第五章(11)
「来やったか」
町の南に見えたツァービルたちの姿を認め、ジェラルディーネは浅く微笑んだ。
彼女は手勢全員が見渡せる、建物の屋根の上に腰かけている。
もし片手にティーカップでも持っていれば、午後のティータイムかと見間違えるほどの優雅さだった。
無惨に破壊された町並みや人々の阿鼻叫喚など、まったく取るに足らないもの、とでもいうように。
「ならば、そろそろわらわも参ろうか」
ジェラルディーネは、風に吹かれる綿毛のように静かに空へと飛び立った。
たたまれていた大きな羽がピンと広がり、彼女の華麗さを際立たせる。
彼女の目的は、町の兵たちを引き寄せることだ。他ならない、ツァービルたちが存分に暴れられるために。
その意味で言えば、すでに目的は達したも同じだろう。
人間の兵士たちは西と東に二分し、南側はまったくの手薄となっている。ツァービルたちを阻むものなど何もないはずだ。
好きに暴れて仲間の仇討ちを果たしてくれれば、ジェラルディーネとしても満足である。
人間たちが恐れをなして逃亡しないようにと今まで座視していたが、もはやその必要もなくなった。
あとはせいぜい、楽しみながらこの舞台に幕を下ろすだけだ。
「しとやかに暮らしておれば、焼かれることもなかったものを」
ジェラルディーネは上空へと舞い上がり、ふと町の北側に目を移す。
いまだ戦火が届かず、まったくの無傷でいる区域。逃げおうせた人間たちは、さぞや安心していることだろう。
「ふふ……」
ジェラルディーネの顔に、酷薄な笑みが浮かぶ。
「だがわらわに焼かれるのならば、そなたらも本望であろう?」
彼女の羽が、虹色の光を放ち始めた。
手下たちのそれとは比べものにならないほどの、光量と美しさ。さしずめ、空に浮かんだ抽象絵画とでも言えようか。
「骨身残さず炙られよ」
ジェラルディーネの両手が町の北側へ伸びる。その手の先に、とてつもなく巨大な火球が現れた。
彼女の全長にも匹敵しようかというそれは、羽からこぼれる光を吸収しながら、さらに直径を増大させていく。
さながら風船が、それ以上ふくらんだら破裂してしまうといった状態にまで達した時。
「グリストインフェルノ」
ささやくような声とは正反対に、凄まじい勢いでその火球が発射された。
まるで小型の太陽が、隕石となって落ちたようだった。
巨大な火球は数十もの家屋を一瞬で飲み込み、氷のように融解させる。さらに炸裂して、大質量の炎と熱風を、津波のように拡散させた。
爆心地にいた者は、状況を理解する前に骨まで焼き尽くされた。
直撃を外れた地点にいた者でも、直後に発生した炎によって、逃げる間もなく焼失した。
一瞬の悲鳴だけを残して、その場は紅蓮の世界となる。
空に、高らかな哄笑が響き渡った。
ハーニスとリュシールは、まるで猫のように、屋根の上を跳びつたって走っていた。
眼下の地面は、戦いの影響で荒らされている。直線距離から言っても、こう進んだほうが早いのだ。
ふたりに気付いた羽付きの『モンスター』が、空中から迫る。
リュシールは逆にそれめがけて勢いよく跳躍した。
翼があらんばかりの高いジャンプは、人間の身体能力では不可能な業と言えよう。軽々と、『モンスター』の飛ぶ高度にまで到達してみせた。
『モンスター』が驚愕するのにも構わず、黒い刃で容赦なく両断。
そして再び屋根の上に着地し、ハーニスと並んで走り直した。
そのハーニスは、遠方の、いまいま巨大な火球が炸裂した地点へと横目を向ける。
目を見張るべき力だ。あれを放った者が、十中八九『ボス』であろう。
あの力、人間ではそうそう手に負えまい。まさに手を焼く、というやつだ。
判断は間違っていなかったと確信して、ハーニスはリュシールとアイコンタクトを交わした。
ふたりが西方の飛行種を最初の標的に選んだのは、言葉通りに飛行能力をそなえているからだ。
たやすく頭上が取れるというのは、戦闘においてこれほど有利なこともない。
自ら飛行する手段を持たない人間ならなおさら苦戦は必至である。
そのため町の兵士たちも、なかなか思うようには迎撃できていなかった。
故にハーニスは、まずこちらを切り崩す算段を立てたのだ。
自分たちなら、相手が飛行していようがさほど関係なく戦うことができる。そういう自信があったからだ。
ハーニスは前方の空に浮かぶ、ひと際目立つ一体の姿を注視した。
「品のない笑い方を」
自分の触角がなにかの気配を感知したため、ジェラルディーネはそちらの方向を見下ろした。
屋根の上を直進してくる、ふたつの人影がある。
ジェラルディーネはそのうちの片方を、興味深い様子でじっと見た。
黒い衣服に身を包み、黒く長い髪をたなびかせた、黒い剣を手にする者。軽快に屋根から屋根へと跳び、空中の『モンスター』へも斬りかかっている。
他の人間たちとは地力が桁違いということが、そんな短い動作の中にも感じられた。
「威勢の良い……。人間にも、様々な者がおるのじゃな」
ジェラルディーネは薄く笑い、右手を軽く振る。
すると彼女の周囲に控えていた手下が、五体ほど、即座にそのふたりめがけて襲いかかっていった。
五方を囲み、逃げ場を与えず攻めかかる。
しかしそのふたりは、特に動じることなく応戦してみせた。
「フラッシュジャベリン!」
剣を持っていないほうが、無数の光の槍を、まるで矢のように射出する。
槍ひとつひとつが意志を持っているかのごとく手下たちへと躍りかかった。
寸前で察知し、バラバラに避ける手下たち。
剣を持っているほうが、その追撃に走った。
人間離れした跳躍力を再び表わし、回避した隙を突いて斬りかかる。
あっというまに二体が、その斬撃の餌食となった。
「……少しは、興に添うか?」
それらを見届けたジェラルディーネは、笑みを作ったまま、そのふたりへと降下していった。
「ご機嫌うるわしゅう? レディ」
彼女が淑女なら、まるで紳士のように。ハーニスは恭しい態度でジェラルディーネと対面した。
上空から舞い降りた彼女は、道の真ん中、ちょうど二階建ての家と同じ高さに滞空している。
そして地面に降りたハーニスとリュシールの周りを、同じく浮遊している『モンスター』が十数体ほど囲んでいる、という状況だ。
敵陣の最深部に踏み込んでいるため、当然衛兵たちの姿は見えない。
周囲の手下『モンスター』たちは視線を向けるだけで、先ほどのように攻撃してくる気配はないようだった。
『ボス』の指示を待っている、といったところだろうか。
「あなたが『ボス』とお見受けしましたが」
敵の真っ只中にいるというのに、ハーニスの態度は普段と変わらず落ち着いていた。この辺り、ジェラルディーネと良い勝負である。
「そのような区別が、人間にもついたか」
ジェラルディーネは、はすに構えた瞳で彼を見やる。品定めをしているふうにも感じられた。
「あなたの際立った美しさは、見る者を問いませんから」
美しいイコール『ボス』というのも、なんだか違うような気がするが。
「ふふ……甘言は嫌いではないぞ」
「本心ですよ。ただ、私のリュシールには遠く及ばない、というのを言い忘れていましたが」
ジェラルディーネの複眼のような瞳が、臨戦態勢のリュシールへと向けられた。
「そちは、女か?」
「『モンスター』にも、そういう区別がつきましたか」
彼女の代わりにハーニスが答える。
ジェラルディーネは、その皮肉を一笑に付した。
「勇ましいの」
引き続き、リュシールに向けられた言葉である。先ほどの戦っていた姿も指しているのだろう。
視線を戻す。
「わらわと仕合うつもりか?」
「いいえ。斬り伏せるつもりです」
「片腹痛し」
短い腹の探り合いから、最初に色を見せたのはジェラルディーネだった。彼女の左手が、それとわからないほどかすかに動く。
周囲の手下たちが、ひそかにそれに反応した。
「興に添やれ」
と、ジェラルディーネが右手を突き出した瞬間。五体の『モンスター』が、一斉に火球をうち放った。
標的は言うまでもなく、ハーニスとリュシールのふたりである。
「チリーストラッシュ」
予兆していたようにハーニスが短く呟く。その声とほとんど同時に、リュシールが跳び上がった。
その手に持つ剣に、青白い光が灯る。光は刃の形をなし、さらにそれを延長させた。
リュシールは左右から迫る五つの火球を、ひと振りになぎ払う。
青い刃に触れた途端、火球は蒸発したように消失した。
霧とも水蒸気とも判別できない白いカーテンがその場に立ち込める。
それはすぐに、風に吹かれて流されていった。
「しかしその前に、申し開きくらいは聞いておきましょうか」
一連の交錯にも微動だにせず、ハーニスが訊ねる。元の位置に、すたり、とリュシールが着地した。
「何故このようなことを? 他の者たちと手を組んでまで、この町を襲撃する理由があるのですか?」
質問というよりは、叱責するような口調。
「理由は、わらわには無い」
ジェラルディーネは興味を示したふうに、微笑みを一段階深くして答えてみせた。
「されどわらわの慕う者が、それを望んでおる。しからば手を貸すのが道理であろう?」
自負するように、要約する。
「愛故に、ぞ」
ハーニスは、ふっと歯をのぞかせた。
「なるほど。それは厄介ですね。わずかに心変わりを期待していましたが、その堅固さは、よく知っています」
そして真顔を作る。
「しかし愛なら、我々も負けません」
「ほう。そちもか」
感心するようなジェラルディーネ。
手下たちは、ひそかに顔を見合わせた。
「我々の愛とあなたの愛……どちらが真に深く強いものであるか、この戦いをもって教えてさしあげます」
「よかろう。享受させてみせい」
ジェラルディーネは、嘲笑寸前といった口調で受けて立つ。
『ボス』が乗ってしまっている以上、手下としては、滅多な表情を浮かばせるわけにはいかなかった。
◆
アリーシェたち六人は、一度宿屋に戻り、四頭の馬に分乗して南を目指した。
内訳としては、一頭目にアリーシェとパルヴィー。二頭目にラドニス。三頭目にレクトで、四頭目にザットとリフィクという形である。
町の外壁が見える頃には、すでに人々の恐怖の声が響いてきていた。
「まさか、もう現われている……!?」
アリーシェがそう推測した直後。六人が進む道に、一斉に大量の人間が流れ込んできた。
「!」
とっさに、手綱を引いて馬を止まらせる。
四頭は、あっという間に逃げる人の波に呑み込まれてしまった。
「これじゃ進めねぇぞ!」
ザットが叫ぶ。しかしその言葉は、周囲の雑多な騒ぎ声にかき消されてほとんど聞こえなかった。
従って止まってはいるが、馬も興奮状態に陥っている。様々な意味で、こんな状況で再び動き出せばどんな影響が出るかわからなかった。
「……仕方ないわ」
アリーシェは即座に決断して、皆へと声を張り上げる。
「馬を降りて行きましょう! もう敵は近いはずよ!」
逃げる人々の中には、負傷している者も数多く見受けられた。
治してやりたいところだが、そうしているあいだにも新たな負傷者が出てしまう。今は大本を断ち切るのが最善の方法なのだ。
「いけるわね?」
「はいっ!」
至近距離のパルヴィーと短いコンタクトを交わしてから、アリーシェは雑踏の中へと飛び込んでいった。