第一章(3)
振り返った先には、いかにも旅姿ないで立ちの一組の男女が立っていた。
どちらも若く、リフィクと同じ二十代のなかばほどだろう。しかし彼とは違い、ただよっている落ち着きは年齢相応のものだ。
「なにやら、『モンスター』をどうこうすると聞こえてきましたので。つい」
男性は高貴じみた態度で言葉を継ぎ、三人プラス老人に歩み寄った。その背後にピタリとつくように女性も続く。
エリスの目を引いたのは、どちらかといえばその女性のほうだった。
友好的な男性とは正反対な、人形のように無感情な顔。しっとりと黒く長い髪。全身を覆うありふれたマントの上からでも、腰に剣を携えているのが見て取れた。
エリスが感じた最たるものは、彼女が放つ雰囲気である。
立っているだけだというのに、思わずぞっとしてしまうほどの気配がある。まるで抜き身の剣が服を着ているような、そんな妖しささえ感じられた。
「よければ、話を聞かせて頂けませんか?」
それに比べると、男性は至って普通である。どこか飄々としているところが特徴かと言えばそうかもしれないが、これといって変わったところはない。
もしくはこの女性の陰に隠れてしまっているだけなのかもしれないが。
「『話』というほど大それたものはありませんが」
ふたり組をにらむように見ているエリスの手前で、レクトが答える。
「この村を脅かしている『モンスター』を、どう駆逐するか。それを相談していただけです」
はたで聞いていた老人が、「穏やかではないね」と言いたげに眉をひそめた。
「なるほど。そういうことならば、我々が力を貸しましょう」
男性がさらりと返す。
「えぇーっ!?」
真っ先に間の抜けた声を上げたのは、リフィクだった。というより驚いているのは彼だけだった。
「ほ、本気なんですか? 相手は『モンスター』ですよっ? か、考え直したほうが……」
三人だけでは心もとないとかなんとかぬかしていたくせにこの言いようである。こいつは。
「自己紹介が遅れました。私の名はハーニス。そして彼女はリュシール。我らは、『モンスターキング』を葬るための旅をしています」
不敵に告げる男性に、今度はエリスとレクトも驚きを見せた。自分たちと同じく、『キング』を倒すという目的を持っている。そのことに対して。
リフィクは口を半開きにしたまま絶句していた。
「故に『モンスター』を憎む者でもあります。この気持ちはまさしく本気。嘘偽りはありません」
ハーニス。そう名乗った男性は、物怖じしない口調で言葉を並べていく。
「『モンスター』がいるのなら、放ってはおけない。我々とあなた方、心は同じはずです。ならば手を組みましょう。お互いのためにも」
「そういうことなら、こちらからもおねがいします」
融和的に、レクトが応じた。ちょうど手助けを必要としていた、と。
「足手まといならいらねぇからな」
話がまとまりかけたところで、エリスが口を挟む。そういう口を叩きたくてしょうがない性分なのだ。
ベンチにふんぞりかえって、ふたりの姿をにらみ上げる。
ハーニスはにこやかに、
「ご期待には添えられますよ、必ず。『彼女』ならばね」
そして妙に自信たっぷりに、そう断言してみせた。
彼の後ろにいる彼女。リュシールは、やはり最後まで表情を微動だにしなかった。
その後、特に発展もないまま日は暮れてしまう。
情報や加勢どころか雨風をしのげる場所すら貸し与えてもらえず、エリスたちは仕方なく村の外れで野宿と相なっていた。
人里に来ていながら野外で寝泊まりとは、なんとも寂しいことである。
「あなた方も『モンスターキング』を討つべく?」
興味深げに、ハーニスが尋ね返した。
一時の同盟結託のよしみか、彼らも共に夜を明かそうということになったのだ。
「なんなら子分にしてやってもいいぞ。ふたりまとめて」
「面白い人だ」
エリスの押しつけがましい勧誘に、鼻を鳴らすように笑うハーニス。冗談だと思ったのだろう。エリスは思いっきり本気であったのだが。
その隣でリフィクが、「そう答えればよかったんですね……」と後悔の念を惜しげもなく放出していた。
エリスら三人とハーニス、リュシールを含めた五人は、木々に囲まれた草の上に円になって腰を落ち着けている。その中央にはたき火があり、さらにその上に多種多様な具材の入った鍋が乗せられていた。
食材はすべて自分たちで調達したものだ。さすがに村からもらうわけにはいかない。
小動物の肉に、よくわからないキノコに、よくわからない野草に、よくわからない白っぽいなにか等々が、濁ったスープの中でぐつぐつと煮立っている。
ちなみに調理用具はすべてハーニスらの持ち物だ。かさばったり重かったりという理由から、エリスたちはそういったものは持ち歩いていない。
「さぁ。出来たよ、リュシール」
……最初からではあるのだが。
ハーニスとリュシールは、まるで雪山で遭難してしまったかのように互いに身を寄せ合い……というか、まぁ、早い話がイチャイチャしながらメシを食らっていた。
小鉢に取り分けたスープをスプーンですくって、ハーニスがふぅふぅと息を吹いて冷まし、リュシールの口に運ぶ。俗に言う「あーんする」というヤツだ。どこの俗だかは知ったこっちゃないが。
意外なのは、同じことをリュシールもやり返している点である。
相も変わらず寡黙で人形ヅラのまま、自分のスプーンですくったスープをやはり息を吹いて適温まで下げ、ハーニスの口へ持っていく。
表情と行動の温度さはすさまじいが、別に強要されているというふうでもないようだった。
遠巻きから見るのなら、なんとも微笑ましいバカップルである。
そんなふたりを前にしリフィクはなにやら照れて視線を外し、レクトは気にしないように平静を装い、エリスは穴が開くほどの勢いでにらみつけていた。
遠くや視界の外でやってくれるぶんにはかまわないが、目の前でやられるとたまったものではない。
とはいえ、エリスがこれといった文句を吐いていないのは、食している謎のスープがなかなかいける味だったからだ。
なにが入っているのかよくわからないが、とにかくいける。目の前の奇行を含めたとしても。
調理を担当したのはハーニスとリュシールである。食事と寝床と、野営の準備を分担したのだ。
不満はあれどメシがうまけりゃ文句はない。エリスの中ではそういう基礎理論が成り立っていた。
「どういった理由で『キング』を?」
食事の片手間、ハーニスが問いかける。
体と顔と目はリュシールのほうへ向けられているが、声だけはエリスたちへと向けられていた。
「気に入らねぇんだよ。『モンスター』共が」
そのエリスが、吐き捨てるように答える。
「人を食うのも、好き勝手に暴れんのも、でかい顔してのさばってんのも」
それは修飾をしていない、あまりにも率直な気持ちであった。エリスは理屈ではなく感情に突き動かされて生きている。
「全部が気に入らねぇ。鼻持ちならねぇ見過ごせねぇ、ガマンできねぇ耐えられねぇ。他の誰にも任せちゃおけねぇ。だからやんのさ。このエリス・エーツェルが!」
「故郷の村を守りたいんですよ」
内情をダイレクトにぶちまけたエリスに代わって、レクトがもう少し外側にある理由を説明した。他人にわかりやすい理由、とも言えるものを。
「いつか『モンスター』が襲ってくる可能性があるのなら、もとを絶つのが確実で早い。そう考えて」
それはそれで飛躍した考え方ではあるものの、ハーニスは納得したように「なるほど」ともらした。
「目的は同じくも理由は人それぞれというわけですか。面白いものだね、リュシール」
後半、声が妙に甘くなる。そこだけ彼女に向けられた言葉だったからなのだろう。
「……あなたたちは、どういうような理由で?」
ふたりを包む空気の外側から、レクトが同じ質問を投げ返した。
切り出されたからには気になるものだ。言いようからすると、少なくともエリスたちとは違っているみたいだが。
そこでようやく、ハーニスが目線をそちらによこした。
「世界を変えるために」
やや真剣さを含んだ声色。
そのひとことで、話のスケールがいきなりとんでもなく大きくなった気がした。
「『モンスター』にも憎しみを抱いていますが、我々はそれ以上にこの世界そのものを憎んでいます」
決して冗談や軽口の類ではない。
エリスとレクトは、思わず聞き入るようにハーニスを注視した。
「世界の担い手である『キング』を討伐することができれば、世界を根底から変えることも可能」
ハーニスの口調からは恒常的な軽さが消え失せていた。真摯な意気が言葉の端ににじみ出てきている。
「それが私の本懐であり素懐です。心から望む目的。果たすべき約束とも言えます」
それだけ告げると、ハーニスはため息をつくようにして苦笑った。
「初対面の方にはあまり言わないのですが」
その声には、それまでの軽妙さが戻っていた。
「あなた方とは、目的を同じくする同志ということで。特別に」
微笑んだ表情は柔和そのもの。彼が心を開いた証なのだろうか。
隣で密着しているリュシールは、やはり終始無表情でスープを食し続けていた。
「世界を……」
神妙な顔でぼそりとこぼしたリフィクの呟きを、耳に入れた者はいない。




