第六章(4)
「ぜりゃぁっ!」
大上段に振りかぶったエリスが、力強く木製剣を振り下ろす。
相手をする二刀流の青年、クレイグ・クルシフィクスは、右手の木製剣だけでそれを受け流した。
そして体勢の崩れたエリスを左の剣で狙い打つ。
エリスは受け流された勢いにさらに弾みをつけて、前へ跳ぶ。床に飛び込むようにして痛恨の一撃を回避した。
「そいやっ!」
そしてそのまま転がりながら、下段も下段に二の太刀を叩き込む。
低空を横なぎに切った木製剣が、クレイグのスネを強打した。
「いっ……!!」
人体の急所にも数えられるのがスネである。防具もしていないそこに直撃を受ければ、痛いという言葉では済まないだろう。
クレイグは声にならない声を上げながら、スネを押さえてうずくまる。
そんな彼を見下ろすように立ち上がり、エリスは勝ち誇った笑みを見せた。
「よし、あたしの勝ちだな」
宿屋『コンフォータブルベッド』には、宿泊施設、食事施設、遊戯施設の他に、運動ができる施設も兼ね備えられている。
とはいえ町がこんな状況のなか遊びにくる者もおらず、もっぱら銀影騎士団の訓練場所となっていた。
ウェイトレスをしに行くのと並ぶエリスの毎日の楽しみが、ここに顔を出すことである。
銀影騎士団の強さの秘密、と言わんばかりに、いつ出向いても何人かは鍛錬に励んでいる。そんな彼らに、かたっぱしから勝負を挑んでいるのだ。
「ついに、やられちゃったか」
ダメージから回復したクレイグが、苦々しく笑いしながら言った。
ついに、という言葉からもわかる通り、挑戦すること数回目である。
というか自分が勝つまでやり続けるエリスだ。
さすがに一回で勝てる相手は少ないが、回数を重ねれば、大抵の相手からは一本を取れるようにはなる。
いまだ勝てていないのはラドニスくらいのものだろうか。
「すごいな、エリスさんは。言うなれば……何を考えてるのか読ませないから、先の動きが予想できない」
素直に賛嘆するクレイグ。
実際は特に考えずに、ほぼ反射と直感だけで動いているだけなのだが。
「まぁな」
と、エリスはさも得意げに答えた。
「お前もなかなかやるよ。あたしには一歩及ばなかったみたいだけどな」
さんざん負け続けたあとにこの言いよう。クレイグとしては笑うしかない。
「にしても、両手で剣使うなんて器用だよな。ややこしいだろ」
「簡単ではないけど。どっちでも攻撃が出来てどっちでも防御が出来る、っていうふうになるのが理想なんだ。まだまだだけどね」
と言いつつも、自然なまでに攻守の切り替えが出来ていたようではある。
エリスにも見習ってほしい謙虚さだ。
「ふーん。そういうことができんなら便利かもな」
しかしエリスが学習したのは、謙虚な態度ではなく二刀流の利点のほうだった。
もっとも実践する気はあまりなさそうだが。
「ついにクレイグにまで勝ちおったか」
ふたりの勝負を見学していたベテラン戦士ファビアンが、感心しながら歩み寄ってきた。
「そいつは一番の期待株だからな。互角にやり合えるってだけでも大したもんだ」
「今に圧勝してやるよ。それよりファビアン、次はお前が相手しろよ」
「ごめんだな」
老練なる戦士は、しかし不敵に笑って即答した。
「稽古をつけてやるのは構わんが、勝負となったら話は別だ。せめてラドニスの奴から一本取れるくらいになってから言うんだな」
せめて、と言うわりにはずいぶん厳しい条件である。
「けっ。逃げやがって」
「そういうことにしといてくれ」
そういやぁ、とファビアンは話の方向を変えた。
「ラドニスにコテンパンにされてるってのは聞いてるが」
「コテンパンにはされてねーよ」
「アリーシェには勝ったのか?」
そんな名前が出て、エリスはふと小首をかしげる。
「いや……そういえばあいつとはやってねぇな」
「一緒に旅してたのにか?」
とファビアンもおかしそうに首をかしげた。
言われてから気付く。たしかにアリーシェとは剣同士の実戦的な訓練をしたことがない。
せいぜい口頭でアドバイスをくれるくらいだろうか。
そもそも実際の戦いにおいても、彼女が斬り結んでいるところはあまり見た記憶がなかった。
集団戦では司令塔役、すなわち後衛を務めることが多いため当然といえば当然ではあるが。
「……強いのか?」
「強いことは強いが、うまい、って言葉のほうが合ってるな。やってみりゃわかる。やりにくい相手だ」
ファビアンは破顔しながら答えた。
「そういうのもひっくるめて、敵にはしたくない奴の筆頭だな」
「そりゃな。おっかなそうだ」
それに関してはエリスも同意である。味方として頼もしいということは、つまりそういうことなのだ。
「……んっ!」
と、のんびり談笑していたところ。運動施設へやってくるラドニスの姿が目に入った。
エリスは、ちょうどいいところに、とばかりにすぐさま彼のもとへ走り寄る。
「勝負しろ、ゼーテン」
「よかろう」
唐突な挑戦であったが、すんなりと受けて立つ辺りさすがである。
そして流れるように準備が整い、ふたりの打ち合いが開始される。
クレイグとファビアンは少し離れてその様子を眺めていた。
「……やっぱり強いですね」
とクレイグが呟く。対象は言うまでもなくラドニスだ。
猛攻と呼んでいいほどエリスが攻め立ててはいるのだが、一撃たりとも当たる気配がなかった。
ラドニスのほうは恐らく稽古のつもりで攻撃を控えているのだろうが、それにしても盤石である。切り崩せそうな隙もない。
「惜しくはあるがな」
隣でファビアンも感想を口にした。
「腕前自体は、まぁ娘っ子にしてはそこそこって程度だが、なんせ肝の据わり具合が違う。戦いの土壇場ともなれば実力以上にそこが勝敗を分けることもあるからな。状況が状況なら、勝ち目はあるかもしれねぇな」
その分析に、クレイグも「なるほど」と納得した。
打ち合った先ほどにしても、そして先日の『ボス』と戦っていた時にしても、感じたことだ。
普通なら危険を察して踏みとどまるような一線を、彼女はなんなく踏み越えることができる。
それが時として実力以上の強さを発揮できる秘訣なのだろうか。
「あのラドニスだからこそ持ちこたえられてはいるが、俺だったら十回もしないうちに黒星がついてるかもな」
「……それなのに、ラドニスさんから一本取れるくらいなってから、なんて大見得を切ってたんですか?」
クレイグは苦笑する。
「当たり前だ。十回に一回だろうが、大の男があんな小娘に負けたら恥ずかしいだろ」
「そういうものですか」
「ああ、そういうもんだ」
ラドニスの振るったウッドブレードが鋭く脇腹を打ち、エリスは投げ出されるように床に転がった。
◆
二十八名。
それが、アリーシェの喚起に賛同してレタヴァルフィーに集まった、銀影騎士団の仲間たちの総数である。
そこにアリーシェ、ラドニス、パルヴィーを含めて三十一。そしてエリス、レクト、リフィク、ザットを加えた三十五という数が、『モンスター・キング』に臨む最大戦力ということになる。
それが多いのか少ないのかは誰にもわからない。
だが精鋭の戦士たちがこれほど集まれば、通常の『モンスター』などは恐るるに足らないだろう。
では、その頂点に立つ者『キング』はどうか。
勝てる保証などないが、勝ちをあきらめている者はいなかった。
この仲間たちと一緒なら、誰が相手だろうと勝ち目はある。皆そう信じていた。
仲間が集結し終われば、この町に滞在する目的も達成される。
すなわち出立の時だ。
「この店ともお別れか」
朝一番で、エリスは食堂『アイアンサンド』へと顔を出していた。
心残りというわけではないが、愛着も湧いてきた頃だ。いろいろと思うところはある。
「ああいう仕事も、まぁ良いもんでしたね」
同じ気持ちらしいザットも、名残り惜しく店内を見回した。
開店前のため、イスが片付けられいる。カーテンも閉まり薄暗い。これから床にモップをかけテーブルを拭き……と手慣れた作業が思い浮かんできた。
「大変でしたけど……」
と、リフィクにとっては思い入れよりも苦労のほうが大きかったようである。
「ほら、餞別代わりだよ」
厨房から出てきたドナが、三人に小包を手渡した。中身は営業準備の合間に作ったサンドイッチだ。
「ん、あんがと」
「しかし、これから寂しくなるね」
しみじみと三人の顔を眺めるドナ。
もともとは夫婦ふたりで営んでいた店だ。それが急に二.五倍に増え、そしてまた急に減るのだから、思う以上の寂寥感があるのだろう。
鬼の目にも涙、とまではいかないが、肝っ玉な印象のある彼女にしては意外な反応である。
「ここんところは、本当に賑やかだったよ。それから、私も楽が出来た」
そんな彼女を、エリスはおかしそうに「らしくねぇな」と笑った。
ドナはそれを聞き、「たしかにね」と普段のような明るい顔を見せる。
「また近くに来たら、顔を見せなよ。あんたたちならいつだって大歓迎さ」
「お世話になりました」
「今度来た時も手伝いやすぜ」
リフィク、ザットが別れのあいさつを告げる。
そしてエリスも、バイバイと片手を振った。
「じゃ、またな」
「気をつけて行きな」
と最後にカウンターの向こうから、気難しげな亭主も顔をのぞかせる。
ふたりの見送りを受けながら、三人は店をあとにした。
「お心遣い、ありがとうございます」
とアリーシェは、フェリックスへと深く頭を下げる。
衛兵団拠点、兵団長執務室。アリーシェとラドニスのふたりは、代表として、旅立つ前にあいさつと援助の礼を伝えに訪れていた。
援助というのは、こちらの旅立ちに合わせて相当数の物資や馬車を用意してくれていたことである。
町の状況が状況なだけに申し訳ないと思う反面、とても嬉しい配慮でもあった。
「私にできるのはこれが精一杯だ。君たちの目的に貢献できるのなら、安いものだ」
お構いなく、とフェリックスが返す。
総力を上げて『モンスター・キング』に挑みに行く。フェリックスにだけは、その目的を告げていた。
復興の手伝いに関して度々衛兵団に出向いていたアリーシェである。彼と接するうちに、信用に足る人物だという結論に至ったのだ。
「いえ、充分です。そのお心に応えるためにも、我々の悲願、必ず遂げてご覧に入れます」
アリーシェは、改めて決意を固めるように言い切った。
「そう誓おう」
ラドニスもそれに続く。
フェリックスは、今度は彼へと目をかたむけた。
「あの程度では、まだまだ呑み足らない。次は土産話を肴としよう」
口元をゆるませる。ラドニスも、同じく口角を持ち上げた。
「ああ。期待していてくれ」
頼もしくうなずき合うふたりである。
それを見て、ずいぶん親しくなったのだなと、アリーシェはひそかに微笑んだ。
銀影騎士団の面々は、すでに南門の前に集合していた。
人が約三十に、屋根のついた荷馬車が十八台という大所帯である。
数は知っていたものの、いざ一カ所に集まってみるとえらく大勢だな、とエリスは思った。
そして懐かしい、とも思う。
「前は、こんな感じだったな」
「ああ」
と、同じことを思っていたらしいレクトがうなずいた。
故郷の村で共に戦っていた仲間たちのことが思い起こされる。
これほど立派なものではなかったが、それでもたくさんの仲間に囲まれているという安心感は、共通のものだった。だからこそ余計に思い出してしまうのだろうか。
村を旅立ってから、どれくらいの日々が過ぎただろう。
長いようで短かったとエリスは思う。
様々な人に出会い、様々な敵と戦い、様々なことがあったが、あっという間だった。
たぶんこれから先もそうなのだろう。
「……ん、やっと来たか」
通りの先からアリーシェとラドニスの姿が見え、エリスは郷愁の念を引っ込めた。
先日の襲撃において唯一破壊されなかった門がこの南側である。
港に面している北側以外の両翼は、いまだ修復中。大所帯が通るのは無理だった。
アリーシェは、結集した皆の前へと立つ。オペラ歌手がステージに上がったように、全員の視線が一手に注がれた。
こうも大人数で動くとなれば、否が応でも目立ってしまうだろう。今まで存在を隠していた銀影騎士団の秘匿性が失われることになる。
――後戻りは許されない。ここから先は、引き返せない。
「行きましょう!」
だが行くのだ。
未来はその先にしかない。