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等閑わるぷるぎす  作者: 三澤いづみ
「Pandora's BOX」編

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11/11

エピ□ーグ



 あれから一週間ほど経った。凡人は平穏な日々を送っていた。

「中村先生の休職が決まったらしい……俺の潤いは消え去り、国語の授業は地獄と化した。なんだあのハゲ! 中村先生の代わりとして寄越すなら、もっとこう! せめて何か!」

 朝、杉山が世界の終わりを見たような顔をして近づいてきた。あの日以降、国語教師の中村早苗は体調不良という名目で学校を休んでおり杉山が心配していた。

 何人かのクラスメイトも暗い顔をしていた。

 慕われていただけにショックも大きいようだ。

 致命的な記憶は忘却したはずだったが、それまでに受けた仕打ちや願い箱(キューブ)によって捩じ曲げられた価値観、さらには《欲望の魔女》によって身体を奪われた悪影響など様々な要因が重なって彼女の心身には長い休息が必要になったらしかった。

 後始末のため所長が何かしたのかもしれないが凡人は聞かなかった。ただ、なるべく早い復帰を願うばかりだった。

 一方、間島は入院することになったらしい。玉坂高校を退学になったため詳しい事情について凡人は聞いていない。

 あの日から数日後これまで間島がした悪事の多くが露見したためと噂されている。

 すれ違った河内が怒りとも悲しみとも付かない真っ赤な目をしていた。さらに二年生のあいだで喝采と拍手がわき起こったと耳にしたが真実は定かではない。

 暗いニュースばかりでもない。

「ああキンキラ! どうしてあなたはキンキラなの!」

「南っ……月が綺麗だな」

 いつ付き合うのか、さりげなくクラス内で賭けの対象にもなっていた二人が、とうとう恋人同士になったらしい。

 告白したのがどちらかはノーコメントとされた。

 現在は朝であって月は出ていない。誰も突っ込まなかったが。

「ねえキンキラ! これまで無駄にした時間を取り戻さないとね!」

「南っ……俺、死んでも良い」

 手を取り見つめ合っていて非常に邪魔くさかった。

「それ、僕の机を挟んでやらないで欲しいんだけど」

 呆れて凡人がトゲのある口調で告げると教室中が混乱のるつぼに陥った。

「ヘーボンが! ヘーボンが冷たい目をして言った!」

「ボンちゃん、どしたの。熱でもあるの? 大丈夫? 保健室行く?」

 心配されてしまった。

「……ほら、ヘーボン。あの先輩と」

「……そうだったな」

 何やら妙な納得までされてしまった。

 分かってはいるのだ。どういう目で見られているかも。

 加々見はあの日以来この教室を訪れることはなくなった。休み時間も放課後も行動を共にすることは一切なくなった。

 当然だ。

 凡人に対する記憶を失えば、そこから生じるすべての関係は断ち切られる。

 分かってはいたが放課後になり一人で学校から駅までの道のりを歩くたび加々見との日々が夢や幻だったかのような気分に苛まれる。



 この一週間、凡人は仕事に打ち込んだ。

 パンドラがバラ撒いた危険物の回収だった。すでに使われているものに対してはどうしようもないが未使用の願い箱(キューブ)は破棄する必要があった。

 これは凡人の通常業務だった。誰かが願い箱(キューブ)を使うことについて《公平の魔女》たる所長は特別な行動は取らない。すでに《欲望の魔女》パンドラが滅びた以上、大っぴらには動けないし動くつもりもなかった。

 だから凡人が行動するしかない。魔女によってバランスが崩れる前にその芽を摘み取るのは魔女の麾下にありながらその制限を受けない凡人の仕事だった。

 また放課後が来る。

 誰も待たない放課後に凡人は帰り支度をしたまま少し留まる。

 クラスメイトたちは教室から出て行った。

 最後に残った杉山が気遣わしそうに見てくる。

「なあヘーボン。その、聞いて良いか分からんが……君咲先輩は」

「もう終わったことだから」

 凡人の言葉はあっさりとしたものだった。

 あの関係は終わった。恋人ごっこはもはや続くことはない。

 もしかしたら加々見の記憶には一年生と付き合って別れた、そのくらいの内容は残ったかもしれない。周囲への説明のために必要になるからだ。しかし凡人についての詳細は完全に忘却しているはずだ。所長がこうした点で手心を加えることはありえない。

 所長は《公平の魔女》だ。

 代償として記憶を奪うと語った以上それは絶対だった。

 加々見がこの教室に来なくなったことで囃し立てていたクラスメイトは凡人に対して同情や憐憫の視線を向けることが増えた。

 好意を一切隠さなかった加々見の発言や行動をなまじ間近に見ていたからこそ現在との落差を考えてしまうのだろう。

 喧嘩別れか愛想を尽かされたかそもそも遊ばれていただけか。

 凡人が何も語らないことがかえって失恋の現実味を増していた。

「……元気出せよ」

「普通にしてるつもりだけど」

「マジか」

 杉山がうわあと顔を引き攣らせた。

「ひどい顔してるぜ。ったく、ヘーボンも人の子だったか。なんだ、そんなに手ひどくフラれたのかよ」

「いや、あれで良かったんだよ」

「そうだ、こないだ先輩に割引券貰ったんだ。一緒にドーナツ屋行こうぜ! なに、フラれたときにはドーナツを食うのが一番良いって先輩が実感たっぷりに言ってたし!」

 教室のドアから入り込んできた人影が素早く凡人の前に立った。



 杉山がその姿を見た瞬間肩をすくめた。

「じゃあなヘーボン。俺はこれで去るぜ。一人でドーナツ食ってくるかな……」

 少し寂しそうな背中だった。

 来るべきものが来たかと凡人は覚悟した。

 周囲と会話をしていれば遠からず凡人の名前に辿り着くことは自明だった。

 本人の記憶を消したところで他人の記憶までは消せない。日記などに書いていればその記録も残り続けるだろう。

 ここまでは織り込み済みだ。

 凡人は座ったまま、無言で見下ろしてくる加々見を、じっと見上げた。

「君が凡人くんね」

「そうですが」

「あたしのことは分かるわね?」

「ええまあ。それで君咲さん、何か用ですか」

 見慣れた笑顔はなかった。見知らぬ相手を窺うような緊迫感だった。

 真剣な眼差しは何かを確かめるように鋭かった。いたたまれない気分を胸の奥に押し込めて凡人は茶化すことも逃げることもなく続く言葉を待った。

「あたしたち、付き合ってたのよね?」

「もう終わったことです」

 杉山相手に告げたのと同じ、どうとでも取れる返答をした。

「なるほどね」

 うんうんと頷いてため息を吐いてそれから加々見は悔しそうにした。

 本当に悔しくて悔しくてたまらないという顔をした。

 もはや興味の対象ではないはずの凡人を前に口をとがらせ拗ねていた。

「加々見って呼んで」

 身を寄せられて椅子を蹴倒すような勢いで慌てて凡人は立ち上がった。

 加々見から一歩近づかれ同じだけの幅を後ずさる。

「……なぜです」

「その口調も辞めて」

「君咲さん?」

 二人きりの教室で凡人は追い詰められていた。いつかの再現のように。

「加々見」

「……加々見さん。あの」

「ねえ凡人くん。これ、なーんだ?」

 加々見が携帯電話を取りだして録音された音声を再生した。

『どうやら、僕は加々見さんのことが本当に好きみたいだ』

 凡人の声が聞こえてきた。

「……え」

「ふふふ、ちゃんと前後も録音されてたから安心して。そのときの間島君と中村先生、あたしと凡人くん。そして所長さんの話が全部まるっと残ってるわ。凡人くんの言葉も、あたしの記憶が飛んでる理由も全部きっちり残ってた。……さて、何か言い訳はある?」

 加々見が閉じ込めていた笑顔を表に出した。

「録音に残ってた内容を聞いたとき、最初はまるで他人事だったわ。知らない自分がいる。憶えていない出来事がある。何かのドッキリか冗談と思ったくらい。だから状況が理解できても実感は全くなかったわ」

 ため息混じりに睨まれた。

「凡人くんの顔を見るまでは、ね。たとえ記憶を失っても、心は変わらなかった。なるほどなるほど、こういうことね」

 録音されていることをあの場面で所長が見逃したはずがない。

 しかし魔女らしく報酬を弾んでくれたらしかった。

 絶句する凡人に加々見はさっと近づいてきてうっすら頬を赤くした。

 上目遣いに潤んだ瞳と必死なくらいのかすかな吐息。

 今すぐ泣きそうな目をして、それでも笑顔で君咲加々見は口にする。

「だから凡人くん、本当の気持ちを教えてくれる?」


 世の中には開けてはいけない箱がある。

 でも、逆に、しっかり開けなければいけない箱もあるらしい。

 開けるべき必要があるのなら、露わにすべき中身があるのなら。

 それを閉じ込めておく方が間違いなのだ。


 そして。

 凡人――僕は箱を開けるような気分で、とうとう素直な心を声にするのだった。


(了)


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