夏―後編―
夢に見る。
お別れの瞬間のおばあちゃん。
名残惜しそうに、でも笑顔で、いつまでもいつまでも手をふっているその姿を。
夏―後編―
私たちが自宅に帰って1ヶ月後のことだった。
おばあちゃんが入院したという知らせが入ったのだ。
「これからお母さん、月に何回かおばあちゃんの入院先に行こうと思うの。
由香にはお母さんがいない間の家のことたのむね。」
「うん。おばあちゃん、なんで入院したの?病気?」
「そう。病気。お母さんもよくはわからないんだけど、ちょっと長くなるかも。」
「そっか。」
嫌な予感がした。
母の表情は思わしくなく、詳しいことは何も話そうとしない。
おばあちゃんが重い病気であることは明白だった。
でも、怖くて詳しく聞く気にはなれなかった。
まだ残る夏の残像が恐ろしい想像を拒んでいたのだ。
私の夏からおばあちゃんの姿を消し去ることを。
おばあちゃんはがんだった。
そう知らされたのは、冬休みの初めだった。
「おばあちゃんね、もう長くないの。
春まで生きられるかどうかもわからない。
だから、由香。冬休みだから、お母さんと一緒にお見舞いに行こうね。」
そう言われ、訪れた母のふるさとは雪景色に包まれていた。
どんよりと重い雲は、普段なら喜んでしまう雪さえも重い灰色に見せた。
初めて訪れた冬の母の実家。
夏の日差しに輝いて見えた風景は、どこにもなかった。
「由香ちゃん。よく来てくれたね。」
母の実家に訪れると孝一おじさんがにこにこと出迎えてくれた。
その笑顔と裏腹に、孝一おじさんの顔にはくっきりと焦燥感が漂っていた。
「由香ちゃんが来てくれれば、母ちゃんも喜ぶよ。
毎年夏が近づくと母ちゃんものすごく元気になるんだよ。
由香ちゃんに会いたくて会いたくてしょうがないんだよ。
早く病院行ってあげて。」
私はおおきくうなづく。
私が行くことでおばあちゃんが元気になってくれるといい。
そんなかすかな願いを胸に秘める。
「おばあちゃん」
病室は2人部屋。
重い雲の隙間から日差しがこぼれ、病室に光を注いでいた。
寝ていたおばあちゃんは雪のように真っ白だった。
髪の毛も、肌の色も。
「おばあちゃん」
もう一度呼びかけるとかすかに反応する。
「お母さん、由香が来たのよ。」
母がおばあちゃんの耳元でそう言った。
スウと鼻息をたて、おばあちゃんの首が少し動く。
夏に会ったときは、元気に笑っていたのに。
あんなに元気だったのに。
私は涙が零れ落ちそうになるのを必死にこらえた。
「・・・ゆ・かちゃ・・?」
かぼそい、よく聞かなければなんと言ってるかもわからないような小さな声で、
おばあちゃんは私を呼び、骨と皮だけになってしまった手を一生懸命私の方に伸ばした。
「そうだよ。由香だよ。」
その手を取り、私はおばあちゃんの手をさする。
いつもおばあちゃんがしてくれていたように。
おばあちゃんの顔がうれしそうに少しだけ動く。
真っ白で血管の浮き出た細い腕。
いつも触れていた手はすっかりやせて、ごつごつしていた。
それでも、変わらないぬくもり。
その手にある暖かさはずっと変わっていなかった。
泣いてはいけないと思うのに、涙ははらりと流れ落ちた。
春になり、私は中学生になった。
勉強と部活に追われ、おばあちゃんのお見舞いにも行けないまま、春が過ぎていった。
母は月の半分をおばあちゃんとすごし、帰ってくると、少しずつ悪化していくおばあちゃんの病状を泣きそうな顔で私に語った。
「でも。春越えたね。」
悪化してはいたが、おばあちゃんは頑張って生きている。
「そうね。」
母は悲しそうに微笑む。
「早くお迎え来ないかなって言うの。苦しいって。
そんなこと言わないでって言うとね、うんって言うんだけど・・・。」
でも、苦しくても頑張って生きてと言うのはエゴなのだろうか。
迎える夏。
夏休みに入り部活もやっと休みになった頃、家族でお見舞いに行こうと父が話した。
その日だった。
一本の電話。
おばあちゃんが死んだという知らせだった。
変わらない夏。
ミンミンゼミが鳴き、トンボが飛んでゆく。
相変わらず太陽を仰ぎみないはねっかえりのひまわり。
青々と輝くイネはいつものように風になびく。
あぜ道の花々が私を見てる。
またもや私を忘れてうーうーうなるポチ。
何もかもが変わらないのに。
おばあちゃんだけがいなくなってしまった。
「由香。こっち来て。」
葬式の準備をしていた母が、私を呼んだ。
「見てあげて。」
お棺を少しあけ、母はおばあちゃんの顔を私に見せてくれた。
「触れられなくなるから、最後に、ね。」
冬に会ったときよりもさらに真っ白になってしまったおばあちゃん。
私が動けずにいると、母はおばあちゃんに話しかけるようにつぶやく。
「きれいに化粧してもらったね。」
うっすらと唇と頬が紅色だった。
「看護婦さんがやってくれたんだって。きれいな色ね。」
母はそう言って、いとおしげにおばあちゃんをみつめる。
「よく夏まで頑張ったよね。春までもたないって言われてたのにね。」
おばあちゃんは夏を待っていたのかもしれない。
私が連れて来る夏を待っていたのかもしれない。
大好きな夏まで生きようと頑張ったのかもしれない。
どんなに弱音を吐いても、頑張って生きようとしていたのだ。
私はそっと手を伸ばし、おばあちゃんの顔に触れた。
硬く、冷たくなっていた。
それでも私は、天国に行ってしまったおばあちゃんに伝わるといいと、
その頬をなでた。
おばあちゃんは、私の手をさするその時、きっと「大好きだよ。大好きだよ。」と思いをこめていたに違いない。
だからおばあちゃんの手はいつもぬくもりで満ち溢れていたのだ。
私も、伝えたい。
この手のぬくもりで。
触れることが出来なくなっても、ずっと、ずっと。
「大好きだよ。大好きだよ。」と。




