第五章(7)
衛兵団の拠点も間近に見える、街中央部の南側。そこにいたのがパルヴィーである。
周囲の衛兵たちの様子が慌ただしいなと思っていたら、事態は風雲急を告げていた。
そして空から飛来する『モンスター』たちに気付き、辺りは騒然となる。
避難を誘導する衛兵たちを横目に、無秩序に逃げ惑う人々。
我先に、という表現が当てはまるだろう。危機から免れようとする意志がいくつも重なり合って、濁流のように押し寄せる。
パルヴィーは、早く銀影騎士団の皆に知らせなければ、と思った。しかし人の波に飲み込まれて、思うように動けなくなってしまう。
鮭は自分の生まれた川に遡上していくというが、もしやこんな流れに逆らって進んでいくのだろうか……と、呑気なことを思う彼女だった。もしそうなら大変だろうな、とも。
道端に弾き飛ばされるようにしてその波から抜け出せたのは、ようやく、といった頃だった。
「うっ、急がなきゃ……」
すでにふらふらになりながらも、アリーシェらのいる宿屋に向かおうとする。
その時、彼女は見た。
港に荷揚げされた魚に群がる鳥のように。塔に殺到する、『モンスター』たちの姿を。
『モンスター』たちの放つ無数の火炎弾が激しく塔を打ちつける。
外壁の石材が崩れ落ち、柱がきしみ、悲鳴を上げても、止めることなく攻撃を加え続けていく。
地上からは雨のように矢、あるいは『魔術』が放たれているが、そう簡単に打ち落とせるものではなかった。
拠点の守備に回る兵士たちは、このまま塔が攻撃を受け続けたらどうなってしまうのか、と思った。
考えたくもない最悪の結果が頭をよぎる。
しかし――抵抗むなしく。
やがてそれは、現実となった。
北を十二時とすると、ちょうど二時の方角へ。
天を突かんばかりの巨大な塔が。
斧を叩きつけられた木のように。
ぼっきりと折れ曲がって、倒壊した。
地震のような衝撃が足を元を揺らし、轟音が耳をうがつ。そしてその光景が、さらなる混乱を生む。
「なんてことっ……!?」
アリーシェは立ちすくむように、塔が倒れるさまを眺めていた。
外の騒ぎに異変を感じ、宿屋から出たところで、その光景に出くわしたのだ。
アリーシェのみならず、銀影騎士団の面々、そしてその他の人間たちも、あっけに取られたように空を見つめていた。
さっきまでは、そこに見えるはずがなかった空を。
あんな巨大な塔の下敷きになってしまったところは、どうなっているのだろう。
予想はできる。だが想像はできそうになかった。あまりにおぞましい結果を受け止めるには、今は時間がなさすぎるのだ。
避難に躍起になる民間人らとは対照的に、アリーシェらは、自分がこの場でどう行動すべきかがはっきりとわかっていた。
嘆いている暇すら惜しい。
しかし皆、すぐには動くことができなかった。
顕著なのが、アリーシェである。
原因は、単なる油断だ。
だが、されど油断である。
仲間たちのこと。衛兵団のこと。そしてエリスのことなどで、頭が一杯になっていたのだ。さらに、こんなに大きく守りの固い町には『モンスター』も襲ってこないだろうと、知らず知らずに気を抜いていたせいもある。
そんな時に、この事態だ。
余裕のない時に虚を突かれて平静を保っていられるほど、人間はうまくできていないのだ。
「アリーシェ様ぁーっ!」
その声で、はっとアリーシェは正気を取り戻した。
走ってきたパルヴィーが、すがりつくようにアリーシェに飛び込む。
「パルヴィー……いったいなにがあったの!?」
口にしてから、バカなことを言ったとアリーシェは思った。すでに事態は見ているではないか。
「わかりません……いきなり『モンスター』が現れてっ……!」
安堵のためか、うっすらと涙ぐむパルヴィー。
彼女の登場が気付となり、他の者たちも冷静さを取り戻していった。
「と、とにかく、俺たちも加勢するぞ! 衛兵団の奴らだけに任せちゃおけねぇ!」
ファビアンが、皆を引っ張るように声を上げる。
アリーシェは無論といった感じに、「ええ」とうなずいた。
「ここに武器は?」
現在アリーシェたちは丸腰である。武器などはすべて昨晩泊まった宿に置いてきていた。
故に、ファビアンたちの荷物にあまっている武器はあるか、と。
「いや、最低限のぶんしか残ってねぇはずだ、くそ! あとは鍛冶屋に預けてある」
舌を打たんばかりに首を振るファビアン。
最低限の、とは、自分たちが使うぶんだけ、という意味だろう。
「わかったわ。戻りましょう」
前半はファビアンを、後半はラドニスとパルヴィーを見ながら言う。
そしてアリーシェたちはすぐさま、その場を駆け出していた。
その背中に、
「馬を使え! 裏手にいる!」
という声が飛ぶ。
それが届いたかどうかを確認する暇も作らず、ファビアンたちも急いで宿屋の中へと引き返した。
宿の裏にはちょっとした牧草地のようなものが設けられていて、柵で囲った中に十数頭の馬が放されていた。
宿泊客用のものだろう。
周囲の騒ぎを感じ取っているのか、馬たちもどことなく不安そうな様子でいる。
アリーシェ、ラドニス、パルヴィーの三人は、木で組まれた柵を飛び越えて馬へと駆け寄った。
銀影騎士団の所有馬には、共通した印が鞍につけられている。すぐに、三人分のそれを確保できたのは幸いだった。
三人と三頭は、争乱の只中へと矢のように飛び出していった。
◆
愛用の弓矢を手にしたレクト。両腕と両足に攻防一体の防具をつけたザット。そして先ほどと何も変わらないリフィクが、町中を駆ける。
戦闘準備を済ませた三人が戦場にたどりついた頃には、被害はさらに膨大になっていた。
蝶の羽を持つ『モンスター』たちは町の西側に広く展開し、相変わらず無差別に空中から『魔術』を乱れ打っている。
中央の塔を攻めていた集団も、少し後退したようだが、相変わらず衛兵団の拠点との攻防を繰り広げていた。
対する人間側も、そろそろ応戦の構えが整いつつあるようだった。あの奇襲のあとからすると、目を見張るべき速度と言えるだろう。
衛兵たちは七つほどの小隊を西側に派遣し、同じだけの数の隊を住人の避難救助に回している。そして残りの兵力で拠点の守備を固めているといった陣形だ。
敵は主に空中にいるため、弓兵、『魔術』兵が多く配置されている。
そんな衛兵らの他にも、戦いに参加している人間たちの姿があった。住人、旅人を問わず、腕に覚えのある者が町を守ろうと奮起しているのだ。
この辺り、他の町ではまず見られない光景である。
わざわざ『モンスター』に刃向かうなどとは。やはり、名高い衛兵団の存在に感化されてのことなのだろうか。
レクトたちは、南西の中央寄り、といったところの区域にまで進んでいた。
普段は皆の後方で援護に専念しているレクトだが、今回はかなり勝手が違っていた。
周りに衛兵たちはいるが、彼らは彼らで動いているため連携が取れない。故に三人で固まって戦っているのだが、この場合だと、攻撃の要にならざるを得ないのだ。
ザットが得意としているのは肉弾戦であるため、空を飛んでいる敵を相手にするのはなかなかに厳しい。リフィクは『魔術』を使えば攻撃できるが、いざという時の『治癒術』のためにも力を温存しておく必要がある。
自分が中心にならねばという意識は、レクトにひどく重圧を与えていた。
平常心であったなら、恐らくそんな重圧でも背負いきれる彼である。しかし今は、少しばかり旗色が悪かった。
町の被害。『モンスター』の量。そして他の仲間の不在も重なり、自分でも気付かぬうちに焦燥してしまっているのだ。
「くっ……!」
と奥歯をかむ。
矢の命中率が悪い。そんな状態も、彼の焦りをおおいに促進していた。
その時。レクトの背後から、高速で迫る影があった。
空中にいた『モンスター』が、獲物を狩る猛禽類のごとく急降下して襲いかかってきたのだ。
その手に握られたダガーナイフが光る。
「レイドさんっ!」
リフィクが危機を知らせるが、振り向いた時には遅かった。
「!?」
すでに至近距離にまで肉薄し、負傷は免れられない、と直感する。
「でぇぇぇいっ!」
しかし同時に、もう一方からレクトに急接近するものがあった。
まさしく紙一重、といったところだろう。
ダガーナイフを振り下ろしかけた『モンスター』の横っつらに、飛び込んできたザットの蹴りが直撃した。
そのまま両者は、からみ合うように地面を転がる。
先に起き上がったザットが相手の足をつかみ、
「スローっ――!」
背負い投げのようにして体を地面に叩きつける。そして足をつかんだまま竜巻のように回転し、
「――グラウンド!」
遠心力を利用して、相手を上空へと投げ飛ばした。
うねりを上げて飛ばされた『モンスター』は、空中にいた別の『モンスター』と痛烈に衝突する。その衝撃は、相当のものだったろう。
羽をもがれたように、二体はまとめて地面に墜落した。
「近づいてくる奴は任せとけ! 一体残らず叩き落としてやる!」
ザットが、レクトに背中を向けて構える。
「だからお前は、気にせずガンガンうてよ」
レクトは、その彼の言葉を単純に頼もしく思った。
「……ああ!」
レクトは再び弓を引く。先ほどよりも、弦が軽くなった気がした。
「リフィクは、危なくならねぇように下がってろよな!」
「はいっ……!」
リフィクから、力強いやら情けないやらわからない声が返ってくる。
ザットとしても、苦手な相手に焦りを感じないではなかった。
しかし不利だと嘆いていても仕方がない。
こんな時にやるべきことは、よく知っている。自分の力を信じて、むしろ他人にまでそれを押しつけて、相乗効果で自分も他人も闘志を高揚させてやればいいのだ。
不利など跳ね返せるほどに。
エリス・エーツェルのように。
「オレたちエリス組の力、あいつらに見せつけてやろうぜ!」
◆
道順に自信はなかったものの、アリーシェたちは無事に元の宿屋へとたどりついていた。
最短距離の路地ではなく、あえて幅の広い道を選んだのが功を奏したのかもしれない。しゃにむに逃げる一般人らを、うまくすり抜けて進んでこれた。
宿に飛び込み、すぐさま戦闘準備を整える。
銀影騎士団の象徴である白銀色の防具に、同じく銀の武器。アリーシェとラドニスはロングソードを、パルヴィーはショートソードをそれぞれ手にした。
アリーシェは、それらを身につけていくことによって自然と頭が冴えてくる感覚を味わっていた。
考えねばならないことは山ほどある。だが今は頭のすみに追いやっていい。
『モンスター』が襲ってきている。人々を危機に陥れている。故に、その行ないをあがなわせる。
ただ、そのことだけを考えればいいのだ。
「敵は、おおまかに二陣に分かれているようね」
三人そろって宿から飛び出しながら、アリーシェが切り出す。
移動している時も、『モンスター』の様子をうかがうのは怠っていなかった。
本陣とおぼしき西側と、衛兵団拠点を攻めている中央側。上から見ると、恐らくひょうたんのような形で展開しているはずだ。
前後が厚く、逆に真ん中は手薄になっている。
攻めるのなら、そこしかないだろう。
「その真ん中を突くわ。相手を分断できれば、衛兵団の人海戦術も生かせるはずよ」
なるべくなら、衛兵らとも連携を取りたいアリーシェであった。
しかし非常時とはいえ、部外者をそう簡単に受け入れてもらえるかは怪しいところである。向こうにしたら、それで計算にズレが生じてしまうかもしれないからだ。
そこはあまりあてにせず、自分たちの戦い方をしたほうが結果的には得策なのだろうか。
ふとアリーシェは、レクトら三人のことを思った。
きっと彼らもこの事態に立ち向かっていることだろう。
どうにかして合流できないものか……と。