第五章(9)
◆
「困ったものだね」
とハーニスは、隣に立つリュシールへと笑いかけた。
ふたりは二階建ての家屋の、その屋根の上に立っている。
その周辺にはまだ『モンスター』の布陣が届いていないため、周りの雰囲気も静かと言えば静かだった。
眼下では、避難してきた人間たちがほっと胸をなで下ろしている。
ハーニスはそれを眺めながら、まだ気が早い、と言ってやりたくなった。
「あの二体の『ボス』……あのふたつの群れだけだったら、そう問題はないけどね」
説明というより確認めいた口調でハーニスがささやく。
リュシールは、まっすぐに空を見つめていた。
「町の被害を度外視して戦えば、彼らでも撃退はできる。……だけど」
言いながら南――町の外――へ、視線を向ける。
「敵はそれだけじゃない。もうひとつ増えたら、かなり怪しくなるだろうね」
西の有翼種に、東の暴れ者。そして南に控える第三陣。
三方から同時に攻められれば陥落は時間の問題だ。
「そして」
ハーニスは、リュシールが見つめているのと同じ、北の空へと目をやった。
「そんな彼らが問題にならないほどの『問題』が、はるか上空に渦巻いている。そっちはまだ動く気配はないようだけど……」
方々に走らせていたハーニスの視線が、そこでリュシールへ帰結する。
彼女の視線も、同じく彼へと向けられた。
通り抜けた風が、ふたりの髪と服をやさしくたなびかせる。
「仕方ないね」
町の状況にそぐわないほがらかな微笑みが、ハーニスの顔に浮かべられた。
「さぁ、マイ・エンジェル。どこから対処しようか?」
◆
レクトの放った一撃は、たしかに『モンスター』たちに動揺を与えた。しかしその直後、彼らに危機感をも与えてしまっていた。
それが何をもたらすかというと、レクトに対する集中攻撃である。
とはいえ無論、衛兵たちの攻撃が、レクトひとりに劣っているわけではない。
『モンスター』らは、イレギュラーな攻撃手段を警戒しているのだ。
衛兵たちの攻撃は、正確に連携が取れているため、悪く言えば読みやすい。そう突飛なことをしてこないからだ。
しかしレクトの場合は、そのパターンから外れた攻撃であった。彼らとしては、意表を突かれた形になったのだ。
さらにそれが充分な威力を持っているとなれば、優先して排除しようとするのは自明の理だ。
無数の火炎弾が、逃走するレクトを執拗につけ狙う。
そんな状況ではあるが、レクトはある種の手応えを感じていた。
自分に攻撃が集中すれば、他に対する攻撃の手がゆるまる。そのあいだに他が敵の数を減らしてくれるのなら、結果的には好転と言えるのだ。
走るレクトを挟撃にしようと正面に回り込んだ一体が、急降下して襲いかかってきた。
「!」
相対速度もあり、恐らくは避けきれないだろう。
後方には炎の壁が広がっていて、ザットらはその向こう側に置き去りにしてきている。今は頼れない。
「背に腹はっ……!」
変えられないというわけだ。
「フラッシュジャベリン!」
レクトは急いで足を止め、正面から迫る『モンスター』を電撃で焼き払った。
先ほどの技とは違い、純粋な『魔術』に関してはまだまだ未熟である。力の消耗も一定ではないし、なにやり使用の際は意識を集中させるため、立ち止まらなくてはならないのだ。
この状況でこの選択は、まさにその場しのぎでしかなかった。
立ち止まっているレクトは、さぞや格好の的であろう。
後方から追っていた『モンスター』たちが、一斉に火球を連打した。
背後に強烈な熱量を感じ取ったレクトは、自身の結末を直感する。
しかし――逃げたままでは終われない。
せめてもの抵抗にと後方を振り返ったレクトは、視野を埋め尽くすほどの火球の群れを見た。
そして、視野の中に飛び込んできたひとつの人影も、同じく見た。
「リジェクションフィールド!」
走りながら『魔術』の力を練っていたアリーシェは、滑り込むようにして防御障壁を発動させた。
半円球の光の壁が怒涛のように飛来する火球をすべて防ぎ、弾き飛ばす。
跳弾した火球は周囲の道や建物に炸裂し、激しい炎を舞い踊らせた。直撃していたら、人間などひとたまりもないだろう。
アリーシェはチラリと、背後で息を呑んでいるレクトへと視線を向ける。
「無事でよかったわ」
「アリーシェさんっ……!?」
彼は目を見開き、なかば呆然としている。
ここにいるだろうと踏んでやってきたアリーシェとは違い、彼にしてみれば、思ってもみない再会だったのだろう。
そんな直後。
「大盤振る舞いっ……スラッシュショット!」
複数の衝撃波が、空中の『モンスター』らを側面から襲撃した。
とっさに散開して避ける『モンスター』たちだが、間に合わなかった一体が、あえなくその攻撃を羽に受ける。
墜落するその一体に、走り込んだラドニスがトドメを刺した。
「ラドニスさん! パルヴィー!」
レクトが驚きと喜びと安堵のまざった声で、彼らを迎え入れる。
ゆらめく炎の壁を迂回するようにして、ザットとリフィクも、その場へ向かって走ってきていた。
◆
チーターを思わせる外見的特徴をした、すらりとした長身。ツァービル・トービー、そして彼の手下らは、森の中に潜んでいた。
森とはいっても、レタヴァルフィーとは目と鼻の先だ。彼らの脚力をもってすれば、隣の家に行くようなものである。
そこからは町の外壁しか見えないが、それでもいくらかは中の様子をうかがい知ることができた。
向かって左、西側の空には、ジェラルディーネらの群れが見える。地上からは炎と黒煙が上がり、攻撃の成果を物語っていた。
逆の東側からも煙が上がっているが、こちらは砂煙が主だ。ドレッドたちが町を破壊して回っている痕跡だろう。
ふたりとも存分に働いてくれている。あとは自分が、その厚意に応えるだけだ。
「そろそろか」
ツァービルは、大きな切り株に下ろしていた腰をすくりと持ち上げた。
周囲に控えていた手下たちが、待ちくたびれましたと言いたげに集まってくる。
その場にいるのは、ツァービル含めて十七体。
以前はこの倍以上もいたが、戦いによって命を落としてしまったのだ。
誰あろう、目の前で集落をなしている、あの人間たちとの戦いによって。
「同族たちよ、弔い合戦の時だ」
ツァービルが高らかに、手下たちへと呼びかける。
「敵は人間ども……しかし、そのことは考えるな。兄弟たちを奪った憎き『敵』を、攻め滅ぼすのだ」
たかが人間と見くびっていたのが、先の失態の原因であろうとツァービルは考えた。故に、まずはその意識を消す必要がある。
しかし手下たちの闘志あふれる声を聞くに、そんな配慮は無用のものに思えた。
◆
「衛兵たちが言っているのを聞いたわ。東側にも、別の『モンスター』の群れが現れたそうよ」
硬い表情でアリーシェが告げる。
その事実を初めて聞いたレクトら三人は、愕然として目を見開いた。
アリーシェ、ラドニス、パルヴィー。そしてレクト、リフィク、ザット。運良く合流を果たした六人は、ひとまず戦場から離れた場所に身を移した。
しっかりと態勢を整え直すためにである。
一般人が退避し終わった、がらんとした道だ。
しかし周囲の建物の窓からは、様子をうかがおうとする人々の顔があちらこちらからのぞいている。
さっぱりとひとけの無くなった通りを見たあとだと、それはほっとする光景でもあった。
「どうしてこんなことに……」
リフィクが悲痛そうに呟く。
多種大量の『モンスター』が町を襲っているなど、悪夢にも近い状況だ。
「理由は、いま考えても仕方のないことよ。いま考えるべきは、目の前のことだけ」
アリーシェは凛として、皆の顔をさっと見た。
「あっちのほうは、きっとファビアンたち……銀影騎士団の仲間たちが、応戦してくれていると思うの。中央に近いところにいたはずだから」
「じゃあオレたちは、さっきみたいにあの飛んでる奴らと戦えばいいのか?」
ザットの確認に、アリーシェは「ええ」とうなずいてみせる。
「信頼できる仲間たちよ。そして彼らは、衛兵団にはできない戦い方をしているはず。私たちも、それをやるわ」
「衛兵団にはできない戦い方……?」
レクトは疑問に思い、オウム返しした。
あの兵力からすれば、大抵のことはできそうだが……と。
「これは私の見立てだけど……衛兵団は、なにより町の被害を最小限に抑える戦法を取っていると思うの。『モンスター』の陣形を包むように展開して、まず敵の進攻を抑え込む。それからその包囲網を徐々に狭めて、少しずつ数を減らしていくといった感じにね」
アリーシェの説明に、レクトは「そういえば」と思う部分があった。
先ほど近くで戦っていた衛兵たちは、一定の地点に陣取って、深く攻め込もうとはしていなかった。普通に戦いをするならば、もっと動いてもいいくらいである。
「そうすれば、たしかに被害を狭い範囲に留めることができる。けれど、自然と戦いは長びいてしまうわ。だから私たちは、その正反対のことをするのよ」
包囲殲滅の正反対。
すなわち、『本丸』への一点突破である。
「……『ボス』を狙う」
答え合わせをするように、レクトが言った。
うなずくアリーシェ。
とはいえそれは、自分たちにしてみれば逆に正攻法に近かった。
早い話が、いつもと同じことをすればいいということなのである。
「その役目は、我々に任せていただきましょうか」
と、出し抜けに。どこからか男性の声が投げかけられた。
六人ははっとして辺りを見回す。
周囲には他の人影がないため、声の主は簡単に見つけられた。
すぐそばの路地から、若い男女のふたり組が歩み出ていたのだ。
「ハーニスさん、リュシールさんっ!」
リフィクが、胸をなで下ろしたような声を出す。
それとは対照的に、
「貴様ら……!」
レクトが、敵意と嫌悪感を多分に含んだ声と視線を彼らに向けて飛ばしていた。
「お久しぶりです」
堂々と、微笑みを返すハーニス。
「知り合いか?」
ザットが、ふたりの反応を見て問いかけた。
アリーシェら三人も、誰だろうかという表情を浮かべている。
「以前、一緒に『モンスター』と戦ったことがあって……」
と言葉を選ぶように説明するリフィクを、レクトの冷淡な声がさえぎった。
「あのふたりは、『モンスターリゼンブル』です」
まるで、それ以上の認識は必要ない、とでもいうように。
ひそかに眉をひそめるリフィク。
ザット、ラドニス、パルヴィーは少し驚いて、めずらしいものを目にしたようにそのふたりの姿を見つめ直した。
「……リゼンブル……」
そしてアリーシェが、口の中で呟く。
その眼差しは、人間を見る時のものではなく、まるで『モンスター』を見る時のようなものへと一転していた。