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always be with  作者: はるあみ
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(3)


(3)

 季節が過ぎるのはいつも早い、もうすぐ、クリスマスだ。

 そして、久しぶりにネクタイをした彼が、最後の挨拶をしに来た。送別会もない退職が、この会社では当たり前だった。

 パソコンを打つ私の横に彼は立ち、

「いままでありがとう。本当にナカガミさんには助けられたよ」と笑顔で言って立ち去ろうとした。

そんな月並な挨拶で終わりにしよとする彼に無性に腹が立った。

「それだけですか」私は小声で文句を言っていた。聞こえないだろうと思った私の文句に彼は振り返り「えっ」と聞き返す。

「なんでもないです」私は彼の方を見ずに、またパソコンに向かい涙が溢れるのを必死で我慢した。

今にも溜まった涙が頬を伝いそうになる私に、彼は「そうだ、これ」と言ってリボンのついた小さな紙袋をくれた。

「ハンカチなんだけど、貰ってくれる?」

 こんな時にハンカチを渡すなんて卑怯だ。これでは私が惨め過ぎるじゃないか。

「いりません」

 私の言葉に、彼は驚き「ごめん」と謝って昭島のデスクに向おうとした。

「やっぱり、下さい」ついに私の涙は洪水を起こした。堰が切れると、洪水はどんどん溢れて口にまで入る。

「そう」彼は私の涙を見ない振りをしてハンカチを渡すと下を向いてしまった。

 バリバリと乱暴に包装紙からハンカチを出して広げ、ハンカチで顔を包んだ。

 新しいハンカチは硬く、涙を上手く吸い取ってくれない。それでも私はハンカチを目や頬に押し付けて涙を拭った。

 それでも、下を向き立ったままの彼に、ハンカチで顔を包んだまま左手であっち行けする。

 どうしたらいいのか分からず、そのまま立っている彼を私は昭島の方に押し出した。

 その様子を見ていた昭島が席を立ちあがり、私の方に向って来た。

「送別会やりますよ。予約は私がとりますけど、支払は秋川Dですよ」と言って高い店の名前をいくつか上げて、その場の空気を変えようとしてくれる。

 余計なお世話だと思うが、泣きべそをかきながら「焼肉」と一番高い店の名前を言った。

 結局、予約が取れたのはフレンチのレストランで、昭島は一番高いコースをオーダーしていた。

「出来れば、早めに出して下さい」

 高級店でも臆することなく、そんなことを言える昭島を最初は図々しい女だと思っていたが、今では彼女の屈託のない性格が羨ましかった。

「私はバクバク食べて帰りますからね。週末の夜は忙しいんですから」

 自分から言い出したくせに、昭島はそんなことも平気で言って私と彼を笑わせる。

 美しく盛り付けられた料理を、一瞥すると彼女はどんどん口に入れる。そのペースに私も彼もついて行けず、料理がテーブルに並んでしまった。

 ウエイターは困った顔をして私たちのテーブルの様子を見ているようだが、彼女は、そんなことには動じない。

「では、私はこの辺で」

 本当にあっと言う間に食べ終えると、彼女はナプキンで口を拭き澄ました顔で席を立ち、出口に向かう。

 その様子を彼も私も呆然と見送っていると、彼女が振り返り私を手招きした。

「我慢ばかりしていると、損をしますよ。秋川Dにも言っておいて下さい」

 彼女はそれだけを言うと、彼女が彼に貰った私のより華やいだ柄のハンカチを振って出て行った。

「そんなこと言ったの。別に我慢してるつもりはないんだけどな」

 彼女から言われたことを彼に伝えると、彼はブランデーを飲ながら苦笑いをして、外の景色に目をやった。

 彼が転職するのは、ステップアップのためばかりではないことは、事情通の昭島から聞いた。

 新しいプロジェクトの立ち上げを任されていたはずだったが、急にプロジェクトから外されることになったと言うのだ。

「上手く行きそうになったから、他の人が首を突っ込んできたんですよ。それで、秋川Dが外され、今度は失敗している事業の整理に回されることになったらしいです。

 昭島Dは人がいいから、変なしごとばかり押し付けられるんですよ」

 珍しく外に昼を食べに行こうと誘われた自然食レストランで昭島が教えてくれた。

「でも、引き受けたんでしょう。その仕事」

 五穀米を箸にのせたまま、私は彼女に聞いた。

「最初は引き受けたんですけど、それが単なるリストラをするための仕事って分かって、秋川Dは断ったらしいんですよ」

 彼らしい。「部下を辞めさせない」それが彼の信条だった。

 夜景をぼんやり見ている彼に「我慢してると思います」と私は言った。

「少なくても、私は我慢してしまう自分が嫌いになりました」

 争うぐらいなら、損をしても我慢するほうが気楽だとずっと思ってきた。でも、今だけは違う。我慢したくない。

「何を我慢してるの?仕事?」

 夜景から私に視線を戻した彼は、真剣な顔で私に尋ねてくれた。

「違います。マネージャーにです」

 私は酔っていたわけではない。確かにワインは美味しくて飲過ぎてはいたが、頭は冴えている。

「俺に? 俺が辞めるから?」

 そう聞かれると、何に我慢しているのか分からなくなり「いいです」と今度は我慢した訳ではなく、言うことが見つからなかった。

「辞めるなって言ったのは俺だものな。ごめんな、先に辞めて」

 そうな風に月並に謝られると、言いたくなる。

「そうです、勝手ですよ。マネージャーが止めなければ、もっと前に辞めてて、マネージャーが辞めることなんて知らずに済んだんです。泣いたりなんかしなくて済んだんです」

 涙が出ないように必死で口を堅く閉じた。口を閉じれば涙が出ないような気がしたが、口と目は関係なかったようで、口をひん曲げても涙は溢れ出てくる。

「どうしたらいいのかな」

 彼は困り果てたように、しきりに自分の耳を引っ張り、思案に暮れている。

「これからも、私を守って下さい。ずっと、私を励まして下さい。

『辞めるなよ』って言って下さい。そうしないと、私は・・・・」

 私はどうなるのか自分でも検討がつかなかった。

「分かった。たいして力にもなれないけど、いつでも相談にのるから」そう言って、彼は携帯の番号を紙に書こうとした。

「赤外線」

 私は自分の携帯を出し、泣きながら赤外線通信が出来る方を彼に向けた。

そして受け取った彼のアドレスに、【馬鹿ヤロー】とメールを送った。

 すると彼から【always be with you】と返信された。

「英語だから意味はわからないだろう」

 送ってしまったことを後悔したようで、彼は携帯をすぐに鞄にしまった。

 私は返信をしようとしたが、「英語は嫌いです」と言って携帯を閉じた。また、我慢した私に、私は腹が立った。

「英語は嫌いだけど、マネージャーは好きです」

 やっと言えた。我慢してたのは「好きです」という簡単な言葉。

 そして、冷たくしたのは、これ以上好きになりたくなかったからだと気がついた。

 きっと、私は彼に、その簡単な言葉を言えないと思っていたから。

「ありがとう」彼は照れながら、また自分の耳を引っ張った。

 彼の「ありがとう」が「ごめんね」に聞こえて、私は悲しかったのを覚えている。




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