第五章(19)
「珍妙な……!」
その反撃は、ドレッドにしても予測外のことのようだった。
しかし、彼の動きに戸惑いはない。
右腕に輝きが灯る。
「打ち落とすのみ!」
一拍の溜めののち、拳を突き出し風圧弾をうち出した。
空中で、炎をまとったエリスと激突する。
一瞬だけ拮抗勝負を演じ、互いの技は相殺されたように弾け飛んだ。
同じくエリスも、突風にあおられたように吹き飛ばされる。
左半身を思い切り地面に打ちつけて、ワンバウンド。そしてゴロゴロと転がってようやくその勢いが止まる。
もはや体が痛いのかどうかも定かではなかった。
剣を支えに起き上がりかけた時には、すでにドレッドが迫ってきていた。
恐るべき切り返しの速さである。
そんな両者のあいだに、ザットが割り込んだ。
「まず子分を倒してからが順番ってもんだぜ!」
「真っ先に我を狙ってきた貴様らが、それを言うとは!」
構わず走るドレッドは、彼を払いのけようと片腕を突き出す。
ザットはそれをギリギリのところまで引きつけて、奴の足元へと滑り込んだ。
そして、軸足ではないほうへ飛びつく。
ドレッドの重心は前に傾いている。そして腕による攻撃をした瞬間のため、下半身は意識の外だ。
力の差があろうが、からめ取るのはたやすい。
走っている最中に足をからめ取ればどうなるか、それは考えるまでもなかった。
ドレッドは転倒し、勢いあまって一回転。背中を地面に打ちつける。
相手の重心の移動を見極めるのは、ザットの得意とする投げ技の基本だ。それの応用である。
仰向けになったドレッドへ、この機を逃さずラドニスが飛びかかった。
ロングソードを逆手に持ちかえ、奴の胸元へ狙いを定める。
しかしドレッドも、そうやすやすとは思い通りにさせなかった。
身をよじって剣を避けることもできたが――あえて起き上がるようにして、ラドニスへ爪のひと振りをお見舞いした。
ロングソードが、ドレッドの腕の付け根へ突き刺さる。
鋭利な爪が、鎧ごとラドニスの胴を切り裂く。
赤と紫の二色の血が、同時に周囲に飛び散った。
レクトは弓を下げたまま、息を殺すように静止していた。
前線では、リフィクとパルヴィーが『治癒術』のために奔走している。
ドレッドが、体に刺さった剣を引き抜いている。
そんな光景をじっと見つめながら、必死に頭を回していた。
決定打を与える方法……。今の攻防を見ていて、思いついたことがひとつある。
これならば、あの勘の鋭さと素早さをもってしても、確実に直撃させることができるだろう。
問題は、それをやれるだけの力が自分にあるのか、ということだ。
力が足りなければ、逆にこちらがやられてしまう。
チャンスは一度。かなり危険な賭けだ。確率を考えても、五分とはいかない。
しかし成功した場合、それで勝負が大きく動くはずだ。
あの強敵に対する突破口になる。その自信はある。
「……恐怖心は、今は押さえ込む」
あのザット・ラッドとて、臆せず『ボス』のふところへ飛び込んでいるのだ。
同じことをやると思えばいい。
「敵を倒す……!」
『モンスター』とはある程度戦ってきたつもりだが、思えばレクトは、正面切って向かい合ったことはなかった。
得意とする弓矢の性質上、遠距離からの攻撃がほとんどだ。仲間を前衛に添えた後衛。それが定位置である。
この襲撃の序盤に少しだけ体験したが、あの程度、話にもならないだろう。
仲間の後ろという位置は、本当の意味での敵を知らなかったのだ。
だが今こそ、その敵と向かい合う時。
壁を突き崩す時だ。
「俺の手で!」
自分に言い聞かせるように吐いて、レクトは矢筒に手を伸ばした。
「ヒーリングシェア!」
パルヴィーの『治癒術』が、ラドニスの傷を癒やしていく。
かなり深く裂かれたため、すぐに済む、ということはなかった。
なかなかの痛手は負ったものの、そのぶんの見返りはつかんでいた。
エリスとザットが挟み込むように応戦している『ボス』の挙動がわずかに鈍っている。
奴にとってもあの一撃は浅くなかったのだろう。
わずかとはいえ、付け入る隙が出来たというわけだ。
「……ぐっ……」
座り込んだ体勢から少し上半身を動かしただけで、ラドニスはうめき声を漏らした。
「まだ動かないほうが……」
『治癒術』に集中しつつ、パルヴィーが気遣う。
まさしくその言葉通り激痛が走った。しかしこの時間とて無駄にはできない。
『ボス』に刺したあの剣、奴が抜いたあとどこかへ投げ捨てたらしく、行方がわからないのだ。
傷が治っても武器がなくては役に立てない。
この隙に見つけておかなくては……。
と気を揉むラドニスのもとへ、体を引きずるようにしてファビアンがやってきた。
「使え、ラドニス」
そう言いながら、同じく引きずるように持ってきた愛剣を彼の前へと置く。
疲弊しきっていながらも状況把握は怠っていなかったのだろう。歴戦の貫禄ここにあり、といったところか。
「助かった」
「お互い様だ」
旧知の戦友とほのかに笑みを見合わせて、ラドニスはそのツーハンデッドソードを手に取った。
◆
「ぜりゃぁぁっ!」
エリスが気合いの声を上げながら、剣を振り下ろす。
それを片手の爪で受け止めるドレッド。
その彼女の背後、左右から、間髪を入れずにラドニスとザットが回り込むようにして躍りかかった。
ドレッドは迷わず飛びすさる。
そこへ、狙いすましていたかのごとくアリーシェの『魔術』が飛来した。
「ロックブレイド!」
無数の岩石が襲いかかる。
ドレッドはそれを拳でなぎ払いながら、内心、彼らの戦いぶりに素直に舌を巻いていた。
先ほどの四人組といい彼らといい、他の雑多な人間たちとは明らかに戦い方が違う。
磨き抜かれているのだ。
そして連携にも息が合っている。
はっきり言い表せば、手強い相手ということだ。この少数ながら。
ドレッドは、口元に小さく笑みを浮かべた。
それがどういう種類の笑みなのかは、本人にもよくわからない。
岩石群を殴り済ませたドレッドの背後へ、大剣を構えたラドニスが差し迫る。
振り下ろされた刃は、しかし彼をかすめただけに終わった。
距離を取りつつ転回したドレッドが正面に向き直る。
その時には、すでにザットが仕掛けていた。
ラドニスの背中と肩を蹴り上げて、ドレッドの頭上高くへ跳び上がる。
ドレッドは反射的に顔を上げるが――もし人間と同程度の視野しか持ち得ていなかったら、そこで勝負は決していただろう。
頭上に跳んだ男は、注意をそらすための囮だ。
本命は、
「正面!」
と――ラドニスの体の陰から飛び出したエリスへ、猛然と突進した。
ひどく原始的な、ただの体当たり。
しかしこれほどの体格差があれば、それはそのまま凶器にも昇華する。
すでに剣を振りかぶっていたエリスは、選択の余地もなくそれを振り下ろした。
刃がドレッドの肩口に食い込む。
しかし刃の半分も入らぬうちに、エリスは軽々と突き飛ばされてしまった。
ドレッドはすぐさま反転。
着地際、無防備にならざるを得ないザットへ、拳の一撃を叩き込む。
ドレッドが彼らの戦いぶりに舌を巻く一方で、彼らもドレッドの戦いぶりに舌を巻いていた。
「これほどまで……!」
攻撃のチャンスを抜け目なく狙いつつも、思わずこぼしてしまうアリーシェである。
ファビアンたちが苦戦していたという状況から相応の腕力は覚悟していたが、予想をはるかに超えたレベルだった。
手がつけられない、とでも言うのだろうか。
どう判断しても旗色が悪い。
このまま戦いが長引けば、それはより顕著になってくるだろう。
なんとか打開策を絞り出さねば勝機は薄い。
アリーシェは、素早く周囲に目を配らせた。
ファビアンたち四人は、やはり疲労困憊といった状態だ。彼らに助けを求めるわけにはいかない。
衛兵団の面々は、少し離れたところでドレッドの手下らと抗戦中。数では勝っているが、一筋縄ではいかないようである。
こちらの助けも期待できない。
「……」
ふとアリーシェは、ひとり距離を置いているレクトへと目を止めた。
先ほどから彼は、攻撃に参加せず静かに弓を構えたままである。
そんな彼の体が、ほのかな輝きをまとっていた。
『魔術』の力を高めた際の発光現象。
最大まで力を溜めて、あの技を放とうというつもりだろうか。
たしかにそれくらいのことをやらねば、この状況は切り開けない。
だが『ボス』の身のこなしからして、よほど大きな隙を突かなければ成果は見込めないだろう。
奴にそんな隙はない。
無闇に行なっても体力を浪費するだけだ。
そして当たる当たらない以前に、ひとつ問題がある。
彼もわかっているはずだが……。
「それでは、狙ってくれと言っているようなものよ……!」
何度痛打を与えても、即座に『治癒術』を施して戦線に復帰してくる人間たち。
厄介といえば厄介なのだが、ドレッドの中ではそれすら取るに足らないことであった。
「いつまでも保つものではあるまい!」
『魔術』の類であれば限りがある。多少手間が増えるという、ただそれだけだ。
わざわざ狙うまでもない。
真に狙うべきは、どちらかといえばアレだろう。
ドレッドは前衛三人の攻撃をすり抜けつつ、遠距離から『魔術』を放ってくる女へと視線を飛ばした。
恐らくアレが司令塔と見る。
中心となる者を潰せば、この整った連携にもほつれが生じるだろう。そこから瓦解させるというのも悪くない。
ドレッドが矛先を変えようとした、まさにその時。
彼の全身の毛を、浅くピリピリと刺激するような感覚が芽生えた。
「……!」
その正体を求めてドレッドは目を走らせる。
エリス、ザット、ラドニスが猛攻を仕掛けるが、回避に専念したドレッドを捕まえることはできなかった。
その彼の目が、距離を隔てた先で弓を構える青年の姿を捕らえる。
ドレッドが肌で感じ取ったのは、彼の中で高まる『魔術』の力だった。
その力は、ドレッドであっても警戒せざるを得ない域にまで達している。
危険と断言できよう。
放たれたところで回避できる自信はあるが、万が一ということもある。この人間たちに限っては油断がならない。
すぐに手を打つ必要があるだろう。
「その算段、打ち砕く!」
強力な『魔術』を放とうとすれば、それだけ深く意識を集中しなければならない。すなわち、そのあいだは絶好の的ということだ。
「この拳が!」
ドレッドの右手が、凶光によって輝いた。