第四話 「箱の外」(右)
1、
聞いた瞬間、ナミっちと一緒にほへーと声を漏らしてしまった。
うちの学校の有名人、君咲センパイがとうとう彼氏を作ったそうである。
しかも相手がボンちゃんだ。あのボンちゃんである。うそん、と思ったのは仕方のないことじゃなかろうか。
担任が口走った、入試の全教科平均点みたいなアホみたいな話もある。
見た目もふつー。会話もふつー。成績も身長も顔も全部超ふつー。
そんなボンちゃんと、玉坂高校一の美少女と名高いあの君咲センパイとが付き合うとか、付き合いだしたとか、実はすでに超ラブラブなのを隠してたとか、いきなりマジ話としてケータイで回ってきたわけだ。
女子の噂話ネットワークって怖いね。ヤバイ上級生とボンちゃんが君咲センパイを取り合ってバトル。でも君咲センパイはボンちゃん一筋で、愛の力で一発KO。
その結果、これはもう他人につけいる隙を作らないため、お付き合いを公言することに決めました、だってさ。
いや、いやいやいや。なにそれ。
耳を疑うというか、何か全く別人の話を聞いた気分というか。
君咲センパイは分かるよ。
そういうドラマチックな争いが起きても仕方ないって。
でも、もう一方の主役がボンちゃんってどうよ。どうなのよ。
平々凡々を絵に描いたような、しかもその絵の隅っこまで丸くしてみたって感じの、あのザベストオブ普通のボンちゃんて。
ただ、ボンちゃん、昨日最後の授業にすごく遅れて来て、そのまま職員室に呼ばれて行っちゃったみたいなんだよねえ。回ってきた話と矛盾しないし。ってことは、やっぱりこの話ってマジ話なんだろう、と思う。
「でもボンちゃんって、普通だよね……」
「だよねえ」
不思議以外の感想がない。
いや、だってあの君咲センパイだよ?
ナミっちは口々に芸能事務所に何度もスカウトされたとか、モデル雑誌から毎月声をかけられてるとか、告白された数は数百人とか、流石に盛りすぎだろうとは思うけど、君咲センパイの武勇伝を延々語ってくれていた。
釣り合わないって、そりゃまあ、そうだろうけど。
月とスッポン、豚に真珠、猫に小判、ナミっちに素直ってくらい無理がある。
「ありえないって!」
「ねーナミっちさあ、そんなに言わなくても」
実際、釣り合わないとは思う。思うけれど、ボンちゃんだって男子だ。
君咲センパイだって女の子だ。恋愛って結構そーゆーもんじゃなかろうか、と思うのだけれど、ナミっちはさも許されざることだよ! みたいなノリで語り続ける。
それがなんだかムカっときた。クラスメイトだし、ボンちゃん嫌いじゃないし、そこまで言わなくても良いと思う。
「ボンちゃんが恋人作っちゃいけないみたいな言い方、ひどいと思うけど」
「え、でも、だって」
ツインテールを弄りながら、不満げにするナミっち。
「いつもボンちゃんダシにしておいて、その言い草ってどうかと思う」
「え?」
ナミっち、首を傾げるの巻。って、気づいてなかったのか。ありゃりゃ、これ、藪を突いたかしらん。困ったなあ。
「小日向君」
「……キンキラが何よ」
「好きでしょ」
「な、な、なにを!」
「だから、小日向君のこと好きなんでしょ?」
「あ、あたしが! あいつを! 何それ! どこ情報!」
目に見えて真っ赤になったナミっちに、若干うんざりしてくるのをぐっとこらえて、なるべく刺激しないように教えてあげた。
「ナミっち、いつもボンちゃんにここ教えてとか、ちょっと頼みたいんだけどとか、そうやって声かけるでしょ」
「……まあ、そうだけど」
「小日向君が見てるときだけ」
「え? あれ?」
「あれさ、いっつもどうかと思ってたんだよね。別にツンデレなのはいいよ。素直になれないってのは仕方ない。でもさ、それにボンちゃん巻き込むのってすっごくアレだよ。ボンちゃんも分かってて、二人のやり取りを見守ったり、机を奪われたり、あれこれ気にしてない風にしてるけど……あれ、ボンちゃんが大人だからスルーしてくれてるだけだからね?」
ナミっちは愕然としていた。
まさかとは思うけど。小日向君に対する恋心すら無自覚だったのかこいつ。
「あ、あたしがツンデレ? うそ、そんな、何を」
「そこからなの?」
うわあ。マジか。
ツインテールを揺らし、ナミっちが俯いた。それから数分、ぶつぶつと独り言を喋り続けていた。ちょっと怖い。
気持ちの整理が付いたらしかった。ナミっちは顔を上げた。小日向君の金髪よりよっぽど煌めく笑顔で呟いた。
「そっか、あたし、キンキラのこと、好きだったんだ」
顔が真っ赤になった。さっきのは照れ、今度のは興奮か。
いや、君咲センパイとボンちゃんの話からどうしてこうなったのやら。
ナミっちはそのまま先ほどの話を思い返して、顔を真っ青にした。理解したようだ。
「あたし、キンキラの気を引くために、ボンちゃんを利用してたってこと?」
おお、気づいた! すごいナミっち。
「うわ、うわあ、あたしってヒドイ!」
ナミっちは悪い子ではないのだ。こういう子なのだ。
まあ、ボンちゃんは笑って許してくれるだろうが、それはそれ、これはこれだ。
「今度、一緒に謝ってあげるから」
「……うん、お願い」
「で、小日向君にはいつ告白するの?」
「あ、え? 告白? ……ええええええ!?」
「取られちゃう前に、勇気出した方が良いと思うけどねー」
そう言うと、ナミっちの顔色は、信号機みたいにくるくる変わるのだった。
2、
放課後の教室で、俺たちは深刻な顔をしていた。
「君咲さんが、とうとう恋人を作った。そうだね?」
「信じられなかったが……その通りだ」
一年前、俺も告白した。そのときもこんな風に二人で話し合った。
「実は……好きな女子がいるんだ」
「奇遇だな。俺もだよ」
「嫌な予感がするが、一斉に言おうぜ」
「言わなくて良いよ。分かってる。君咲さんだろ」
それ以来、俺たちは友人から親友になった。
同じ相手を好きになって、同じ時期に告白して、同じように振られた者同士だった。
傷の舐め合いなんかじゃない。
告白を断られても、俺たちは君咲さんを好きになったことを後悔などしなかった。
彼女に好意を持つ男子の数は多いが、実際に告白した者は少ない。手紙でも伝言でもなく直接告げて、まっすぐに断られた。
君咲さんは俺たちにとって高嶺の花であり、手に届かない憧れだった。俺たちを含め、告白を挑んだ勇者達は揃って討ち死にしたが、ついぞ成功したとは聞いたことがなかった。
あれだけの好意を一身に受けても誰とも付き合わなかった彼女を高慢だと批難する女子もいるらしい。
ワガママであるとか、狭量であるなどと嫌う者もいる。
それは違う。
本気で好きという思いを口にすれば、彼女は少なくとも馬鹿になどしなかった。適当に返事などしなかった。
直接、告白した者にしか分からないだろう。断るとき、決して彼女は俺たちを軽く扱うことはなかった。
真剣に考えて、その結果として断られた。
だから、恨みなど無い。悲しくはあったが、認められた。
好きだった。
当時は泣いた。俺たちはフラれたあと、二人で泣き明かした。カラオケボックスに入ると歌いもせず大声で泣き続けた。
どこが悪かったとかじゃない。彼女から嫌われていたわけでもない。
ただ、そういう対象として見られないことだけは、はっきりとしていた。
そして、ついに彼女に恋人が出来たのだという。
「なあ親友、俺は今、無性にドーナツが食いたいんだけど」
「奇遇だな。俺もだ」
やけ食いではない。噂にある一年坊主の前途にエールを送りたかった。本気になれる相手を見つけた君咲さんを祝福したかった。その想いが溢れんばかりだった。
一つ百円キャンペーンの最中だった。ドーナツを頬張りながら俺は思う。
君咲さんは孤高だった。誰とでも隔てなく喋り、優しくし、公正に振る舞い、そして自覚していた。
美少女であること。そして、周囲に溶け込みきれないことを。
彼女には友人が多かった。しかし俺とこいつのような、親友と呼べる相手はいなかったように思われた。
君咲さんを名前で呼ぶものは、同級生には一人もいなかった。それが証拠だ。
知らぬうちに壁が出来ている。隔てられている。彼女と周囲、どちらが原因かと言えば、やはり君咲さんの方だろう。
語弊を恐れずに言えば、彼女には得体の知れない貫禄があるのだ。
近寄りがたいわけではない。しかし、隔絶した空気がある。
名前で呼ばれることを彼女が嫌がっているわけではなかった。現に教師の何人かは加々見ちゃんと呼びかける。国語の中村先生などがその筆頭だ。
クラスメイトは皆、君咲さん、と名字をさん付けしてしまう。俺もだ。自然とさん付けしたくなるような雰囲気がある。果たしてそれが良いことかどうか判断が付きかねた。
一見すると、華奢な美少女だ。
しかし彼女の垣間見せる言動や仕草は、そうした外見を思い切り裏切っている。
あの間島ですら加々見とは呼べなかった。君咲と呼び捨てにするのが精々だった。
「間島についての話、本当かな」
親友は半分になったドーナツを見つめた。
「誰も止めなかったのは、誰も間島なんかと付き合うとは思ってなかったから。間島ごときの手に負える彼女じゃないと思ったから」
「ああ、でも」
親友は分かっている、と頷いた。
何日か前、間島が君咲さんに乱暴しようとした。そんな話を聞いた。
「実際は、間島が強引に言い寄ったくらいだろ。じゃなきゃ、間島が何のお咎めも受けてない理由にはならん」
二つ目のドーナツを手に取り、天井に透かせて見せた。
光が真ん中の空白を通り抜けて、俺の目に降り注いでくる。
「君咲さんが告白した、って本当かな」
「かもな。君咲さんのことだ、一度決めたら全力だろう」
間島と君咲さん、二人のあいだで起きたかも知れない不穏な出来事。
聞くだけで不快になるその噂を誰も本気にしないのは、別の重大な話がすぐさま持ち上がってきたからだ。
「一年生、か」
「誰に聞いても普通って評判しか聞こえてこなかった。よく分からん相手だ」
「でも、そんな相手の教室に、君咲さんが足繁く通ってると」
「こそこそと付き合うつもりはない、その意思表明だろうさ」
「嫉妬、すごいだろうね」
「あの君咲さんの恋人になるんだ。それくらい覚悟出来てるだろう」
今、学校はその話題で一色に染まっていた。
去年一年、ありとあらゆる相手から――中には教師もいたとする噂もある――の告白を断り続けてきた君咲さんが選んだ以上、目立ってしまうことは仕方のないことだった。
「毎日、一緒に下校してるってさ」
「付き合い始めなんて、そんなものだろう」
「あの君咲さんだよ?」
「む。そう言われると違和感があるな。……失敗したくないのかもしれんな」
目の前でドーナツ四つ目に取りかかる親友は、納得したように頷いた。
「どっちが?」
「君咲さんが、だろう」
「本気で言ってる?」
「無論。お前がそれに気づかないとは思わなかったな」
少し考えて、どうやら自分は案外悔しがっている、と自覚させられた。
「ああ、そっか」
「彼女も怖いのだろう。……なんだ、やっぱり同じ人間だったか」
「ひどい言い草だね」
「誉め言葉だ。どちらにせよ」
君咲さんのお相手は、とにかく普通という話だ。芸能人張りにイケメンではなく、天才でもなく、成績を残せるスポーツマンにもほど遠く、女たらしなんて評判もない。
ついでに言えばブサイクでも頭が悪いわけでも運動音痴でもない。
ただひたすらに平凡。そんな一年生に君咲さんが想いを寄せている。
「君咲さんが選んだ以上、何かしら素晴らしい部分があるんだろうさ」
「親友。君は凄いね。俺はそこまで割り切れないや」
「そう思うしか、ないだろ」
親友は、まぶたを押さえた。彼もまた、割り切ったわけではなかった。
目を逸らし、外に目をやった。
偶然にも、ドーナツ屋のすぐそばを、制服姿の君咲さんと、平凡そうな一年生が二人並んで通り過ぎるところだった。
君咲さんはとても楽しそうで、それは学校では見られない、はしゃいだ姿だった。恋人にしか見せない顔なのかもしれなかった。
俺たちはそれを覗き見た。
それこそ諦めたはずの俺たちが、また見蕩れるくらいに綺麗だった。
「ちくしょう。羨ましいし、悔しいけど……君咲さん、幸せそうだった」
「ドーナツ、もっと食おうぜ。旨いし、安いし」
俺たちは、結局二人でドーナツを全部で十五個食べた。食べ過ぎた。




