余裕ぶった僕を殴りたい……。
「何だコレ……?」
僕の予想通りに依頼は進んでいった。二つ目のスポットである神社で、猫はあっさりと見つかる。この神社は、野良猫の溜まり場というよりは、飼い猫の社交場という感じで、毛並みの良い猫たちがよくいるスポットなのだ。
だが、予想と違う所が一つあった。それによって、僕の予定は大幅に狂い始めている。
新右衛門と同じ種類の猫が、スポットに集まっているなんて……。
いわゆるトラネコ。黒と灰色のコントラストが可愛らしい、ありふれた猫。それは分かっていた。だが……。
「ありふれてるっていうか……溢れてるよね、コレ」
8匹の猫。そのどれもが灰色地に黒シマのトラネコだった。
イージーモードの難易度で調子に乗っていたら、いきなりハードモードに放り込まれた気分だ。
僕は、一先ず渡された写真を出した。写真の中の猫とそこにいる8匹の猫を見比べてみる。
渡された写真は、飼い主と新右衛門の顔がアップになっている。
つまり、新右衛門の顔しか分からない。
……あちらとしては、顔のシマシマが見やすいようにという配慮なのかもしれないが、全体像が全く見えず、残念ながら逆効果だ。
いや、この少ないヒントで見つけてこそ、探偵というものだ。僕はアゴに手をやって、考え始めた。ちなみにポーズに深い意味はない。
「まず……飼い猫なんだから首輪はあるよね……?」
仕分けその1。8匹の内、首輪があるのは7匹。……まぁ、地道に削っていくか。
1匹が候補から外れた。間違えないように離れた場所によせる。
「次に……頭のシマ模様から判断かな」
仕分けその2。猫7匹と顔を突き合わせて調査。目の色、顔の模様、はたまたヒゲの状態まで……丁寧に調べていく。
端から見ると、猫とじゃれている成人男性という何ともアレな光景が出来上がっていることだろう。
……深く考えないようにしよう。
にゃーにゃーと言いながら、さっき外した1匹が僕の腕に掴みかかる。あー、もう。邪魔するなよ……。
なかなか時間がかかったが、残り3匹にまで絞ることができた。
詰み、かもしれないなぁ……。
手がかりがこれ以上見当たらない。写真を穴が空くほど見たけれど、やはり顔の模様以上のヒントは無いようだ。
僕はスマートフォンを手に取った。依頼主に確認してもらえば一発で分かるだろう。けれど……。
「あれだけ大きく出たのにな……」
ここでギブアップというのは悔しい。もちろん、ここで粘った所で得をする人間は居ない。
と、足に柔らかいモノを感じて下を向く。そこには一番最初に除外した猫がいた。
何だ? 慰めてくれているのかな?
しゃがんで撫でようとするが、猫は僕の右手を避け、左手に掴む写真にちょっかいを出し始めた。
「イタズラしたいだけか……」
ガックリと地面に腰を下ろす。空を見上げると青かった空が赤くなっていた。
空の赤と鳥居の赤が一つになって幻想的だなぁ……と、僕はそんな現実逃避を始めた。同意を求めようと猫たちを見ると、みゃーとアクビをしていた。お前たちにはこの素晴らしさは分からないか、と笑う。
まさに猫に小判ってヤツだなぁ、と。
「新右衛門……! 探偵さん、ありがとうございますー!」
パァっと明るくなる依頼主。事務所で会ったときとは顔が別人のようだった。よほど好きなのだろう。下手すれば、彼女は寝込みかねないと思っていたので、素直にホッとした。
「間違いないでしょうか? ……なら、良かったです」
僕は、事務所を宣伝してくださいと頼み、玄関から出た。夜になると風が冷たい。
それでは、今回の解決編。
僕は無事に新右衛門を届けることに成功したのだが……僕はつくづく推理には向いていない。
僕は、とりあえず彼女の発言を思い出していた。そこに新右衛門と他の猫との違いが出ているかもしれない、と思ったからだ。しかし、やはり他の飼い猫たちもブラッシングは丁寧にされており、個体差は分からなかった。
その時に気づいたのだ。僕の間違いに。僕の愚かさに。
彼女は言っていた。
ーー朝になって見てみたら、いなくなってて……。
ーー首輪が苦しいかと思って、寝る前には外してあげたり……。
いなくなったのは夜。そして、その時には首輪は外してあったのだ。
つまり、僕がいの一番に外し、ちょっかいを出してきてばかりの『あの猫』こそが……新右衛門だったのだ。
写真を取ろうとしたのは、イタズラではなく、飼い主が写っていたからか……。
全ての可能性を吟味してこその探偵だ。僕の勝手な決めつけで、真実は遠のいていたのだ。全く空回りも良いところだ。
これが殺人事件だったなら、僕が遠回りをしているうちに犯人を逃がしてしまいかねない。そう思うと、僕はこれくらいの事件がちょうど良いのかもしれない。
「自分を証明するというのは難しいけれど……まあ、猫よりはマシだよなぁ」
帰り道。何となく彼の話を思い出していた僕は、そう呟いた。
肩書きやアイテムが無くとも、少なくとも人間は言語を持っている。言葉を使って情報を発信することができる。自己を証明できる。
「猫にも何か欲しいよなぁ……。じゃないと、探す方は大変だ」
と……まあ、僕は猫の心配をしている場合ではないのだが。
「自動車免許くらいは取っておくか……」
パトロールという名の散歩の際に、職務質問なんかをされてしまったら……。言語で発信しても、果たして納得してもらえるかどうか……。証明するモノが無いと、やはり危ういかもしれない。
情報通の友人に会えたら聞いてみよう。どうしたら自分の情報を上手く伝えられるのか、を。
……もっとも、彼ならこう言うかもしれないが。「流石の僕でも……無い袖は振れないし、無名な探偵を発信はできないさ」と。
僕はため息をつきつつ、事務所に続く夜道を歩いた。