第五章(14)
ツァービルとトュループは、互いに弾き合いながら町中を縦横無尽に駆けていた。
「シェァァァァァッ!」
ふたつの短剣を不規則に振り回して、猛攻をかけるツァービル。
トュループは片手だけでは間に合わないと感じたのか、もう片方の手にも『光剣』を出現させている。
ツーソード対ツーソードが、比喩ではなく激しい火花を散らせていた。
トュループが滑空から高速で真横へ動けば、ツァービルも全速力に近い体勢から即座にそちらへ反転してみせる。
目まぐるしいまでに動き回りながら、針の先ほどの隙を突こうと攻防を繰り広げている両者である。
傍目から見れば、力量は互角といってもいいだろうか。
以前エリスたちはトュループの素早い動きに翻弄されっぱなしであったが、ツァービルは、その素早さになんなく追いついてみせていた。
むしろ、そんなトュループに匹敵するほどの身のこなしを発揮している。
翼を持つ者と持たざる者。その不利な条件も、強靭な跳躍力で補っていた。
「灰のトュループ! 聞き及ぶほどもない!」
攻めの連打を浴びせるツァービル。対するトュループは、防戦一方といってもよかった。
噂など、えてして尾ひれ背ひれがつきまとうものだ……ツァービルは心中で吐き捨てる。
どんなに名が知られていようが、そこの信憑性は限りなく低い。
たとえば一瞬にして町ひとつを消し去るなど、まったくもって現実的でないのだ。
もしそんな力を持っているなら、とっくの昔に『キング』にでもなっているはずである。
ツァービルは、決して風聞には惑わされない、という構えでトュループに臨んでいた。
その成果がこれである。
強さは認めるが、手に負えないほどではない。冷静に戦えば充分に勝てる相手だ。
「狩ったぞ、その命!」
「その希望も破壊する」
冷笑を浮かべたままのトュループが、にわかに違った動きを見せた。
「こうやってね」
右手の光剣が、さらに強く輝き出したのだ。
ツァービルが警戒した瞬間。その光剣が頭上へ向かって投げられた。
「ライトニングレイピア・バースト!」
上空で、光剣が風船のように破裂する。その破片ひとつひとつが無数の刃となって、周囲にまき散らされた。
建物を両断し、石畳を裂き、地面までもが斬り開かれる。
「目くらましなど!」
ツァービルは刃の間隙を正確に見切って、縫うようにしてトュループへと距離を詰めた。
「失礼しちゃうね」
次の瞬間、気付く。トュループのもう片方の手にあった光剣までもその姿を消している、ということに。
いや、正しくは消えたわけではない。突き出したトュループの手の先で、まるで盾のような円形へと変化していたのだ。
「攻撃だよ」
その手は、ツァービルへとピタリと狙いを定めている。
「……!」
「ライトニングレイピア・ペネトレーション!」
掌の先から、膨大な質量を持った可視光線が照射された。
◆
「ああ、こいつか」
ようやく服装のことを言われて、エリスは自分の体に目を落とした。
激しく飛び回ったせいか、黒いエプロンドレスはところどころが損傷している。かわいらしく飾りつけられたフリルにしても、やはり大部分が裂けたりちぎれたりしてなくなっていた。
「まぁ、あたしだってこういうヒラヒラしたヤツは着たかねぇけど、仕事中だったからな。しょうがねぇ」
「仕事って……」
とパルヴィーは、露骨に眉をひそめてみせる。
無惨なことになってはいるが、ウェイトレスとしてよく見かける衣装である。つまりそんな格好をしている以上、仕事と言えばひとつしかない。
ない……が、彼女の性格からして最も縁遠い職種であるのは間違いないだろう。
「いや、無理でしょ」
パルヴィーの一言に、その場の全員が内心で同意していた。
不遜な接客態度が簡単に思い浮かぶ。
「ふふん、見くびんなよ。あたしにかかりゃあ、なんだってちょちょいのちょいだ」
しかしエリスは、たいそう得意げに胸を張ってみせた。
ちょちょいのちょいで済まされた客は、不運だったとしか言いようがない。
「っていうか、そもそもなんで――」
とパルヴィーが言いかけた時。
すさまじい轟音が、突如として全員の耳を叩いた。
竜巻を横倒しにしたような光条が、すべてをなぎ払って道を横断した。
はるか彼方まで無数の建物を貫通し、ふき飛ばし、地面に半円形の足跡を刻みつける。
駆けつけたエリスたちは、そろってその光景に息を呑んだ。
現場は、先ほどいた場所のすぐ近くである。角度が少し違っていれば、自分たちがあの光条に飲み込まれていた可能性も充分にあっただろう。
「この破壊力は……!?」
アリーシェが目を見開いて、愕然とした声を漏らす。
自分たちを狙ったものではないだろうが、どこからか放たれた『魔術』による攻撃だ。
しかも凶悪といっていいほどの威力。
これだけの力を持つ者が、そうそういるとは思えなかった。人間はおろか『モンスター』にしても限られてくるだろう。
「『ボス』……!?」
と続けたアリーシェの推測は、半分正解、といったところだった。
一同の頭上をふたつの大きな影が覆ったのは、次の瞬間である。
躍り出たのは、二体の『モンスター』だった。
一体は、先ほど撃退した奴らと同じくチーターに似た特徴を有している。しかし全長は、ふた回りほど大きい。
そしてもう一体の、翼を有した者を見た瞬間。エリスの両目が、驚きと怒りと因縁深さを混ぜ合わせて見開かれた。
「あいつ……! あいつはっ!」
それは他の皆にしても同じである。浅はからぬ借りがあるのだ。――灰のトュループには。
唯一面識のないザットだけ、単なる『モンスター』という認識を顔に浮かばせていた。
二体の『モンスター』は、どうやら互いに剣をぶつけ合っているようである。
チータータイプは、右手に握った短剣を。左手はヒジから先を失い、傷口から鮮血を滴らせている。
トュループは、以前の戦いでも見せた『光剣』を、両手それぞれに握ってクロスさせていた。
一瞬の拮抗ののち、トュループが自ら体勢を崩す。
やはり空中では彼に分があるのか、そのままクルリと半回転して蹴りを放った。
蹴り飛ばされたチータータイプは、通りの向こうへ隕石のごとく落下する。
着地点にあった建物が、ボウリングのピンのように弾け飛んだ。
それを見届けるまでもない、とばかりに、トュループは真下へ降下する。
エリスたちの頭上の、真下。すなわちド真ん中である。
トュループが地面に足をつけた時、エリスたちは、円を描くように散開していた。
奴が黄身なら彼女たちは白身。彼女たちがドーナツなら奴は空洞、といった形に。
包囲しているといえば聞こえはいいが、位置的な優位など無いに等しい。そんな小細工でどうにかなるような相手でないことはわかりきっていた。
「また会ったね」
トュループはまるで友人と再会した時にも似た声をかけながら、一同をグルリと見渡す。
そしてエリスを、正面に収めた。
「エリス・エーツェル」
名前を呼ばれ終わる前に、エリスは奴へ向かって斬りかかっていた。
反応ではなく反射による行動だ。距離にして約四歩。
「僕に会った気分は?」
悠長に続ける仇敵へ、その返答を添えて踏み込んだ。
「最悪だよ、ナメクジ野郎!」
ライトグリーンの刃が横なぎに振るわれる。
トュループは軽く光剣を前に出し、それを防いだ――と思われたが。
そこで、予期せぬことが起きた。
エリスの剣が、その光剣をまるで幻影かのようにすり抜け、トュループの胴体にあっさりと一撃をお見舞いしたのだ。
「……!?」
当人ふたりを含む全員が、その光景に驚きの表情を浮かばせる。
ライトグリーンの切っ先は、紫色の血を地面に飛び散らせていた。
「……面白いものを、持ってるね」
一拍の静止から最初に動いたのは、トュループだった。
わずかに驚いていた顔を微笑に変え、両手の光剣を振り上げる。
そしてそれを、目の前へ――回避も防御も不可能な位置にいるエリスへ、無慈悲に振り下ろした。
「……!」
エックスの軌道をなぞった光剣が、おびただしい量の赤い血をその場にぶちまける。
エリスの体が立つ力を失い人形のごとく倒れた瞬間、トュループを取り囲んでいた全員が弾かれたように動いた。
ザットとラドニスが突撃する。レクトが弓を引く。アリーシェが『魔術』の力を練り上げる。リフィクとパルヴィーが、倒れたエリスへ向かって走る。
それらすべての行動をあざ笑うかのように、トュループは再び直上へと飛翔した。
建物を踏み潰すように通りへと復帰したツァービルは、血走った瞳にトュループの姿を映した。
「片腕は、見くびってかかった礼だ。くれてやる……!」
吐く息は荒い。しかし冷静さを失っているかといえば、そうではなかった。
痛撃を食らって、逆に頭は冴えている。目が覚めたというやつだ。
雑念は消え去った。トュループを純粋な強敵として、認識を改めたのである。
「兄弟たちよ……気高き弔い合戦は一時任せる」
その場にいない同胞たちへ、託す言葉を独語する。
「私は、あの害悪を打ち砕くことに専念する!」
そして空中に浮かぶトュループへ、刃を構え直して飛びかかっていった。
◆
「だぁぁぁっ! くそっ!」
パチリと両目を開いたエリスが、焼けた油に放り込まれたように跳ね起きる。
「あたしをベーコンにするつもりか、あの野郎! どこ行った!?」
憤怒の形相で辺りに目を走らせる。しかし仇敵の姿は、視界のどこにも見当たらなかった。
「先ほどの『モンスター』と戦いながら、またどこかに……」
とすぐ脇の、『治癒術』をかけ終わったばかりのリフィクが答える。
元気な怒声を聞いて、周囲で警戒に当たっていた仲間たちが集まってきた。その表情は安堵のものと、軽率さを叱るものとに二分されている。
意識を失っていたのはどうやら短時間らしい。場所も、さっきと変わってない。
「どこかって、どこに……」
と言葉の途中で、エリスはヘタリと尻餅をついた。
まるで急に、体が泥になってしまったかのように力が入らない。
「大丈夫?」
落ち着いた声でアリーシェが気遣う。それだけ元気なら心配ないけど、と付け加えて。
エリスは「大丈夫なもんかよ」と深く息を吐きながら答えた。
「……頭がくらくらする」
「ほとんど致命傷だったもの。傷は治っても、出た血は戻らないわ」
エリスの着ているエプロンドレスは、べったりと自身の血で濡れていた。
斬られたせいで肌が露出してしまっているが、それでも普段の格好よりはまだまだ布面積が広いほうだろう。
「少しのあいだはクールでいることね」
「……難儀なこと言いやがって……」
頭に上らせる血もない、といった様子のエリスである。
剣を杖代わりに立とうしたところを、すかさずリフィクが体を支えた。
エリスはその彼へ、細めた目を向ける。
「礼言い忘れてた、リフィク。せっかくみんなと会えたのに、またすぐお別れしなきゃいけないところだったみたいだからな」
めずらしく殊勝な言葉に、リフィクは「いえ、そんな……」とどぎまぎして目をそらした。