第六章(5)
「思い出した。なぁ、勝負しようぜ」
先頭を進む馬車。御者台に座るアリーシェの横へ、エリスはひらりと飛び乗った。
「どういう勝負?」
アリーシェは微笑みかけて聞き返す。
穏やかな口調は、突拍子もないことを言い出す子供に合わせる若い母親を思わせた。
「剣と剣でだよ。ファビアンから強いらしいって聞いてたけど、町にいるあいだ、ずっとどっか行ってただろ」
エリスにしてもウェイトレスをしていたのだが、アリーシェにしても衛兵団に通い詰めだった。そのため、しばらくまともに顔を合わせていなかったのだ。
「そのうちね」
アリーシェは顔を正面に戻してやんわりとあしらう。
「そのうちかよ」
やる気がないらしいことを感じ取り、エリスもつまらなそうに景色へと目をそらした。
潮気を含んだ風が露出度の高い肌をなでていく。
水平線と砂浜がはるか遠くに見える、陽気の良い平原。まっさらな紙の上にペンで引かれた、と形容できる街道を、一行は進んでいた。
木も背の高い草も一切ないため、周囲は清々しいまでに見晴らしが良い。視界が開けているという安心感のためか、皆の足取りも心持ち軽いようだった。
「それに、私は別に強くはないわよ」
謙遜、というふうでもなくアリーシェが言う。
「剣の稽古ならみんなとやっていたそうじゃない。いつもはラドニスさんに見てもらっていたのだし、わざわざ私とやらなくてもいいでしょう?」
「いや、そういうんじゃねーよ」
他からどう見えるのかは知らないが、エリスとしては稽古という感覚はない。あくまで勝負をしているのである。
「まぁ銀影騎士団の奴らがどれくらいの腕前かってのを見てやった、ってのもあったけどな。この際だったらとりあえず全員に勝っときたいだろ」
だろ、と言われても恐らく賛同する者は少ない。
「勝率は?」
「……言いたくねー」
痛いところを突かれた、とばかりにエリスはムスリとした。
総合的な勝率でいうならたしかにエリスが面白くない数字ではあるが、勝ち星を取った人数ということなら、そう悪くもない。
いまだ星をとりこぼしているのは、ラドニスを含めたごく少数、だけである。
そんな彼女は見て、アリーシェはクスクスと笑った。
「じゃあ、私は不戦敗でいいわ」
「これだよ」
エリスは「やれやれ」と言いたげに呆れてみせた。
そういう問題ではないのだ。
しかし相手が乗り気でない以上、無理矢理やっても意味がない。以前がどうだったかはともかく、今は自然とそう考えるようになっていた。
「……ごめんなさい。本音を言うとね、今はあんまり余裕がないの」
そんなエリスの様子に見かねたのか、アリーシェは声をひそめて切り出す。
「大勢の人の上に立って、みんなをまとめなくちゃいけないでしょ? 自分で言い出したことなんだからって覚悟はしていたつもりなんだけど、やっぱり理想と現実は違うっていうか……」
話しつつも、ちらりと周りをうかがう。聞いている者はエリス以外にはいないだろう。
「しっかりやらなくちゃとは思ってるけど。痛感するわ。……分不相応なのよ」
もしかしたら、エリスが彼女の弱音を聞いたのはこれが初めてかもしれない。
何事もそつなくこなしている印象があったのだが、どうやら本人的にはそうではなかったらしい。
はたから見ているだけではわからないものである。
「そうか? うまいことやってるように見えてたけど」
「外側に出てないうちは、まだ安心できるわね」
とアリーシェはにっこりする。
しかし話す態度からしても、言葉ほど余裕がないようには思えない。それだけ自制心が鍛えられているということなのだろうか。
「イヤんなってんなら、あたしが代わってやってもいいぞ」
本人的には善意のつもりで、エリスがそんなことを提案する。
本人以外からするとたまったものではない提案だが。
「ついでに構造改革だな。原則としてあたしの言うことは絶対とする。で、エーツェル騎士団に改名。名乗り口上の義務化。ユニフォームはノースリーブ短パン厳守」
とんだ暴政である。
「そうね」
アリーシェは小さくふき出した。
「そのうちね」
「そのうちかよ」
◆
レタヴァルフィーでの長期滞在分を取り戻すように、一行の旅路は順調だった。
以前と違う部分といえば、言わずもがな人数が増えたことと、充分な数の荷馬車があることだろう。
歩く人間と車上の人間とを交代制にすることで、ほぼ休むことなく進むことができる。
そして『モンスター』との戦いにおいても、数に物を言わせて圧倒できる。
元々が少数でも対抗できていた面々だ。それが多数となり信頼のあつい統率者もいるとなれば、おのずと良い結果もついてくるだろう。
順風満帆な旅路は、野を越え山を越え里を越え。
滞りなく、目的の魔都への距離を縮めていった。
◆
『レジェーノ』は、さびれた町だった。
といっても町自体に活気がないわけではない。
緑の多い平地は穏やかな気候もあって、農作物が育ちやすい。少し足を伸ばせば山にも入れて資源にも困らず、近くを横断する清流は広く深く、川魚漁も盛んである。
そして周辺の『モンスター』との関係も『良好』と、むしろ非常に暮らしやすい町と言えるだろう。
しかしそんな環境に反して、他地域からの交流や交易は滅多に行われていなかった。
好環境にも関わらず人の寄り付かない町。
それは土地柄、仕方のないことではあるのだが。
そんな『レジェーノ』に、とある一団が訪れようとしていた。
銀の武具を身につけた、約三十の旅装者たち。
かつてない来訪者に、地元住人たちは呑気にも色めき立っていた。
「あの山を越える頃には見えてくるはずよ」
町に到着したところで。羽を伸ばす前にと、アリーシェが皆を集めて開口する。
あおいだ視線の先には、地平を覆い隠す緑の壁――長大な山脈がそびえ立っていた。
「『モンスターキング』の居城。魔都『ルル・リラルド』が」
と重大な内容ではあるが、今さら皆に特別な反応はない。
それもそのはず、地図を見ればわかることだ。恐らく全員が全員、思い思いに心の準備をし終わっているのだろう。
アリーシェがあえて口にしたのは、そんな準備を実行に後押しするためにである。
一同の表情に、ほどよい緊張感が浮かび上がってきた。
「地図を見る限りでは、この先に人里はないわ。ゆっくり休めるのはこの町が最後になるでしょうね。だからみんな、そのつもりで」
「最後の晩餐をやるにしちゃあ、ずいぶんとこじんまりした町だな」
冷やかし気味にエリスがぼやく。
とはいえ、彼女の故郷よりは何倍も立派な町ではあるのだが。
アリーシェは、ふっと肩の力を抜いておどけてみせた。
「問題は、私たち全員が休める場所があるかどうか、ね」
外から来る人間が滅多にいないためか、どうやらこの町には宿屋というものがないようだった。
そこで町長にかけあったところ、町の外れにある集会所を使わせてもらえる許可が下りた。
重要な会議や取り決め事をする際に使う場所らしく、中は大きな机と大量のイスで埋まっている。それらを片付ければ、充分、三十五人全員が横になれるだろう。
この人数での旅もしばらく経っているため、作業の分担はスムーズに進んだ。
「こじんまりっぷりにしちゃあ、わりと気前良く食いもんとか売ってくれんだな」
食料を調達するグループに割り振られたエリスは、他数人と共に町の中を練り歩いていた。
小さな町というのは、つまり住んでいる人が少ないということだ。必然的に働き手の数も少なく、農業や畜産の規模も小さくなる。
そこへいきなり三十余人分の食料を譲ってくれと言われたら、難しい顔をするのが普通だろう。
だがこの町はむしろ逆に、歓迎すらしてくれる雰囲気だったのだ。
調達した食料のうち八割は購入した物だが、二割ほどはタダでおまけしてくれた物である。
「単純に豊かなんだろうね」
エリスのふとした疑問に、クレイグが答える。
「『キング』の住処に近いから人が寄り付かないんだろうけど、町自体は緑も多いし。きっと食料を確保するのも容易なんだよ」
「ふーん。そんな良いとこなら、もっとみんな来りゃいいのに」
エリスのように気にしない人間もいるだろうが、実際問題は難しいだろう。
一般人からすれば、いつ噴火するかわからない火山のふもと、とそう変わらないのだ。
安全が貴重な世の中なだけに、少しでも危険から遠ざかりたいのだろう。
「……はぁぁー………」
と、横を歩くパルヴィーから、ため息のようなうめき声のようなものが漏れ聞こえてきた。
「だんだん緊張してきた……」
「緊張?」
そんな言葉とは生涯無縁であろうエリスが、その呟きに片眉を上げる。
「だって、もう『モンスターキング』の近くにまで来てるんでしょ。あと一歩っていうか。そう思ったらさぁ、やっぱ恐いし」
めずらしく固い表情のパルヴィーである。先ほどアリーシェがかけた発破が、彼女に関してはこういう方面に作用したようだ。
「ずっとそれ目指してきたってのに、今さらなに言ってんだか」
クールというのか無頓着というのか、そっけなくエリスが返す。
「それはそうだけど……エリスはそういうのとかないの?」
「ぜんぜん」
まさに愚問だった。
「遠路はるばる、そのためにここまで来たんじゃねーか。わくわくのウズウズだよ」
頼もしくはあるが、理解できない。そんな目で見るパルヴィーだった。
「恐怖を克服するには、強い意志を持つことが効果的だね」
まるで参考にならないエリスの代わりに、クレイグがアドバイスを送る。
「目的を達成する自分をイメージする。そして、目的を達成した後のことも強く考える。そうすれば、目の前の恐さなんてなくなるよ」
「そうか、よーし……!」
とパルヴィーは意気込んで、言われた通りのことを実践した。
「わたし、この戦いが終わったらレクトくんと気兼ねなくフォーリンラブするんだ……」
指を組み目を輝かせて、うっとりと甘美な未来をイメージする。
エリスはそれを横目に興味なさげに呟いた。
「コイツ真っ先に死ぬんじゃねぇか?」




