(19)
(19)
私は翌日、会社を休んで彼に会いに行った。
「久しぶりだね、元気だった?」
彼は呼吸器を外して懸命に笑った。お見舞いに来たのは私なのに、彼は死を目前にしても私の心配をしてくれる。
「元気だけど」
きっと私は顔色が悪く泣きそうな顔をしているはずだ。だから、手も足もお腹も頭も、どもこ痛くなくても元気な訳がない。
「よく夢を見るんだよ。君と暮らしていた時の夢」
もう、それ以上何も言わないで欲しい。そんなことを言われたら苦しくて苦しくて息が出来なくなってしまう。
「それが可笑しいんだ。昨日なんか、君とお風呂に入ろうとしたら、君が子供になってたんだ。子供の君は『お父さん、寒いよ』って言いながらお風呂で遊ぶ玩具をもって笑ってる。
僕は『早く温まろう』って、君のことを抱き上げるんだ。変な夢だろう」
本当の私は子供の頃、良く父親とお風呂に入った。帰りが遅かった父とお風呂に入りたくて、良く母を困らせたことを思い出した。
私は父が嫌いではなかった。子供の頃は父がいれば、どんな悲しいことからも守ってくれると信じていた。
「面白い夢だね」私は上手に笑えないまま、ついに泣いてしまった。
絶対に泣かない、泣いたら彼を不安にさせる。そう誓って病室に来たのに、私は自分で誓ったことも守れない駄目な人間だ。
「泣かなくていいよ、年上の僕が先に死ぬのは順番なんだから。それに、僕は今度生まれ変わる時は君の父親になることにしてるんだ。それが、僕と君の最高の運命だと思う。
ずっと、ずっと、今よりももっと君を愛することが出来るからね」
呼吸が苦しくなった彼の「もっと君を愛することが出来る」という言葉は途切れ途切れになっていた。
「ありがとう、きっと貴方の娘になるから」泣き声で言葉にならない。
「彼の魂はきっと君を探していたんだよ。彼は君を守るために生まれて来たんだと思う」
病院から帰った私に、倉科は電話でそう言った。
彼と私が探し求めた運命が、こんな形で終わるなんて思ってもみなかった。本当に運命というヤツは私なんかのことを何にも考えていない。もう、私が彼に「愛してる」と伝えることも許してはくれない。
倉科は他にも何か言いたそうだったが、それ以上は言葉を飲み込んでくれた。
それから暫く、倉科と逢う気にはなれなかったのは、罪悪感からではなく、虚無感だと思う。今ある全てのものが、私にとって何の意味もないもののように思えた。
保険会社での派遣の仕事は金銭を得るだけ、そのお金で食べ残す食料を買い、寒さを凌ぐには必要のない装飾がされた服を買い、捨てるのに困る家電品を買い揃える。
倉科と話をし、抱きあうことで安心と喜びが生まれ、それが永遠でないことに怯える。
全ては意味のないことの繰り返し、繰り返し。
彼は、秋川は、私を愛したことにどんな意味があったのだろう。ただ心配をさせ裏切ることしか出来なかった私を愛し続けることにどんな意味があったのだろう。
自己満足?
自己愛?
考えるほどに全てが空しく無駄に思える。
倉科から電話がかかってきたのは、会社を休み一週間たったときだった。
「どうしてる?」
「どうもしてない」
倉科の声を聞いても、前のように嬉しさが込み上げてくることはなかった。
倉科はやっと就職が決まったこと、古着のダウンを買ったこと、駅前の本屋が潰れたことなどを話した。
前までの私なら、どれも大切なことだと思えた。去年から新しいダウンが欲しいと言っていた倉科が、どんな色のダウンを買ったのか、二人で一時間も立ち読みをした本屋にはもう行けない、何より新しいが、とても大変そうだ。
「ごめんね」
私は倉科の話を聞き終えて、そう言ってしまった。
「ごめんねって?何が」
倉科にも分かっている。もう私たちは終わりなのだ。
「うん、ごめんね」
私はどうしても『さよなら』とは言えなかった。




