1.彼女はヒトを知らない
アタシはヒトになることを望んだ。
それはただ、自分のため。
ヒトになれば、アタシは変われると信じてる。
「美子?」
とん、と肩を優しく叩かれた。
これが、ヒトがヒトを呼ぶ呼び方?
やはり今までとは違う。
まぁ当たり前だけれども。
振り返ると、くりっと丸い目と茶色のふわふわの髪の毛のかわいい感じの青年が、人の良さそうな顔をしてアタシを見つめていた。
少しだけアタシより身長が高いけれど、あまり目線は変わらない。
「今帰り?」
帰る場所もよくわからないので、あいまいに頷いておく。
彼は疑う様子もなくにっこり笑うと、一緒に帰ろう、と歩き始めた。
ラッキーだったかもしれない。
彼はたぶん“この身体の彼女”の知り合いで、彼女の家も知っている様子だ。
さすがにヒトの姿で野宿的なことはできないし。
この彼はこのアタシのなんなのだろう?
「美子、明日の講義なにあるの?」
くるりと青年が笑顔でこちらを振り向く。
男のヒトにどうかとも思うけれど、アタシから見てもかわいい青年だと思う。
彼の持つ温かい雰囲気や人懐こい姿がそう思わせるのかもしれない。
しかし質問の意味がわからない。
「明日の、講義……?」
「もしかして忘れちゃった?」
さっぱりわからないので、うんと頷いてみる。
青年の「もー」と呆れているくせに笑顔なのが不思議で、青年の顔を見続けた。
「スケジュール帳持ってるんでしょ?確認確認」
青年がちょいちょいと示したのは、アタシが肩から担いでいたバッグ。
それなりの重さのあるウサギのキャラクターが描かれたバッグを、促されるままに覗いてみた。
目的のものはすぐに見つかった。
単行本サイズのそれは、バッグと同じキャラクターのものがプリントされている。
「ホント好きだよね、『ももウサギ』」
意味がわからないのでスルーしてスケジュール帳を開く。
日付の枠の中に“9:00~実習”などのことが結構ぎっしりと埋まっていた。
青年は横から覗きこむようにしていたので、見やすいようにスケジュール帳の角度をかえる。
アタシが見るよりは意味がわかっていいかもしれない。
「あ、明日の朝イチ一緒だ」
「そうなの?」
「うん。この先生の講義面白いんだよね」
「ふーん」
同じ学校の学生、てこと?
この人、都合のいいヒトなんだろうか。
神様がアタシに与えたおまけ?
まぁ何はともあれ、使えるものは使っておくか。
せっかくだもの。
ヒトとしての生活楽しまないと損だし。
「明日、朝一緒に行く?」
アタシが言うなり、彼は目を丸くした。
「えっ?………いいの?」
「?なにが?」
「だって前―――、吹っ切れたってこと?」
よくわからないが。
「まぁ、そんなとこかな」
「………そっか!」
そこ、笑うとこなの?
よくわからない。
まぁ、いいか。
「じゃぁ、明日8時に美子の家迎えに行くね」
「ん、ありがと」
「へへ、いいのいいの!」
何がそんなに嬉しかったのか、青年はその後もずっとにこにこ笑っていた。
恋人………ではなさそうだ。
手さえも繋がなかった。
けっきょく彼の名前はわからないまま、彼はアタシを家まで送り届けてくれた。
独り暮らしのアパートの二階が新居だ。
ふむ、住みやすそうだ。
またとないチャンスだ。
アタシはヒトとしての生活を謳歌しようではないか。
アタシは小さくない。
弱くない。
アタシはヒトになったのだから。