第五章(15)
「今の……『ボス』でしょうか?」
確認するように、レクトが深刻めいた声を口に出す。
今の、とは言うまでもなく、トュループと交戦していたチータータイプの『モンスター』のことだ。
他のチータータイプと比べて明らかに巨大であったし、なによりトュループと渡り合っていた。もしあれが『ボス』でないのだとしたら、冷や汗どころの話ではない。
「恐らくね」
肯定、とアリーシェがうなずいてみせる。
「なんで戦ってたんだろう……?」
と続いたパルヴィーの呟きに、答えられる者はいなかった。
なにからなにまで予想の範疇を超えているのだ。
しかしなんにせよ、この場にトュループがいるというのは最悪な状況に他ならない。
弱り目に祟り目。泣きっ面に金棒を持った鬼、である。
「手を組んでいないだけマシだな」
ラドニスが、気休めまじりに言う。
考えようによっては最悪な状況ではなく、まだ最悪の一歩手前というわけか。
「奴ら同士で潰し合ってくれてんなら助かるぜ」
その気休めに乗ったザットが、
「それよりみんな、さっきの奴のこと知ってたのか? あの、翼の奴」
と全体に向けて質問した。
トュループに対する反応の差に疑問を持ったのだろう。
「あれは、『灰のトュループ』よ」
アリーシェが、簡潔に説明する
「『モンスター』の中の異端者とでも言うべき存在ね。気まぐれに町ひとつを吹き飛ばす、ほとほと手に負えない害悪よ」
「町ひとつって」
とザットは、軽い冗談と思ったのか口元に笑みを浮かべてみせた。そんな大げさな、と。
しかし皆の表情から、すぐさまそれが勘違いだったことを自覚したようである。
「実際に俺たちは、目の前でそれを思い知らされている」
補足するようにレクトが告げる。
「奴がその気になれば、この町も壊滅的な被害を受けるだろう」
「そんな奴が……!?」
ザットは愕然とばかりに、みるみる表情を険しくした。
そんなレクトの言葉を耳にして、アリーシェはふとしたことに気が付く。
たしかにトュループがその気になれば、通り名のごとく町は灰に変わるだろう。
だが現時点ではそうなっていない。つまりトュループは、まだ『その気』にはなっていないということだ。
『モンスター』の思考など読める筋もないが……たしか以前接触した時、奴はエリスを助けるような行動を取った。そして彼女になんらかの興味を示した様子も感じ取れた。
もしそれが関係して『その気』になっていないのだとしたら……まだ少し猶予があるかもしれない。
事実あの時、奴は自分たちを見逃しているのだ。
「……混乱するわね」
アリーシェはため息を吐きつつ、片手で小さく頭を押さえた。
作戦の立て直しだ。
とりあえず、『ボス』を狙うという方針に変更はない。
西の飛行タイプには謎の二人組が当たっていて、南のチータータイプは目下トュループと交戦中。どちらも動向の読めない状況だが、うかつに手を出してヤブヘビというのは避けたい事態である。
残るは東側だが……。
「ファビアン……」
とアリーシェは、同志の名前を口に出す。
彼らはどうしているだろうか。
予測としては、彼ら四人は東側の対処に向かった可能性が高いのだが。
もしいなかったとしても、その時は自分たちが『ボス』と戦えばいい。
もし彼らが『ボス』と戦っているなら、その加勢に入ればいい。
もし彼らがすでに『ボス』を倒していたら、合流して戦力を増やせるチャンスということになる。
現時点での最善策はそれだろうか?
あの二人組にしろトュループにしろ、どんな行動を起こすかわからないのだ。いざという時のため、戦力は多いほうがいい。
「休息が済んだら、東側の地区に移動しましょう」
アリーシェは皆を見渡し、指針を切り出した。
「そこにいる陣営の『ボス』を目標にしつつ、可能であれば騎士団の仲間たちと合流。そのあとは……状況次第ね」
うなずき返し、了解の意を示す一同。
その上でレクトが、
「トュループは放っておいていいのですか?」
と訊ねた。
「よくはないけど」
アリーシェは苦々しい顔を作る。
「吹雪いてる雪山には、軽装では登れないということよ」
来る時は人でごった返していた道も、避難が完了してしまえば落ち着いたものだった。
景色はガラリと変わり、まるで廃村のように閑散としている。
そんなさびれた通りの真ん中に、四頭の馬がポツリと佇んでいた。
「よかった、待っててくれていて」
それを確かめて、アリーシェが喜びの声を出す。
それは他ならない、ここへ駆けつけた時に乗ってきた馬たちであった。
「賢いんだな」
ザットが感心するように言う。
あの人波の中で一頭たりとも動じずにいたのは、充分称賛に値する。
彼らも伊達に銀影騎士団の一員ではないということだろうか。
◆
「ファイアブレット」
ジェラルディーネが、もてあそぶように口にする。
彼女の前方で鵜飼いの鵜のように展開する五体の手下は、命令通りに次々と火球を打ち放った。
すでに無残な姿となっているレタヴァルフィーの町並みへ、容赦なくそれらが着弾していく。
ハーニスとリュシールは躍る炎を身軽にかわしながら、パッと前後に分かれた。
前を行くリュシールは、ジェラルディーネのみを狙って直進する。
その行動を阻むべく、手下たちが立ちはだかった。
まさしく鉄壁を誇る、生きた盾たちである。彼らを突破しない限り、目標に接近すらできない。
そこへ、後退したハーニスが『魔術』を放った。
「フラッシュジャベリン!」
リュシールのすぐ頭の上を、無数の光条が飛ぶ。
それが狙うのは、密集した手下たち。そして、その奥にいるジェラルディーネだ。
手下たちはクモの子を散らしたように避ける。ジェラルディーネも、小癪なと言いたげに上空へと逃れる。
攻撃は空振りに終わったが、もうひとつの目的は達したと言えよう。
リュシールは光の軌跡を追うようにして、手下たちの守備陣を突破した。
地面の石畳を蹴り上げ、さらにわずかに残った建物の屋根を蹴り上げ、上空のジェラルディーネへと猛然と迫る。
羽ばたいているかのような跳躍は、勢いでは完全にジェラルディーネをとらえていた。
剣を振りかぶる。
しかしその時――側面から一体の手下が突っ込んできた。
玉砕覚悟で『ボス』を守ろうかと、そんな気迫をみなぎらせている。
リュシールは瞬時に体勢を変え、その一体へと斬撃を見舞った。
『モンスター』の体が、まるで野菜のように斬り裂かれる。しかし、その勢いまでは殺せなかった。
半身を失った『モンスター』が、体当たりのごとくリュシールに飛びつく。
その惰性に押され、上昇軌道が曲線を描く。リュシールはあえなく地面に落下してしまった。
とはいえ、ただ落下したわけではない。体のバランスを取り戻し、しっかりと足から着地したのだ。
ダメージは無い。
体当たりをかました『モンスター』は、すでに絶命している。だというのに、いまだリュシールの体にしがみついていた。
執念なのか忠誠心なのか、その心意気だけは立派と言えよう。
リュシールは片手で『それ』を引きはがそうとして……横から伸びたハーニスの手が、それを代行した。
「私のリュシールに、そうベッタリと触らないでいただきたい」
無慈悲に放り捨てた亡骸に、哀れみの視線を落とす。
「気持ちはわかりますが」
休む間もなく、といった感じに、ふたりの上に大きな影が落ちた。
自らの優位を誇示するように、ジェラルディーネが堂々と距離を詰めてきたのだ。
「どれだけ試みようと同じこと」
彼女に付き従う側近たちは、先ほどと変わらず五体であった。両断された一体の代わりがどこからかやってきたのだろうか。
不気味なほどに取れた統制だ。
「そなたらでは、わらわに触れることすら叶うまい」
挑発とも、早計な勝利宣言とも取れる物言いである。しかし内容は、そう違ってもいない。
ジェラルディーネの周囲には、絶えず手下たちが控えている。彼女に対する攻撃を、今のように我が身を挺してまで防いでみせるのだ。
言わば二重三重の鎧が彼女を包んでいる。
ピンポイントで『ボス』を討ち全軍の勢いを抑えようとしているこちらからすれば、これ以上に厄介な相手もいないだろう。
「たしかに、同じことを続けていれば同じ結果でしょうね」
ハーニスは、一切気後れせずに言葉を返す。
厄介な相手には違いない。
だが、それだけだ。
「ほう?」
「それがわかった以上、戦い方を変えるまでです」
言うや否や、ハーニスの体を光の奔流が包み込んだ。
『魔術』を使うために力が高まる際の、発光現象である。目に見えて強ければ強いほど、力の高まりが大きいことを示している。
「しかし迂闊」
ジェラルディーネが片手を伸ばす。
力を溜めて、かつ意識を集中しなければ『魔術』は発動できない。強力な攻撃を仕掛けようとするなら、自然と隙だらけになってしまうのだ。
ジェラルディーネの指示を受け、手下たちが火球を放つ。狙いは無論、棒立ちに近いハーニスだ。
「隙は愛で補います」
想定内とばかりに口角を上げたハーニスの前へ、リュシールが躍り出る。
そして襲いくる火球の群れを、剣先から射出した氷塊で撃ち落としていった。
一撃目をしのげれば、それで充分である。
「討て! ヴォルトールランス!」
ハーニスの周囲から、光の奔流が天空に吸い込まれる。
次の瞬間、無数の電撃の刃が『モンスター』たちに降り注いだ。
一斉に回避に務めるが、光刃が執拗に追いすがり、一体また一体と貫かれていく。
その状況に置いてもジェラルディーネはまったく動じなかった。
目の前で木の棒を振り回されているかのように、うっとうしく光の明滅を眺めている。
そんな彼女にも電撃は襲いかかる。
しかし飛び出した手下が体を広げ、一切の被害を負わせなかった。
「まばゆいの」
目の前で手下たちが次々と墜落していく。そうだというのに、ジェラルディーネは顔色ひとつ変えない。
「が、先と何が違う?」
墜ちた五体に代わって、付近に展開していた他の手下たちから、再び五体が彼女のもとに集まってくる。
自分たちの役割を完璧に把握しているように、その行動はスムーズだった。
「将を射んとすればまず馬を射よ」
ハーニスはリュシールと目配せを交わし、同じ方向へ向けて動き出す。
「そういうことですよ」