第五章(12)
西のジェラルディーネ。東のドレッド。そして南のツァービル。
単純な戦力でいうと最も少ないツァービルたちではあったが、侵攻の勢いは三陣の中で最も激しいものと言えた。
それも内情を考えれば、さほどおかしくはない。
加勢として参じた他の二群に対して、ツァービルたちは、直接この町の兵に仲間を討たれているのだ。
仇討ちということもある。単純な怒りもある。それが見えない力となって、彼らの背中を後押ししているのだ。
個々の意気が全体の力を底上げする――それは皮肉にも、兵団長フェリックス・ムーアの持論であった。
アリーシェたち六人が『モンスター』の姿を認めたのは、路地から大通りに出た時だった。
南門から中央の衛兵団拠点までを結ぶ、まさしくこの町のメインストリートと呼んでも差し支えない街路。
その先に、『モンスター』が五体ほど見えた。
ネコのようなチーターのような輪郭に、細長い胴。多様な武器を振り回して建物を無差別に破壊し、散り散りに逃げる人々を、ひとりも逃がさないとばかりに襲っている。
悲鳴の花があちらこちらで咲き乱れ、さらに惨状を拡大させていた。
「あれだけ、というわけにはいかないわよね。他には……」
アリーシェは『モンスター』は目指して走りながら、冷静に周囲の状況にも目を向ける。
まだ逃げ遅れている人が大量にいたが、道幅が広大であるため、進む妨げにはならなかった。しかし戦闘となればそうも言っていられないだろう。
まずは一般人を逃がすのを優先。そして敵の強さを推し量りながら、戦法を組み立てるべきか……とアリーシェがおおよその見当をつけた時。
「先いくぜ!」
ザットが、仲間の列から先んじた。
「飛んでる奴ならともかく、あいつらならっ!」
他の仲間を置き去りにする駿足さで、ザットが『モンスター』へと突っ込む。
道のド真ん中。足を負傷して動けない様子の青年へブロードソードを振りかぶる、チーターのような一体。それに狙いを定める。
「だぁぁぁぁぁっ!」
大声を発したことで、武器を振り下ろしかけた『モンスター』がザットの接近に気付いて振り向く。
しかしその時には、ザットはすでに飛びかかっていた。
走る勢いをすべて上乗せした飛び蹴りを、その顔面へとぶちかます。
『モンスター』はたまらずもんどり打って、背中を地面に強打した。
「大丈夫か?」
ザットはすぐに、うずくまっている青年を見る。
しかし返ってくるのは、うめき声だけだった。傷がひどいのだろうか。
ザットは、置いてきた仲間へ視線を上げる。
「おーい、誰かこいつをっ……!」
と言い出した瞬間。
先ほど蹴っ飛ばした『モンスター』が起き上がり、ザットへ向けて斬りかかってきた。
「!」
しかし警戒は怠っていない。
ザットは腕の防具で、滑らせるようにしてその剣を受け流す。そしてそのまま、相手の力を利用して豪快に投げ飛ばした。
『モンスター』は、今度は頭部を石畳に打ちつける。
すぐに起き上がろうするが、そのダメージにより、思うように体が動かせないようだった。
ザットの派手な戦いぶりを見た近くの『モンスター』たちが、彼を注目し始める。
アリーシェはその動向を見ながら、助かる、と内心で思った。
まだ一般人が残っているこの場では、しばらく敵の目をひきつけておく役が必要となる。本来ならエリスが適任なのだが、あのぶんなら彼でも充分にその大役を任せられるだろう。
『モンスター』に対する恐怖心も克服しつつあるようである。
彼は彼なりに、彼女の代わりを果たそうとしているのかもしれない。
「子分は伊達ではないというわけね」
アリーシェは一瞬だけ口元をほころばせて、仲間へと視線を送る。
「パルヴィーとリフィクくんは、重傷者の応急手当てを優先して!」
「はいっ!」
「はい!」
そしてレクトとラドニスへも。
「ふたりはその援護を!」
「はい!」
「了解した」
指示を受けた四人が、それぞれ役割にそって散開する。
アリーシェも、二体に挟まれつつあるザットのもとへと急いだ。
「ファーストエイド!」
パルヴィーは、倒れて苦しがっている中年男性に駆け寄って、すぐさま『回復魔術』を施し始める。
ケガ人は目に余るほどいたが、動けないほど重傷という者は、そこまで多くはないようだった。
崩れた建物の残骸から手足だけがのぞいている光景も見受けられたが、それは今はどうすることもできない。
まずは目の前のことに専念するのだ。
アリーシェの言った応急手当てとは、この場から逃げられるくらいに治せばいい、という意味だろう。
全員を完治させていたら、とてもじゃないがこちらの体力が保たないからだ。
腹部を負傷していた男性の、傷口がうっすら塞がったところでパルヴィーは『回復魔術』の手を止める。
なんとなく心苦しくはあるが、仕方のないことと自分を納得させた。
痛みがやわらいだのを感じた男性は、礼を言う余裕もなく走り去る。それも、仕方のないことである。
すぐ近くでは、レクトが周囲の敵に目を光らせていた。
いつでも矢を放てる用意はあるが、いたずらに攻撃するような愚は犯さない。あくまで、迎撃のためである。
次なる重傷者を探して、パルヴィーが顔を上げた時。不意に、甲高い悲鳴が耳に飛び込んできた。
声のしたほうを向くと、今まさに、若い女性が一体の『モンスター』に追いかけられていた。
「!」
パルヴィーは考えるより先に、そこへ向かって走り出す。
レクトもそれに気付いて、即座に弓を構える。しかし彼と『モンスター』と女性、さらにパルヴィーまでもが直線上に並んでしまい、狙おうにも狙いがつけられなかった。
うかつに攻撃できないのはパルヴィーも同じである。だから懸命に、足を動かした。
だがどう頑張ったところで、敵のほうが足が速い。またたく間に、『モンスター』と女性の距離が縮まっていった。
間に合わない……! と直感するが、パルヴィーは走るのをやめなかった。
『モンスター』が、片手の斧を振りかぶる。
その時。
横手の路地から。
『モンスター』と女性とのあいだに――『ウェイトレス』が飛び込んできた。
「なぁっ!?」
パルヴィーは思わず声を上げて驚く。
黒いワンピースに、フリルのついた白いエプロン。そしてヘッドドレス。後ろ姿ではあるが、それは間違いなく、どこででも見かけるようなウェイトレスであった。
しかしパルヴィーが驚いたのは、そんな服装をしていたから、というだけではない。
そのウェイトレスの右手には、宝石と見まがうばかりに輝く、ライトグリーンの剣が握られていたのだ。
「……!」
パルヴィーが息を呑む最中。
その剣から、まるで刃のように、激しい炎が噴出する。
「オーバーフレアぁっ!」
炎の刃は、振り下ろされた斧ごと、『モンスター』の体を真っ二つに斬り裂いた。
「みっ、南側に、新たな『モンスター』の集団が現われましたっ!」
「なんだと!?」
その伝令兵の告げた内容に、さすがのフェリックスも動揺の色を隠せなかった。
「いったいなにがっ……!?」
想像の追いつかない状況に、つい感情的に吐き出してしまう。
町を三方から、しかも別々の手勢に攻め込まれている。それは衛兵団の設立以来、初めての事態であった。
とてもじゃないが対処が追いつかない。最初に現われた勢力でさえ、まだ満足には迎撃できていないというのに。
西と東と南……残る北は、海に面している。そこから敵が来る可能性は低いが、同時にこちらも逃げ場がないということでもある。
明らかな窮地。
だがそこで取り乱さなかったのは、フェリックスの意地なのかもしれない。
「……数は?」
「不明です!」
「……ドーソン麾下の小隊を、四つ南に派遣しろ」
「兵団長!」
と伝令兵とのやり取りに口を挟んだのは、指揮の補佐にあたっていたキーロンだった。
「これ以上戦力を放出しますと、ここの守りが……!」
東西の敵と、各地の住民たちの救助。それに対応するために、すでにほとんどの兵を派遣させていた。
ここでさらに戦力を分散させれば、この拠点を攻め落とされてしまう危険さえ出てくるのだ。
フェリックスとしても、それは承知である。
しかし、だ。
「命令は続行だ。隊の選出はキーロン・クリーズに委ねる」
「兵団長……!」
釈然としていない補佐官へ、フェリックスは強い口調で言い切った。
「町と住人を守るための衛兵団であろう。鎧が壊れても、体が無事ならそれでよい!」
ここで守りに徹すれば、対処が遅れ、住人らの被害は膨大になってしまう。
それでは意味がないのだ。住人ひとりの命とて、見捨てるわけには断じていかない。
こうして目前にまで迫っている危機に対して、人々の盾になるのが衛兵団の使命なのだ。人々の後ろにいて、なにが守れるというのである。
仮にこの本部が攻め落とされ、指揮官である自分が倒れたとしても、兵たちは戦意を失わない――それぞれの意志によって、町を守るために、必ずや最後まで尽力してくれる。
そう信頼している上での、判断であった。
「えっ、ちょっ、ちょちょっ、えっ、ちょっちょっ……!」
パルヴィーは、緊張の糸が弾け飛んでしまったような声を上げながら、突然現われた謎のウェイトレスへと駆け寄った。
「まっ、まままさかっ……!」
「おおっ!? パルヴィー!?」
振り返ったウェイトレス。またの名をエリス・エーツェルは、そんな彼女を見て、太陽のようにパッと顔を明るくした。
「うおおー、お前でもいいから会いたかったーっ! 寂しかったぁーっ!」
そして飛びかかる勢いで抱きつく。
そして彼女の顔に、キスの嵐をお見舞いした。
「ええぇっ!? なっ、なっ……!?」
思ってもみない再会と思ってもみない熱烈なスキンシップに、パルヴィーはあわあわと目を白黒させる。
なぜウェイトレスのような格好をしているのかという疑問は、完全に頭の中から吹き飛んでいた。
「……って、そんな場合じゃなかったな」
そんな戸惑いをよそに、エリスは山の天気のように態度をコロリと変え、彼女の体を雑に突き放す。
「じゃ、またあとでな!」
それで気は済んだとばかりに、さっさとそこから走り去ってしまった。
「…………」
戦闘中だというのに茫然自失としたパルヴィーが、その場にぽつりと取り残される。
「エリスだと……!?」
その一部始終を眺めていたレクトである。
しっかり緊張感を保っていたためか、あるいは少し距離があったからか、パルヴィーほど驚きはしなかった。
なぜあんなまったく似合わない服装をしているのかと、少し考えてしまう余裕すらある。
別の『モンスター』へと突撃していく彼女を、見間違えではないと確かめるように目で追った。
◆
潮風が流れる、レタヴァルフィーのはるか上空。
鳥が飛ぶよりさらに高い空に、一体の『モンスター』が、海面に浮かぶ丸太のようにぷかぷかとただよっていた。
『モンスター』とはいっても、顔や体のシルエット、大きさは比較的人間に近しい。
しかし背中から生えたコウモリのような翼や、紫水晶を思わせる不気味な光沢を放つ皮膚、ガラスで出来ているかのように無機質な瞳などは、やはり人間とは一線も二線をも画している。
その名はトュループ。『灰のトュループ』という異名でも知られる、異端者中の異端者である。
「どうしようかな……」
その彼が、誰に向けるでもなく呟いた。
大好きな食べ物がふたつあり、どちらから手をつけようか悩んでいるような。そんな響きがある。
三体の『ボス』による企みを盗み聞いた時から、彼の中には黒い思惑が芽生えていた。
三陣の『モンスター』全員が町の中に入ったのを見計らって、町ごとすべてを破壊してやろう……と。
こうも大量に人間や『モンスター』が密集する機会など、そうそうあるものではない。
無量の命を一瞬にして破壊するのは、さぞや至福の時であろう。
想像するだけで夢見心地なトュループであった。
しかしこうして町の上空に来てみて、気付いたことがある。
町の中に、以前目をつけた者が少しばかりいたのだ。
ひと息で消し去るには惜しい者たちである。彼らをじっくりと破壊するのを、常日頃から楽しみにしていたのだ。
いつか気が向いた時にと残しておいたが、今はその気分ではない。
むざむざ楽しみを減らしてしまうのは、彼としても本末転倒であった。
絶品のスープに冷水をぶちまけるようなもの。それではせっかくの気分が台無しになってしまう。
「……仕方ないね」
トュループはふてくされた子供のように呟いて、町の一角へと視線を落とした。
「あれで、我慢しとこうか」
そして視線の先へ、落下するように急降下していった。