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9.彼女は絵画を知らない


さらさらと流れていく風は心地よく、薄手のカーテンの隙間から覗く太陽の光はとても気持ちがいい。

おまけに聞こえてくるのは近くのグラウンドで野球をする少年たちの遠い声。

ちょうどよい音の数といえる。

完璧だ、完璧すぎる。


「いてもいいよ」


犬居はアタシのことなんかまったく気にしていないように、自分は壁際の椅子に座り、さっきの本を開いた。


講義室の半分の半分ほどの大きさの、小さい部屋だ。

おそらくサークル活動で使わせてもらった囲碁サークルの、あの部屋の広さと同じくらいか。

真ん中に長机が一つあり、周囲に数個の丸椅子。

壁には本かファイルがいくつか入る大きめの棚、その横に水道とケトルが一つ。

水道の周囲の物を見ると、誰かが頻繁に利用しているだろうことがよくわかった。

そして窓付近に立て掛けられた白いキャンパス。


「ここは?」


話し掛けるのもどうかと思ったが、あまりにも知らなすぎる場所も警戒するというものだ。

犬居は本から顔をあげ、まだ扉から一歩入ったところで立ち止まっているアタシを見た。

イヤな顔ひとつせず、とも言えるが、彼はただ旦に無表情なだけだ。


「俺のアトリエ」

「アトリエ?」

「絵を描くところ」


だから白いキャンパス。

このヒトは絵が描けるのか。

彼の本を開く白い手と、アタシのこの手。

同じ手なはずなのに。

卯月先輩とも、犬居とも、同じ手であるのに。

紡ぎ出せるものは、こんなにも違うのか。


「すごいな」


手を光にかざしてみれば、やはりヒトの手であるはずなのに。

それでもアタシはヒトにはなれないということか?


「あんたにも描けるよ」


さも当たり前のように犬居は無表情で言ってのける。

どうだろう。

アタシにできるだろうか。

ヒトの感性なんてわからないアタシが?


「無理だと思う」

「やったこともないのに?」

「………」


思わず言葉を失う。

さらりと言ってしまえるところは癪に触るが、アタシの核心をつく何かを心得ている。

やってもないのに諦めてしまうなんて、確かにもったいない。

アタシはヒトになったのだ。

可能性とか、いろいろあるんだ。

いっぱい、いっぱい……。

でも今は―――。


「ここを満喫するのが先」


窓の前の椅子に腰を下ろし、腕を預けてその中に顔を埋める。

絵を描くよりも、ストラップを作るよりも、まずはこの方が大事だ。

後ろの方で鼻で笑ったような音がしたが、アタシは気にせず至福の時を噛み締めた。

いつでも開いてるから、という犬居が小さく呟いた声は、アタシの心の奥底まで響いたようだった。




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